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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第一章 雨中の告白
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第五話 笑う雨、焦がれる雨

案の定、天気は大きく崩れた。滝のような雨がばしゃばしゃと降り、世界全体を水のカーテンで覆っていた。生徒たちは様々な色の傘をさし、一人あるいは数人で、ゆっくりと進んでいく。裕一はその様子をじっと見守っていた。


彼は途方に暮れていた。傘を持って来ていなかったのである。この豪雨の中、傘をささないで出て行ったら制服が台無しになる。だから、どうしようもなくて、玄関の軒下に避難しているのである。


(はあ。お姉ちゃんを待つしかないな)


愛海が常にカバンの中に折り畳み傘を常備しているのを裕一は知っていた。姉は弟と違ってしっかり者なのだ。ここは愛海の傘に入れてもらって、姉弟一緒に帰るのがいいだろう。ちょっと狭いが仕方がない。


(お姉ちゃんと一緒に、か……)


高校生にもなって実の姉と一緒に同じ傘の下に入るなんて、普通の十六歳の男子からすれば恥ずかしいことだ。しかし、裕一は愛海のことが好きだった。好きな人と相合傘できれば誰だって嬉しいはずだ。裕一は胸が少し熱くなるのを感じていた。


裕一はその光景を想像して、一人で照れていた。だが、惚気のろけているあまり、悪戯猫がすぐそばに来ていることに気がつけなかった。


「ゆーいち。なにしてんの?」


「うぎゃ!?整かよ!?」


知らず知らずのうちに、雨野整がすぐ隣に来ていた。裕一よりも一回り小柄な彼女は、猫のような大きな目で、雨粒が降り注ぐ様子を見ていた。


「お前さあ、もっとこう……人を驚かさない方法で話しかけてくれよ」


「はいー?勝手に驚いておいて、あたしの方が悪いってわけ?裕一のくせに生意気なこと言うんじゃないわよ」


「そりゃ、ぼーっとしてたのは、僕のせいだけどさ……」


整は不機嫌そうな顔になった。彼女は壁に背中を預けて、右足のつま先で小石をいじり始めた。ローファーに蹴飛ばされて、小石は用水路へ落ちて行った。


「それで、この止みそうにない雨が止むまで、ここでずーっと待機してるつもり?夜になっても止まなかったらどうするのよ?朝までここにいるわけ?」


「違うよ。僕はお姉ちゃんを待ってるんだ」


「ふぅん。愛海さんをね……」


さらに一層雨は強まった。雨の勢いで花壇の土がほじくり返されて、小さな穴が無数に空いていた。裕一と整は横並びのまま、しばらく無言の時間を続けた。雨音だけが二人の間を満たしていた。


「ねえ、裕一。帰ろうよ?」


「え?嫌だよ。こんなに降ってるのに……」


しかし、整は軒下から外に飛び出した。


「うひゃ~!凄い雨だねぇ!裕一!」


「お、おい!?なにやってんだよ!?ずぶ濡れになっちゃうぞ!お姉ちゃんが傘を持ってるんだ!お姉ちゃんが来るまで待ってればいいじゃないか!」


だが、整は両腕を大きく開いて、むしろ雨を歓迎していた。顔も髪も服も、何もかも一瞬で水浸しになった。整は雨粒で顔を洗い、頭をぶるぶる振って水滴を払った。


「だってさ、じっと待ってるなんてつまんないじゃん!あんたもこっちに来なさいよ!濡れたって死にはしないんだからさ!あははっ!」


少女は強雨きょううの中、笑顔満点で駆け出した。裕一は驚いていたが、整の楽しそうな姿に惹かれて、足が勝手に進み出すのを感じた。裕一も雨の中に突っ込んで行った――!


