観測
第5話です。こちらも少し長くなりましたが宜しくお願いします。
疲れた。
心の底から、そう思った。
玄関の前に立ったまま、俺はしばらく動けなかった。
さっきまでこの家に食い込もうとしていた異形の怪物は、もう跡形もなく消えている。
壊された玄関も壁も、修復ゲージが100%に到達したあと、何事もなかったみたいに元通りになった。
助かった。
その事実だけは分かる。
でも、それを実感するのと同時に、今度は全身から力が抜けていく。
「……もう無理だな」
ぽつりと呟く。
手がまだ震えていた。
バールを握っていた右手もじんじんしている。
息は落ち着いてきたが、胸の奥がざわざわしている感じが消えない。
あのまま《警備》が発動しなければ、たぶん死んでいた。
そう思うと、今さら遅れて恐怖が押し寄せてきた。
「……考えるのは、明日でいいか」
今日はもう限界だ。
スキルポイントが増えたことも、《警備》という新しい力を手に入れたことも分かっている。
分かっているが、それを落ち着いて整理できる精神状態じゃない。
俺はキッチンで水をもう一杯飲み、シャワーを浴びる気力もなく、そのままベッドへ倒れ込んだ。
電気はつけたまま。
バールは手の届く位置に置く。
窓と玄関を何度も確認して、それでも不安が消えないまま、目を閉じた。
眠れるとは思っていなかった。
けれど、体は限界だったらしい。
気づいた時には、意識が闇に沈んでいた。
目が覚めた時、部屋の中は薄明るかった。
「……朝、か」
上体を起こす。
首が少し痛い。たぶん変な姿勢で寝たせいだ。
窓の外から差し込む光は、驚くほど穏やかだった。
昨日、世界が崩壊したなんて嘘みたいに、見た目だけなら普通の朝だ。
けれど、静かすぎる。
鳥の声も、車の音も、近所の生活音もない。
あるのは、自分の呼吸と、冷蔵庫の微かな駆動音だけだ。
「……嫌な静けさだな」
寝起きのぼんやりした頭に、それだけで現実が戻ってくる。
世界は終わった。
ここだけが、まだ“日常っぽい何か”を保っているだけだ。
ベッドから降り、顔を洗ってから、まずはステータスを開く。
「ステータス」
半透明の画面が視界に浮かぶ。
【ステータス】
名前:黒瀬 悠真
種族:超人族
Lv:1
スキルポイント:3
【メインスキル】
《日常生活 Lv2》
【サブスキル】
《警備 Lv1》
「……よし」
ちゃんと夢じゃない。
いや、夢じゃないことはもう嫌というほど分かってるけど、それでもこうして確認すると気持ちが切り替わる。
次に、商品生成の項目を開く。
【商品生成 Lv2】
・テリトリー内の物品を複製可能
・生成速度:短縮
・ネットショッピング Lv1
本日使用回数:0/1
「リセットされてるな」
小さく息を吐く。
昨日はもう使い切っていたネットショッピングが、日付を跨いで再使用可能になっている。
これで一日一回、新しい物資を手に入れられる。
しかも、その一個をテリトリー内に迎え入れた時点で、今後は商品生成で複製し放題だ。
「……本当に頭おかしいな、このスキル」
ありがたいけど。
あまりに都合が良すぎて、逆に不安になるレベルだ。
ただ、それにビビって使わない理由はない。
まずは昨日手に入れた3ポイントの振り分けだ。
今の状態を考える。
生活はすでにある程度安定している。
水も電気も食料も問題ない。
家は壊れても修復されるし、商品生成で日用品の不足もほとんどない。
だが、防衛はまだギリギリだ。
昨日はたまたま間に合っただけで、《警備》がなければ死んでいた。
次も同じとは限らない。
「……まずは防衛」
それが結論だった。
《警備》を開く。
【警備 Lv1】
・テリトリーが外敵から一定以上の損傷を受けた際に発動
・警備隊を召喚し、対象を排除する
・召喚人数:3
・会話機能:なし
・活動時間:2分
・発動条件:テリトリー内への侵入危険度 中以上
次Lv必要ポイント:1
「安いな」
昨日解放されたばかりだからか、まだ必要ポイントは1だ。
だったら迷う理由はない。
「警備に1ポイント」
表示が小さく光る。
【警備 Lv2】
