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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第一章 雨中の告白
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第四話 綺麗なお人形

幼馴染から情けなくも逃げ出してきた裕一は、校舎の外をぶらぶら散歩していた。午後の授業が始まるまでもう少し時間があった。特に目的も無いそぞろ歩きである。整に抱き着かれた腕には、まだ少し彼女の熱が残っていた。


(急にあんなことするなんて……びっくりするじゃないか!まったく!)


整の悪戯によって、裕一は何度も被害を受けてきたわけだが、ああいうタイプの悪戯には心底困らされた。小さい頃からずっと一緒で家族同然だとしても、お互いに大人になりつつあった。単なる友達同士の馴れ合いとしては割り切れなかった。どうしても一人の女性として意識してしまい、胸がドキドキしてくるのだ。


裕一は花壇の前に来ていた。当番が水やりをさぼったのだろう。せっかくの花が萎れてしまっていた。クシャクシャに丸めた折り紙のような哀れな姿だった。


(別に当番じゃないけど、なんか可哀想だな。よし。代わりに僕がやってやろう)


裕一は確かに臆病な少年だが、同時に小さな優しさも持ち合わせていた。そばに置いてあったジョウロに水を注ぎ、花壇一面にぱっと水やりをした。もう手遅れかもしれないけど、少しでも元気になってくれればいいなと裕一は願った。


「やっぱり優しいですね、裕一くんは。今日は当番じゃないんでしょう?」


急に背後から話しかけられて、驚きつつも裕一は振り返った。彼の目の前には一人の美少女が立っていた。


「あの……私のこと覚えていますか?中学の時、同じクラスだった涼風唯織すずかぜいおりです」


優しくて繊細な声だった。薄紫色の髪をツインテールにして、黄色いリボンで縛っていた。前髪は綺麗に切り揃えられてある。まるで童話から出て来たお姫様のようで、とても上品で優雅な雰囲気をまとっていた。


そしてなによりも、空のような水色の瞳が美しかった。その瞳には一点の陰りも無く、完全な純粋さを孕んでいて、子供の目のように輝いていた。その瞳のきらめきを見て、裕一はすぐさま唯織を思い出した。


(涼風唯織……。ああ、あの『綺麗なお人形さん』か……)


唯織は中学一の美少女で、文武両道、性格も天使のように優しかった。男女関係なく人気があって、その見た目の可愛さから、いつも『お人形みたい』と褒められていた。そんな逸材を忘れるわけが無かった。


だが、唯織は身近に居る他人だった。同じクラスで毎日顔を合わせてはいる。しかし、一度も話したことはなかった。唯織は裕一にとって別世界の住人だった。彼女とは全然親しくなかった。


「あ、あの……裕一くん?」


いつまでも返事が戻って来ないので、裕一が覚えていないのかと思って、唯織は心配した様子で尋ねた。裕一はなんて答えていいのかわからず、焦って呂律ろれつが回らなくなる。


「あ、あっと、その、えっと……」


気の利いたことを言おうとして、逆にまごついてしまう。そんな煮え切らない彼を木の上から狙っている者がいた。がさっ。何者かが急に樹上から飛び降りてきた!


「コラァ~~~~~!!あかりちゃんキック~~~~~!!!」


突然のキックが裕一を襲った!彼は優に三メートルは吹っ飛んだ!軽トラックに轢かれた時と同程度の衝撃である!


「ぐぎゃあああああああ!?」


裕一は断末魔を上げながら地面の上に投げだされた。顔を上げると、小さな女の子が腕を組んで屹立きつりつしていた。小学生程度の身長しかなかったが、態度だけは山のようにでかそうだった。


「そういう時はイエスって言い切るのが男ってもんですぅ!お前には乙女心がわからないんですかぁ!?」


何もかも唯織とは対照的な女の子だった。髪は金髪のショートカットでボサボサの状態だった。声は茨のように刺々(とげとげ)しい。何よりもナイフのような切れ長の目が特徴的で、小動物くらいなら睨んだだけで殺せそうだった。


「いおりんがせっかく話しかけてやっているというのに、そのビクビクした態度はなんですか!?お前のような鼠男は、本来なら近づくことすら許されないんですよぉ!?なんでもっと嬉しそうにしないんですか!?」


少女は理不尽にも非常に激怒していた。今にも裕一を成敗しそうな勢いである。だが、裕一は全く状況が飲みこめていなかった。なぜ自分は蹴られたのか?なぜ自分は説教されているのか?何一つわからない。


(なんで僕が怒られているんだ?僕は被害者なんだぞ?ていうか、今、僕のことを鼠男って言った?)


