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もしも今日が選べたら

 カチカチカチと目覚まし時計が音を立て始める。目を開くと秒針が動いていた。反時計回りに――


 過去に戻りたいと願うやつはたくさんいる。

 大学時代に戻って青春を謳歌したいとか小学生に戻って一からやり直したいとか。

 でも誰も戻れはしない。不可能だとわかりきった話だ。

 そんな何年単位で過去に戻れるなんて空想のお話だと皆が割り切っている。


 だが、一日だけやり直せるとしたらどうだろう。

 仮にもし、今日という日をもう一度やり直せるとしたらどうする。


 なんらかの願いが通じ、眼が醒めると同じ一日をもう一度やり直せる。

 その程度の不可思議な出来事なら、あるのじゃないかと思わないだろうか。

 ネットにある過去に戻った不思議な体験談が、大人から子供へと戻る話なら訝しげに読んでいるのに、一日だけやり直す体験談ならあり得るかもと思い読んでいないか。

 これなら自らの身にも降りかかるかもと思ってしまわないだろうか。


 馬鹿な話であるが、本当に馬鹿な話であるが、俺はそれを願った。願うだけじゃない。その方法を試した。

 戻る方法なんてどこにでも書いてある。真偽は不明だが、何種類もネットに転がっているのだ。

 無論、お手軽な方法なんて一つもなく、信憑性のある方法も一つもない。


 しらみつぶしに全ての方法を行うつもりだった。

 まさか一発で本物に当たろうとは。本当に当たりたいものは他にあるというのに、こんな時に運が働くとは。


 さて、戻りたい理由だ。

 今日親が死んだわけではない。既に亡くなっている。

 兄が一人いるが疎遠だ。こんなにも困窮している俺を助けてもくれない。

 まあ仮に兄が死んだとしても涙一つ流さず、遺産がどれだけ入ることになるかとそろばんをはじくだろう。

 つまりは金。金のために過去へと戻る。


 ゴミだらけの小さな部屋。布団の横に少しだけ散らかってない半畳のスペースがある。

 そこにあるのは、儀式に必要なもの。電池切れを起こした目覚まし時計。今日の朝刊。盛り塩。蝋燭。

 今日をやり直すための準備は出来た。目を瞑り、日付の堺が来るまで何度も逆さ語でこう唱える。

「いあさづけちそどみちにち。おやむか」

 何度も発し続けた。無心に口に出した。噛みながらも呟き続けた。ものの十数分で一月分喋った。

「いあさづけちそどみちにち。おやむか」

 発した言葉は常にこうだった。聞こえる言葉も同じだった。


 だが、急に――

「あくまよ。いちにちもどしてください」

 ――と聞こえた。


 異変に驚き、目を開けると時計の針が反時計に動いていた。

 俺は成功したんだ。この時計が成功の証拠。世界が逆再生されている。

 これで俺は、今日をやり直せる。


『私を呼びましたね』

 声が聞こえた。床から。俺の声だ。

『こんばんは。お呼びにあずかりました。悪魔です』

 闇に黒く映える影。明瞭に見える俺の影。体は動かしていないのに影が自由に動き回る。

「おい。こ、こんなの聞いてないぞ。あの話には書かれてなかった。影が奪われ、悪魔が実際に現れるなんてそんな……」

『そりゃそうですとも。あなたの見た過去に戻る方法。体験者からは少しばかり記憶をいただいてますから、影を乗っ取られたことは忘れているんです』

「影を奪われるとなるとどうなるんだ……まさか俺は死ぬのか」

『ご安心ください。私が依り代として使わせてもらっているだけです。すぐに返しますよ。ケヒヒ』


 影は手を振ってくる。俺が動かせない左手の中指を綺麗に折り曲げてピースをしてくる。


『それで、今日をやり直したいということですね。代償が必要ですがね。体の一部と記憶の一部。やりますか』

「そのつもりだったが、先に一つ尋ねたいことがある。例えば過去に戻ったして、記憶はしっかり引き継がれるんだろうな」

『大丈夫です。忘れるのはやり直した後、その日付のが終わるとき。ま、どうしても覚えておきたいことは知っています。私は悪魔の割に良心的ですからね。その記憶は頂きませんよ』

「そうか。なら問題ない。ぜひやってくれ」

『そうですか。わかりました。やり直しが終わった後、代償に左の中指を一本を貰いますがいいですね。あと少々ばかりの記憶をいただきますよ。なあに、さしたる記憶じゃない。兄との思い出です』

「ああ。文句ない代償だ」

 考えるまでもない。もともと動かない指と不用な記憶だ。これから手に入れられるものに比べれば、失っても惜しくもない。

『わかりました。その代償に願いを叶えましょう。ケヒヒ――』


 交渉成立。本物の悪魔の出現に恐怖したが、まともで、本人が言ったとおり良心的な存在だった。


『やり直す一日は私も同行しますよ。心配しないでください。ちょっかいはかけませんから。ケヒヒ』


 新聞の文字が浮かび上がる。俺の上を虫のようにはいずりあがってくる。

 体の一部に溶け込んでいく感覚があったが、不思議なことに恐怖を感じず、血が闇に浸される心地よい感覚が全身に広がっていった。



 起床。つい先ほどの夢を思い出そうとする。

 リアリティのある夢だった。何をしていたか。俺の部屋で。

 そう、確かこの部分に新聞紙を敷いて、その新聞紙の文字が俺の体に――まさか。


 携帯で日時を確認する。思い出すべきのは日付じゃない。曜日だ。

 本日金曜日。宝くじの抽選日。抽選はまだ行われていない。購入の締切も未来のこと。

 今の俺が、今日億の金を手に入れることができる。


「い12、ろ7、は4、に9、ほ10、へ1、と3。大丈夫だ。覚えている。今の内にメモしよう」


 一日戻した理由。金のため。宝くじを当てるためだ。

 賭け魚籤と呼ばれる300円で一攫千金を狙える宝くじだ。

 水槽に12匹の鯛が泳いでいる。その鯛にはそれぞれ番号が振ってある。

 「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」「と」の書かれたルアーを投げ込み、そのルアーで釣れる魚の番号とルアーのひらがなの組を当てる宝くじだ。

