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下町旅情  作者: 白駒の池
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大崎編1

 それは、私が大学を卒業して二年目くらいの出来事だったと記憶している。

 私にはその当時、ちょっとした秘密があって、仕事先のある渋谷駅から山手線にのり、大崎駅から、自宅のある品川区の戸越あたりまで、20分くらい徒歩で帰宅するのを日課にしていた。

 本来なら、渋谷駅から東横線で自由が丘を経由し、大井町線の戸越公園駅か下神明駅から歩くのが自宅までの最短距離であった。

 でも、私は毎日、家から大崎駅までの20分をひたすら歩いた。決して楽な道ではない。戸越公園あたりから大崎駅まで歩こうとすると、平坦な道から坂を下り、戸越銀座商店街へ出る。そして、たしか、百反という商店街目指してまた坂を上がり、今度は一気に明電舎の工場脇を下って、ようやく目の前に大崎駅が現れた。もうずいぶん以前の事なので、通りの名前も忘れてしまったし、明電舎の本社はそのまま残っているようだが、今も昔のまま残っているのかどうかは、残念ながら知る由もない。一度行ってみようかとも思うが、なぜかためらう気持ちを消しされない。

 私が仕事帰りに日課にしていたことは、大崎駅改札を下り、山手線の外側に降り立ったあたりにある、電話ボックスからの電話だった。当時大好きだった人とは、遠距離恋愛をしていて、いまのように携帯だ、メールだと複数の連絡手段はなかったし、家で連絡するのは親の目が気になり憚られた。決して毎日ではなかったが、会社帰り、まだ、仕事をしているであろう、遠くの地で働くその人に電話を入れた。会社員ではなかった。いわゆる自営であったので、電話しやすかった。どうということもない、とりとめもないことを話す。

「来月会いに行くよ。」

と、言われればその日まで純粋に頑張れた。「ごめん、今忙しくて電話は無理。」

と、言われれば、むっとしながら自宅まで歩いて帰った。なぜ、大崎が良かったかと言えば、近いようで不便だから、私の顔見知りに会うなんてありえなかったからで、「電話しやすかった」、以外の理由はなかった。現に、大学時代も社会人になってからも私はこの駅を使っていたけれど、誰かにあうなんて一度もなかった。途中、戸越銀座商店街あたりで、買い物帰りの近所の煩型の面々に出会うことはあっても、大崎駅から歩いて帰っている近所の人には一度も会ったことがない。裏を返せば、当時の大崎駅あたりは多分、そんなに開けていなくて、駅前辺りにもさしたる繁華街も有名なスーパーのようなものもなく、山手線以外の電車が、現在のように大崎駅に乗り入れていることもなかった。とにかく人がいない街だった。いや、明電舎やソニーがあったから、時間が違えばきっと人通りはあったのだと思うが、私の出勤時間や帰社時間に、同じ方向に進む人影はほとんど無かった。怖くなかった、と言えば嘘になる。明電舎の電気はいつも消えていて、そんな工場と工場の隙間を縫うように、急な坂道があり、私は毎晩その道を急いで駆け上がった。百反の街を超えて、戸越銀座の明かりをみると、ホッとしたものだった。

 あれから、二十数年経過した今でもそうなのだけど、私はよく怖い夢をみる。風景は少し違うけれど、誰もいない夜の工場の中を、彷徨い歩く夢だ。その夢から目覚めるたびに、私はいつも、あの大崎の坂を思い出した。

 明電舎の塀の中は分からないのだけど、あれは、私が勝手に空想したあの塀の中なのだろう、と思う。そんな風景が広がっているわけはないのだけれど、夢の中では、いくら歩いても工場から抜けられなくて、とにかくただただ歩くと、そこは近所にあった戸越公園の裏に繋がる道があり、どうにかこうにか家に到着する・・・・・。そんな夢だ。

 鉛色の空の下、薄ぼんやりとした電灯に照らされる、自分の影と坂道を、私は遠くからただ眺める傍観者のように、いつもその夢の中にいた。


 ある日の仕事帰り、いつものようにお気に入りの電話ボックスで電話をした。もう何だったか忘れてしまったけれど、ほんのちょっとしたことで喧嘩になり、電話口で悔しくて初めて泣いた。すると喧嘩の相手は、泣かしてしまったことはわかっていたようだが、仕事でいそがしかったせいか、そのまま電話を切った。それが悔しくて、また泣いた。


