始まり
夢を見ていたような――気がする。
全く思い出す事は出来ないけど、悪い夢ではなかった...。多分温かい夢だったような....気がする。
「おい、橘!起きろォー、授業はもう終わりだァ」
僕は知らない内に寝てしまったみたいだ。顔を見上げると担任の倉内先生がいた。
「す、すみません...」
周りからは笑い声が聞こえる。
時計を見るとどうやら4時間の終わりらしい...。一時間丸々寝ていたみたいだ。
「起立」
クラス委員の佐藤さんが号令をかけるとクラスメイトが一斉に立ち上がる。僕も立ち上がろうとすると、体のあちこちが痛んだ。特に...首が痛い...。僕は痛そうな表情をしながら立ち上がると、隣の席の倉科さんに大丈夫と聞かれてしまった。僕は無理矢理に笑みを作り、大丈夫と答える。一瞬彼女は本当に?と言いそうな視線を向けたような気がする。
挨拶が終わった途端にクラスが騒がしくなり始める。
そのざわめきの中、僕は颯爽と教室を抜け出す。
行き先は勿論、誰もいない場所。静かな場所だ。
僕は階段を一段飛ばししながら、まるで逃げるように上がる。
鍵穴にポケットから取り出した鍵を入れ、回すと、立ち入り禁止である屋上のドアはいとも簡単に開く。
ドアを開くと風が吹き込む、2月の風はまだまだ冷たく感じる。
屋上には誰もいない。本来ならば立ち入り禁止の場所であるから当然だ。
僕がこの場所に入れるのは、かつてこの学校にあった天文部の部員であったからだ。
惜しくも去年の今程の時期に部員数の減少により廃部となった。最後に残った部員は僕と...そして去年、卒業してしまった天野恋先輩のたった二人であった。顧問はいなかった。部費も自分達で賄ってたのでほぼ同好会みたいなものだった。
卒業の際、先輩からこの屋上の合鍵を受け継いだ。
勝手に入ってる事には変わりないが...今の所バレた事は一度もない。
「廃部から一年...長いようで短かった気がする」
あれから何が変わったのだろうか。一年前の自分がどういう人間であったのかと思い出してみるが、そうたいして変わったように思えない。周りの人間から見たら変わったように見えるのだろうか?
ただ今の僕にその事を教えてくれる人間いない。
それは僕が日々人との関わりを避け続けてるぼっちだからである。
「一年前はアイツが居たのにな...」
名前は城本圭。
数少ない友人だ。僕と同じでアニメとギャルゲが好きで、勿論彼女いない歴=年齢である。
入学初日に話して以来仲良くなった。
彼を天文部に誘ってみた事もあったが、今は二次元に忙しいと言って断られたっけか...。
そんな彼は去年の春からフィンランドに留学し始めている。
彼はフィンランド人の美少女と恋したいーだとか全く二次元に毒されまくってる理由で留学を決意したそうだ...。だが、そもそもお前は日本で彼女すら出来たことないだろって...。
そんなふざけた理由で留学した彼だが、なんやかんやで一年間頑張っているらしい。彼女作りには苦戦しているそうだが。そうだ、先輩も難関大学で勉強漬けの毎日を過ごしているらしい。流石は先輩だ。
それに比べてだ。僕はただ惰性にこの一年を過ごしてきた。
何かしなきゃという漠然とした焦りはある。
しかし、何も行動を起こせてないのが現状である。
あぁ今に比べて去年の僕は活発だったな。勉強。今はもう赤点を回避できる程度の勉強しかしてないけど、以前は毎日何時間も勉強して学年一位をキープし続けてたな。他にもピアノの練習に絵の練習、そして誰かと触れ合う努力....あー何もかも活発に努力し続けていた。今では本当に考えられない日々だったな..。
そうだな。やっぱり僕は変わったな...まるで人が変わったように変わりすぎてしまった。
特別大きなきっかけがあった訳ではないだろう。でも何かを境に気力を失ってしまった。
勿論先輩と城本が居なくなったことは多少なりとも関係してるだろうが、大きな理由はもっと別の場所にあるはずだ。ただそれが何か今の僕にはわからない。
屋上から街を見下ろしてみる。
「ここの景色はあまり変わらないな」
ふと、先輩と共に部活をしていた日々を回想する。
あの頃は毎日が楽しかった。休み時間には城本とオタクトークをして、放課後は部室に赴いて、先輩と遅くまで話したり、ゲームしたりしてたな。で、夜になると屋上に行って夜空を先輩と一緒に観察して.....
