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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第一章 雨中の告白
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第三話 僕のリコーダー

裕一は屋上に通じる扉の前にいた。今はお昼時である。気持ちのいい屋外で楽しくランチと行きたいところだが、それも叶いそうにない。『立入禁止』の禍々しい文字が他者の侵入を拒んでいた。


扉には厳重に封がしてあった。『立入禁止』と書かれた何本ものテープが張り巡らされていて、あたかも結界のようである。黒と黄色を交互にした配色から、裕一はなんとなく蜂をイメージした。触れてはならないものの代表格である。


よほど屋上に立ち入って欲しくないのだろう。教師陣の強い意志のようなものを感じた。転落事故を防ぐための予防措置なのだ。だが、学校で一番高いところから空を見上げられないのは、ちょっと寂しい感じもする。


(青春ドラマでよく見るよな。友達や恋人と一緒に空を見上げながら語り合う、そんな一場面。僕たちにはそれができないわけだ)


だが、そもそも裕一には無関係な話である。恋人どころか友達すら一人もいないのだから。


(さて、ここら辺でご飯食べるか……)


彼は憂鬱なお昼時を迎えようとしていた。普段なら自分の席でひっそりと弁当を食べるのだが、予想外の出来事がそれを妨げたのだ。裕一は苦々しい表情を浮かべた。


(上川さんめ!僕の席を取りやがって!)


裕一の天敵はここでも邪魔をしてきた。彼がトイレに行っていたほんの数分の隙を突いて、彼の席を支配下に置いてしまったのだ。教室に戻った時にはもう遅い。ご友人との楽しいランチタイムに入ってしまった。


こうなると裕一はお手上げだった。金髪ギャルとは裕一にとって最も遠い存在で、話しかけることすらできない相手なのだ。避難所を求めてエクソダスするしかなかった。


というわけで、裕一は屋上に続く階段まで逃げて来たわけだ。ここなら滅多に人も来ないから、落ち着いて食事に集中できる。


(ふぅ。こういう暗くて静かな場所……何だかほっとするな)


パカッ。裕一はお弁当箱を開けた。姉が作ってくれた愛情たっぷりのお弁当である。とはいっても、ほとんどが昨晩の残りもので、それ以外は朝食の残りものである。端っこに陣取っているウィンナーは、愛海が今朝焼いてくれたものの余りだ。


愛海は自分の分も含めて二人分の料理をしなくてはならない。豪華絢爛なランチなど望めるはずがない。作ってくれるだけで大感謝なのだ。裕一は姉に心の中で礼を述べて、ちゃんと味わって食べた。


「もぐ……もぐ……」


いくら残りものの混成物とはいえ、やっぱり姉の料理の味は最高だ。美味しくて、馴染みがあって、安心するいつもの味である。


この弁当は裕一の心のオアシスだった。これを食べるだけで、孤独な学校生活もなんとかやっていけそうな気がするのだ。


コツコツ。誰かが階段を登って来る音がする。裕一はビクンと震えた。


(やばっ!誰か来た!?)


ぼっち飯をしている惨めな光景なんて、誰にも見られたくなかった。裕一はすぐさま昼飯を隠そうとしたが、既に遅かった。足音はすぐそばまで来ていた。


小さな影がにゅっと、階段の曲がり角からはみ出た――。


「……ゆーいちっ♪一人で食べるご飯の味はどう?美味しい?」


「なんだ……整か……」


裕一は胸をなでおろした。やって来たのは幼馴染の雨野整だった。彼女は裕一の隣に座って、弁当をついばみ始めた。彼の半分ほどのサイズしかない、卵型のお弁当箱だった。


「『なんだ』とは失礼ね~!どうせ一人で寂しく食べてるだろうから、あたしが一緒に食べてやろうと思ったのに!」


「そ、それは嬉しいけど……。てか、よく僕の居場所がわかったな」


「まあ、裕一が好きそうな場所なんて整さんにはお見通しですから?どうせひと気のない場所が好きなんでしょ?薄暗くてジメジメしたところとかさ?」


「人をキノコみたいに言うなよ……。でもさ、そういう場所は他にいくらでもあるだろ?どうしてここだって思ったの?」


「それもそうねぇ……。ま、あれかな。幼馴染の勘ってやつ?ふふん♪凄いでしょ?」


整は自慢げに己の勘の鋭さを語った。天性の勘とセンスで生きている女の子、それが雨野整なのだ。


「それよりも、整の方はいいの?友達は?」


「ん~?いつも一緒に食べてる子が休んじゃってさ。あたしも誰と食べようかなって悩んでたんだよね。あ。でも、勘違いしないでね?あたしはあんたと違って友達がたくさんいるから、いざとなったら別の子とも食べられるんだからね?」


