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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第三章 僕と姉と恋と
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番外編 努力家の才能

佳澄は焦っていた。弱点であるスリーポイントシュートが全く改善しないのだ。狙いを定めようとすればするほど、逆に外れてしまう。今日も百本以上練習しているのに、上達する気配がなかった。


(クソ!クソ!パスもドリブルも全部できるのに、こいつだけが入らねぇんだよ!)


本日百五回目のシュートを放つ。ボールは誤った軌道を描き、ゴールの枠に当たって床に落ちた。佳澄は額の汗をぬぐい、転がっていくボールを拾いに走った。


ずっと昔からスリーが苦手で、高校生になったら克服しようと思っていた。佳澄のポジション的にそれほど求められる技術ではないのだが、彼女のプライドが許さなかった。自分のミスでチームメイトに迷惑をかけたくなかったのだ。


しかし、佳澄は完全なスランプに陥っていた。上手くなるどころかより下手になっていた。


きゅっ、きゅっ。床を擦るシューズの音がどんどん少なくなっていく。先輩たちは先に練習を切り上げて、体育館から出て行く。だが、佳澄は最後まで残っていた。彼女は一人、居残り練習を続けていた。


(入れ!入れよぉ!畜生め!いい加減入りやがれ!この馬鹿ボールが!)


佳澄はボールに念を送った。だが、ボールは彼女を裏切り、バックボードに当たって跳ね返った。


「クソッ!」


佳澄の悔しそうな声が体育館に反響する。天井が高い体育館内では、彼女の声はよく響いた。


「佳澄。もうやめな。あんた、オーバートレーニング気味だよ?」


「キャプテン」


既に制服に着替えた女子バスケ部の部長が立っていた。彼女は佳澄が外したボールを拾い、スリーポイントラインのギリギリ外でシュートを放った。


思わず見とれてしまうような美しいシュートフォームだった。どこにも力が入って無くて、自然体で、しなやかだった。


しゅぱっ。ボールはネットをくぐった。部長は得意げに佳澄にウィンクを送る。


「上手いでしょ?他の点じゃ佳澄には敵わないけど、スリーだけはあたしの方が上なんだから。まあ、三年間の努力の賜物たまものってやつ?」


「わざわざ、あたしに見せつけるために戻って来たんですか」


「ううん、違う。あんたを止めに来たの。もうやめな。意地張ったってしょうがないよ」


部長が戻ったのは佳澄をたしなめるためだった。このままだと、佳澄は倒れるまで練習し続けるかもしれない。後輩の暴走を止めるのは先輩の役目なのだ。


「でも!あたしはいい加減上手くなりたいんだ!この前の練習試合だって、あたしは何回もスリーを外したんだ!チームメイトに迷惑かけたくないんだよ!」


「うぬぼれないで。練習のし過ぎで調子崩される方が迷惑だから」


「そんなの知るかっ!!」


佳澄は我を失って怒鳴った。だが、すぐに正気に戻った。彼女は頭を下げて、失礼な振舞いを詫びた。


「すんません……」


「いいよ、別に。佳澄は責任感がありすぎるんだよ。やっぱ、一年でレギュラーになると色々抱え込んじゃうのかな」


「そんなつもりは……」


「とにかく、今の佳澄は練習し過ぎ。休むのも必要だよ?それと、学生の本業をお忘れなく?あんた、こっちの方はどうなの?」


部長は自分の頭を指差した。部活動に熱中し過ぎる後輩に対し、ちゃんとやるべきことを教えてあげる必要があると思ったのだ。佳澄は珍しくギクッとした。図星だったようだ。


上川佳澄は勉強が苦手だった。身体がクタクタになるまで練習した後で、教科書など開く気にはなれなかった。宿題は溜まる一方だった。


「補修になったら試合出れないよ。今日はもうやめてさ、閉門ギリギリまで自習室で勉強したら?いい気分転換になるかもよ?」


「うす……。わかりました……」


佳澄はおろそかにしていたものに立ち向かうことに決めた。その様子を見て、部長は微笑んだ。


「なら、よし。まあ、かく言うあたしも結構やばいんだけどさ。あーあ。受験勉強なんて面倒くさいなぁ」


「部長はどこの大学を受けるんですか?」


「ん?人に言えないような大学だよ。あたしが行けるところなんてそれぐらいしかないしね。佳澄はちゃんと勉強やっときなよ?三年生になってから後悔しても、もう遅いんだからさ」


