夜の学校と古時計
2026年8月、高校に入って初めての夏休み。
僕と友人の孝志、東野先輩は、夜の静まり返った学校の校門前に居た。生ぬるい空気が肌にまとわりつく。
「よし、もうすぐ夜の9時だ。そろそろ始めるか。最初はグー、じゃんけんぽん。」
先輩の合図で、3人が手を突き合わせる。
「あー…、ちっくしょー…!」
孝志が小声をあげて空を仰ぐ。僕と先輩はくすくすと笑う。
「じゃあ、孝志が一番手な」
先輩ともう一度ジャンケンして、孝志、僕、先輩という順番になった。
「よし…、行ってきます…!」
孝志がするりと校門の鉄柵を乗り越える。振り返った孝志に、先輩が顔を寄せた。
「いいか、ルール確認。教材室まで行って、古時計の写真を撮ってくるだけ。写真の位置情報はONになってるな?」
「はい、ばっちりです」
「写真撮ったら、すぐSNSに上げること。忘れんなよ」
孝志がニヤッとわらって親指を立てた。そして、小さくかがみながらコソコソと昇降口のほうへ駆け出して行く。
「今日は誘ってくれてありがとうございます、先輩。宿題もうんざりしてたし、夏祭りも毎年おんなじ出店ばっかで」
「なー?高校って退屈だよなー。だからさ、ちょっとくらい飛び出た奴があるほうが、ちょうどいいんだよ。」
「でも、本当に怒られないんですか?」
「いいんだよ。入れるようになってる学校が悪いんだ」
15分ほどたった頃、校庭の先、昇降口の奥に人影が現れて、こちらへ手招きした。
「ほれ、お前の番だ」
僕は見ていたスマホをポケットにしまい込んだ。
「よいしょ……っと」
校門の鉄柵に手をかけ飛び乗る。爪先が地面に触れた瞬間、昼間なら鳴るはずの硬質な音が、湿り気を帯びた土に吸い込まれて消えた。
「先輩、写真じゃなくて、動画も撮ってきましょうか?」
「お、いいじゃん。撮れ高期待してるぞ」
僕は猫のように、夜の校庭をまっすぐ駆けた。
靴を脱いで校内に上がる。靴下で床を踏む音が、嫌に耳に響く。
孝志の姿は無かったけれど、確認する余裕は消え失せていた。足音を立てることすらためらわれるような静寂が、僕を教材室へと急がせた。
きしむ教材室の扉を開けて、スマホのライトで先を照らした。僕の足音がいやに響く。
暗闇の奥から、「カチ、コチ」と硬い音が聞こえる。音に向けてライトを向けると、壁の一番奥に高さのある箱みたいなものがある。正面に回り込むと、金色の振り子が光を反射した(←これは音の表現に変えたい)。
近づいて、立っている古時計を確認する。耳の奥に余韻を残して、ゆっくりと金色の円(おもり?)が揺れていた。一つ短く音を鳴らして振り子は折り返し、反対側でまた音を鳴らす。
カチ、と異なる音がして、長い針が一つ進んだ
「……っ」
その音で、音に聞き入っていた僕は我に返った。いや、これは時計だ。ただの、時計。
僕はスマホを正面に構えた。その時だった。
ボーン、ボーン……
突然の大音量に、僕はスマホを投げそうになった。
「び、びっくりした…」
音は目の前の時計からだ。心臓が僕は気を取り直してスマホを構えなおした。
画面に正面から時計が捕らえられた。白く照らされた文字盤が中央に移る。
文字盤は半端な時刻を指していた。
「!?」
僕は目を凝らした。確かに、時計は分針は斜め下を向いていた。
音は続いている。1回、2回……10回、11回、12回。まだ止まらない。
僕はあたりを見回した。カーテンの向こうで、ガラスが割れそうに震え始めた。
何かおかしい。
僕は扉に向かって駆け出した。
駆け出そうとして、動けなかった。
時計の音が、一回り大きくなった。音が鼓膜から入って骨を通して響いてくる。足を動かそうにも、全身が金縛りにあったように動けない。
振り子とは違う、長い音が聞こえた。それは不規則な、何かを引きずるような音だ。僕は動かない体で、目だけを動かして、音の正体を捕らえようとした。音は背後からだんだん近づいてくる。小さな教材室で、その音は、遠くからまっすぐに、僕の背中へ近づいてきていた。
すぐ頭の後ろで、生々しい音がした。食いしばった奥歯がガタガタ震えだす。
音が耳の中へ入ってくる。何が何だかわからないものが、僕の耳の穴に生々しい音を流し込んでくる。
「……やめ、やめろーーー……!」
「どうした?」
耳になじんだ声に、僕の意識は突然現実を取り戻した。
「無事か!?」
崩れ落ちて膝をついた僕の上から、先輩の声が降ってくる。
「……。」
「何してた!?」
(僕は荒い息を吐く、心臓の鼓動、または脈が戻ってきた感じがする)
僕はこわごわ首を回した。(ひっそりと箱や、地球儀やポスターの筒など一般教材がわずかに見えるが、特に異常はなく、山積みの教材に振り子の音が反響しているだけだった)。
