儀式がもたらしたもの
深い深い眠りにつき、再び、アルフェンスが目を覚ましたのは、次の日の夜のことだった。
聖女が来てから三日三晩続いた宴が終わる日だ。遅刻だったが、最早誰も怒るまい。
驚くことに、あの儀式をしても何も変わらなかった。相変わらず、魔力がなければ視界は黒だし、呪いは消えていなかった。
いや、拒絶反応が起きてしまったのだから、その結果は仕方ないものだ。
最後に、あの声を。あの言葉を聞いただけ、アルフェンスの魔力が無意識に聖女の其れを追い出してしまったのだ、身体の感覚は覚えているが、一体、何が起こったのだろうか。
「殿下?もう身体は大丈夫なのか?」
「リッツ、久しいな。お前こそ学園にちゃんと通っているのか?…っと、マキア?!」
病み上がりで気分が優れないと、早々に挨拶回りを中断したアルフェンスは、隠れるように中庭まで来ていた。
そこに声をかけてきたのは気心知れたリッツだ。その隣には何故か、淡い色のドレスを着たマキアを連れて。
「マキアは俺のパートナーとして連れてきた。俺とこいつ、異母兄妹だから」
「あぁ、だから…アイザックは言いづらそうにしていたのか」
調べて欲しいと頼んで、珍しくアイザックは彼女の出生について、口ごもった。けれど、相手に反対する訳でもなかったので、何か事情があるのだろうと。無理して聞き出すのもどうかと思い、保留にしていたのだが、なるほど。
「これはなかなか…、複雑な気持ちだ」
「俺もだ」
喜ぶべきか、恥ずかしがるべきか、悩んだ末、二人で笑った。まさか、そんなことがあるとは思うまい。
「すみません。私から言えば良かったんでしょうけど、その…」
「あぁ、気にするな。こうして二人同時に教えてもらったんだから」
おずおずと発言をしたマキアと、不遜なリッツは母が違う、同い年の異母兄妹。いくら貴族とは言え、褒められたものではない。自然と、本妻とその子が優先されてきたのだろう。マキアは養子だと聞いていたが、そういう訳だったのか。
「俺はアイザックのところに行ってくるからマキアを頼む。あまりパーティー慣れしてないから」
「わかった。いくら鬱陶しいからって、言い寄られて無視するなよ」
「んー、約束はしかねる。またな」
後姿でひらひらと手を振って去るリッツ、口も態度も悪いが、剣術が凄まじく大会ではいつも上位に入るので、年上の令嬢方には人気がある。だから腹芸が苦手な幼馴染はすぐ何処かに行ってしまうのだ。
「えぇと、アルフェンス様。倒れたって聞いたんですけど、その、」
「平気だ。だからこうして参加しているだろ?」
「でも今はサボっていますけど」
「それは言わない約束」
ふふ、はは、と零れる笑み。あぁ、懐かしい。胸いっぱい広がる想いに、アルフェンスは泣きたくなってしまった。
一方的に会いに行っていただけの関係は、少しの期間でゼロになってしまうと思っていた。
リッツには感謝しなければならない、きっと家で一悶着あっただろう。いや、これからあるのか。
近くにあったベンチに座り、二人で和やかな時間を過ごす。学園でも昼休みの少ない時間しか会ってなかったというのに、話題は尽きなかった。
「こんなところにいらっしゃったんですね、アルフェンス様」
少なくとも、この瞬間まで二人の邪魔する者はいなかった。
花のむせかえるような香り、輝く光の粒子がアルフェンスとマキアの前に立ちふさがる。
「聖女様…何故、こんなところに?」
「アルフェンス様、まだ儀式は終わっていません。今からで良いので、続きをしましょう」
何の躊躇いもなく、差し伸べられた手に気が付けば、首を振って、態度で示していた。
「聖女様、私は気分が優れなくて退席をしていたのです。心配してくれた幼馴染の妹がこうして付き添ってくれていたのですよ」
息を殺してしまったマキアを、紹介するように発言すると、視線すら向けない聖女はひたすらにアルフェンスを見つめていた。
「ですが、時間がありません。解呪と言うものは時間がかかり、思ったより効果がでないのですわ」
「お心遣いして頂き、感謝します。ですが」
「昨日は急ぎすぎて、アルフェンス様に負担を強いてしまいましたが、今回から気をつけます」
アルフェンスの言葉を遮った聖女の声は、この前と違い、頑ななだった。断られると思っていなかったのだろう。神官も王もいない場ではっきりしておいた方が良いのかもしれない。
「この呪いが私の“罪”だと言うならば、私は一生背負っていく覚悟があります。無理をして儀式を続ける意味はありません」
「…何をおっしゃっているのかわかっているのですか?その目は呪われているのですよ」
剣呑すら含んだ其れは、断罪に似ていた。自身の矜持を傷つけられたのだから当たり前か。
「呪いは解かなければいけません。自分の目で、ちゃんと見たいと思いませんか?私ならその願いが叶えてあげられます。貴方はこの手を取るだけで良いのです」
さぁ、と。
差し伸べられる手は白く、傷一つない。
幼き日に恋い焦がれ、待ち望んだ。救いの手。
誰からも愛されず、気味悪がられた、自分の目。
「私はアルフェンス様、貴方のその目も、その呪いも全て受け入れることができます」
聖女とは神の寵愛を受け、その片鱗を人々に分ける慈悲深い、希望の象徴。
あぁ、だから化け物にすら、人であれば与えてくださるのか。
「申し出は有難いのですが、私には必要ありません。…気分が優れませんので失礼します」
聖女の断言に、アルフェンスの心は冷え切っていた。
スッと身を引き、今度こそ本当に、聖女の顔を見たくないと背を向ける。ハラハラとしながら、様子を伺っていたマキアの手を取り、この場を去った。