・活動時間:3分
・警備システム ON / OFF機能追加
次Lv必要ポイント:2
「……へぇ」
思わず声が漏れる。
活動時間が3分になったのは分かりやすい強化だ。
あの三人の武装警備隊が、1分長く動いてくれる。それだけでかなり安心感が違う。
でも、それより大きいのは——
「ON / OFF機能、か」
そこに意識を向けると、さらに詳細が開く。
【警備システム】
現在設定:ON
・ON:条件達成時に自動発動
・OFF:条件達成時も発動しない
「……なるほどな」
これはかなり大きい。
今まではテリトリーが危険になれば自動で発動するだけだった。
でもON/OFFを切り替えられるなら、使いどころを選べる。
例えば、わざと敵を引き込んでから発動することもできるし、逆に無駄撃ちさせないこともできる。
完全自動防衛から、“運用できる防衛機構”に一段階進化した感じだ。
「……使い方次第で、かなり変わるな」
メガネを押し上げる。
残りポイントは2。
ここで悩む必要はほぼなかった。
商品生成を強化する。
今後の拠点強化、物資調達、生活の安定——全部の土台になるのがこれだ。
しかも、すでにネットショッピングは解放済み。
ここから先は、取り込んだ物をどれだけ快適に増やせるかの勝負になる。
「商品生成に2ポイント」
表示がまた光った。
【商品生成 Lv3】
・テリトリー内の物品を複製可能
・生成速度:さらに短縮
・ネットショッピング Lv1
次Lv必要ポイント:3
「……速くなったな」
試しに、昨日テーブルに置いていたペットボトルの水を一つ商品生成してみる。
「商品生成。水」
ほとんど間を置かず、すぐ隣に同じ物が現れた。
「……いいな」
前は“少し待つ”感覚があった。
でも今はかなり自然に近い。
連続で出してもストレスが少ない。
食料、飲料、日用品、簡易武器。
今後この家の中に取り込む物次第で、拠点の完成度はどんどん上がっていく。
「これで、生活面はかなり安定したな」
警備はLv2。
商品生成はLv3。
日常生活スキルの中でも、今必要なところはだいぶ強化できた。
ただ——ここで一つ、問題が残る。
「スキルポイントは、どうやって稼ぐか」
椅子に座って腕を組む。
昨日ポイントを得られたのは、モンスターを倒したからだ。
しかも初討伐ボーナス込みで3ポイント。
今のところ、俺が知っているポイント取得条件はそれだけだ。
「……つまり、今後強くなるには倒すしかない」
当然といえば当然だ。
ゲームみたいな世界なら、経験値やポイントは敵を倒して得るものだろう。
問題は——
「俺には、外で戦う力がない」
そこだった。
バールで殴ってもほとんど効かなかった。
あのDランクモンスター相手じゃ、正面からやり合えばまず死ぬ。
だが。
「……家なら倒せる」
昨日、それを証明した。
テリトリーが侵入危険状態になれば、《警備》が発動して敵を排除してくれる。
あの火力なら、少なくともDランク一体相手には十分だった。
「だったら」
結論はシンプルだ。
「……ここで狩ればいい」
自分で言って、少しだけぞくりとした。
モンスターを家に近づける。
あるいは、侵入危険状態まで誘導する。
そこで警備隊に処理させる。
そうすれば、俺は安全圏にいながらポイントを得られる。
「……効率は悪くないな」
いや、かなり良い。
外で無理に戦わずに済む。
拠点の防衛と成長を両立できる。
もちろん危険はある。
昨日みたいにギリギリまで家を壊されるのは避けたい。
だが、《警備》をON/OFFで制御できるようになった今なら、やり方次第でどうにかなるかもしれない。
そのために必要なのは、まず情報だ。
外の状況。
モンスターの位置。
人の気配。
今の俺に足りないのは圧倒的にそれだった。
「……なら、今日の買い物は決まってるか」
ネットショッピングを開く。
武器も一瞬頭をよぎった。
医療キットもありだと思った。
でも、今一番必要なのは自分が動かずに外を見る手段だ。
「ネットショッピング。双眼鏡」
確認画面が表示される。
【ネットショッピング】
商品:双眼鏡
取得しますか?
