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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第二章 恋心は若葉の如く
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第四話 整と裕一の一日

雨野整は裕一の家に向かっていた。今日は一つ結びをほどいて、自慢の艶やかな黒髪を風に流している。久しぶりの幼馴染とのお出かけということで、普段とは違ったヘアスタイルにしてみたのだ。


彼女の住んでいるマンションから徒歩五分で傘馬家に到着できる。彼は既に玄関の前で待っていた。何の飾り気も無い普段着の彼は、近所の野良猫とたわむれていた。猫は裕一の足元で丸くなり、何度も背中を地面に擦りつけている。まるで彼に媚びているようだ。


「へぇ。人には心を開かないくせに、猫ならいいんだ」


「そんな言い方無いだろ」


整は裕一と合流し、目的地を目指して歩き始めた。今日の整はデニムのショートパンツに、ショルダーオフのセーターというファッショナブルな服装である。


それに比べると、裕一の恰好はとても地味だった。薄茶色の長ズボンに無地のティシャツ、その上に白と青のチェック模様の上着を着こんでいる。冴えないオタク系の大学生のような見た目だった。


整は幼馴染のセンスの無さに、思わずため息をついてしまう。


「はぁ。もっと自分の恰好に気を使ったら?ぶっちゃけダサいよ、それ」


「ダサいとか言うなよ。僕は結構気に入ってるんだけどなぁ」


「裕一って暗い色ばっかり好むじゃん?黒とか青とかさ。あんたみたいな子は、意外と派手な色が似合うものなのよ。赤とか黄色とかどう?」


「そうかなぁ……」


裕一は着慣れない暖色系の服を着た自分の姿を想像してみた。真っ赤なシャツや黄色のセーターを着た自分……。確かにそれもいいかもしれないが、なんだか外面と内面が合致してなくて不格好に思えた。


やっぱり性格の暗い自分には、寒色かんしょく暗色あんしょくの”陰キャコーデ”がふさわしいと裕一は判断した。


「意外とピンクもイケるかもよ?可愛らしくていいんじゃない?ぷくく」


整は裕一をからかうのが本当に好きなようだ。むすっとした彼はUターンして帰ろうとする。


「馬鹿にしてるだろ。帰るぞ、僕は」


「ウソウソ!冗談だから!あんたにピンクなんて似合わないに決まってんじゃん!あはは!」


「ったく、整はいつもこの調子なんだから……」


整のイタズラは今日も平常運転である。裕一は呆れながらも整と一緒になって笑った。その様子を見て、彼女は内心ではほっとしていた。


(裕一の楽しそうな顔、久しぶりに見たよ。学校だといつも渋い顔してるもんね。無理やりにでも外に連れ出してよかった)


さて、二人はとりあえず昼食を取ることにした。適当に近くのレストランに入って、注文したものが出てくるまでの間、二人は学校での出来事を話題にする。


「それで、整は本当にどの部活にも入らないつもりなの?正直もったいないよ。それだけスポーツの才能があるのに」


整はどんなスポーツをやらせてもレギュラークラスの実力を発揮できる。まさに天才的な運動神経だと言っていいだろう。中学時代の整は、毎日毎日様々な部活から入部の勧誘を受けていた。その光景を裕一は鮮明に覚えている。


「またその話?言ったでしょ。あたしは飽きっぽいから部活には向いてないって。裕一こそどうなのよ?万年帰宅部のあんたが、高校生になってから部活デビューしたって別にいいんじゃない?」


「僕は嫌だよ。だって興味が無いんだもん」


「じゃ、あたしも同じ。これでわかったでしょ?そもそも興味が無いのよ」


料理が運ばれてきた。裕一はハンバーグセット、整は地獄の激辛ラーメンである。彼女のラーメンは地獄の血の池を想像させるようなグロテスクな見た目をしていた。鮮血色の泡が浮かんでは消えていく。見てるだけで目が痛くなってきそうだ。