「どうやらまだ目が覚めないようですねぇ!あかりキック第二弾……行くですぅ!!」


彼女は身を屈めて、ジャンピングキックの体勢に入った。裕一は地面にうつ伏せに倒れたまま、少女の第二撃に備えて体を丸くした。


しかし、寸前のところで唯織が制止した。


「あかり!暴力はダメ!初対面でキックなんかしちゃいけません!」


「でも、いおりん!本当にこいつなんかでいいんですかぁ!?こいつのナヨナヨした態度を見てると、なんだが右足がうずいて来るんですぅ!やっぱり蹴らせてください!」


「だから、暴力はダメなんだってば!」


唯織はあかりを抑え込んだ。どうやら場が収まりそうにないので、唯織は友人である天堂てんどうあかりを無理やり別の場所に連れていくことにした。あかりキック二発目は不発に終わったようだ。


「うぐぅうう!!次こそは絶対にトドメをさしてやりますからねぇ!覚えててくださいよぉ!次は背中じゃなくて、顔面に叩きこんでやりますぅ!」


あかりはわめきながら地面の上を引きずられて行く。申し訳なさそうに唯織は裕一に一礼し、最後に一言だけ残した。


「裕一くん!またいつか、二人だけで話しましょう?じゃあ!」


「は、はぁ……」


北風と太陽のような二人組は去って行った。怒涛の展開に、裕一はこれが現実なのかと疑いたくなった。だが、背中がズキズキと痛むので、やはり現実なのだろう。もうキックはご勘弁願いたいところである。


涼風唯織と天堂あかり――。片方は春風のように優しく、片方は嵐のように乱暴である。なんともあべこべな二人だった。


(あの小っちゃな女の子はともかく、涼風さんの方は僕に何の用事があったんだろう?そりゃ、中学の時は同じクラスだったけど……)


裕一は地面に倒れたまま涼風唯織について考えていた。アイドルのような愛くるしさと美しさを兼ね備えた少女に話しかけられて、あかりの言う通り、嬉しくないわけが無かった。だが、今の彼は嬉しさよりも不思議に思う気持ちの方が強いのである。


どうして今更裕一に話しかけたのだろう?一体何の意図があったのだろう?近くを通りかかったついでだろうか?それとも、同級生のよしみで?それにしては、何か他に伝えたいことがあったような素振りだった。


(まさか僕のことが好きとか……?なんてな。あり得ないよ。あの涼風唯織が僕のことを好きになるなんて)


裕一はご都合主義的な妄想をすぐさま捨て去った。あの学園のマドンナが、陰キャ中の陰キャである裕一を好きになるわけが無かった。こんな非現実的なことに思い至るとは、裕一はまだ混乱しているらしい。彼は過熱した脳を冷ますために、目を閉じてゆっくり深呼吸した。


(さて、そろそろ午後の授業も始まるし、教室に戻りますか)


立ち上がろうとした、その時である。


「おい、傘馬。なにやってんだ、お前?」


「うわぁ!?か、上川さん!?」


ドスの効いた低い声が鳴り響く。それは地鳴りのように恐ろしく、裕一を縮み上がらせた。上川佳澄――裕一の天敵出現である!