部長の表情が苦々しいものに変わっていく。それを見て佳澄は察した。きっと先輩は死ぬほど後悔しているに違いなかった。


佳澄は未来の自分に迷惑をかけないために、ゼッケンを脱いで自習室に向かって行った。



さて、そろそろ帰ろうかと思ったところで、佳澄は体育館のボールを片付けていないことに気がついた。一度戻らないといけないようだ。


廊下に人影はなく、寂しい雰囲気が漂っていた。凛とした静けさで満ちていて、小さな物音でもよく聞こえる。自分の足音をこんなに意識したことはなかった。


だむだむっ。床の上をボールが跳ねる音が聞こえて来た。こんな遅い時間に、誰かが体育館を使っているらしい。


彼女はけた。そして扉を開けた。


「よっと……」


茶色の髪を一つに結った、眼鏡をかけた少女がいた。腕も足も細く、肌は色白だった。スポーツとは無縁そうな見た目をしている。彼女はシュートを打つ寸前だった。


「あ、勝手に使ってごめん。久しぶりに身体を動かしたくなっちゃって。女子バスケ部の人?」


おとなしそうな見た目とは裏腹に、意外にもハキハキと喋るタイプのようだ。若干早口で、まくし立てるような話し方だった。


「別にこんな遅くにやらなくてもいいだろ。身体を動かしたいなら体育の授業があるだろうが」


「あれ?知らないの?受験生は体育免除。だから、ボールを触ったのも数か月ぶり」


少女は優しくボールをでた。久しぶりに再会したペットを愛撫あいぶするような手つきだった。


「おりゃ!」


眼鏡をかけた少女はシュートを放つ。ボールはバックボードにすら当たらなかった。とんでもなく下手なシュートだった。


壁に当たって跳ね返って来たボールを佳澄は回収する。そして、膝を曲げて、手でボールを支え、狙いを定めた。


「……シュッ!」


ボールは安定した土台から発射され、ゴールを目指して綺麗な弾道を描く。


しゅぱっ。枠を捉えた。久しぶりに決まったスリーポイントシュートだった。


「さすが天才バスケ少女は違うね。上川佳澄さん?」


「あたしのこと知ってるのか?」


「あんた、有名人じゃないの。入学してすぐにレギュラーの座を奪った凄い子がいるって、三年の間でも結構噂だったんだから。まさか、こんなギャルっぽい見た目だとは思わなかったけど」


単刀直入にギャルと言われて、佳澄は少しひるんだ。彼女の物怖ものおじしない喋り方は、強面こわもての佳澄すら戸惑わせるほどだった。


「さっきのシュートもお見事だったよ。あたしのシュートと比べたら雲泥うんでいの差だね。これも才能ってやつ?天才には敵わないね」


「別にあたしは天才じゃねぇ……」


佳澄は天才という言葉が嫌いだった。そのように形容されることで、自分の積み上げて来た努力の数々が否定されるような気持ちになるからだった。


「まあ、あんたが天才かどうかはどうでもいいや。あたしの名前は手塚美帆子。自己紹介遅れちゃってごめんね?後輩くんはどうするの?少しあたしと話してく?閉門までまだ時間あるし」


「わかった……」


二人は壁を背にして座った。体育館の床はひんやりしていて、氷のように冷たかった。


「あんた、自習室にいたでしょ?中間テストの結果が悪くて、焦って勉強してるとか?」


「ち、違う。あたしは将来に備えてだな……。いや、まあ、それもそうなんだけどよ……」


佳澄は耳に痛いことを言われて、頭をぽりぽりといた。中間テストは散々な結果に終わっていた。六十点以下が七教科もあった。


「そういうあんたはどうなんだ?三年になって、いまさら猛勉強してるんじゃないだろうな?」


そう、女バスの部長のように。だが、美帆子は佳澄をあざ笑った。


「ばーか。あたしを誰だと思ってんのよ。あんたにどこの大学を目指してるか、こっそり教えてあげる」


美帆子は佳澄の耳に口を近づける。


(別に二人っきりなんだから、コソコソ喋らなくてもいいだろうが……)