びしゃびしゃ!大雨が彼を襲った!靴がぐっしょり重くなって、靴下まで水が染みるのを感じた。だが、嫌な感じは何一つしなかった。彼は夢中になって整の背中を追いかけていた。


(そういえば、そうだったな……)


雨に濡れながら、裕一は整と初めて会った日のことを回想していた。確か、あの時も今日みたいな大雨が降っていた――。


(雨が降っていた公園で、整は一人で傘もささずに遊んでいた。雨と泥でグシャグシャになっても、整は笑っていた……)


裕一は整に追いついた。整は指を弾いて、裕一の顔に水滴を飛ばした。


「ほら!目つぶし目つぶし~!どう?びっくりしたでしょ?」


「うわ!?やったな!今度は僕の番だ!」


今度は裕一の反撃である。先程の整と同じように水を何回も飛ばした。


「きゃあ!?あはは!やったわね!あんた、覚悟しなよ~!」


整と裕一はふざけ合いながら、雨の中を突っ走っていく。


(僕はあの頃、お母さんの後ろでモジモジするだけで他の子と遊べなかった。でも、整のあの笑顔に誘われて、僕はずぶ濡れになりながら整と遊んだんだ。あいつ、あの時と何にも変わってないな……)


裕一は幼馴染の全く変わらない姿に、なんだかとても嬉しくなった。整はあの時と同じままだった。成長して見た目が変わったとしても、やっぱり雨の中で笑うことができる少女、それが雨野整なのだ。



だが、この軽率な行為を後悔するのは早かった。まず制服がダメになった。それに家の中も雨水で汚れてしまった。なによりも二人を後悔させたのは、あの優しい愛海を激怒させたことである。一喝が雷のごとくどかんと落ちた。


「制服までびしょ濡れにして!カビでも生えたらどうするの!?」


愛海の怒声が家の中に響く。裕一と整は下着姿で姉の前に正座していた。裕一はトランクス、整は黒のパンティとブラをつけただけである。なんとも情けない光景だった。


「す、すみませんでした!愛海お姉さま!どうかお許しを!」


整は深々と土下座をする。裕一も頭の上で手を合わせて許しをうた。


「ごめん!お姉ちゃん!悪いことだってわかってたんだけど、つい!」


腕を組んで二人を見下ろしていた愛海は、深く、とても深くため息をついた。


「はぁ……。どうして私が来るまで待ってられなかったの?それに、先生に言えばビニール傘借りられたんだからね?知ってる、二人とも?」


整と裕一は目を見合わせた。当然ながら、そんな知識は二人の頭の中に無い。


「……呆れた。まあ、入学したばっかりだから仕方がないとは思うけど。とにかく、制服は干しといて。クーラーは除湿モードにして24℃に設定。わかった?」


「ら、らじゃー!」


二人は息ぴったりに敬礼し、すぐさま仕事に取り掛かった。整が干して、裕一はリモコンを操作する。その動きにコンマ一秒の無駄も無く、ものの十秒で任務完了した。その様子を見届けて、愛海も多少は溜飲りゅういんが下がったようである。


「よし。じゃあ、私も着替えてくるから。二人もずっとそのままの恰好じゃダメだよ?風邪引いちゃうからね。裕一は整ちゃんに私の服を貸してあげて?」


「わかったよ、お姉ちゃん」


愛海は隣の部屋に移動した。裕一は二階に上がって、衣装棚から自分の服を引っ張り出そうとする。だが、なぜか雨野整がついて来た。彼女は裕一の背後から、シャツを一枚ひょいと拝借する。


「これ着よっと!」


「おい!それ僕のワイシャツだぞ!お姉ちゃんのを着ろよ!」


だが、整はガン無視であった。ご機嫌な様子で裕一の服に袖を通し、さっさと一階に降りてしまった。裕一はすぐに後を追った。


「整!お前、なんで僕の服を着るんだよ!」


「しーっ!裕一、こっちこっち!」


整は手招きしていた。四つん這いになって、愛海が着替えている隣の部屋を覗いているようである。今の整は下着姿にワイシャツを一枚羽織っただけの姿で、冷静に考えれば際どい恰好をしていた。裕一は整を見ないようにしつつ、彼女のそばに近寄った。


「ほら、愛海さんのお着換えシーンだよ?」


「……うぶ!?」


裕一は思わず吹き出しそうになってしまった。隣の部屋で愛海は私服にお着換え中である。今ちょうど、セーラー服を脱いだところだった。豊かと言うには豊か過ぎる膨らみが出現し、少年の視線を釘付けにした。


