番外編 本物の天才
七番のゼッケンが翻り、佳澄はシュートを放つ。ボールは絶妙な軌道を描きながら宙を飛び、何にも邪魔されることなく、ちょうどゴールネットの真ん中を通り抜ける。
佳澄はボールを素早く回収し、今度は逆の方向にドリブルする。仮想上の敵を何人も追い抜き、ゴールの真下でジャンプする。そして、ボールを置いて来るような感覚で華麗にレイアップを決めた。
「佳澄。もう練習はそのくらいにしときな。試合、始まるよ」
「はいっ!」
佳澄は部長の指示に従い、シュート練習を止めた。試合開始の直前まで練習しているのは佳澄だけだった。ウォーミングアップにしてはやり過ぎな感じもある。だが、佳澄自身はまだ練習し足りない様子だった。
これが上川佳澄という選手の真の姿だった。一年生ながらレギュラーの座を掴み、天才と言われるほどの実力を備えた彼女は、実は並々ならぬ努力家だった。朝や放課後はもちろん、昼休みまで使って一生懸命練習していた。今日だって、部長のストップが無ければまだ練習を続いていただろう。彼女の実力は才能に基づくのではなく、地道な努力によって培われたのである。
今日は他校との練習試合の日だった。黒いゼッケンに身を包んだ対戦相手は、みんな集まって作戦を確認していた。体育館には選手以外にも観戦目的のギャラリーがたくさんいた。
佳澄は先輩たちと円陣を組んだ。今日出場する選手たちの中で、一年生なのは佳澄だけだった。
「星ヶ崎ぃ~~~!ファイッ!!!」
掛け声とともに一斉に床を踏んだ。どどん!体育館が揺れるほどの衝撃が走った。
ホイッスルが鳴り、いよいよ試合が始まった。佳澄は自陣の右下にポジションを取り、チャンスを伺う。敵選手がボールを落とした瞬間、佳澄はすぐさまボールを回収し、力強いドリブルで相手陣地に侵入する。だが、敵も一気に彼女を囲い込む。
「どりゃあ!」
「うわぁ!?」
佳澄のパワープレーが炸裂する。自慢のフィジカルを活かして強引に突破し、レイアップをいとも簡単に決める。練習通りの綺麗なシュートだった。
先制したのは星ヶ崎高校女子バスケ部である。この佳澄のプレーにギャラリーは感嘆の声を上げた。その中には雨野整もいた。友人と一緒に練習試合を観戦しに来ていたのだ。
(へぇ~。あの金髪ギャル、やるじゃん)
佳澄の活躍は続く。パスにドリブル、シュートと縦横無尽の活躍を見せて、どんどんリードを広げていく。ゴールから遠いところで佳澄にボールが渡った。スリーポイントのチャンスである。
「……シュッ!」
お手本のようなシュートフォームで、佳澄はボールを放つ。ボールは美しい弾道を描きながらゴールに吸い込まれていく……かに思われた。がんっ。惜しくもゴールの縁に当たり、外に弾かれてしまった。
(クソッ!あんだけ練習したっていうのに……!)