心の中でツッコミながら、佳澄は美帆子が目指している大学の名前を聞いた。そして、佳澄は目をカッと見開いた。


「ええ!?それって超難関大学じゃねぇか!この高校からじゃ無理だ!」


「勝手に決めつけないでよ。それを実現するために頑張ってるんだからさ。この前の全国模試、一応A判定ついたんだからね?」


美帆子が挑戦しようと思っている大学は、その名を知らない者がいないほどの有名大学だった。


進学校ではない星ヶ崎高校から、その大学に合格した人は今まで誰一人としていない。彼女は前人未到ぜんじんみとうの領域に挑もうとしているのだ。


「どうしてそんなに勉強頑張るんだよ。好きなのか?」


美帆子は頬杖をして、悩ましい表情を見せた。


「別に好きってわけじゃないよ。みんなと同じくらいイヤだなって思ってる。でもさ、あたし気づいたんだよね。運動も芸術もまるっきしダメなあたしが、この三年間で何か実績を残すってなると、もう勉強しかないってことにさ。毎日コツコツ努力するのが、ド平凡なあたしにできる唯一のことってわけ」


「努力……」


佳澄は美帆子に親近感を覚えた。周りから天才とたたえられながらも、実は生粋の努力家である自分と美帆子は近いタイプだった。見た目も性格も真逆であるが、意外なところで一致点が見つかった。


「あんたはバスケ好き?まあ、そんだけできるっていうことは好きだよね。聞くまでもないか」


「好きっていうか、体の一部みたいなもんだな」


気がついた時にはバスケットボールに熱中していた。ボールを触らない日はないと言っていいほど、小さい頃からずっと打ち込んできた。もはやバスケに対しては、好きを超越した感情を抱いていた。


だが、その体の一部であるバスケが最近上手くいっていない。苦手意識を抱いているスリーポイントシュートは未だに改善する様子がなく、彼女のバスケ人生に暗い影を落としていた。


「なに?急に黙っちゃって。もしかしてスランプ?」


「ふん。天才バスケ少女がスランプなんて笑えるだろ?」


だが、美帆子は笑っていなかった。後輩を見つめる顔は真剣そのものである。彼女は立ち上がり、背中を伸ばした。


「行き詰まることは誰にでもあるよ。あたしみたいな普通人ふつうじんでも、佳澄みたいな才能のある人でもね」


「あ、あたしに才能なんて……!」


佳澄も立ち上がり、言葉を続けようとする。だが、美帆子はさえぎった。


「あたしから言わせれば全然あるよ。自分を否定しちゃダメ。自分のことは最後まで信じてあげなくちゃさ、ね?」


「自分を信じる……」


「焦らずコツコツとやりなよ。あたしも結果が出ない時は今のあんたと同じくらい焦ってたけど、がむしゃらにやってたらなんとかなったし。まあ、あたしのアドバイスなんて参考にならないか。あんな下手くそなシュートを打つやつに励まされてもね?」


「いや、そんなことない。あんたのアドバイス、心にみたよ」


佳澄は今までの自分の在り様を反省した。


上川佳澄とは生粋の努力家ではなかったか?どんなに壁にぶち当たっても、めげずに食らいついていくしぶとさが自分の長所ではなかったか?


