18:コルセットはコルセット、見た目は見た目
フレイアの悪鬼のようなダンスのしごきに耐えに耐えたタロヒュージは、半月後の舞踏会を前にして既にぐったりと披露困憊していた。
いつもであれば多数の貴族令嬢やらが彼がダンスを申し込むのを、早く早くとずもももも…と後ろで効果音が鳴ってそうなほど凄まじい形相――と言っても表面上の笑顔の下で――で待っているのだが、花嫁候補と踊ることになっている今回ばかりはそれがなさそうだと安心していた矢先のこの仕打ち。正直もうダンスのステップを踏むのも嫌である。
傍らで見ていたマキシマスもあまりの熱心な練習(地獄の特訓)に同情はしたものの、自分が巻きこまれるのは嫌だったので黙っていることにしたのだ。一回、政務に差し支えがあると言ってジローリアスが注意した所、彼が巻き添えを食ってあえなくフレイアに『木偶の棒』と言われた経緯があり、それからしばらくわが国の宰相はフレイアの前に出てこなくなった。
とは言え、あれだけの特訓に耐えぬいたタロヒュージのダンスの腕前は、以前より確実に上がった。フレイアに『小手先だけで踊っている』と評されたそれは、指先からつま先まで完璧になった。もっとも、それでなければフレイアが『よし』と言わないのであるが…。
「…誰だ、ダンスを踊ろうなんぞと言い出した奴は…」
「存じません」
「…おい、そう言えばジローリアス、お前確かフレイアに木偶と言われていたな」
「……ちっ………陛下、政務が滞っております。さっさと仕事してください」
「おい、今舌打ちしただろう。八つ当たりは止めろ」
「陛下もです」
そう言って、国王と宰相はお互い疲れ切ったため息を吐いた。
さて、その頃フレイアはと言うと。
「わかっていたけど、やっぱりコルセット着用なのねー…ぐぅ!」
コルセットと格闘していた。
と言うのも、フレイアのドレスの仕立てが間に合わなかったために、タロヒュージに言われた通りに城にある服に袖を通していたのである。
ドレスの仕様上中世のそれと同等な為、やはりコルセットを使用せねばならず、現代地球で身体を締め付ける服を嫌っていたフレイアはコルセットを見るなりげんなりとした息を吐いた。
しかしいくらコルセットを嫌っているとは言え、あちらの世界でも何回かは付けたことがある。
本当に、極、稀に。
その時に着ていたのは、今回の中世らしいブリブリッとしたドレスではなく、服と呼ぶには少々布が足りない過激すぎるものだったのだが。
いくらドレスが好きだろうが、こうも長時間コルセットに締め付けられていると、本気で疲れる。いい加減うんざりとしたフレイアの疲れた顔を哀れに思ったのか、ヴィクトリアが「お茶にしましょうか」と言って、コルセットを締め付ける手を休め緩めると、フレイアは心底ほっとした表情になった。それに苦笑しつつ、ローブを羽織らせたヴィクトリアはお茶の用意をするために部屋から出て行った。
ヴィクトリアが出て行ってから何分も経たない内に、ドアをノックする音が聞こえ、フレイアは眉を顰めた。
足音がヴィクトリアやオフィーリア達のものとは違い、重い。かと言ってタロヒュージやジローリアス、勿論下僕のポチのものでもなかった。
では誰か?
その答えを知る為には、自らドアを開ける事以外無かった。まあ、間違っても侵入者にどうのこうのされえるようなフレイアではないし、逆に返り打ちにあうのが目に見えているのだが。一応念のため、ドアの向こうに声をかけてみると返事があった。
「どちら様?」
「月の長官、マーカス・ビスマルクでございます。急ではございますが、今日はフレイア様と詳しい話をする機会だと。よろしいでしょうか」
「…それって拒否する事を初めから排除した申し出よね。まあいいわ。入って頂戴」
「はい。失礼します」
静かに開けられたドアから顔を覗かせたのは、あまり背の高くない気の弱そうな初老の男だった。髪は黒なのに白が混じっているという事は、単にソレは白髪なのだろうが、逆にそれが年を解りにくくしている。
フレイアは尚も観察する。
月の長官だと言う事は、自分をこちらの世界に呼んだ召喚長の所属している庁の一番偉い人物なはず。にも関わらず、この気の弱そうな風貌はどうした事だろう。確か春夏秋冬、それに星月という庁が存在していて、春夏秋冬は国政に絡んでいる。しかし、星と月は国政ではなく王家に関わっているらしいが、それといった権限はないらしい。
とは言え、いくら権限のない庁であろうと庁は庁。しかも目の前にいる気の弱そうな、現代日本の草臥れた悲哀交じりの中年サラリーマン(万年課長で恐妻家。娘はイケメン彼氏を優先し、息子は「俺、オヤジみてーにはなりたくねぇ」が口癖)のようなのでは駄目だろう!
しかもビスマルク!!
帝政ドイツの鉄血宰相ビスマルクの名前を掲げて置きながら、なんたること!
フレイアの頭の中では有名な鉄血宰相ビスマルクの肖像画が浮かび、目の前の気の弱そうなビスマルクとの比較に、彼女の完璧な頭脳がまさかの『エラー』表示を示していた。
フレイアは思わずテーブルを叩きつけると、
「ちょっとそこ座れぇ!!」
と一喝した。
あくまでも私の偏見(笑)