求めたもの(2)
「あ?」
口からエビを零しながらジェリク軍曹は我が耳を疑っていた。しかしその放送が信じられなかったのは彼だけではない、ヴィエイナだってあのエルトゥールラ公国がこんなにも早期に降伏するとは信じられなかったのである。
彼等エルトゥールラ公国人は同盟軍側の中でも最期まで熾烈に戦いを続けることで連合軍側でも知られており、降伏勧告に多くの兵士が従わない。例え足のない重傷者でも松葉づえ片手に殴り掛かってきたなんていう話もあるほどで、追い込まれるほど決死の戦いを挑んでくるためエルトゥールラ軍とは戦いたがらないものが多かった。エルトゥールラ軍とそれ以外とでの戦闘において死傷率は十パーセント以上も違ってくると聞けば誰だって察するだろう。
そんな彼等がもう降伏したということがあまりにもおかしな話に聞こえ、間違えたのではないかと思うほどだが、繰り返された放送でそれが事実であることを認めざるを得なかった。
「……また本土に最近空襲を始めたばっかだったはずですが」
メイネーイ少尉のいう通りだ、連合軍はエルトゥールラに対し一週間前に初めて空襲を浴びせたばかりで侵攻だってまだ始まっていないのではないだろうか。
彼等は知らなかったが既に昨日から兵士が送り込まれ地上戦が繰り広げられている。ただ、ということはつまりまだエルトゥールラでは戦闘が繰り広げられているということでもある。それに対しオースノーツが無理矢理侵攻を始めた西部工業都市アウントに傀儡政権を樹立、エルトゥールラ統括行政自治区として擁立され、今なお抵抗を続けているエルトゥールラ軍と戦っているのだ。しかしそんなことは知らない彼等はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔で言葉に詰まっているようだった。
喜びの感情が湧いてこない彼等と対照的に他の兵士達は皆お祭りムードでまるでもう統一戦争に勝利したかのように沸いていた。
「おうあんたらも今の聞いたろ!めでてえなあ!」
フライパン片手に小躍りする主計科の兵士は、にこやかにサービスだとデザートをふるまってくれたので、第一特務小隊はとりあえず礼を述べて顔を突き付け合わせた。
「ナンバースリーですよ」
とカニータ。
エルトゥールラ公国は同盟軍でも強力な戦力を有しているため実質的に自由権利同盟におけるナンバースリーの地位を誇っていた。それが瓦解したならばナンバーツーのキサナデア帝国とトップのシェーゲンツァート帝国だけである。
「ええ。これが早とちりでもないならもう同盟軍は風前の灯火といえるかもしれませんけど……」
キサナデアは陸軍が、シェーゲンツァートは海軍が驚異的でオースノーツにも引けを取らないと言えるため油断は禁物だが、その二国も六年以上にわたる世界大戦のために疲弊しているのも事実だ。
オースノーツもそれなりに疲弊しており兵士の年齢層がさらに若年層へと移っているが、それでも開戦時の人口八億四千万人は伊達ではない。国土も歴史も資源も技術もたんまりあるオースノーツにはまず大国が束になっても敵わないとすら思わせる。
「シェーゲンツァートの終わりも近い?」
「案外」
「だといいけど。ともかく油断せずに戦い生き残ることが大事、死なないように」
「そりゃ勿論ですともさ」
生き残ること、それがこの小隊でどれだけ叶うのだろうか。本国の技術開発局から空軍に編入された彼等は試験隊から実戦部隊へと変更され、実地試験ではなく作戦に組み込まれて前線に投入されるようになった。
前身からの死者は僅かに一人、チェサレザ少尉のみで代わりの補充兵がメイネーイ少尉だ。彼等は腕の立つパイロットだが今回の作戦で皆被弾したため、エースといえども限度はある。
被弾がなかったのはヴィエイナとあのカニータ曹長だけ、二度目の出撃である彼は見た目が良いというわけでもないオースノーツにもよくいる三十過ぎの平々凡々な成人男性という程度の見た目だ。
彼がその才能を見いだされたのは二カ月前のこと、彼の勤務していた南部の基地が同盟軍によって奇襲を受けた際に、目の前に倒れていたリジェースに乗り込み敵爆撃機及び戦闘機を二十二機も撃墜して見せたのである。
もともとパイロットとしての訓練を受けて配属されたものの、意地の悪い上官に目を付けられて難癖をつけられ事務職に左遷されていた。そのため大戦初期から従軍していながら一度もパイロットとして実戦に出たことがなかったのである。一応簡単なシミュレーター訓練をたまにやってはいたもののその中では普通のパイロットとしての適性しか見出されていなかった。それが実戦に出てみるとどうだ、一度でエースとなりその異常性に着目した軍のお偉方がヴィエイナの部隊に配属して今に至る。
エット・カニータ曹長にはエース特有の覇気や風格といった物もなく、代わりに目が物語っているというわけでもない。彼はただ本当にさえない事務職の非戦闘員といった様子にしか見えないというのに場合によってはヴィエイナすら凌ぐかもしれない力量を備えているというのがあまりにも不思議で、彼がエースだと言っても多くのものは笑って信じることは無いだろう。
(もう既に同盟軍側でも話題になってるんだろうか……遅かれ早かれ知れるとは思うけどその分戦意が落ちるのか寧ろ上がってしまうのか……どちらともいえないけど)
敵の兵士がやる気を失ってくれればこれからの戦いで連合軍側の損失は少なくなり、作戦行動もやりやすくなるが、逆に余計に死に物狂いで来られるというパターンもありうる。それだけは本当に勘弁してほしいとヴィエイナは憂鬱な様子でデザートのニャトスという、いうなればプディングをつついていた。
崩してカットされた果物をほじくり出していると、ザーレがそれを見咎める。
「はしたないですよ大尉」
「えっ、あっ」
自分でも無意識の内にしでかしていたようで、まるで子供のようなことをしたことに彼女は顔を赤らめた。武人でもあるが同時に良家の令嬢でもある彼女はもちろんテーブルマナーだってしっかり身に着けている。一方テーブルの対角線上ではしれっとジェリクが同じようにほじっていたニャトスを何食わぬ顔でスプーンで元に戻して押し固めている。
「めずらしいですね。悩み事が?」
流石はザーレというべきか、すぐにらしくない行動をした上官が心に何かを抱えていることに気が付いた。
「まあそりゃあね……」
「よければ相談だってのりますよ」
「ありがと。大丈夫大したことないから」
そう返されてしまったザーレはそうですか、と納得はしていない様子であったが本人がそっとしておいてほしいということなのだろうと察し、それ以上は追及を避ける。
(だいぶ歴史は動いた……あとはシェーゲンツァートを落としさえすれば……)
彼女の予想通り、オースノーツ連合は同盟の主軸たるシェーゲンツァートを一気にへし折るために戦略の舵を切った。多くの陸海空戦力が来るべき大決戦に向け各国から集結され始め、また占領地からは兵士が徴兵されかつて共に肩を並べて戦ったシェーゲンツァート帝国へと銃口を向けさせられることとなる……