それを忘れて、ちょっと練習がうまくいかなかっただけでくじけるなんて、本来の自分らしくなかった。


(こんなことでへこたれるなんてあたしじゃねぇ。失敗がなんだ。スリーが千本外れようが、あたしは諦めない。絶対に上手くなってやる)


手塚美帆子は佳澄にとって良き助言者だった。同じ努力家として、彼女は後輩に大切なことを思い出させたのだ。


つまり、努力家の才能とは自分を信じ続けられることである――。


「ちょっとは元気出た?どう?先輩からのありがたいお言葉、胸に響いた?ずきゅーんと来たでしょ?」


「うっせぇ。でも、ありがとうございました。手塚先輩」


佳澄は不器用な笑顔を浮かべながら、先輩に一礼した。礼儀正しい後輩の振舞いに、逆に美帆子の方が照れてしまった。でも、後輩の力になれて素直に嬉しかった。


「そろそろ帰らなきゃ……っていけない!愛海のこと忘れてた!門のところで落ち合う約束してたんだよ!待たせっぱなしだ!」


「愛海?先輩の友達か?」


「そう。傘馬愛海。今度紹介してあげる。一年の時からの親友なんだ」


(傘馬?傘馬ってあいつと同じ名字じゃねぇか……)


佳澄は傘馬裕一のことを連想した。窓際の席でいつも一人で座っている、何だかよくわからないあいつのことを――。


(傘馬なんて名字、何人もいるもんじゃねぇ。愛海ってあいつの姉ちゃんか。あいつ、姉貴がいるんだな)


あんな珍しい名字はそうそうあるものではない。佳澄は愛海をクラスメイトの姉だと決めつけることにした。


「手塚先輩!もう一つ相談したいことがあるんだが、いいか?」


「なに?」


「クラスになかなか馴染めない馬鹿野郎がいるんだが、どうすればいいと思う?」


美帆子はあごに手を当てて、しばしの間考えていた。体育館は再び静まり返った。


「……ニックネームをつけてあげるとか?あたし、愛海のことは個人的にタヌキって呼んでるんだよね。だって、一目見ただけでわかるタヌキ顔なんだもん」


「はぁ?タヌキ?」


裕一の姉はどうやらタヌキっぽいらしい。あの独特なおとぼけ顔で、ずんぐりむっくりな体形をしているに違いない。美帆子のせいで、捻じ曲がった愛海のイメージができてしまった。


「ま、向こうが心を開くまで何度もアタックするしかないんじゃない?当たって砕けろの精神でさ」


美帆子からのアドバイスは、努力家らしい地道で泥くさいものだった。だが、それだからこそ、佳澄は彼女の助言に納得した。


「それにしても、佳澄っていかつい見た目してるけど、結構優しいんだ?クラスメイトのことを心配してあげるなんてさ」


「な……!?べ、別に心配してるわけじゃねぇ!ただ、その、目障めざわりなだけだ!いつまでも一人で居られても、こっちが迷惑なんだよ!」


佳澄は顔を真っ赤にして反論した。先程までのクールな態度はどこかへ行ってしまったらしく、佳澄は子どもっぽく怒っていた。


(うっわ……。今時珍しいツンデレじゃん。テンプレ通りっていうか、お約束っていうか)


後輩の照れ隠しを堪能した美帆子はそろそろ本当に帰ることにした。愛海も待たせていた。


「なにかあったらまた相談しなさいよ?じゃあね、佳澄」


「はいっ。手塚先輩」


美帆子が去った後、佳澄はボールを片付けて体育館の鍵を閉めた。彼女は下校しながら裕一のことを考えていた。


裕一は佳澄を勝手に敵視していたが、彼女自身は裕一のことを心配していた。入学以来誰とも打ち解けず、あくまで孤独を貫き通そうとする彼を、なんとかしてクラスメイトと交流させたいと思っていた。


彼の奇行は多くなるばかりだった。この前なんか、土の上に仰向けに寝転んでいた。


裕一はいよいよおかしくなってしまって、宇宙と交信しだしたのかと本気で疑ったものだ。もちろん、その前にあかりのキックがあったことなど、佳澄は知らないのだが。


(真正面から友達になれって言えればいいけどよ。くそっ。そんなの恥ずかしくて言えるか)


裕一の心を開くには、佳澄も一歩前に踏み出す必要がありそうである。彼女は先輩の言葉を思い出した。


(『当たって砕けろ』か。上等だ。何回でもやってやる。そりゃ、あたしも簡単には素直になれねぇけどよ……。あの野郎、絶対にあたしの友達にしてやる。一匹狼なんて許さねぇからな)


裕一と友達になりたい――。佳澄にバスケ以外の新しい目標ができたようだ。

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