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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第三章 僕と姉と恋と
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第四話 恋という名の種

雨野整は裕一の家の前に立っていた。彼女は白い網に包まれたバレーボール大の緑色の球体を抱えていた。それはメロンだった。税込み二千五百円である。


裕一の昼飯を勝手に食べたお詫びとして、整の両親が強制的に持たせたものだった。両親の前で、ついぽろっと言ってしまったのである。


(普段は放っておいてるくせに、こういう時だけ命令してくるんだから。なにが『裕一くんに謝ってきなさい』よ。もうイヤになっちゃう)


父と母の矛盾した振舞いに、整は思春期に相応しい程度の反抗心を抱いていた。だが、今日も暇だったし、どうせ傘馬家にお邪魔するつもりだったから構わなかった。


整はインターホンを鳴らした。


「ごめんくださーい!」


しかし、誰も出てこない。裕一も愛海も留守かもしれない。せっかく重い荷物を運んできたのに、無駄足になってしまったのだろうか。整はもう一度ベルを鳴らす。


どたどた。扉の向こうから足音が聞こえて来た。


(なんだ。ちゃんといるじゃないの)


できれば裕一が出て来てくれると嬉しいなと整は思った。


「お待たせ~。ごめんね、ちょっとお昼寝してて……って、整じゃないか。どうしたんだい?一体?」


「礼子さん!?今日は土曜出勤じゃないの?」


応対したのは、裕一でもなければ愛海でもなく、二人の母である傘馬礼子だった。浅葱あさぎ色の長髪をうなじの所で一つに結った、愛嬌のある顔をした中年女性である。


落ち着きのある低音ボイスで、礼子は整を家の中に招いた。


「ま、外も暑いしウチん中に入りな?冷房効いてて涼しいよ?」


「うん。お邪魔します」


整は玄関で姉弟きょうだいの靴を探した。二人の靴は無かった。


「今日は裕一も愛海もいないよ?学校の子と遊園地に行くんだってさ」


傘馬姉弟かさばきょうだいは今日は遊園地で楽しく遊んでいるらしい。それを聞いて、整は激怒した。地団駄を踏んで声を荒げる。


「むっきー!あたしに内緒で遊びに行くなんてひどい!あたしも行きたかったー!」


「あはは。整は置いてかれちゃったわけね」


整の子どもっぽい怒り方を見て、礼子は笑った。全身で感情を表現する整はまるで幼稚園児のようである。母は残業続きで疲れ果てていたが、整の無邪気な振舞いを見ていると少し元気が湧いて来た。


「そんで、そのメロンはなに?どこかに持っていくの?」


「あ、そうだ。これあげるよ。あたしの両親からのプレゼント」


「マジ?こんな高級品、もらっちゃっていいの?」


整は照れながらも大玉のメロンを礼子に渡した。


「実を言うとさ、あたし、裕一の昼飯を無断で食べちゃったんだよね。それを話したら、お父さんが『持ってけー!』ってカンカンになっちゃって。これはお詫びの品なのよ」


「あはは!そりゃ、裕一も災難だったね~!ありがたく受け取っておくよ」


愛海の料理を食べられずに、しょんぼりと落ち込む息子の姿を想像して、礼子はゲラゲラ笑った。


このメロンは冷やしておいて、今日の夕食の時にでも家族で食べようと母は決めた。貧しい傘馬家にとっては、百年に一度のご馳走である。きっとあの子たちも喜ぶだろうなと礼子は期待した。


「それにしても、学校の子と一緒にってことは、愛海さんと裕一の他に誰かいるんだよね?礼子さんは誰だか知ってる?」


「さあ?そこまでは聞いてないよ。ま、今日はゆっくりしていったら?」


礼子はソファに座り、せんべいの袋を片手に録画していたドラマを見始める。ぼりぼり。菓子の砕ける小気味いい音が鳴り響く。


整は冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取り出して、口をつけてグビグビと飲んだ。


(あ、これ裕一のだ……)


匂いで彼のドリンクだと一瞬で見抜いた。また裕一のものを勝手に拝借してしまったわけだが、今度は両親に絶対に話さないようにしようと整は思った。メロンの次は、高級果汁ドリンクを詫びの品として持って来るはめになりそうだからだ。


整は二階に上がった。天井の低い姉弟きょうだいの部屋はがらんとしていた。整は部屋の隅に畳んであった布団の山に身を投げ出す。そして、不満を爆発させた。


「あーもう!あたしはハブですか!後で裕一にも愛海さんにもわがまま言っちゃお!もう知らないんだから!」


整は一人で脚をばたつかせる。その様子は、欲しいおもちゃを買ってもらえなくて、わめいている子どもと同じだった。綺麗に畳まれた布団はぐちゃぐちゃになってしまった。


(ふん!あたしを置いていくなんてひどいじゃん!何年の付き合いだと思ってんのよ!どこの馬の骨だかわからない子よりも、まずはあたしを誘いなさいよね!裕一の馬鹿!)