余計な一言に、裕一は胸にグサリと刺さるものを感じた。この幼馴染、結構毒舌である。


「わざわざ言わなくてもいいだろ。まあ、その通りなんだけど……」


整はカッカッと飯を口の中に放り込む。その動きはなんだか野性的で、餌に喰らいつく野良猫のように見えた。なかなか豪快な食べっぷりだった。整はもう完食寸前まで来ていた。


「てか、いい加減友達作ったら?今が最後のチャンスなんだからさ」


入学当初は、みんな一人ぼっちだ。でも、些細なことをきっかけにして、どんどん友達関係が成立していく。そして、ひとまとまりのグループが形成される。一度集団ができると境界線が引かれて、新規参入は困難になる。


三組でも既にいくつかのグループが形成されつつあった。整の言うように今がラストチャンスであり、裕一には時間が無かった。いや、もう手遅れかもしれなかった。


「もう遅いよ……」


「きゃははっ!あんた泣きそうになってるじゃん!まだ間に合うんじゃない?勇気出して話しかけてみたら?友達作りなんて楽勝なんだからさ!」


整はケラケラと笑った。あまりに深刻そうな裕一の顔が、逆にツボに入ったのである。裕一は整の言葉に納得できなかった。整と裕一では生まれ持っている素質が違うのである。性格だって真逆だ。


「そんな簡単そうに言うなよ。僕は整みたいな愛されキャラじゃないんだ。お前みたいに明るくないし、喋るのだって上手くないし……」


「別にお喋り上手ってわけでもないよ?ただ素の状態でいるだけだもん。まあ、あんたの場合は根本からネクラでウツっぽくて、どうしようもないくらいコミュ障だもんねぇ?裕一には友達作りはまだ早いかなぁ?」


整は挑発的なことを言って、相手の反応を見るのが好きだった。それは長年の付き合いである裕一でも同じである。整は幼馴染が怒り出すのを期待してワクワクしていた。だが、当の本人は全く別のところに意識を向けていた。


(……整、そのさ、見えちゃってるよ……)


汗をかきやすい彼女の体質のためか、純白のセーラー服が濡れて、少し透けてしまっていた。整の煽り文句など全て無視して、裕一はおぼろげに見える下着をチラチラ盗み見していた。


黒の、レース模様のついた、ちょっとだけアダルトなやつだった。


「……?」


整は裕一から期待していた反応が得られなかったのを不思議に思った。そして、男の子とはなんとも理解しがたいものだと首をひねった。


「……ま、それはともかく、最近のあんた、ちょっと暗すぎるんじゃない?」


「え?僕が?」


「そうよ。あんたのことは昔から知ってるけど、なんか変っていうか、悩んでるっていうか、思い詰めてる感じが凄いのよ。元から暗い性格がもっと暗くなってんの。どしたの?あたしで良かったら相談に乗るけど?」


(いくら整でも言えるわけないよな……。お姉ちゃんを好きになったなんてさ……)


整に相談したらどうなるかは、午前中の内にシュミレーション済みである。裕一は深くため息をついて、計らずも言葉を漏らした。


「……心の雨」


「んあ?またそれぇ?」


整は箸で掴んでいたミートボールをぽろっと落とした。


「あんたって昔っからそうだよねぇ。何か悲しいこととか、嫌なことがあると、すぐソレ……えっと、『心に雨が降っている』とかなんとか言っちゃってさ。自分の気持ちぐらいもっと正確に言いなさいよ。ポエマー気取りなわけ?」


しかし、裕一は何も答えなかった。頬杖をついて考え込んでしまった。


「まあ、あんたの選ぶ言葉にケチつけるつもりは無いんだけどさ……」


気難しい幼馴染を持った整は、困り果てて天井を見上げた。二人は無言のまま数秒の時を過ごした。


「……まだあの事件、気にしてんの?」


「……ッ!?」


裕一は整の方を振り向いた。少女の横顔は、まさに猫のような丸みを帯びた曲線を描いていた。


「あれはさ、その……あんたが悪いわけじゃないんだって。だから、もっと他人に心を開いてさ、ね?」


「……」


あの事件とは一体なんだろうか――?