「さっきまで、すぐ後ろに…頭の中に、何かが……」
耳の中を触られているような違和感は、まだ残っている。
先輩は首を傾げた。
「……いや?お前が独りで立ってて、叫んでただけだよ」
「え?」
「いや、孝志が戻ってこないからさ。どっかに隠れてお前を脅かそうとしてんのかなって、見に来たんだけど…。」
先輩は僕と同じように部屋を見回す。嘘は言っていないようだった。
僕はさっきまでのことを先輩に話した。
「……マジで『出た』?」
「いや、僕の勘違いかもですけど……」
教材室は、何もなかったかのように静かだった。鐘の音は止まっていて、振り子は単調な音を刻んでいる。
「でも、本当にそれ聞こえたんだろ?めっちゃ汗かいてるし」
「はい……」
「気味悪いな、撮るもん撮ってさっさと帰るか。」
シャッターの曇った音が数回なった。
「ま、あんまにすんなよ、鳥とか動物とかが入ってきたのかもしれないし、な。」
先輩は僕の背中をたたく。僕は足の震えをこらえて、立ち上がった。
「あとさ、孝志とほんとに会ってない?」
廊下を歩きながら、先輩が気まずそうに口を開いた。
「あ、はい……」
「昇降口か校門で待ち伏せてんのか……?」
先輩の手元で、小さく電子音が鳴った。視線を落とした先輩がほっと息を吐く。
「孝志が更新したぞ」
差し出された画面をのぞき込む。一枚目の写真は真っ暗だった。
「ライト付け忘れてんのかよ、あいつ」
先輩が乾いた笑い声を出す。
先輩が画面をスワイプする。二つ目の写真はあの時計だった。針は9時10分を指している。僕の心臓が大きく一つ鳴った。
「……投稿時間は、いつですか?」
「ん?9時……11分」
「じゃあ、もう戻っているかもしれない……ですね……」
「そ……うだな……。」
僕は、横の教室のドアが開かないか、踊り場から孝志の笑い声が漏れてこないか、耳を澄ましながら歩いた。けれど、何も見つけられないまま、校門まで戻ってきてしまった。
湿った風に、校庭の木がざわめいている。
「……居ないな」
「……」
気まずい沈黙を打ち消すように、明るい電子音が鳴った。
「孝志だ!」
今度は動画だった。再生すると、デジタル数字の進みとともに、振り子の音が聞こえてくる。またもや画面は真っ黒だった。
「はーい。現在学校の教材室にいまーす。」
黒いもぞもぞした画面に、孝志の気の抜けた声が入ってくる。
「あいつ、撮れてないじゃん…」
ぼくが表情をほころばせたときだった。
時計の鐘の音が始まる。
「え?びっくりした……あれ?」
動画からは大音量で時計の音が繰り返し流れてくる。僕は祈るような気持ちで孝志の次の声を待った。何か小さく声がしたが、鐘の音にかぶさって聞こえない。鐘は鳴り続け、最後にあの音が近づいて……
そこで動画は止まった。
「え、なに?なんだ、なんだよこれ……」
先輩の声は震えていた。
「教材室に、孝志、居なかったよな?」
僕は一つだけ頷いた。
「僕の時は、この後に先輩が来て……」
「じゃあ、孝志、どこだよ……?」
僕たちは引き返して、学校中を探した。孝志はどこにもいなかった。
休みが明けて2学期。賑やかな教室だけ、孝志の席の周りだけが、空間を切り取ったように静かだった。
「孝志、病気なの?」
クラスメートの問いに、僕は「分からない」としか答えられなかった。
あの日から孝志は見つかっていない。夏休みの最後の日まで、孝志が行きそうなところは先輩と全部探し回った。
家族からは捜索願が出されたそうで、僕の所にも聞き取りが来た。僕は必死に孝志の動画を説明した。警官はメモも取らず、最後に「ありがとう」とだけ挨拶して去っていった。先輩も同じような扱いをされたそうだ。
誰が拡散したのか、孝志の投稿はスクロールが追いつかないほどたくさんの返信がついていた。僕は何度も反論の下書きを書いたが、結局投稿できなかった。
初日の授業が終わり、音を立てないように廊下を歩き、あの教材室の扉を開けた。
大小さまざまな物がスチール棚に並べられている。そして一番奥に、あの夜と同じように時計はたたずんでいた。
あの日のことも、孝志の行方も、時計のことも、何一つ分からないままだ。
友達との悪ふざけが、こんなことになってしまった。そして、何もできない自分がもどかしかった。
今は孝志が見つかってくれるように、ただ祈るしかなかった。
長い針が文字盤をひとつ進む。
時計の振り子は静かに揺れ、今日も狂いなく時を刻んでいた。
「夏のホラー2026」、テーマ「音」ということで、「時計」を選んでみました。
オチがグダっていますが、ちょっと涼しくなれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。




