月海原の鮫
キッシュト洋、それは北半球に広がる大海原である。南にサイドスナス大陸、東にポーライツィミニー大陸を望むこの大海は古来より重要な海路として利用されていた。それはキッシュト洋が広大な広さを誇る上に波は穏やかで、海流の流れも緩やかな安定した海であったためであった。この文明の立役者である青海ですら、人類の戦火から逃れえることはままならなかったのである。
シェーゲンツァート帝国海軍所属第六水雷戦隊と第一キッシュト洋機動部隊、そしてパリオーサ諸島国所属の第二〇二AL混成艦隊の護衛の下、同盟軍の輸送船団計六十二隻がキッシュト洋を横断、一路西にあるビスクスムという民主国家へと向かっていた。ビスクスムは開戦当初中立の立場をとっていたが、戦争が進むにしたがって戦火が近づき、やがて連合軍の宣戦布告を受け救援を要求する形で同盟に参加、現在前線が国境近くまで接近している状態であった。そこにリンドらが投入されることとなったのであった。
何故今までと異なり海路かというと、ALを輸送する輸送機は非常にハイパワーだがその分燃費が悪く、大陸間での輸送にはあまりに向いていない。その上キッシュト洋はこの星でも二番目に大きな規模を誇る大海である。そのためALに限らず物資の輸送には昔ながらの海路での輸送が最も適しているのであった。それに海洋国家であるシェーゲンツァート帝国とパリオーサ諸島国は空よりも海の方が得意としている。
現在、六十二隻の輸送船にはAL他陸軍歩兵や野砲、補給物資、航空機など大量の物資人員を満載しており、これらの重要性は現在の同盟軍にとってはあまりにも高い。故に非常に厚い船団護衛をつけているのである。その証拠に対潜ヘリ空母や最新鋭の対潜能力の高いヴィグラード級大型駆逐艦が複数配備されている。シーレーンは今のところ同盟軍の手にあるが、最近では敵ALや航空機、潜水艦が出没するようになり少なからず被害を出している。
現在23:02、船団は真夜中のキッシュト洋西を航行していた。出港して実に七日目のことである。リンドはラス級というAL用の輸送船に乗船しており現在甲板上で夜空を見上げていた。
「今日は月が大きく出ている。第二の月も……」
この星の二つの月が、満点の夜空の中大きな存在感を放っていた。空には雲一つ見られず、ここが世界一静かな海といわれている所以も納得できた。彼は懐かしい潮風に心を躍らせながらも、闇と月の切ない輝きに何処かさみしく感じていた。
「どうも」
背後から聞き覚えのある声がした。彼が振り返ると肌の浅黒い、海軍の灰色の軍服に身を包んだミレース人の青年が立っていた。
「やあラロ」
彼はこの輸送船ビキネム号の船員で対空機銃要員である。彼とはこの輸送船に乗組んで初日、こうして海を眺めているときに知り合った。二人はこうして夜たまに会ってとりとめもなく言葉を交わしていた。
「今日は少し風が寒いな」
リンドは頬に手を当て呟いた。
「ええ、もうそろそろ冬の季節らしいですね。あっち(シェーゲンツァート)でも冬は寒いですけど、こっちはもっと寒いとか」
「そうか、あれでも十分寒いのに、それより寒いんだな」
「ええ」
普段周りにいるのが年上の者たちばかりであったため、こうして気楽に話ができる同年代の存在が彼にはとてもありがたかった。彼は手すりに腕を乗せ、水平線をじっと見つめる。故郷の水平線はとても美しかった。日没には赤と藍に染まる水平線に映し出されたたくさんの漁船や輸送船の影がよく映えていた。夜にはここほどではないがよく星が見える大空が広がっていた。
「宇宙ってのはどんなんだろうな」
「さあ、ほとんどの人が行ったことがありませんからね。行きたくても小惑星帯が邪魔をしているそうですし、そもそも気密とかそんな問題とかで難しいとか」
「こんなものは作れちゃうのにな」
そういって彼は背後を振り返る。目に映るのは格納状態でぴょこんと頭を飛び出させたALたちの姿だった。この星の科学技術は地球よりもはるかに進んでいるが、一方で地球よりはるかに遅れている技術も多数ある。その一つが宇宙事業であった。この話についてはまたいつか。
「宇宙が海の青を作っているという、けど本当にそうなのかな」
「私もそれは思います。寧ろ海の青が空を青くしているんじゃないかって」
「ほんとそれ」
「ハハハハハ……」
そんな二人の若い青年の束の間の安らぎを奪ったのはけたたましく鳴り響く警報であった。
〈九時の方向より魚雷接近!四!〉
シェーゲンツァートの季節:南半球に位置するシェーゲンツァートでは一年の半分が夏であり、残りは秋と少しの冬がある。温暖な気候のシェーゲンツァートの冬は気温は最低でも10度くらいで雪は高い山の方でしか見られない。
暦:この星の共通の暦は陰暦であり、一年は15カ月あり一月は40日ある。時間は地球と同じ24時間である。