 泣きながら、いつもの道を歩き始めた。明電舎脇の急坂を登り始めた時、もう既に傾きかけた夕日が黒い雨雲に隠れ、一気に闇夜となった。

 確か、左側東の空にはぽっかりと月が浮かんでいたように記憶している。だから、明電舎の建物が、ほんのり黄色くて、とにかくその坂道を一気に駆け上がった。

 駆け上がっても、まだ闇夜は続くのだが、そこからは、ちいさな個人スーパーや、モノがうず高く積み上げられた薬局、良心的な値段で買える花やなど、店先の明かりが点在していてホッとした。

そして、戸越銀座の商店街への坂を下り、戸越公園へ、さらに坂を上ったあたりでのことだった。このあたりは、住居兼用の小さな工場と、昔ながらの住宅街で、帰り道、決して明るいわけではなかったが、もうすぐそこに帰る家があるのだという安心感からか、疲れた足も自然と軽くなった。進む先に大井町線が見えることもあり、私はほっとしていた。

 だが、その日はちょっと違っていた。家まであと少し、と言うところまで来た時、電柱の陰に、一人の男が立っているのが視界にはいったのだ。何をしているでもない。ただこちらに背を向けて立ちつくしている感じだった。その後ろ姿も怖かったのだが、その電信柱の横を通り過ぎた時、電信柱の上からの明かりに、その男の顔が、照らされた時の恐怖は今でもはっきり覚えている。一瞬、本当に怖くて足が止まってしまったほどだ。

―びくっ―

 として、足が止まり、ゆっくり電柱のほうへ視線をやると、その顔はまッさおで、口元からは血と思われる真っ赤な吐しゃ物が垂れていたのである。

 人間、本当に驚いた時には声が出ない。

 あの時悲鳴を上げていたら、近所の人に助けてもらえただろうが、その時の恐怖たるや、悲鳴さえも出ず、私はなぜか、その場所にヒールを脱ぎ捨てて、自宅まで走った。距離にして数百メートル。ストッキングだけの脚で全速力で走った。

 家の前まできたのだが、当時住んでいた我が家は純日本風の家で、そう、例えるならば、サザエさんのお宅の様な玄関だった。バックの中から鍵が出てこず、チャイムを鳴らしてもなかなか迎え入れてくれるはずの母が出てきてくれず、ああ、もうだめ、殺される~っと思ったその時、家の斜め前までやってきた、そのまッさおで鮮血を吐き散らしたようなその男の顔が、近所の明かりに照らされて、私の目に飛び込んできた。

 なんと、その男は聖飢魔Ⅱのデーモン小暮のような特殊メークを施していたのだった。私の驚き方、怖がり方がよほど嬉しかったのか、私の左右のヒールを左手で抱え、

「ぎゃはははははは」

 と野太い笑い声で笑いながら、玄関前でへたり込んでいる私を指さして笑った。そして、どういうわけか、ヒールを持ったまま、戸越銀座商店街の方へと消えていったのである。

 しばらくへたり込んでいた私に、

「まったく煩いわね。なんなのよ」

といった風に玄関を開けた母は、靴は履いていない、ストッキングでアスファルトの上を走ったので、そこら中伝線し、擦り傷まであって、足の裏は血だらけ。恐怖で泣き顔の娘を見つけ、かなり狼狽したに違いない。

 それこそ、乱暴されたかと見間違うほどの有様で、結局、ヒールが盗まれたこともあり、警察に被害届を出すことになった。

 お巡りさんにも、家族からも、

「わざわざ大崎から歩いてこなくてもね。近い駅があるでしょ。そっち使って」

 と、優しく説教され?、通勤経路を変更したのだった。あれ以来、大崎から一人で帰ることはなくなった。あれだけの事?があったので、当然と言えば当然だった。20数年昔の事である。

 今、結婚して、その地には住んでいないのだが、偶然大崎駅での宴会に呼ばれた旦那によると、あの明電舎があった辺りの坂道は、すっかりきれいに整備されて、夜道が怖いなんていう感じではないのだそうだ。

「明電舎もソニーもその頃とは全然違うさ」

 と言われて、なんだか寂しい気持ちもした。じゃあ、あの坂道を登りきった辺りにあった、個人スーパーや、薬局や花屋はどうなってしまったのだろう。私の帰り道を勇気つけてくれたあの店たちは、もうないのだろうか。

 こうして、その地と差して距離のない場所に住んでいるのに、私は未だにそこを訪ねてはいない。行って確かめることは簡単なのだが、20数年という歴史を認めたくない気持ちもあるのだろうか。そんな思いを抱いてしまうほど、確かに私は年齢を積み重ねたのだと思う。


 蛇足だが、当時の遠距離恋愛はあの時の喧嘩が元で破たんしてしまった。だから、あの電話ボックスがあった大崎駅にも用がなくなったわけである。



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