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君の恋、雨の色  作者: 石戸龍一
第二章 恋心は若葉の如く
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第三話 文集に隠した思い

雨野整は集合住宅に住んでいる。貧しい生活をしている裕一とは違い、中産階級の家に生まれた整は、そこそこ豊かな暮らしを謳歌していた。彼女が住むマンションはそれなりの稼ぎを得ているファミリー向けのものである。


整は部屋の中で一人で小躍りしていた。裕一の秘密を早く知りたくて、うずうずしているのである。


「よーし!明日は、愛海さんとの間に何があったのか聞き出しちゃうぞ!」


整はその場でくるりと一回転し、その勢いのままベッドに倒れ込んだ。ばふん。ベッド全体が軽く弾んだ。整は枕に顔を押し付けて、足をバタバタさせている。


(そう言えば、裕一と二人っきりでお出かけなんて久しぶりだなぁ。中三の時は受験勉強で忙しかったし……)


幼馴染として裕一とは数えきれないほど遊んでいたが、去年はさすがに余裕が無かった。頭の良くない整は裕一と同じレベルの高校に入るために、寝る間も惜しんで受験勉強に励んだほどだった。彼と遊ぶのは一年ぶりである。


(裕一と遊べる……。一日中あいつと一緒にいれる……)


整は胸が高鳴ってくるのを感じた。右手を胸の辺りに押し当てると、心臓がバクバクしているのがわかった。


(あ、あたしったらなにときめいてるのよ!馬鹿みたい!あたしとあいつはただの幼馴染ってだけなんだから!なに一人で盛り上がってんのよ!)


だが、気持ちを押さえつけようとすればするほど、むしろ悪化した。整はたまらずベッドから飛び降りて、床の上を転げ回った。


(二人っきりでお出かけってことは、これはもうデートってこと?でも、あたしたちは恋人じゃないし!ただの友達だし!ああーもう!わけがわかんないよ~!)


がんっ!整は棚に足の小指をぶつけてしまった!


「ふぎゃ!?いったぁ~~!!」


整は激痛に悶えながら、ヒリヒリする小指を撫でた。衝突のせいで、棚から冊子がいくつか落下してしまった。


(あたしったらなにしてるんだろ。あーあ。こんなに散らかしてさ……)


整はようやく我に返り、本を元の場所に戻していく。だが、その中に気になるものを見つけた。


「あ、これ小学校の時の卒業文集じゃん……」


手に取ったのは埃を被った文集だった。深緑色のハードカバーで、ページが少し黄ばんでいる。整はベッドに仰向けに寝っ転がり、文集を読み始めた。


(うわ~!懐かしいなぁ!あたしなんて書いたんだっけ……)


六年二組の雨野整が一体どんなことを書いたのか気になった。目次を見ると、文集の最後の方に整のページがあるようだ。整はペラペラと本をめくった。そこには、大人になったら就きたい職業について書いてあった。


『あたしは公務員になって、安定した暮らしを築いていきたいです』


子どもらしさゼロの夢も希望も無い内容である。整は思わず噴き出してしまった。


(あははっ。あたしったらねたガキじゃん。美容師になりたいとか、パティシエになりたいとか、それっぽいことを書いときゃいいのにさ~。公務員なんて小学生の夢としてはダメでしょ)


サラリーマンとして安定した収入を稼いでいる父の影響があったのかもしれない。それとも、十六歳の整が考えるように、この頃の彼女はかなりひねくれていたのかもしれない。とにかく、なんとも面白みのないガキである。


(裕一はなんて書いたんだろ?気になるわね……)


裕一と整は同じクラスだったのですぐに見つかった。小学生らしい汚い字で、傘馬裕一の昔の夢が書き込まれていた。


『ぼくは飛行機のパイロットになって、世界中を飛び回りたいです』


十二歳の子どもにふさわしい正統派の夢である。裕一は整と違って純粋無垢だったようだ。


整は飛行士になった裕一のことを想像した。あの気弱でヘタレな彼が、飛行機の操縦桿そうじゅうかんを握り、何人もの人を空から空へと運んで行く。申し訳ないが、裕一の操縦する機体には乗りたくないなと思った。たぶん、五分くらいで墜落するから。


(でも、あたしよりは立派な夢だよね……)


整は文集を投げ出した。そして、ぼんやりと天井を眺めた。


(夢か……。あたしの今の夢はなんだろう?裕一は今もパイロットになりたいって思ってるのかな?あたしたちは何になりたいんだろう……)


子どもは簡単に夢を思い描くことができる。現実を知らないからだ。大人に近づくにつれて、現実の苦さを味わって、夢の想像力が失われていく。高校一年生の雨野整は、夢を描けなくなっていることに今更ながら気がついた。