 見事全て当てたやつには賞金二億円以上とルアーに食いついた七匹の鯛が贈呈される。確立およそ400万分の1。


 今日のやり直し前には10口買って、全てはずれた。

 俺以外に購入された2481124口の籤も同様に外れている。

 その前回にも一等の当たりはない。前回の賞金分も貰えるキャリーオーバーが発生していて、一等には六億円以上が手に入る計算になる。


 開催は毎週金曜日、抽選の開始は金曜午後五時。籤の購入締め切りは金曜の正午。

 今から充分間に合う。


「悪魔よ。ありがとう……」


 返事はなかった。だが、どこかで俺を見ていることだろう。



『では、第387回。賭け魚籤の抽選を開催します。ただいまキャリー発生中。今回、2481125口の購入があり、一等がでれば最高六億円三千万以上と七匹の鯛が当選者に贈呈されます』


 午後五時。公式のサイトで抽選がライブ配信されている。

 いつもなら抽選が終わった後の結果しか見ないが今日は別。答えを知っているものの興奮しながら中継を眺めていた。

 古びたノートパソコンでは映像が見にくい。早速釣られる鯛を実況の声を頼りにして結果を確認する。


『あ、ただいま最初の一匹が釣れましたね。「は」のルアー。番号は10番です。「は」は10番です』


 脳がフリーズした。おかしなことにすぐに気づいた。戻る前の結果と違う。


「ちょっと待て! そんな。おかしい! 何でだ!」

『ケヒヒ……そんなもんですよ』


 過去に戻ってから初めて悪魔がささやき出した。俺は影を睨んで叫んだ。


「まさか、お前記憶の改ざんして、覚えている籤の内容を変えたわけじゃないだろうな!」

『そんな。してませんよ。しっかり覚えていたじゃないですか』

「本当にしてないのか。じ、じゃあどうして」

『簡単な話なんじゃないですかね。あなたがその籤を買ったからですよ』

「俺が買う籤によって当たりが変わるとでも言うのか? バタフライエフェクトとでもいうのか、そんな馬鹿な……」

『いやいや。物事をもっと簡単に考えてください。例えばルーレット。未来で結果を知ってから、過去へと戻り38の数値の中から答えを選び賭けた。そして、それが外れた。外れた理由は、ディーラーは賭けられた内容から入れる数値を変えられるからなんですよ』

「この籤もそうだっていうのか。誰も当てないように。なぜそんなことを」

『キャリーが発生している時の売上の上昇、身内に当選者を出すため。根拠のない話ばかりですが、理由は過去を戻す方法のようにネットにたくさん散らばってますよ。あなたのおっしゃるバタフライエフェクトが原因かもしれないですが、とにかくあなたが購入する籤を変えて結果が変わったことは確かです』


 中継は続いていたが、パソコンのブラウザを閉じた。

 俺が過去に戻って何を得たんだ。10口の購入が1口になって2700円が無駄にならなかっただけか。そしてその代償に指を失うのか。記憶も失うのか。


『予想していた期待が外れたみたいですね』

「俺が浅はかだってことだな。人の中にも悪魔が紛れているってことを考えていなかった……悪魔よ、一人にしてくれ。もういいだろう。お前はこうなることが目に見えていたんだろう。この後面白いことなんて何もない。俺は日付が変わるまで、いや変わってもただうな垂れてるだけさ」

『ケヒヒ。日付が変わると代償を支払うことになっていますが、もし私がここを離れるとなると、今すぐ支払うことになりますよ。今のうちに使えるだけ使っておいた方がいいんじゃないですか』

「……いや、もういいよ。どうせ動かせない指に必要のない記憶だ」


 もう何も望むものなんてない。諦めの境地に達した。

 悪魔を使っても失敗した。こんな俺が幸せを掴めることなんて二度とないんだろう。


『では、約束通り頂きますよ。あなたの指の一本と、そして兄弟の記憶、そして私と出会った記憶』


 脳から光が飛び出し、影へと流れてゆく。指が崩れ落ち影がその粉を食ってゆく。

 記憶と指が失われる感覚に、懐かしさをと、なにか腑に落ちないものを感じた。

 この悪魔とは今日、初めて会ったのか。俺の記憶は本当に正しいか。


「……ちょっと待て! お前、以前にも俺の前に現れたことがあるんじゃないか!」

『もう遅い。ケヒヒヒヒヒヒ。またお会いしましょう……何度も……何度も……お会いいたしましょう……』





『では、代償に左の指四本が不自由になりますが本当にいいですね。あと少々ばかりの記憶をいただきますよ』

「ああ」

『わかりました。その代償に願いを叶えましょう。ケヒヒ――』


 元々指が欠けた不具の身体。

 金が入るなら、親も兄弟もいない俺の身に何が起きようと――

タイトルは私の大好きな映画『もしも昨日が選べたら』からとりました。

もちろん内容は別物です。

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