これが上川佳澄の唯一の弱点であった。スリーポイントシュートの精度に難があるのである。佳澄のミスショットから、今度は相手チームの猛攻が始まった。せっかく広げた点差がみるみる縮まっていく。
整の友達が呟いた。
「ねぇ。整とあの佳澄って子だったら、どっちの方が上手いかな?」
「ん~?さあ?そりゃ部活やってる人の方が上手いんだろうけど……。でも、あたしだったらさっきのスリーは外さないかなぁ」
佳澄は試合中にも関わらず、ギャラリーに意識を向けた。彼女の目は雨野整を捉えていた。
佳澄は整のことをよく知っていた。物凄く運動神経が優れているのに、どの部活にも入ろうとしない不思議な子として有名だったのだ。野球、サッカー、バスケ、テニス……何をやらせてもレギュラー選手を上回るほどの実力を持つという。
天才バスケ少女として持て囃されている佳澄が、同じように天才と称される整を意識しないはずが無かった。彼女を興味深く思っていたが、その反面、気に食わないとも思っていた。
というのも、才能があるくせに活用しないのは怠慢だと思っていた。目の前に困っている人がいて、自分には助けられる力があるのに、何もしようとしない。そんな卑怯者と同じだと見なしていた。整はどの部に入るにしろ、その才能でチームを助けるべきだと佳澄は思っていた。根が真面目な彼女らしい考え方である。
さて、試合は再び星ヶ崎ペースに戻った。佳澄の活躍を中心に、次々と点が決まっていく。だが、ここで相手のプレースタイルに変化が見られた。荒っぽい振る舞いが増えてきたのである。
特に佳澄に対してラフプレーが目立つようになってきた。審判の死角で手を叩いたり、背中を押したりするなど、スポーツマンシップに欠けた行為が続出する。佳澄は顔を歪め、苦悶の表情を浮かべた。
「……クッ!」
星ヶ崎の方でも、相手のラフプレーに釣られて冷静さを失っていく。お互いにヒートアップし、危ない行為が増えていった。そして、事件は試合の中盤、つまり三クォーター開始から二分後に起きた。
「きゃあ!?」
選手同士の衝突事故が発生した。真正面から激突し、両選手共に床の上に倒れ込んだ。
「ちょ!?大丈夫!?」
「急いで氷持って来て!アイシング!」
このような緊急事態が発生しても、相手チームのキャプテンは動揺するどころか、むしろほくそ笑んでいた。実はこの事件も、相手側の狙い通りだったのである。
本戦であたりそうな強いチームのレギュラーに怪我をさせて、弱体化させることがこの試合の目的だったのだ。もちろん、本当の狙いは超高校級のルーキーである上川佳澄である。敵の意図を察した佳澄は相手チームを睨んだが、彼女たちはお返しとばかりにニヤリと笑ってみせた。
「なんか荒っぽくない?」
友達が整に尋ねた。整は何も言わず、ただこの状況を観察していた。整も既に相手の目的に気づいていた。ラフプレーでチームそのものを壊そうとしているのは明白だった。
「……ふぅん」
雨野整は友達のもとから離れて、コートの中に入っていった。そして、誰も予想していなかった行為に出た。相手チームから黒のゼッケンを奪い取り、堂々とこう宣言した。
「はぁーい!交代であたしがでまーす!」
なんと、怪我した相手選手の代わりに整が出場すると言うのである!体育館は騒然となった。この場にいる全員の視線が整に注がれる。
当然のことながら、相手チームのキャプテンが即座に抗議に入る。
「そんなの認められないわ!そもそも誰なのよ!?あなた!」
「誰だっていいじゃん?ウチの選手のせいでそっちに怪我人出しちゃったわけだし、そのお詫びってことで、あたしが代わりにプレーしてあげるって言ってんの。いや~、ウチって結構荒いプレーで有名なんだよねぇ。また怪我させちゃったら悪いでしょ?誰かさんみたいにさ?」
整の痛烈な皮肉が放たれる。相手側は怯んだが、キャプテンはまだ抗議を取り下げるつもりは無かった。
「で、でも……!」
整はキャプテンに近づいて、二人以外には聞こえないような声量で脅した。
「……認めなよ。乱入どころじゃ済まなくなるよ?」
「ひ……!?」
整の語り口は穏やかだったが、凄まじい剣幕でキャプテンのことを睨んでいた。気圧された彼女は、渋々整の参加を認めざるを無かった。
「ま、まあ、たかが練習試合ですから、それも認めましょう……」
「そうそう!気楽に行こうよ?ね?」
整が相手チームに加わり、試合が再開された。整に釘を刺されたためだろうか、相手チームのラフプレーは完全に鳴りを潜めた。星ヶ崎高校女子バスケ部は本来の調子を取り戻し、こちらのペースで試合が進むかに思われた。だが、そうはいかなかった。
「……えいりゃあ!」
雨野整の超絶プレーが佳澄たちに襲い掛かった。素早いドリブルで相手を抜き去り、あっという間にゴールを決める。一人だけ二倍速で動いているようだった。
だが、佳澄が止めに入る。
「こ、こいつ!ふざけんなよ!」
佳澄は長身を活かして、覆い被さるようにブロックする。だが、整はテニクニカルなプレーで壁を突破した。ボールを佳澄の股下に通して、味方にパスしたのだ。整は一歩下がり、スリーポイントラインの外に出る。
「こっちこっち!パスだよ!」
パスを受け取った整は素早くシュートする。ボールは佳澄たちの頭上を飛んで行き、そして……入った。完璧なスリーポイントシュートである。
(雨野整……!こいつ、あたしの目の前でスリーポイントを決めやがった……!)