「はぁ……。わかんないや……」


ごろり。整は身体を横にして、腕を枕にしてふて寝しようかと思った。だが、あるものに目が留まった。


「ん?」


放り出した文集から、一枚の作文用紙がはみ出していることに気がついた。文集の最後のページに挟んであったようだ。その用紙は捨てるために一度丸めたのか、全体的にしわくちゃの状態だった。


「あ、これ……」


整は過去の記憶と急に繋がったことを感じた。彼女は全てを思い出した。これは提出しようとしてボツにした原稿だった。十二歳の雨野整の夢は公務員などではなかった。彼女にはちゃんとした夢があったのだ。


『あたしは大きくなったら、傘馬裕一くんのお嫁さんになりたいです』


そこには少女の片思いが秘匿ひとくされていた。これが整の本当の夢なのだが、みんなが見る卒業文集に載せるわけにはいかなかった。だから、こうやって自分の文集の中にひっとりと畳んでおいたのである。


整は小学生時代に思いを馳せた。あの時から裕一は引っ込み思案の男の子だったが、彼を無理やり外に連れだして、授業が始まる寸前まで校庭で一緒に遊んでいた。他の女の子から誘われても、裕一と遊ぶことを優先していた。それはなぜか?答えは簡単である。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。


その思いは今でも変わってない。整の夢は今も昔も同じなのだ。裕一のことが好き。だから、彼と一緒になりたい。それ以外に夢など無かった。


整は原稿用紙を丁寧に畳んで戻し、棚の中に文集をしまい込んだ。


(裕一があたしのことを好きなわけない。だって、そんな素振り……全然見せてくれないんだもん)


勘の鋭い整は、裕一が彼女に対してその気が全くないということに気がついていた。でも、整は認められなかった。いくら飄々(ひょうひょう)としていて、些細ささいなことが気にならない整でも、こればかりは軽く済ますことができなかった。彼女の夢を簡単に諦めるわけにはいかなかった。


(でも、だとしたらあいつは一体誰が好きなのよ?裕一と付き合いのある女性ってあたしくらいしかいないし……。本当に恋愛感情ってモンが無いのかねぇ?あの馬鹿裕一はさ)


この前探りを入れた時は、裕一は『好きな相手はいない』と断言していた。あの学園のアイドル、涼風唯織に対しても興味は無さそうだった。決して照れ隠しなどではなく、本心から述べていたように思われた。


(裕一があたしのことを好きじゃないっていうのは最悪じゃない。だって、他に好きな人がいるってわけじゃないんだもん。ライバルはいないってことでしょ?だったら、これから好きになってもらえばいいのよ)


整は部屋の隅に置いてある姿見の前に立った。そして、ワイシャツのボタンを外して、胸部をはだけさせた。黒いブラジャーに支えられた胸は、年相応に己の存在をちゃんと主張していた。


(あたし、そんなに魅力無いのかな?ルックスもスタイルも悪くないと思うんだけど……)


この身体を裕一が見たらどう思うだろうかと想像して、整は胸を熱くした。鏡に反映した彼女の顔は真っ赤に染まっていた。


整は貧相ではない自分の胸に視線を注いでいた。ここ数年で急成長を遂げた彼女の胸は、しっかりと谷間を形成し、男性を魅了できるほどの色気を備えていた。


(裕一はもっと大きい方が好みなのかな?もっと大きくて……愛海さんみたいな胸が……)


バストサイズを考えると、どうしても傘馬愛海が彼女の前に立ちはだかった。暴力的とさえ言えるようなあの巨乳と比べると、整の胸は見劣りしていた。裕一は日常的にアレを見ているのだから、整のスタイルに魅力を感じないのも訳の無いことではなかった。


「……あの人はでかすぎるのよ」


整は落胆してベッドの上に突っ伏した。あまりにも理不尽な発育の差を見せつけられて、女性として嫉妬せざるを得なかった。


(まあ、愛海さんは最初からライバルじゃないし。そこはラッキーって感じかな)


整はふふっと笑った。


(あのシスコン馬鹿、そろそろあたしの方に振り向けっつーの。いくらお姉ちゃん大好きっ子だからってさ、加減ってものがあるでしょうが。でも、こんなこと言ったら怒るだろうなぁ。裕一のやつ、いつまでベタベタしてるつもりなんだろう……愛海さんと)


整にとって愛海は頼れるお姉さんのような存在だった。料理も家事もなんでもできて、どれだけ我がままを言っても許してくれるほど優しかった。整は愛海のことが大好きだった。家族同然とすら思っていた。


だからこそ、整は完全に油断していた。愛海を疑おうとは微塵も思えなかった。恋のライバルがまさかその愛海であるとは、この時の整は想像さえできなかったのである。

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