整は遊園地に行けなかったことにねているわけでは無かった。お金はあるし、行こうと思えば明日にでも行ける。


そうではなくて、裕一が整を忘れて他の子と行ったことが何よりも悔しかったのだ。


(それにしても、一体誰なんだろう?裕一と一緒にいる子って……)


整は天井を眺めながら、姉弟きょうだいに同伴している謎の人物について思案しあんし始めた。


(まず、裕一には遊びに誘ってくれる友達なんかいないし、自分から誘えるわけないし……。一年生じゃないことは確かね。じゃあ、三年生?愛海さんの友達かな。その人が愛海さんを誘って、『ついでに弟くんも来る?』って話になったのよ。そうに違いないわ……)


整は自分の出した結論に納得し、指をぱちんと鳴らした。確かに彼女の論理には説得力があったし、常識的に考えれば当たっていそうな気もする。


だが、真実は違っていた。勘の鋭い整でも、まさか涼風唯織が裕一を誘ったことなど、全く予想できなかった。そこの繋がりについては整はまだ何も知らなかった。


(なるほど、三年生ならあたしを無視するのも仕方がないわね。傘馬裕一の幼馴染には、雨野整さんという、と~っても素敵な女の子がいることも、知らないに違いないわ)


整は布団の上にうつ伏せになって、顔を押し付けた。裕一の匂いがぶわっと漂ってくる。無意識のうちに裕一の布団の方に飛び込んでいたらしい。


なじみ深い彼の匂いに包まれて、ようやく怒りも収まって来た。整は隣にある衣装棚を見た。最上部の引き出しは半開きで、服がはみ出していた。


(裕一のやつ、急いで着替えたのかな?こんな状態にしてたら愛海さんに叱られるよ?いや、きっと愛海さんのことだから、簡単に許しちゃうんだろうけど)


整ははみ出していた裕一の服を綺麗に畳み直して、きちんと棚の中にしまった。ずぼらな幼馴染の一面を見て、整は少し気持ちがほがらかになった気がした。



さて、こちらは遊園地である。涼風唯織は絶望という名の感情にさいなまれていた。自分を犠牲にするような無謀な秘策も、結局は失敗に終わってしまった。


もうどうしていいのかわからなかった。デートは行き詰まりの様相を見せ始めていた。


「あ、あの、すみません。ちょっと休みます。気分が悪くなってしまいまして。しばらくの間、あかりと二人っきりにしてくれませんか?」


「涼風さん?大丈夫?」


「ええ。少し休んだら合流しますから。それまではお二人で楽しんでください……」


唯織は自動販売機のそばのベンチに腰かけた。意気消沈する彼女を、あかりは心配そうな面持おももちで眺めていた。


「いおりん……。大丈夫ですか?」


「うぅ……。私、何をしているんでしょうか?せっかくデートまで計画して仲良くなろうと頑張ってるのに……。裕一くん、全然笑ってくれません、話してくれません、楽しそうにしてくれません……。私の何がいけないんですか?私に何が足りないんですか?」


唯織は自分のことを不甲斐なく思った。どれだけ裕一と仲良くなろうと努力しても空回りして、彼の心に触れることができない。このままだと、恋人はおろか、友達にすらなれなさそうだった。


「いおりんは何も悪くありません!あの鼠男が全部悪いんですよぉ!」


「でも、私は……ぐす……。私は裕一くんと……うぅ……」


唯織は遂に泣いてしまった。水色の瞳から大粒の涙がたくさんこぼれ落ちる。水滴は両頬を流れて、顎先あごさきで合流してしたたり落ちて行く。唯織の顔には悲しみの雨が降っていた。


あかりの励ましも今の唯織には響かなかった。それでも、なんとか慰めようとあかりは唯織の頭をでていた。


その様子は遠く離れた裕一にも確認できた。彼女は激しく落ち込み、涙すら流していた。


(涼風さん、僕のせいで泣いてる……)


裕一も自分を情けなく思っていた。唯織のことが好きではないにしても、楽しそうにするとか、ちゃんとお喋りするとか、デートに誘われた者として、最低限守るべきマナーがあった。


だが、彼にはそれができない。他者に心を開けないこの少年は、人と上手に付き合うことが極度に苦手なのだ。


(どうして彼女の前だと言葉に詰まっちゃうんだろう?どうして楽しそうにできないんだろう?僕はなんてかっこ悪いんだ。女の子を泣かせるなんて、最低の男じゃないか……)