「それにしても大きいよねぇ~。ねえ、裕一。愛海さんで何カップなの?姉弟だし知ってるでしょ?」


「ぼ、僕が知るわけなんだろ、そんなこと……!なんでお姉ちゃんのバストサイズを僕が知ってなきゃいけないんだよ……!」


「ありゃ?興味無いの、裕一?」


「無いに決まってるよ……!」


しかし、整は裕一の嘘を簡単に見抜いた。興味が無いとは言いつつも、彼の視線は愛海の胸に強烈に引き寄せられていたからである。こんなにわかりやすい照れ隠しをするなんて、裕一もまだ幼稚だなと整は思った。思わず、ニヤニヤと笑ってしまった。


「とにかく、覗きなんてダメだ。もうやめよう」


「あ、ちょっと、あんたどこ触ってんのよ……!」


裕一は整をひょいと抱きかかえると、ソファの上に座らせた。せっかくのお楽しみを邪魔されて、整はご立腹の様子である。胡坐をかいて頬杖をついている。


「裕一の意気地なし!あとちょっとで全裸だったのに!」


「だから切り上げたんだよ!人の姉の裸を見ようとするな!馬鹿っ!」


「はぁ~!?あんた、あたしのこと馬鹿って言ったわね!あんただって興奮してたくせに!ホントは続き見たかったんでしょ!?」


「そ、そんなわけないだろ!」


幼馴染同士で喧嘩勃発か?そう思われた矢先、扉が開いた。二人の言い合いはピタリと止んだ。


「じゃあ、パート行ってくるから。あとはよろしくね」


着替えた愛海が出て来た。くるぶし丈の水色のデニムと灰色のフード付きのパーカーである。愛海の出勤時の定番コスチュームであった。


「待って!お姉ちゃん!」


裕一は傘を片手に外に出ようとする姉を呼び止めた。愛海はきょとんとした顔をしていた。


「そのさ、あの……雨に気をつけてね。夜になったらもっと強くなるかもしれないし。い、いってらっしゃい」


「うん。ありがとう、裕一」


弟の見送りを受けて、愛海は勤め先の近所のスーパーへ出かけて行った。裕一はリビングに戻り、椅子に座った。


(僕はさっき、何を言おうと……)


愛海を呼び止めた時、裕一は本当は何を言おうとしていたのか?それは『いってらっしゃい』ではなかった。彼の奥底に秘めた気持ちを表現した言葉、例えば……『お姉ちゃん、好きだ』と言ってしまいたかった。


(好きって言ってしまいたい。ちゃんと思いを伝えたい。でも、そんなこと許されないよ……)


裕一は頭を抱えた。姉への思いは日々強くなるばかりである。秘めた思いを秘めたままにするのが、こんなにも辛いことだとは知らなかった。だが、何をどうしても言うわけにはいかなかった。だって、彼女は実の姉なのだから。


裕一はたった一人で、姉を思い焦がれていた――。


「……お姉ちゃんがいるってさぁ、どういう気持ちなの?」


「え?」


煩悶の世界から裕一を連れ戻したのは整だった。彼女はソファの上で仰向けになって、天井を眺めていた。


「あたし、一人っ子だからさ。どんな感じ?歳の近いお母さんって感じなの?」


「お母さんって……それには歳が近すぎるよ。お姉ちゃんは料理とか洗濯とかやってくれるし、母親みたいに面倒見てくれるけどさ。でも、お母さんとは違う。絶対に違うよ」


「じゃあ、なに?もしかして()()()()()()とか?」


「……ッ!?」


裕一は椅子から転げ落ちそうになってしまった。どうして整は急にカノジョなんて言い出したのだろうか?もしかして裕一の恋心が整にばれてしまったのだろうか?彼が実の姉と恋人になりたいと思っていることを見抜かれてしまったのだろうか?