「せ、整……。それ、本当に全部食べれるの?人が食えるものに見えないんだけど」


「余裕っしょ。あたし、辛いの平気だから」


整は何のためらいもなく麺をすすり始めた。絶対に辛いはずなのに、涼しい顔をして汗一つ流さずに食べている。彼女は辛さというものをほとんど感じなかった。どんな激辛料理でもペロリと楽勝で完食し、その度に裕一をドン引きさせていた。


「裕一も食べてみる?見た目ほど辛くないわよ?」


「整の『辛くない』は全然信用できないんだよ!いらない!遠慮しておく!」


「まあまあ。そう言わずに一口だけ、ね?」


遠慮しまくる裕一を無視して、整は血の色をしたチャーシューを裕一のハンバーグの上に強制的に乗せた。整は他人が辛い料理を食べて苦しむ姿を見るのが大好物なのである。特に、幼馴染のヒーヒー言う姿は三度も飯よりも美味しかった。


裕一は渋々、危険な色をした赤い物体を口の中に運ぶ。


「うぅ!?げほげほっ!なんだよこれ!?口の中が火傷したみたいに痛いんだけど!」


「あはは!裕一の口、真っ赤になってるよ!水飲みなよ、水!」


整は幼馴染の真っ赤な顔を見て、腹を抱えてゲラゲラと笑った。この後、裕一は猛烈な口の痛みと痺れに三十分は悩まされることになるのだが、そんなのお構いなしに整は爆笑していた。これが見たかったから激辛ラーメンを注文したのである。


(ごちそうさまでした♪面白いもの見せてくれてありがと、裕一♪)


腹ごしらえも済んだところで、今度はゲームセンターにやってきた。筐体ゲームやクレーンゲーム、最新のテクノロジーを使った体感型ゲームなどが所狭しと並んでいた。


ゲーム好きな整は魅力溢れる楽園に心をときめかせていたが、このお出かけの本来の目的を思い出した。


(さて、そろそろ愛海さんのことを聞き出さなきゃ)


今日のこのお出かけは、傘馬姉弟の気まずい雰囲気の理由を知るために計画したのである。


整はとあるゲームに目をつけた。サンドバッグを思いっきり殴って得点を競い合う、パンチングマシーンである。腕っぷしが問われるゲームだ。


「裕一。あれで勝負しようよ?」


「パンチングマシーン?」


「そう。どっちが高得点を出せるか勝負するの。もちろん負けたらただじゃ済まないわよ?その時は自分の秘密を一つ言うの。どう?」


「秘密って何だよ。僕、整に秘密にしてることなんて一つも……」


だが、裕一が勝負をやるか答える前に、整はコインを入れてしまった。そして、専用のグローブを裕一に投げる。サンドバッグが持ち上がり、彼のパンチを待ち構えていた。裕一はグローブを装着し、正拳突きの構えを取る。


「どうにでもなれ……おりゃ!」


ぱすん!腑抜ふぬけたパンチがサンドバッグを襲う。軽い音だったが、得点はどうだろうか?


「……432点か。僕にしては頑張ったんじゃない?」


マックス999点中の432点だった。筋トレなどしたことのない一般的な男子高校生にしては、まずまずの結果だろう。裕一はグローブを少女に手渡した。


「まあ、整は女の子だし……。ここは100点くらいサービスしてあげてもいいけど?ハンディキャップとしてね?」


「馬鹿ね。それはあたしのセリフよ」


整は脇を締めて、拳に力を込める。分厚い布でできたグローブがギシギシと軋んでいた。整はすうっと息を吸い、一気に力を解放した。


「……でりゃああ!デス・ストレートッ!!!」


バキンッ!何かがへし折れたかのような衝撃音が響いた。サンドバッグは大きくのけ反り、筐体そのものが揺れていた。はたして、雨野整の得点は?