股下にパスを通されて、自分が苦手とするプレーをいとも簡単にやられてしまった。佳澄は悔しさのあまり、拳がわなわなと震えていた。
試合も終盤になり、両チームともしのぎを削っていた。星ヶ崎高校は劣勢を強いられていた。残り十秒で五点差をつけられていた。佳澄は最後の力を振り絞ってプレーを続ける。ボールを奪った後、速攻で得点した。これで三点差。あとワンプレーで追いつくかもしれなかった。
(ここであたしがスリーポイントを決めれば……!)
佳澄はシュート体勢に入った。だが、整がハエ叩きの要領でジャンピングブロックを決めた。
「うおっ!?」
「ボール貰ったよ!」
整はこぼれたボールを拾い、誰もいない敵陣に突入する。そして、整は飛んだ。
「……おりゃああああ!!!」
整のプレーを見て、誰もが己の目を疑った。整は自身の身長と同じくらいの高さまでジャンプしたのである。
どんっ。ダンクシュートが決まった。試合終了のブザーが鳴り響く。体育館は静まり返っていた。
沈黙の中、整はゴールの縁に掴まったまま、空中にプラプラと足を投げ出していた。
「や、やば。降りられなくなっちゃった……」
どう考えてもあり得ないことだった。身長160cm以下の彼女が、三メートルはあるゴールリングにダンクシュートを決めてみせたのだ。選手も観衆も唖然とするしかなかった。上川佳澄も空いた口が塞がらなかった。
試合は星ヶ崎高校女子バスケ部の敗北で終わった。だが、一番活躍したのは星ヶ崎高校所属の、バスケ部ですらない、突然乱入してきた雨野整なのである。混沌とした試合内容に、体育館にいた誰もが釈然としない気持ちだった。
佳澄のその中の一人であった。試合に負けたことはともかく、今まで噂でしか知らなかった整に、文字通り完敗を喫したのだ。このまま彼女を帰すわけにはいかなかった。
佳澄はさっさと帰ろうとする整を呼び止めた。
「お前!バスケやったことあるのか!?」
「別に。授業でやったくらいかな?」
「じゃあ、なんでそんなに上手いんだよ!あり得ないだろ!?スリーもダンクも決めやがって!経験者じゃなきゃできないようなプレーばっかりじゃねぇか!」
「それをあたしに聞かれても……。まあ、野生の本能ってやつ?あたしってセンスがあるのかなぁ?」
この一言に佳澄はカチンときた。努力せずに結果を出す者を天才と言うなら、雨野整こそ本物の天才である。だが、佳澄は生粋の努力家であるからこそ、整の天才っぷりを許すことが出来なかった。しかも、その才能を全く活用しようとしない怠慢さにはもう我慢ができなかった。
佳澄は整の腕を掴み、自分の方に彼女を振り向かせた。
「お前……女子バスケ部に入れよ!そんなに才能があるなら、ちゃんと活用しねぇと勿体ないだろうが!」
「興味ないわよ。あたしって飽き性だからさ。どうせ続かないもの。腕、離してよ」
整は佳澄の腕を払いのけた。二人の間で一気に緊張感が高まった。
「それに、あんたみたいな真面目なタイプの方がちゃんと結果出せるんじゃない?あたしっていい加減だから、スポーツには向いてないのよ」
「向いてるとか向いてないとかどうだっていい!お前みたいな奴を見るとイライラするんだよ!才能あるくせにやる気が無いとかほざきやがって!お前は部に入った方が……いや、入るべきなんだよ!」