「……なーんてね。あははっ。どしたの?そんなに血相変えてさ?」


「いや、別に。変なこと言うなよ……」


裕一の胸はまだドキドキしていた。どうやらいつもの整のイタズラだったようだ。突拍子の無いことを言って、相手の困った反応を見て楽しむ。幼馴染の悪癖だった。


「というか、お前はいつまで僕のワイシャツを着てるつもりなんだよ。それに、ずっと下着が見えて目のやり場に困るんだよ。早く下も着てくれよ」


「なによ~!裕一のくせに一丁前に男っぽいこと言うんじゃないわよ!あんたなんかに見られても、あたしは全然平気なんだからね!」


整はわざと脚を開いたり閉じたりした。黒いパンティを彼に見せつけているのである。裕一は照れながらも、呆れた様子で幼馴染の愚行を無視した。


裕一から期待していた反応が得られず、がっかりした整は別のことに取り掛かった。カバンからノートを取り出し、机の上に広げた。


「ねぇ、あたしに勉強教えてよ。あんた意外に頭良いでしょ?」


「意外は余計だよ。でも、いいよ。教えてあげる」


裕一は整の隣に座った。そして、彼女の独特なノートを見て裕一は息を飲んだ。小さな文字がびっちりと行を埋め尽くしている。本来なら一行しか入らないスペースに、整は二行書き込んでいるのだ。


「相変わらず凄いノートだな。なんかお経みたい。もしくは呪いの呪文?」


「人のノートを呪物扱いしないでよ。あたしが読めればいいんだから、別にいいでしょ?」


「これ読めるか?ちゃんと読もうとすると目がチカチカしてくるんだけど……」


若干目の悪い裕一には、整の文字は小さな点にしか見えなかった。目をノートの表面ギリギリまで近づけなければ、全くもって識別不能である。


「あたしは目がちょーいいから大丈夫!両目共に2・0だもん!」


整は両手でピースサインをして、自らの視力を自慢した。お調子者の整らしい大袈裟な行動に、裕一はくすりと笑ってしまう。


「やっぱり運動できる人は目もいいんだな。それはともかく、さっさとやっちゃおっか。ここはね……」


裕一と整の時間は和やかに過ぎていく。勉強に勤しむこの二人の光景も、幾度となく繰り返されてきた日常の一コマだった。整はさっきまでのイタズラモードを静めて、おとなしく彼の指導に従っていた。裕一の授業は先生と違ってわかりやすいなと整は思った。


勉強にも少し疲れが見え始めた頃、整はふと裕一に尋ねた。


「……好きな人できた?」


裕一は一瞬戸惑った。当然、『お姉ちゃんが好きだ』とは言えず、素っ気なく答えた。


「いないよ。どうしてそんなこと聞くんだよ?」


「別に?好きな人が一人や二人くらいいたって普通でしょ?この質問を怪しがるあんた方がおかしいのよ」


「だって本当にいないんだよ。そう答えるしかないじゃないか」


いや、本当はいるのだ。誰にも言えないだけで――。


「あ、わかった」


「え?」


整は真剣な顔つきをして裕一のことを見ていた。裕一の心の奥を探るような、そんな目つきをしていた。


この目をずっと見ていたら、姉への思いすら見透かされそうだと裕一は思った。だが、視線を外すことができない。不思議な引力が裕一を整の瞳に釘付けにした。しばらくの間、裕一と整は見つめ合っていた。


「……あたしでしょ?」


「は?」


「はぁ~……。わかっちゃったなー。あたしのことが好きだけど、いざ本人を目の前にすると恥ずかしくて言えないか~。ふふふ。そっかそっかー。裕一は雨野整さんのことが好きですか~」


(こ、こいつ!どこまで僕をからかえば気が済むんだ!)


裕一は思わず、女の子相手に本当に拳が出そうになった。他方、勘の鋭い整は全てではないにしても、裕一の心境を少しだけ直観で読み取っていた。


(にっしっし~♪あの裕一の緊迫した顔!写真撮りたくなっちゃうほどだよ~!やっぱり好きな人がいるんだ!だからあんなおかしな顔してさ!隠そうとしたって無駄だよ!いつか絶対に裕一の好きな子を暴露してやる!)


