19:押し負ける
お久しぶりです。
フレイアによるビスマルク講座は実に二時間にも及び、その間、月の長官マーカス・ビスマルクは悲哀混じりの顔を若干引きつらせながら黙ってそれを聞いていた。
途中、お茶を持ってきたヴィクトリアによって中断されるものかとそこはかとなく期待したビスマルク長官であったが、その儚い願いが叶う事はなく、ただひたすら悪夢のような時間を耐え忍ぶより他無かったのである。
「ふう…まあだいたいこれでビスマルクの話はおしまい。どう?ためになったでしょ?」
「は、はあ…まあ…」
「なにその煮え切らない返事。イラッとするわぁ」
長い脚をこれでもかと言うように見せつけた後、そのまま脚を組んで淹れ直したお茶を飲んでいたフレイアは、彼、ビスマルク長官が部屋を訪れた事にようやく興味を抱く。
彼女から言わせれば、ドイツ帝国の礎を築いた鉄血宰相と同じ名を持つ者がまるで温○洋一よろしく、影が薄い人物だとは信じたく無かったのだ。別に悪気があってやったことではない。むしろ、誉めて欲しい。ビスマルクを語る上で決して外すことが出来ない、ドイツ帝国史まで掻い摘んで懇切丁寧に『ご教授』してやったのだ。
いくら異世界のことと言えど、人が人を導いて行く手段は根本的に大して変わりは無い。この国で議会政治が行なわれているかは知らないが、ビスマルクに大いに学ぶ事はあるはずだ。
フレイアとしては大満足。
ビスマルク長官としては、大厄である。
「で?何しに来たの?」
これでやっと本題に入れる…とフレイアのそんな親切心を知らない哀れなビスマルク長官は、いくらか平常心を…と出されたお茶を一口飲むと、少しばかり息を吐いて、その頼りなさげな面構えとはうって変わって張りのある声を出した。
「フレイア様にはこれからのことをお知らせいたします」
「これから?」
「左様でございます。これから一月のうち、花嫁候補様方を一同に会す披露目会が催されます。これはご存知ですね。そこでは春夏秋冬、月星が選んだ候補、計6名のお顔が国内外の貴族達に知らされます。」
月以外の方々は既にフレイア様がご存知のとおりでございます」
「皆、太郎ちゃんには勿体無いけどね」
つらつらとよどみなく話を進めて行くビスマルク長官に水を差すように、フレイアが茶々を入れる。が、長官は意志を総動員し、勉めて平静を保った。
「お披露目が終わりましたのち、陛下が選定に入られます。これには陛下以外の意見も参照にされます。主だった面々としては、各長官はもちろん、全貴族からも意見が求められます。そして最も重用されますのが、」
「ちょっと待って」
「はい?」
「それって異世界から来たあたしに、すごーく不利じゃない?各長官からの意見?国の全貴族?それって端から組織票じゃないの。ぽっと出のあたしに、そいつらが持つ一票を自分に入れさせるためにどうしろって?」
「それは………ご自分でお考えくださいませ」
「は?」
まさかの解答にさすがのフレイアも絶句した。
召還ぶだけ召還んで、それから花嫁候補になってますといきなり言われ、見るからにしょぼい皇帝と婚姻するためには国の中枢を担っているであろう者達の過半数以上の賛成が必要だと言われ。それも自分の力で彼等の票集めをしろと言われ。
しかも、最終決定はあのしょぼい皇帝が下すのだ。
なんたる横暴、なんたる理不尽。
フレイアの心情としては、他候補の彼女達全員とすでに仲が良いという範疇を越えた付き合いをしているし、そもそもタロヒュージなんぞとは頼まれても結婚したくもない。
頼まれてこの国の王妃になんてなった暁には、元の世界に還りたくても還れないではないか。
さしものフレイアも勢いを無くしたのか、俯いてしまった。
それを見てヴィクトリアは胸を痛め、慌ててフレイアの元へ駆けつけようとしたのだが、ビスマルク長官がそれを制するように手を上げた。止められたヴィクトリアとしては、『なによこの薄らハゲ、私のフレイア様をいじめないでよ!』ぐらいの勢いで睨みつけたのだが、ビスマルク長官はびくともしない。流石に月庁の長だけあって、さっきまでの情けない雰囲気とは全く違い、そこはかとなく威厳が漂っている。
彼としてもここは譲るわけにはいかない。
各長官が抱く思惑は大して変わりはないかもしれないが、それでも自分達が選定した花嫁候補に王妃になって欲しいという思いはある。上手く事が運べば、例え国政に携われない月庁と言えど、多少の口出しは可能になると知っているからこそ、安易に答えは教えられない。
確かに国の大多数が賛成に回らなければ最終候補に残る事すら難しいのはわかっている。
だがしかし。
何事にも切り札と言うモノがあるのだ。
それを今、彼女に教えるのはまだ早すぎる。
「フレイア様?」
「…………」
ビスマルク長官が声をかけたのだが、俯いたまま黙り込んだフレイアは一言も口を開かない。それをよしとした彼は更にこれからの話を続けた。