(裕一……。涼風さんのことで自分を責めてるのね)


愛海は話さなくても裕一の感情が見て取るように分かった。言葉が無くても、弟の表情のかげりを見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


彼女は裕一の手を握った。彼の手は氷のように冷たかった。


「裕一、行こう?」


「で、でも、涼風さんが……!」


「裕一は涼風さんのことが好きじゃないんでしょ?下手に同情したら、そっちの方が可哀想だよ。涼風さんには悪いけど、こうやって諦めてもらうしかないじゃない?向こうも裕一に心配させてるって気づいたら、もっと心を痛めちゃうかもしれないよ?だから、行こう?」


愛海は半ば強引に裕一を引っ張って行く。


かなり厳しい言い方だが、愛海は愛海なりに唯織のことを気遣っていた。裕一が唯織のことを好きではない以上、泣いてでも断念してもらうしかない。変に慰めて期待させてしまったら、それは彼女の恋心をもてあそぶことと同じだった。


それに加えて、号泣して歪んだ顔を好きな男性に見られるのは恥辱ちじょくに違いない。愛海は同じ女性として、そこら辺の事情を深く理解していた。


(そうよ。これでいいの。あの子にはこれから先がある。裕一のことはさっさと諦めてもらって、次の相手を早く見つければいいのよ。だって、裕一は涼風さんのことが好きじゃなくて、私の方を……ってあれ?私、なに考えて……)


愛海はふと我に返った。自分がおかしいことを考えていることに気がついたのだ。


(私は裕一と涼風さんがくっつくことを望んでいたんじゃないの?それなのに、涼風さんから裕一を引き離すようなことして……。これじゃまるで、裕一に他の女の子が近寄らないようにしてるみたいじゃないの)


愛海は、パートの帰りに裕一から真剣な告白をされた時の、あの心の高揚を再び感じていた。大勢の客が彼女の周りにいたが、愛海の世界には裕一しかいなかった。彼女の熱っぽい視線は、彼の背中に注がれていた。


愛海は裕一の背中をドンと押した。彼は前のめりになった。


「お姉ちゃん、あれに乗ってみたいな」


「あれって……ジェットコースター!?本当に!?めっちゃ怖いやつだよ!?」


「実はここに来た時から、乗りたいなってずっと思ってたの♪お姉ちゃん、絶叫系に乗るのが夢だったんだ。ふふ」


結局、唯織とあかりを放置したまま、裕一と愛海のデートが始まってしまった。ジェットコースターの次は、ヴァーチャル映像をフル活用した射的ゲーム、その次はレトロチックなメリーゴーランド。姉弟きょうだいの楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。


(私、裕一と一緒に遊べて本当に嬉しいな。遊園地なんて何年ぶりだろう?あの頃はまだお父さんも家にいたのよね……)


愛海はおぼろげながらも、家族で遊園地に来た時のことをまだ記憶にとどめていた。


確か、あの時の自分は、誕生日に買ってもらったつばの広い真っ白な帽子を被っていたはずだ。愛海が外にお出かけする時の必需品で、他のどんなプレゼントよりもお気に入りだった。


あの帽子はどこへ行ってしまったのだろう?自分の命の次くらいに大事にしていたはずなのに、愛海が中学に上がる頃には失くしていた。


まだ小学生にもなっていなかった裕一は、大勢の人でにぎわう遊園地の雰囲気にびっくりして、母親に泣きついた。礼子は息子の面倒を見なければならず、動けなかった。だから、遊園地は父親と二人で巡ったのだ。


(今はお父さんはいなくなっちゃったけど、でも、代わりに裕一がそばにいてくれる。だから楽しいの。本当に楽しい。裕一と一緒にいると私は幸せになれるの……)


愛海は裕一を唯織から引き離した本当の理由を察知しつつあった。それは嫉妬だった。自分を差し置いて、唯織のそばに駆け寄ろうとする弟の姿を見て、愛海は後輩をねだんだのだ。


私が近くいるのに、どうしてあなたは他の女の子に気を配っているの?許せない。そんなの絶対に許せない。


愛海は自分の中に芽生えつつある、新しい感情に気づき始めていた。いや、認識したくなかっただけで、実は最初から存在していたのかもしれない。


激しく雨が降る中、弟に告白されたあの日から、姉の心に一粒の種が植え付けられていたのだ。


それは本当に小さな種で、若葉が開いても少しも気づけなかった。しかし、時間が経つにつれて茎も葉も成長し、土を押しのけてどんどん大きくなる。そして遂に、愛海の知るところとなった。


それは恋という名の種だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!

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