【はい/いいえ】
「はい」
選択した瞬間、テーブルの上の空間がわずかに歪んだ。
昨日と同じ転送の感覚。
そして、黒い双眼鏡が静かに現れる。
「……来たな」
手に取る。
軽い。
だが安物ではなさそうだ。
レンズもしっかりしている。
これで今日のネットショッピングは使用済みだが、一度この家に入った以上、今後は商品生成でいくらでも複製できる。
「商品生成。双眼鏡」
すぐ隣にもう一つ現れる。
「よし」
今後壊れても問題ない。
というより、こうやって“壊れても困らない状態”を作れるのが、商品生成の一番恐ろしいところだ。
俺はカーテンを少しだけずらし、窓際へ移動した。
迂闊に姿を晒さないように体を壁に寄せ、ほんのわずかな隙間から外を覗く。
双眼鏡を目に当てる。
「……」
道路。
向かいの家。
少し離れた交差点。
肉眼じゃ見えなかったものが、はっきりと見えた。
道路には乾いた血痕が残っている。
放置された車の窓は割れたまま。
電柱に何かが擦りつけられたような黒い汚れもある。
人の姿は——見えない。
いや。
「……隠れてるのか、もういないのか」
どちらにせよ、まともな日常は残っていない。
しばらく視点を動かしながら周囲を観察する。
少し先のコンビニは入口のガラスが砕けていた。
シャッターのない店だから、たぶんもう荒らされているだろう。
さらに先、小さなスーパーの駐車場にも車が何台か止まったままだ。人影はない。代わりに、車の陰をぬるりと横切る黒い影が見えた。
「……いた」
双眼鏡越しに追う。
昨日の犬型に似ているが、少し小さい。
Eランクか、それに近い雑魚だろうか。
動きが不規則で、時折立ち止まり、何かを探るように首を巡らせている。
単独。
群れではない。
だが、それが逆に不気味だった。
「活動パターンは……一定じゃないな」
音に反応しているようにも見えるし、匂いを追っているようにも見える。
少なくとも、適当に外を歩き回るのは自殺行為だ。
「……やっぱり、外で戦うのは無理だな」
改めてそう思う。
なら、やることは同じだ。
情報を集める。
家を強くする。
警備でポイントを稼ぐ。
その繰り返しで、少しずつこの拠点を育てていく。
「……日常生活スキルを強くするには、まずここで狩る」
言葉にすると、だいぶ物騒だ。
でも事実だ。
この家はただの避難所じゃない。
成長の土台であり、武器であり、要塞の種だ。
双眼鏡を持つ手に力が入る。
もっと先を見る。
家々の隙間。
電柱の影。
林へ続く道。
うちのアパートがある場所は地方の住宅街の端に近い。
少し行けばコンビニと小さなスーパーがあって、その向こうには林がある。
昨日まではただの“静かな田舎”だった場所が、今は異形の徘徊する狩場みたいに見えた。
そのときだった。
「……ん?」
少し離れた民家の前で、何かが動いた。
人影。
いや、二つ。
双眼鏡の焦点を合わせる。
「……子供?」
一人は小さい。
小学生くらいの女の子だ。
もう一人は中学生くらいの男子。
兄妹、か。
そう思った直後、その少年が小さな女の子を背中に庇うように立つのが見えた。
「まさか——」
次の瞬間、道路の角から黒い影が飛び出した。
犬型。
昨日の奴と同系統だが、ひと回り小さい。
それでも、子供二人が相手にしていい相手じゃないことだけは一目で分かる。
女の子が泣いているのが、距離があっても伝わった。