いやらしい笑みを浮かべながら、良からぬ決心をする整であった。


「でもさ、せっかく高校生になったんだから、カノジョの一人くらいは作りなさいよ。そうだ。涼風唯織さんって知ってる?ほら、一年生の間でも人気あるじゃない?たしか中学一緒だったよね」


「ああ、あの子か」


今日、初めて話した唯織のことを思い出した。お人形みたいに可愛い子で、優しい声をしていて、そしてとても甘い匂いがした。また、理不尽にも背中を思いっきり蹴られたことも思い出した。


「裕一の好きな人って涼風さんでしょ?あの子の人気、アイドル並みだもんねぇ。噂では、中学の時に芸能界にスカウトされたこともあるらしいよ?」


「だから、”いる”前提で話を進めるなよ」


「でも、めっちゃ美人じゃん?裕一の男心もキュンってときめかない?」


確かに涼風唯織は非常にルックスに優れていて、裕一も可愛いとは思っていた。だが、それで好きになるかどうかは別問題である。唯織に一目惚れしたかというと、答えはノーだった。


「別に。どうも思わないよ」


「はぁーあ。あれかなぁ?モテないと女の子に対する興味すらなくなっちゃうのかねぇ?青春真っ只中の年頃の男の子が、こんな情けない様子だとあたしは不安になるよ、まったく」


「お前はどの立場から話してるんだよ……」


「もちろん、幼馴染の立場ですけど?」


整は頑なに心を開こうとしない裕一に呆れていた。周りにたくさん女の子がいるのに、興味すら抱こうとしない彼の神経がいまいち理解できなかった。


(まあ、裕一はおこちゃまだからなぁ。この子には恋愛はまだ早いかもね)


そう思うことにして、整はノートをぱたりと閉じた。


「んじゃ、あたしそろそろ帰るね。もっと雨強くなりそうだし」


「お、おい。まさかその恰好で……」


「そんなわけないでしょ?裕一って本当にお馬鹿ね。愛海さんの服を借りてくの。このワイシャツはあんたに返却してあげる」


ばさり。整は裕一から奪い去ったワイシャツを彼の顔に投げつけた。シャツは整の体温をまだ帯びていて、まるで太陽に小一時間晒したかのような温まり具合だった。裕一がシャツを洗濯かごに入れている間に、整は愛海の衣装棚から好きな服を取って来ていた。


「ふぅんふぅん~♪やっぱりあたしが着るとぶかぶかだね。愛海さんの服はさ」


整は愛海のティシャツを着ていた。一回り大きなそのサイズのために、シャツの裾が膝まで達していた。あえて言葉を濁して言えば、整には愛海のような”胸の大きな突起”が無いため、こんな風にルーズな着こなしになってしまうのである。


「じゃあさ、愛海さんに洗濯して返すからって言っておいて」


「わかったよ。整も気をつけてな。傘、好きなのもっていきなよ」


「ん。ありがと、裕一」


整は傘立てから裕一が普段使っている傘を拝借した。扉を開ける。外は大雨だった。叩きつけるような雨が降っていた。


「あとさ、裕一」


「ん?なに?」


出発間際、整は振り返った。彼女のポニーテールがくるりと半回転した。


「……あんたに恋人が出来なかったら、あたしが貰ってあげるよ。なんてね」


そう言って、整は舌をちょろりと出して笑ってみせた。裕一は幼馴染のからかいをスルーしようとしたが、顔が真っ赤に染まってしまった。


「じゃあね。また明日」


「あ、ああ。また明日……」


がちゃり。幼馴染は帰って行った。さっきまで騒がしかった家の中が、しんみりと寂しくなった。裕一はソファに身を投げ出し、クッションに顔をうずめた。


(好きな人か……)


裕一は恋愛というものについて考えていた。彼の記憶の中にはたくさんの女性がいた。当然、その中に涼風唯織もいたし、雨野整もいた。普通ならその中の誰か一人くらいは好きになりそうだった。だが、裕一は違っていた。彼の恋心は他の人に捧げられていた。


(お姉ちゃん……)


やはり、姉の姿が頭の中でちらついた。いつも一緒にいてくれる姉の姿が離れない。愛海のあの声や仕草、なによりも彼女の存在そのものが、全て愛おしく感じられた。裕一の心は愛海でいっぱいだった。


間違いなく恋だった。禁じられた恋であった。裕一はぽつりと呟いた。


「僕はお姉ちゃんが好きなんだ。他の誰よりも……」

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