「……999点?嘘だろ?」


目の前で叩きだされた驚異的な数値に、裕一は床の上にへなへなと座り込んだ。自分よりも身長の低い女の子に、二倍以上の点差をつけられて敗北したのである。腕っぷしにおいて裕一は整に完敗だった。


「いくらスポーツが得意だからってあり得ないよ!大人だってこんな点数出せないのに……!」


「あははっ。裕一はあたしの力をナメすぎなのよ。覚えてないの?あたし、裕一と殴り合いの喧嘩して負けたことないからね」


裕一は過去の痛々しい記憶を思い出した。確かに整には敵わなかった。ちょっとした小競り合いから喧嘩に発展し、整のあのデス・ストレートに泣かされたきた。その度に愛海に抱き着いて慰めてもらったものである。裕一は右頬の古傷が微かに痛むのを感じた。


「うぅ……。でも、ボコボコにされたのは昔の話だし……」


「へぇ、そうなんだ?じゃあ、今も同じかどうか確認してみる?傘馬裕一くん?」


整は拳を振り上げて裕一を威嚇した。どうやら無駄な強がりは彼女に通用しないようだ。あのサンドバッグのようにぶん殴られるのは嫌だったので、裕一は降参の印として頭を横に振った。


満足した整はグローブを元に戻し、乱れた髪をさっと整えた。こう見るとただの小柄な女の子にしか見えないのだが、実はとんでもない怪力の持ち主なのである。人は見た目で判断してはいけないようだ。


「で、愛海さんに何したわけ?」


「え?」


「とぼけてんじゃないわよ。約束したでしょ?負けた方が秘密を話すって」


裕一は勝負の目的をすっかり忘れていた。整の追及は続く。


「いくら隠そうとしたって無駄よ?あたしとあんたらとの付き合い、何年だと思ってんのよ?前から様子がおかしいことぐらい、すぐにわかるのよ。あんたと愛海さんの間に何かあった、そうなんでしょ?」


整は一歩前に踏み出す。裕一は蛇に睨まれた蛙のごとく、固まってしまった。


「な……何でもないよ。少し言い合いになっただけなんだ。でも、今はもう解決したから……」


こんな下手くそな嘘に騙されるような整ではなかった。それに加えて、裕一は感情が容易に顔に出るタイプだった。彼の顔は青白く、目が泳いでいた。嘘をついている証拠である。


(わかりやすい嘘つくんじゃないわよ。裕一ったらすぐに顔に出るんだもん)


整は裕一の返事を待っていた。だが、彼は決して口を開こうとしない。唇をぴったり閉じて、意地でも話さないつもりのようだった。徹底的な黙秘権の行使である。


「……ったく、らちが明かないわね。ここで突っ立っててもしょうがないし、あっちでアイスでも食べながらゆっくり話そう?それならいいでしょ?」


「う、うん……」



裕一と整はゲームセンター内のフードコートにやって来た。裕一はジュースを、整はバニラアイスを注文する。整は眉間に皺を寄せながら、意外にも口の堅い友人が秘密を喋るのをひたすら待っていた。だが、裕一は相変わらず黙秘を貫いている。


せっかく注文したアイスが溶けかけてきたところで、整は痺れを切らして口を開いた。


「喋りなさいよ」


「別に話すことなんかない」


「嘘よ。あたしに隠し事なんて、裕一のくせに生意気なのよ。早く話した方が楽になるんじゃない?」


「だから、さっき言った通り解決済みなんだって」


整は頑固な裕一に対してイライラしてきた。さきほどパンチングマシーンに放ったデス・ストレートをもう一度打ちたくなってきた。机の下の拳がうずうずしてくる。


しかし、予想外の邪魔が入った。裕一の携帯電話が鳴りだしたのである。


「あ、お姉ちゃんから電話だ」


「愛海さんから?」


裕一は電話に出た。


『裕一、元気にしてる?整ちゃんと楽しんでる?』


「うん。どうしたの急に?何かあった?」


『今ね、パートの休憩中で、裕一たちがどうしてるかなって気になったの。どこに行ってるの?整ちゃんはそばにいる?』


「今はゲーセンにいるんだ。整は目の前に座ってる」


裕一と愛海は普段通りの親し気な会話をしていた。この前のぎこちない感じは微塵も見られなかった。


(あれ?絶対に喧嘩中だと思ったのに、なんかいつもの姉弟って感じじゃないの。裕一の言う通り、二人の仲はもう元通りになったってこと?)