少年が前へ出る。
その手が震えているのが見える。
だが、逃げない。
「……おい」
思わず呟く。
無謀だ。
でも、その直後。
少年の前に、透明な壁みたいなものが展開した。
モンスターが飛びかかり、見えない何かに激突して弾かれる。
「……バリア?」
超人族。
俺と同じだ。
そう確信した。
少年は歯を食いしばりながら、必死に両手を前に突き出している。
透明な壁は揺れていた。
攻撃を防いではいるが、余裕はない。
むしろ、かなり限界に近い。
女の子——妹か——は兄の服の裾を掴み、泣きながら何か叫んでいる。
もう一体、別の影が道路の奥から近づいてくるのが見えた。
「……二体目」
まずい。
あのままじゃ持たない。
バリアは物理攻撃を防げるのかもしれない。
だが、少年の年齢から見ても、扱いに慣れているようには見えなかった。現に押されている。
「……どうする」
双眼鏡を握ったまま、考える。
助けるか。
見捨てるか。
外に出れば危険だ。
今の俺じゃ二人まとめて連れて帰るなんて無理がある。
そもそも、家の外で警備は使えない。
なら、答えは一つしかない。
「外では助けない」
淡々と、結論が出る。
でも。
「……ここに来させれば助けられる」
家の中に入れば、テリトリーだ。
侵入危険状態まで引きつければ、《警備》で処理できる。
問題は、あの兄妹をここまで誘導できるかどうか。
距離はある。
けれど、ギリギリ走れない距離じゃない。
少年が持っているのが本当にバリア系なら、少しの時間は稼げるかもしれない。
……見捨てれば、あそこで終わる。
それが頭では分かった。
そして、胸の奥で小さく舌打ちしたくなる。
「……ああ、クソ」
こういうのは嫌いだ。
合理だけで切れない判断を迫られるのは。
でも、もう決めていた。
助ける。
ただし、俺のルールで。
俺は双眼鏡を置き、玄関へ向かう。
ドアを開けるわけじゃない。
その少し手前、家の中からでも声が通りやすい位置を選ぶ。
警備システムはONのままだ。
あとは、あの兄妹がここまで来られるか。
「……聞こえろよ」
小さく息を吸う。
そして、できる限り大きな声で叫んだ。
「おい!! こっちだ!!」
静まり返った住宅街に、自分の声が異様に大きく響く。
向こうの少年がはっと顔を上げた。
こっちを見た。
距離があるから表情までは分からない。でも、確かに気づいた。
俺はさらに叫ぶ。
「そのまま真っ直ぐ来い! 家の中に入れ!!」
少年が一瞬だけ迷うように動きを止める。
当然だ。
知らない声だ。
罠かもしれない。
突然そんなことを言われても、信じられるはずがない。
だが、その迷いの隙を埋めるように、二体目のモンスターが距離を詰める。
バリアが大きく揺れた。
「っ……!」
少年がよろめく。
そこで、ようやく決断したらしい。
妹の手を引いた。
「……走れ」
小さく呟く。
次の瞬間、兄妹がこちらへ向かって走り出した。
同時に、二体のモンスターも追う。
犬型の異形が、獲物を逃すまいと地面を蹴る。
距離はまだある。
けれど、このままじゃ追いつかれる。
「……間に合え」
祈るつもりはない。
運任せにする気もない。
ここから先は、俺のテリトリーに引きずり込めるかどうかだ。
それで全部が決まる。
俺は玄関の前に立ち、息を潜めながら、近づいてくる足音を待った。




