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紅毛の才媛

 重臣達に指示を出した数日後、アミーンの領館に意外な人物からの手紙が届いた。


「ユンク伯爵夫人から俺に……?」

「はい。手紙を持ってきた者はその付き人だと申しておりました」

封蝋(ふうろう)もちゃんとされているな」


 自室での執務中、エミリーに差し出された丸まった羊皮紙を観察する。それには、紐で丸めた上に蝋で留める封蝋が施されていた。

 開くと割れてしまう封蝋は未開封である事を示す以外に、偽の手紙ではない証明にもなる。その家々の複雑な紋章が彫られた、複製され難い判子をその上に押す為だ。確かにそれは、二頭の大きな黒犬が盾を挟んで向かい合う伯爵家の紋章に相違ないようであった。


「開封する前に父上にお見せしよう。その使いはまだ帰っていないか?」

「はい。お返事を頂くよう仰せつかっているとの事で、門前に立って待っております」

「八月に立たせたままというのも可哀相だ。応接室に案内してやってくれ」

「かしこまりました」


 いくらライネガルドの夏がかつての故郷に比べれば幾分か過ごしやすいとはいえ、今はこの国で最も暑い時期だ。何が書かれているか分からない以上、ちょっとした事でも印象を良くする事はやっておいて損は無いだろう。


 父上は書斎の机に座り、書き物をしていた。確認の為に手紙の封蝋を見せると、温厚な父上には珍しく眉間に皺を寄せる。


「確かにこれはユンク伯爵家のものだ。だが今更あの家の者が何の用だろうね」

「まずは中を確認してみましょう。判断はそれからです」


 頷く父上の前で蝋を割り、羊皮紙を広げる。机を挟んで向かい合い、目を通すこと(しば)し、


「国外、カールスですか。予想通りです。その証拠を提出すれば一気に片が付きますね」

「いいや。エリザ、これは恐らく罠だ」


 父上がそう言ったのも無理は無かった。そこにはにわかに信じがたい事が書かれている。


『審問会でユンク家がカールスと内通しているとの証言と、証拠の提出を行う。それを以ってユンク家を取り潰して欲しい』


 そんな自殺じみた事を、その家の奥方が記しているのだ。そして、その見返りとして告発に連名している彼女の実家、オベール家に対する寛大な処置を懇願する文が続いていた。


「この言葉を鵜呑みにして、彼女を証言台に立たせる訳にはいかない。彼女はユンク家の中枢にいる人間だ。審問会でどのような証言をするかも分からないし、証拠も偽物の可能性がある。それに見てみなさい」


 父上が羊皮紙の文面を指差す。


「この手紙にはオベールの文字はあっても、伯爵夫人の署名は何処にも書かれていない。封蝋が割られた今、これが彼女自身の手紙であると証明できなくなってしまった。例えこれを提出しても有力な証拠とはならず、逆に疑わしいものを持ち出した我々への疑いが深まるだろう」

「家を守りたい一心で、実家を安堵する確約をもらってから証拠を渡すつもりでは?」

「仮に彼女自身はそう考えていたとしても、その実家はどうかな」


 俺の予想に同意しつつも、丁寧に剃られたあごを撫でながら父上は懸念を口にした。


寄親(よりおや)が倒れれば、寄子(よりこ)は到底貴族社会では生き残れない。娘を犠牲にしてでもオベール家は寄親を守る事だって十分に考えられる。実は自分たちは虚偽の証言を行うようクラネッタに圧力を受けていて、娘は実家を守りたいが為に早まった事をしたとでも言い張られたら、我等は窮地に陥るぞ」


 告発への反論材料は揃っている。あえて不確定なものを取り入れる必要は無いと、父上は申し出を受ける事に反対した。その意見は冷静そのものであり、普段ならばそのまま頷いていただろう。だがこの奇妙な手紙にある狙いを感じた俺は首を横に振り、父上に訊ねる。


「ところで父上。伯爵夫人は宰相閣下にお会いした事があるでしょうか」

「勿論だ。閣下に目通りを願わない貴族などいないさ。この前は見掛けなかったが、夫人もユンクに伴われて宰相邸の舞踏会に参加した事もある」


 唐突な質問に驚きながらも、父上は律儀に答えてくれた。


「ならばこの機を逃す手はございません。父上、宰相閣下に一筆(したた)めて頂けますか。繋いでおいた縁を活かす時が参りました」

「……なるほど。それならばオベールを取り込めるか」

「そちらはお任せいたします。エミリーっ、私にも手紙の準備を」

「はっ!」


 使いの対応を他の者に任せ、先程から扉の前で待機していたエミリーに声を掛ける。彼女はすぐさま書斎の棚から俺の羽ペンと羊皮紙を取り出し、恭しく奉げた。


「ありがとう」

「楽しそうだね」


 机の端を借り、立ちながら手紙を書く俺を父上が柔らかな目で眺める。ええ、と返事をし、書き終えた手紙を父上に披露した。


「クラネッタを動かした才媛の顔、王都でしっかりと拝んでまいります」



 二週間後の夜更け、王都ライネガルドのクラネッタ公爵邸に、紋章も無い一台の地味な馬車が停まった。そこから一人降り立った長い紅毛(こうもう)の美少女も又、質素な紺のドレスに身を包んでいる。そこに、黒髪の美しいメイドが邸内から現れ、少女に音も無く近づきお辞儀をした。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ……」 

 

 少女はメイドに案内されて、二人以外誰もいない通路を進む。既に主人に言い含められているのだろう。使用人の姿を認めることは無かった。通路に無駄なく配置された明かりに褐色の肌を照らされながら、少女は大人しく付いていった。

 応接室らしき部屋の前でメイドがとまり、その扉を軽くノックをする。すると中からどうぞお入りくださいと、幼さの混じった、しかし芯の通った声が響いた。


「失礼いたします」


 断りを入れてからメイドが空けてくれた扉を通り、先ほどの声を発したであろう黄金色の瞳をした少女と、そこに同席している覚えのある人物がソファーに腰掛けているのを見た時、紅毛の才媛、セシールは自らの判断が間違っていなかった事を確信した。


 エリザに対する審問会が開かれる事が王宮から発表されたのは、その翌日の事だった。

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