第94話 懐古の器:繫栄と風化②
「地下水の調査? 何か異変でもあったんですか?」
「そうなんじゃよ。まぁ、さほど大きな影響はないと思っておるが、警戒しないワケにもいかんからの」
ワイズさんの話を聞くと、最近、地下水の水位が大幅に上昇したらしいのです。
水が増えたってことは、良いことだと思いますが。
でも、そんな単純な話じゃないのかもしれませんね。
なにせ、水ですから。
「それで、俺が地下にもぐって、水位がどこまで上昇してるのか調べてたんだよ。急に流れて来た濁流に呑まれた時は、死ぬかと思ったけど」
「本当に、お二人にはなんとお礼を言えばよいものか」
「それでしたら、1晩だけこの街に泊めてもらえませんか?」
「それくらいなら、お安い御用じゃよ」
そんなこんなで、私達は今日の宿を確保することが出来たのです。
良かった。
ここ最近はずっと野宿でしたからね。
久しぶりにゆっくり休めそうです。
「それじゃあ俺が、2人を宿まで案内してくるよ!」
「任せたぞ、ナフティ。俺は今から、お前さんの持ち帰った調査報告を、皆に共有してくるからな」
「おう! それじゃあ姉ちゃんたち、着いて来てくれよな!」
そう言ったナフティ君は、さっきとは別の窓から外に飛び出しちゃった。
その姿を見て知ったけど、この街の建物から突き出してる小さな突起物は、家から家に移動するための足場なんですね。
「なんだよあの動き……さすが獣人だな」
「ですね。人間が住むことを想定してない街ってことなのでしょう」
「あれ、て言うことは、降りる時も飛ばなくちゃダメってことか?」
「……どうやら、そうみたいですね。それじゃあイージスさま。行きますよ!」
「ちょっと待ってくれっ! って、うおぉい!!」
待ってられませんよ。
だって、ナフティ君がどんどん先に行っちゃってますから。
建物の壁を蹴って、縦横無尽に跳び回るナフティ君。
でもさすがに、空を飛べる私の方が速く移動できますね。
「くそぅ。負けちまったかぁ」
「勝負してたつもりはありませんが。それにしても、すごいですね。私はナフティ君みたいな移動はできないです」
「へっ! そりゃそうだろ! むしろ、マネできるって言われたら、俺達の立つ瀬が無くなっちまうよ」
「……張り合いがハイレベルすぎて、ついて行けねぇよ」
宿屋のロビーで息を切らしてるイージスさま。
さすがにちょっと、揺らしすぎちゃったかもですね。
そんな彼を見て苦笑を浮かべたナフティ君は、そのままカウンターに向かって声を張り上げました。
「おっちゃ~ん! 良い客を連れてきてやったぜ!」
「なにぃ!? ナフティかぁ!? ちょっと待ってろぉ」
奥の部屋から聞こえて来たドスの効いた声が、鈍い足音になって近づいて来る。
そうしてカウンターに姿を現したのは、フサフサの髭を生やした猫の獣人。
ん~。
あのフサフサ、触りたいです。
でも、ダメですよね。
敵対してるわけでも無いのに、触れちゃうわけにはいきません。
そんな宿のおじさんと交渉して、部屋を取ってくれたナフティ君。
わざわざ部屋まで案内してくれました。
「ありがとね、ナフティ君」
「命を助けてもらったんだ。こんなの、大したことないよ」
そう言うナフティ君は、ちょっと恥ずかしそうに頭を掻いてる。
そんな彼に、イージスさまが質問を投げました。
「ところで、ナフティ。俺達、水浴びをしたいんだけど。この街で水浴びができる場所とかあるのか?」
帽子を取りながら告げたイージスさま。
ナイスな質問ですね。
私も水浴びをしたかったところです。
「水浴びなら、この部屋で出来るよ」
「は? いやいや、ここに水を汲んで持ってくるのは大変だろ」
「いいや、そういうコトじゃなくて」
理解できない私とイージスさまに気付いたのでしょう、ナフティ君は部屋の奥にある扉を開けながら、言いました。
「この部屋は風呂だから、ここで汚れとか落とせるんだよ」
「え? ふろ?」
「どういうことですか? ナフティ君」
「あー、そっか、この街の外じゃあんまり使われてないんだっけ?」
そう言った彼は、風呂の中に入って行きました。
手招きされるままに、中の様子を見る私たち。
すると突然、風呂の天井から、沢山の水が降って来たのです。
「え!? どうなってるんだ!?」
「お部屋が水浸しになりますよ!?」
「ははは。大丈夫だって。風呂の中は水にぬれても良いように作られてるから」
そう言った彼は、風呂の壁に取り付けられてる棒を、グイッと動かしました。
「こうすると、水がお湯になるんだ。この浴槽に湯を張って中に入ったら、最高に気持ちいいんだよ!」
確かに、天井から降ってくる水が、温かくなってます。
これは……これは、すごいことですよ!
「えっと、イージスさま。私、すごく体の汚れを落としたくて」
「俺もだ」
「ここは、ほら、私に譲ってくれてもいいのではないですか?」
「ぅぐ……で、でもなぁ、ソラリスはいつも俺をイジメて来るからなぁ。さっきも、待ってくれって言ったのに、急に飛行し始めるし」
い、痛い所を突いて来ますね……。
「そんなに慌てなくても、順番で入ったらいいじゃん」
「で、でも! お湯が冷めちゃうかもしれないじゃないですか!」
「大丈夫だよ。水も湯も、沢山準備できるからさ」
「準備できる? どこにだよ」
「それは……そういえば今日だったなぁ。ちょうどいいや、2人とも、そっちの窓から外を見ててくれよ」
次は何を見せてもらえるのか。
思わず顔を見合わせた私達は、急いで窓の方に向かいました。
外の光景は、特に変わったところはありません。
騙された?
そう思った時、ナフティ君が話し始めます。
「この街で暮らし始めた俺達は、水の確保に困ってたんだよ。だから、地下水を引っ張り上げようとしてたんだけど、そんな時、アレが開発されたんだ」
ナフティ君がそう言った直後、街の中で一番背の高い建物の屋上が、眩く輝き始めました。
その光に集まるように、街の空に暗雲が立ち込め始めます。
「な、何が起きてんだ?」
「あの屋上にあるレインオーブが、雨を呼んだんだよ」
「雨を呼ぶ!? そんなことが出来るんですか?」
「外を見てみなよ、出来てるジャン」
得意げなナフティ君の言う通り、窓の外では、しとしとと雨が降り始めています。
これが、プロス・ペリテなんですね。
さすがは、空を支えてるだけはあるみたいです。
水は生きてくうえで必要なものですからね。
どおりで、繁栄してるわけです。
ですが、この光景を彼女が見たら、きっと怒るのではないでしょうか。
水の主神プルウェア。
世界の循環を創造した彼女にとって、この街の存在はどう映るのか。
考えるまでもありませんね。
私と同じように、排除したいと願うに決まっています。
それが、彼女のやり方ですから。
そんな一抹の不安を、私は得意げなナフティ君に、伝えることが出来ませんでした。