第三話 魔力の流れ
「そうだ、アリナには伝えておかないといけない事があったな。」
「なあに?」
「精霊と人間の混血である事、それは隠さなきゃならない事だ。お母さんに聞いた事があるかもしれないけど、精霊と人間の混血、それは人間にとって、忌避の対象だ。糾弾される事もある、処刑されてしまう事もある、それが人間の性だと言わんばかりにな。だから、混血である事は、何をもってしても隠し通さないと駄目だ。」
「……。私、人間の人達と触れ合うのを、ずっと夢見てたんだ。でも、お母さんはそれを許してくれなかった、それって、そう言う意味だったんだね。……。お父さんは、人間に殺された、それは聞いていたけれど、そうなんだ……。わかった、隠し事は嫌だけど、頑張るね。」
アリナと修行を始めて、一週間が経過した。
アリナはその身に宿している魔力を発動する術を少しずつ覚え始め、それを膂力に変える術をディンから教わっている所だった。
自分は魔力を持たない、精霊と人間の混血であり、どっちつかずである自分は魔力を持たない、と母から教えられていたアリナは、その事に最初驚いていた。
ディンから魔力を持っている事を知らされた時には驚いた、そして、それを行使出来るだけの能力が備わっている事にも驚いていて、戸惑いながらもそれを行使しようと試行錯誤していた。
ディンは魔力を膂力に変える術を持っている、と聞いたアリナは、ディンに教わるのが一番手っ取り早いだろう、と考えていて、それは概ね間違った思考でもなかった。
ディンの普段の膂力は、セスティアでいうアスリートやトップクラスに位置する人間と同じレベル、つまり、人間の範疇の中にある。
それが、戦いとなった瞬間に、魔力を膂力に変化させ、人間を大きく超えた戦闘を可能とする、それは、ディンが生まれ持っていた素養ではあったが、それを顕在化させ、何時でも出来る様にと変化させたのが、現在だ。
アリナは、そんなディンの魔力の流れをつぶさに確認していて、それを自分なりに習得しようとしている、それが今の現状だと言えるだろう。
「少し休憩するか?」
「ううん、もうちょっと頑張ってみる。」
ディンの纏う気配、ディンは、自分の能力を五段階に分けて封印している、と言っていた、その一段階目ですら解放させる事が出来ない現状、アリナはゆっくりと修行をしている暇はない、と感じていた。
ディンもそれは感じていたが、アリナのペースに合わせて、と考えていた為、それを口にせずにいた、しかし、アリナの本能が告げている、もういくばくかの時間の後、魔物が現れると。
魔物は守護者にしか倒す事は出来ない、それだけの脅威なのだと、母から教わっていたのだから。
「ふぅ……。」
「ほれ、水を飲め。」
「ありがとう、ディン。」
暫く魔力を膂力に変える修行をしていたアリナは、集中力が切れたのか、ため息をつく。
ディンはそんなアリナに水を渡し、休憩を促していた。
「ディンって凄いんだね。私、全然出来る気がしないよ。」
「最初はそんなもんだ。そのうち、出来る様になってくるよ。アリナには素養はある、守護者って言うのは、そういう素養を持ち合わせてるもんなんだ。だから、きっと出来るさ。」
魔力を膂力に変える、それは並大抵の努力で出来る芸当ではない、とアリナは感じていた。
ディンは竜神、そもそもが神なのだから、それが出来て当たり前かもしれないが、と感じていて、精霊と人間の半端者である自分に、それをこなすのは難しい、と。
しかも、それを念頭に置きながら戦闘を行わなければならない、戦闘行為中に、集中して膂力に変える、などという事をしていたら、殺されるのがオチだろう。
「難しいね、戦うって。」
「……。そうだな、難しい事だ。敵がいて味方がいて、怨敵がいて宿敵がいて、なんて話をし始めたら、きりがないな。俺のいた世界では、魔物なんてのに相手出来るのは俺達だけだからな、それでもやらなきゃならない、それはわかってる。ただ、時々思うんだ、人間は、そこまでして守る価値がある存在なのか、ってな。」
「どうして?ディンは竜神王様なんでしょう?世界を守るのが、役割だって言ってたよね?守る価値があるから、守ってるんじゃないの?」
アリナの疑問は尤もだろう、守護神であるディンにとって、それは当たり前の行為だと考えていた、人間を守る事、それをアリナに教えている身で、人間を守る価値があるのかどうか、と疑問に思っている事、それ自体がおかしい、と。
「……。約束だったんだ。人間を守るって、世界を守るって。人間を守ってほしい、愛して欲しい、それが、今際の言葉だったんだよ。とある守護者の話だ、とある世界の、とある守護者が、最期に言い残した言葉、それが、人間を愛して、だったんだ。俺はな、人間に大切な人を殺されてる、人間の醜さを、これでもかと見せつけられた。それでも、そんな人間を、愛したいと願った守護者がいた。人間に疎まれて、人間に憎まれて、そして殺されて。それでも尚、人間を愛して欲しいと願った、馬鹿で愛すべき守護者がいたんだよ。」
「じゃあ、その人の言葉が無かったら、人間を守るつもりは無かった、って事?」