整はガッカリしてしまった。せっかく仲良し姉弟の珍しい喧嘩騒動に加われるかと思ったのに、拍子抜けの結末を迎えてしまったのである。さっきまでりきんでいた拳が、スンとおとなしくなるを感じた。


「整ったら、僕にまた辛い物を食べさせてさ、今もちょっぴり痛みが残ってるんだよ。お姉ちゃんもひどいと思うでしょ?」


(それにしても……)


だが、少女は別の意味で裕一にイラつき始めた。目の前に雨野整がいるというのに、彼女をすっかり無視して姉との会話を楽しんでいるのである。整は蚊帳の外に置かれていた。


(裕一のやつ、あたしを放っておいて愛海さんとおしゃべりなんかして~!どこまでデリカシーがないのよ!このシスコン野郎が!)


整は腹いせにイタズラすることに決めた。電話に夢中になっている裕一の隙を突いて、彼のジュースをふんだくり、物凄い勢いで吸い始めた。


「お、おい!?お前!それ、僕のジュースだぞ!?」


「ちゅううううう!!ぷはっ!全部飲んでやったわ!ざまあみろよ!」


『な、なに?どうしたの裕一?』


飲みかけのジュースは一瞬で空になってしまった。裕一が奪い返そうと思った時にはもう遅かった。並外れた吸引力である。


裕一はさっそく愛海に幼馴染の悪行を告げ口する。


「今、僕のジュースを整が全部飲んじゃったんだ!お金だって僕が払ったのに!」


『ふふ。なんだか楽しそうね』


電話の向こうで愛海は笑っていた。弟と幼馴染のじゃれ合いに、心がなごんだのであろう。


さらに、整は裕一から携帯を奪った。


「愛海さん!もし裕一にひどいことされたら、すぐにあたしに言ってね!こいつのこと絞めとくからさ!」


『え?ええ?しめる?一体なんのこと……』


ぷつん。整は強制的に通話を切ってしまった。整は携帯を裕一に投げ返し、足を組んでとても不機嫌な様子だった。裕一は整がなぜ怒っているのか理解できなかった。


まったく鈍感な少年である。整が裕一のことを”おこちゃま”と馬鹿にするのも、訳の無いことでは無いのだ。



すでに空は茜色に染まっていた。結局、整の企みは完全に失敗した。傘馬姉弟は仲直り済みで、二人の間に何があったのかは有耶無耶うやむやになってしまった。


それに、整は裕一にちゃんと気持ちを伝えられなかった。二人っきりでデートしているのだから、告白するには絶好の機会だった。だが、結局は楽しい一日を過ごしただけで、片思いの相手である裕一との関係は何も進展しなかった。


なにより、愛海の予想外の横やりで雰囲気が完全にぶち壊れてしまった。デートとしても失敗だった。


(あーあ。なんかしょっぱい一日になっちゃったなぁ。途中まではよかったのに……)


整は裕一をちらりと見た。彼はポケットに手を突っ込んで、整とは違う方角をぼーっと見ていた。


(裕一って、今なにを考えてんだろう?もう何年もの付き合いになるのに、こいつの心の中ってあんまりわからないのよねぇ。他の人なら大体予想がつくのにさ)


直観力に優れた整であっても、傘馬裕一の心の奥まではわからなかった。この内気な少年は一体どんなことを考えているのだろう?今日だって色んな出来事があったが、どれについて思いを巡らせているのだろうか?