「あぁ....」
風の音だけが聞こえる。もうここには先輩はいないのだと、風がそっと告げている気がした。
先輩は僕の届かない遥か、遠くに行ってしまった。
少し眩暈がした。今朝は朝飯を抜いてたせいか、それとも単純に寝不足の影響なのかは分からないが。
とにかく今日はもう保健室で休んだ方が良い気がするな。僕は欠伸をし、保健室へと向かおうとした...
「ん?」
ふいに街に目をやる。いや、自然と目がいったというのが正しいかもしれない。
見慣れた景色のはずだ。でも、何かがおかしい気がした。さっき見た景色とは違うような...
強烈な違和感を抱く。その違和感の正体を探るが、全く見当はつかない。
「やっぱり寝不足か...さっきも授業中に寝ちゃってたみたいだし」
そう納得せざる得なかった。
きっとさっきの眩暈のせいだ。あぁ...全く今日は一段と良くない日だ。
僕は再び保健室へと向かって歩く。
その時、風向きが変わったような気がした。
いや気がしたのではない、変わったのだ。
気付けば風の音も消えていた。
静かだ...。まだ昼休みは終わっていないはずなのに、この静けさ...明らかにおかしい。
街を見下ろしてみる。いつものこの時間なら多くの車が通るから大きな音がするはずだ。
そう思い街を見下ろしてみる。
一瞬、何の変哲もない風景のように見えた。が、何かがおかしい。
まず何台もの車が路上で止まっている。だが不思議な事に衝突したりはしてない様子。
そして人も止まっている。誰かと話してる人も携帯を触ってる人も、走ってる人も例外なく止まっている。
空を見上げた、羽ばたく鳥も、雲の動きでさえも止まっていた....。
全てが静止している―――そう判断するしかなかった。
「どう...なってんだ...」
僕は屋上の扉を開けて、急いで階段を下っていく。
道中クラスメイトがいた。
「お、おい!宮永っ!」
俺はクラスメイトに必死に話しかける。だが返事はいくら経っても帰ってこない。
肩を揺さぶったり、引っ叩いたりしても表情は変らず、当然返事もない。
他のやつにも試したが誰も答えてはくれなかった。
皆変わらず止まったまま....だ。
ふと気になった。止まったまま。という事は息を....していないとこと...だ
もしかして....こいつらは.......
「クソッ!」
僕の声は誰もいない世界で虚しく響いた。
階段を下っている人間も例外なく皆止まっていた。
誰一人として動いていない。表情も変わらず、止まっている。
教室までたどり着いたが、当然のように皆止まっている。さっきまでアイツらは動いていたはずだ...なのにどうして突然...。
一応時計を確認してみたが、針は11時47分を指したまま停止していた。
ひたすらに困惑した。頬を引っ張ってみたが、当たり前のように痛い。
これが紛れもない現実である事を意味していた。決してさっきの夢の延長戦ではなかった。
教室を飛び出し、階段を下って、下駄箱で靴を履き替え、学園を出た。
多分だが学園の中の人間は全て静止している。
ならば、街へ行けばもしかしたら....そんな思いで街へと向かった。
だが、学園と何一つ変わらなかった。
いつもなら多くの人で賑わっている。だが、今日は死んだように静かだ。
いや、息をしてなくて動かないのならば、もはや死んだようなものなのかもしれないが。
「誰かっ!いませんか!!」
目一杯の声で叫んだが、その声もやはり誰にも届かない。
もうここには誰も生きてないみたいだ...
他の誰かを...生きている誰かを探すんだ。
きっと何処にいるはずだ...探そう。
僕は闇雲に走り出した。