「……。分からない。俺は家族を守りたい、そして俺の家族は、人間の存続を望むだろう。その為だけに、人間を守ってるのかもしれない。人間が滅んでしまったら、その闇の居所がなくなってしまう、依り代を失って、暴走した闇は、世界群を滅ぼすだけの力を得るだろうな。俺は、それに勝てるかどうかはわからない。勝てるかもしれないし、勝てないかもしれない。その果てに勝ったとしても、人間のいない未来を、俺の家族が望むとは思えない。だから、その為に戦ってる、のかもな。」
「その家族は、竜神様なの?」
「人間だよ。俺は、竜神の殆どを滅ぼした、それは、竜神達が人間の殲滅を目論んでたからだ。同志だったはずだったのに、同じ世界を守るという宿命を持った者同士だったはずなのに、何処かで決定的にすれ違ってしまった、決定的に結論を違えてしまった。だから、戦うしかなかったんだ。その上で、人間は守る価値があるのか、それとも大多数の竜神が正しかったのか、それはわからない。ただ、俺はそれをしてしまった以上、人間を守る義務がある、と思ってるよ。それは、俺が殺してしまった竜神達への侮辱になる、あいつらはあいつらなりに世界を守ろうとしてた、だから、それが間違いで、俺が正しかった、sそれを見届けさせないと、ってな。」
ディンの家族、それはセスティアと言う、魔力や能力を持たない人間しか住まわない世界の中で、唯一力を持った一族、陰陽師と呼ばれる者達の末裔、そして当代達だ。
千年前に竜神デインを封印し、そして竜神王と契約をした一族の末裔、それがディンにとっての家族だ。
竜神の家族、それは前の世界軸では存在した、しかし、今の世界軸では、厳密にはディンは生まれるはずがなかった存在だ。
普遍的な魂の在り方を失い、そして世界を渡った、時空超越、それはそれだけの代償をもたらす魔法だった、というのが、ディンの認識だ。
それはアリナには伝えていない、アリナにはアリナの守らなければならない世界がある、それはこの世界、精霊の治める世界。
それに専念してほしい、とディンは願っていた、そして、今度こそ、人間に殺されてしまわない様に、と。
「ディンの守りたいって願った人達、きっと素敵な人達なんだろうね。だって、ディンが素敵な人なんだもん、そんな人が世界より守りたい人達、って言ったら、きっと素敵な人達だと思うんだ。」
「そうだな、良い子達だよ。今では父親だけど、世界を憎む事もせず、人間を恨む事もせず、人間に家族を殺されたって言うのに、健気に人間を信じようとしてる、そんな愚か出愛おしい子達だ。きっと、アリナとも仲良くなれるよ、この世界の守護が終わったら、俺は元居た世界に戻る、その時は、アリナの話をしてあげようと思ってるよ。」
アリナは、自分の中にある想いをよくわからずにいた。
昔母が言っていた、恋心、という感情に似たそれを、どうすれば良いのかわからずにいた。
ディンを一目見た時から、その感情は少しずつ存在していた、母以外に始めて関わった、言葉の通じる存在、それがディンだったアリナは、ディンを素敵な人だと認識していた。
素敵な人、を超える感情を持った事が無かったアリナにとって、それは戸惑いにも似た感情を湧き起こす。
この感情の行方を知らない、どうすればこの感情の名前を知る事が出来るのか、それがわからない。
「ねぇディン……。私ね、貴方を見てると、なんだか胸が苦しくなるんだ。嫌な感情じゃない、それはわかってる、まるで、お母さんが傍にいてくれて、一緒に眠ってくれた時みたいな……。」
「……。恋、だろうな。それを人は、恋心って言うんだよ、アリナ。」
「これが、恋心……?お母さんが言ってたよ、恋心って、一緒になりたいと思う事なんだって。お父さんに恋して、二人で生きていく事を決めて、それで、お父さんは殺されたんだ、って。」
恋心、それは幻想かも知れない。
ディンの発露している魔力、常時発動型でディン自身が制御出来ない魔力、慈愛の琥珀、安らぎの翡翠、それは、守りたい願った対象に「好意を持たせる」という、一種の魅了の魔法だ。
好意を持たせる、というのは、仲良くなりたいと願う、程度の感情を揺り起こす魔法なのだが、それ以上の感情を持つ、それは往々にしてある事だった。
アリナは、母以外で始めて接したディンに、言葉の通じる相手に、恋をしている。
それは前の時間軸でも変わらなかった、アリナは、ディンに恋をしていた。
それを覚えているわけではない、今いるアリナと、以前の世界軸のアリナは、厳密にいえば違う存在だ、ただ、アリナの在り方は変わらなかった、だから、それが恋だと、ディンにはすぐに分かった。
そもそも論、ディンは人の心を読む事が出来る、他人の心に干渉する程の力を持っているわけではなかったが、その魔法も相まって、好意には敏感だった。
同時に、ディンに対する敵意にも敏感だった、敵意を持っている相手だ、というのはすぐにわかる、ディンは、多くの敵意と恐怖にさらされながら、そして生きてきた。
「恋……。私、恋してるんだ……。」
「嫌か?」
「……。ううん、この感情は、きっと暖かい物だから。大切な感情だと思う、これから先、人を守る上で、大切にしなきゃいけない感情だと思う。」
「そっか。」
ディンにとってアリナは、かつて愛した守護者であり、守りたい存在。
アリナにとってディンは、外界との唯一の繋がり、母がいなくなってしまった以上、この世界の常識や世間を知る、唯一の相手。
だから、ではないが、互いに想いあっている、それを認識していた、でなければ、ディンはここに現れなかっただろう、とアリナは感じていた。