それは傘馬裕一が小学三年生の時だった。その頃の彼はもっと明るくて、外向的な少年だった。誰かを遊びに誘ったり、楽しくお喋りすることもできた。整のように超絶ポジティブという訳ではないが、年相応の子どもらしい明るさを持ち合わせていた。


しかし、ある事件が少年を変えた。図工教室から戻ってみると、机の上に置いてあった裕一のリコーダーが無くなっていたのだ。引き出しの中にもランドセルの中にもない。誰かに盗まれたに違いない。裕一はショックを受けて激しく泣いた。


(でも、犯人は結局判明しなかった。今だって僕のリコーダーは見つかっていない……)


彼の災難はまだ続いた。盗難事件以降、クラスメイトから冷たい目で見られるようになった。リコーダーを盗まれた可哀想な少年は、いじめの格好の標的になってしまったのだ。裕一が何かするたびに、『リコーダー』、『リコーダー』と馬鹿にする声が絶えなかった。


それ以来、傘馬裕一は姉である愛海と幼馴染の整以外には、心を閉ざすようになってしまった。これが彼のトラウマである、リコーダー事件の経緯いきさつだった――。


(あの事件のせいで僕は人間を信じられなくなってしまった。今だってそうさ。しょうがないじゃないか。そう簡単に立ち直れないよ。僕は、僕は……)


裕一は心の雨がさらに激しくなるを感じた。


雨は天を暗くし、土を穿うがち、万物を腐らせる。裕一の心も徐々に雨に浸食されていった。心という一つの塊が、ぽろぽろと一片ずつ崩れ落ちていく。裕一には止めようがなく、あとは奈落の底に落ちていくだけ――。


「……ま、裕一にはあたしがいるからいっか」


ぴと。雨野整は腕を組んで裕一と密着した。完璧な不意打ちだった。


整の肌の温かさと、髪のチクチクとした感触と、柑橘類の甘酸っぱい匂いが、一気にやってきた。隣にいる少女の呼吸は早く、生き急いでいるようで――。


「う、うわあ!?何すんだよ、お前!?」


裕一は驚いて、すぐさま立ち上がった。整の接触から逃れても、まだ腕に彼女の温もりが残っていた。


整はしてやったりの笑顔を浮かべていた。いよいよ期待していた反応が得られたので、心底嬉しかったのである。


「にっひっひ♪どう?元気でた?」


「し、知らないよ!整の馬鹿!僕、もう教室に戻るからね!お昼終わっちゃうし!」


裕一は情けない捨て台詞を残し、急いで階段を降りていく。その様子は、猫に尻尾をかじられ、命からがら逃げだす鼠そのものだった。その逃げ姿すら、じわじわくる面白さがあった。整は喜色満面だった。


(裕一ったら女に耐性なさすぎだよねぇ~!まあ、あいつ、女なんてあたしと愛海さんしか知らないからな~。また同じイタズラしてやろっと!)


整はまだ笑いが止まらなかった。自分以外誰もいない、ひっそりとした階段で、一人で笑っていた。


「にしても、愛されキャラねぇ……」


少女は立ち上がり、階段を登る。『立入禁止』の扉の前に立ち、ドアノブを握った。


ガチャリ。ドアノブは易々と回った。


整は知っていた。実は、屋上へ通じる扉には鍵がかかっていない。あの結界はただのこけおどしにしか過ぎない。『立入禁止』なんて嘘なのだ。


屋上には凛とした風が吹いていた。風は地上では感じられない清澄せいちょうさを含んでいた。熱くなった身体が冷えていく。まるで体内を洗浄しているかのようだ。身体の端から端まで風が一巡りして、溜まっていたものが排出される、そんな感じがした。


整は屋上を囲うフェンスに背中を預けた。ギシギシと音が鳴る。ネジは強固に締めてあるようだが、鉄の網自体がかなり劣化しているようだった。


「あたしに……」


少女はひとつ、誰もいないのに、いや、誰もいないからこそ――。


「あたしに……誰かに愛される価値なんてあるのかな……。ねえ、裕一?」


整の言葉はすぐそらに染みこんで、溶けてなくなった。無音の屋上で、誰にも届かない言葉を漏らした少女の背中は、どこか寂し気だった。

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