野良猫と遊んだこと、激辛ラーメンを無理やり食べさせられたこと、力比べで負けたこと、愛海と通話したこと、ジュースを横取りされたこと――。


だが、少年はそのどれも心に留めていなかった。彼は実の姉のことを、傘馬愛海のことを思っていた。


裕一はぽつりと呟く。


「……この前さ、姉がいるってどんな気分って聞いただろ?」


「え?あ、ああ。そうね。それがどうかしたの?」


愛海に大目玉を食らったあの日、整はなんとなくそんな質問をしたのだった。発言した本人が既に忘れてしまったことを、今になっていきなりほじくり返されて、整は少し驚いていた。


「やっとわかったんだ。答えてあげるよ。嬉しいけど悔しい……そんな感じ」


「は?なにそれ?」


整は無意識のうちに立ち止まっていた。裕一の言葉の意味が全く理解できなかった。兄弟姉妹きょうだいを持つと、そんな矛盾した感情を抱くのだろうか。一人っ子の整にはちんぷんかんぷんだった。


「あんたなに馬鹿なこと言ってんのよ。嬉しいはわかるけど、悔しいってどういうこと?裕一は愛海さんがいて、悔しいって思ってるわけ?」


「……」


「いや、そこで黙らないでよ……」


「……僕にはうまく説明できない。変なこと言っちゃったね。困らせてごめん」


「別に困ってはないけど……。まあ、元から変な裕一がもっと変になったと思って、ちょっと焦ったけどね?」


整は肩をすくめて笑った。裕一も笑った。二人は再び歩き始める。夕陽は彼らの背後で照り輝き、裕一と整の影を長く伸ばしていた。


「あともう一つ。好きな人についてなんだけど……」


「なに?やっとあんたにも好きな人ができたってわけ?」


「いや、違うんだ。これからもし、僕に好きな人ができたらどうすればいいと思う?」


「さあね。でも、やっぱり思いを言葉にして伝えるってことが大事なんじゃない?相手の目を見て、自分の気持ちをしっかり話すこと。陳腐過ぎる答えかもしれないけど、そんなもんよ」


「そっか……。そうだよな。やっぱりそれが大切だよな」


曲がり角に差し掛かったところで、二人は別れることにした。


「じゃあ、また学校でね。ばいばい」


「うん。またね」


整が彼に背中を向けて歩き出そうとした、その時だった。


「あ、あのさ!整!」


彼女は振り返った。裕一は真っすぐ整の目を見つめていた。全身に力が入っていて、顔が微かに紅潮していた。


「そ、その髪型も……凄い似合ってるよ!可愛いと思う!」


整は自分の髪の毛に触れた。腰の半ばあたりまで流れている黒髪は、とても滑らかで指が簡単に通った。


「ば……馬鹿っ!そういうことは会った時に言うもんなの!じゃあね!」


「うん!じゃあ!」


整は自然と走り出した。彼女の顔は真っ赤に染まっていた。それは夕陽のオレンジ色の光のせいだったかもしれないし、彼女の乙女心が刺激されたからかもしれなかった。いや、後者に違いなかった。


(裕一の馬鹿馬鹿ぁ!変なタイミングで言うんじゃないわよ!びっくりしたじゃないの!)


幼馴染からの不意の一撃に、少女の心はイチコロだった。『可愛い』の一言が彼女をひどく動揺させていた。思い返せば、裕一からそんな言葉を聞いたのはこれが初めてだったような気がする。


嬉しい、嬉しい、嬉しい――!いくら蓋をしようとしても、喜ぶ気持ちが止まらない。整は心が弾み、足がもっと速くなった。


だが、一つだけ気がかりなことがあった。整は嘘をついてしまったのである。


(『思いを言葉にして伝えること』……か。あはは。あたしったら嘘つきだな。あたしこそ自分の気持ちを伝えられていないのに。自分にもできないこと言ってさ……)


あの裕一に向けたアドバイスは、実は自分に向けたものでもあったのだ。


(いつかは言ってやる……!ちゃんと裕一に……好きだって言ってやるんだから……!)


整は心の中でそう誓った。片思いの相手に褒められた髪の毛を、夕方の風になびかせつつ――。

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