「お前、地面の上で寝るのが趣味なのか?前から変な奴だとは思ってたけどよぉ」


あの佳澄がどんどん接近してくる。裕一は神経が異常なほどにたかぶるのがわかった。彼にとっては、山で熊と遭遇したのと同じレベルの緊急事態なのだ。迅速に立ち上がって、変人と思われないように、都合のいい理由をでっちあげようとする。


「そ、空を見てたんだ……。今日はいい天気だし……」


「アァン?あんな雲だらけの空のどこがいいんだよ?」


裕一は空を見上げた。今にも雨が降り出しそうな、灰色の雲が天に満ちている。彼はばつが悪そうに頬を掻いた。


「お前は何だ?地面に寝転んで宇宙人と交信中ってわけか?それでそんなに焦ってんのかよ」


「ち、違うよ。別にそんなんじゃ……」


「じゃあ、何だって言うんだよ?意味わかんねぇことばっかりしやがって。ぶっちゃけ、不審者だぜ、お前?」


佳澄の一言一言が胸に突き刺さる。裕一は今日は散々な日だと思った。整にからかわれるし、あかりにキックされるし、佳澄に絡まれるし、これほど不幸が重なる日も珍しいものである。


それにしても、裕一は佳澄から聞き捨てならないことを聞いた。傘馬裕一が”不審者”だと言うのである。


「ぼ、僕が不審者?どうしてそんなこと……」


「そりゃそう思うだろ?入学してから結構経つのに、クラスの誰とも話さず、ぼけーっと外ばっか眺めてるお前を見たら、誰だってそう思うだろうが。アァ?」


佳澄は畳みかけるように喋った。裕一は何も言い返せなかった。なぜなら、彼女が言っていることが何もかも正論だからだ。佳澄の言う通り、裕一は他者との交流を拒み、一人ぼっちでいる。不審者かどうかはともかく、怪しく思われるのは当たり前だった。


「お前、さっきからなんで黙ってんだ?言いたいことがあるならはっきり言えよ」


佳澄は一歩、また一歩と裕一に接近していく。裕一は佳澄の圧に潰されそうになった。彼よりも身長の高い佳澄は、まるで巨人のような圧倒的存在感でもって、気の弱い少年の心を挫こうとしていた。


(う、うわ……!どうしよ……!)


裕一は蛇に睨まれた蛙になってしまった。このパニック状態の中、裕一は辺りをキョロキョロと見回し始めた。あたかも、誰かの姿を探し求めているかのようである。


それは実の姉・愛海の姿だった。裕一の幼い頃からの癖だった。本当に困った時、彼は姉の姿を無意識のうちに探してしまうのである。だが、愛海は裕一の目の届く範囲内にはいなかった。いよいよ追いつめられた裕一は、完全に言葉を失ってしまった。


「……はぁ。まあ、お前が話したくなきゃ別にいいんだけどよ」


佳澄はため息混じりに言った。彼女はくるりときびすを返し、反対の方角へ引き返していく。重圧から解放されて、裕一は思わず腰が抜けそうになった。


「あともう少しで午後の授業始まるぞ?早く教室に戻れよ」


「う、うん。でも、上川さんは?そっちは教室じゃないよ……」


「アァ?あたし?」


ぶしつけな態度で、佳澄は振り返った。彼女の金髪が背中の上でふわっと舞った。まるで黄金のマントがひるがえったようで、キラキラした光を放っていた。


「後片付けだよ。バスケの。ボール出しっぱなしだから」


「そ、そうなんだ。部活の練習してたの……?」


「そーだよ。ま、あたしの場合は自主練だけどな。んじゃな、傘馬っ」


佳澄は小走りで去って行った。天敵がいなくなって、裕一は安堵感に包まれた。九死に一生を得るとはまさにこのことである。


(上川さんが近づいて来た時は本当に緊張したよ。別に何かされるってわけでもないのに。僕って心配性だな……)


これもまた裕一の癖だった。愛海と整以外の人間と接する時、過剰に緊張してしまうのである。上川佳澄もそんなひどい人間であるはずがないのに、苦手なタイプであるということと、見た目が派手であるということも手伝って、変に身構えてしまった。


これでは友達なんかできるはずがない。裕一は自らを嘲り笑った。

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