佳澄の熱量に対し、整の態度は冷淡だった。
「あんたが決めることじゃないでしょ?何様のつもり?」
「く……っ!お前なぁ……!」
「ちょ、整……。もうやめようよ……」
雨野整と上川佳澄、天性の運動神経の塊と女子バスケ部の期待のエースは激しくいがみ合った。体育館の観衆は二人に注目して、ざわざわと騒ぎ始めた。
(あーあ。なんだか面倒くさいことになっちゃったなぁ)
二人は対照的な性格をしていた。シリアスな熱血タイプの佳澄に対し、整はどこまでもルーズで飄々としていた。まさに水と油である。そんな両者が衝突すれば、争いの度合いは通常の二倍、三倍まで高まるのである。
「雨野!あたしともう一度勝負しろ!今度は一対一で勝負だ!それで負けたら入部しろ!」
「はぁ。イヤって言って引き下がる感じじゃないね。えっと……なんて言うんだっけ、あんた?」
「ちょ!?整!?あんた、上川佳澄のこと知らないの!?」
「あれ?この人って有名人?」
天才バスケ少女として名を馳せていた佳澄を整は全く知らなかった。生徒も教師もみんな彼女のことを知っているのに、である。整のとぼけた回答に、場の緊張感が一気に和らいだ。
思わず佳澄もずっこけそうになった。だが、ちゃんとシリアスモードに戻って、改めて自己紹介をする。
「上川佳澄だよ!一年三組の佳澄だ!ったく、ちゃんと覚えろよな!」
所属クラスを聞いて、整ははっとした。
(一年三組……。裕一と同じクラスだ。裕一が言ってた怖いギャル女ってこいつのことか。なんだ。そうだったんだ)
名前は知らなかったが、”勝手に席を占領する恐ろしいギャル女”のことは何度も裕一から聞かされていた。ちょっと目を離した隙に裕一の席を奪ってしまうらしい。しかも、見た目が怖くて話しかけられないようだ。
確かに、佳澄のような女の子には裕一は話すことはおろか、目すら合わせられないだろうなと思った。いかにも陽キャっぽい感じだし、性格も無骨なタイプで、裕一が敵視しそうである。
整は裕一と同じクラスの女の子という意識でもう一度佳澄を見た。腰まで伸びる金髪と、派手なメイクはいかにもギャルである。身長はかなり高く、スポーツをやっているだけあって引き締まった肉体をしている。威圧的な目つきだが、鼻筋は綺麗だし、全体的には整った顔をしていた。
こんなスタイルのいい美人が裕一と同じクラスだと思うと、整は佳澄にライバル意識みたいなものを抱き始めた。別に裕一と佳澄の間には何もないが、むしろ敵対すらしているのだが、それでも整は佳澄のことが気に食わなくなって来た。
整は佳澄の申し出を受けることにした。
「いいよ!あんたとの勝負、受けてあげる。でも今すぐじゃなくて、あたしの気が向いた時にね?」
「それっていつなんだよ、おい」
「さぁね~?ひひっ」
佳澄のツッコミに対し、整はニヒヒと笑ってみせた。要は雨野整の気まぐれで決まるということである。
「佳澄、逃げないでよ?」
「当たり前だ!覚悟しろよ、雨野整!」
天才と言われた少女と、本物の天才である少女。この両者が再びぶつかるのは、かなり先のことになる――。