第69話 ロックエル渓谷
ラフ爺達に万能薬の作り方を教えた数日後。
私は出来上がった薬を引き渡すついでに、今後のことについて、カルミアさんと諸々の話をしました。
「1週間後に街を出る!?」
「うん。せっかく森から出たし、色々と見て回りたいなと思って。それに、ベルザークさんが故郷に行こうって言うからさ」
そう言った私は、付き添ってもらったベルザークさんに視線を向けた。
もちろん、カルミアさんも彼に視線を向ける。
「私は元々、リグレッタ様を我らの国に迎え入れるために、森に入りましたので」
そう言った彼は、ズズッと一口、お茶を啜る。
どうでも良いけど、ベルザークさんがお茶を飲む仕草に、少しだけ品を感じるね。
「そうですか。もうしばらくは滞在していただけるものと思っていましたが……目的地はフランメ民国ということですよ?」
「そうだよ」
「でしたら、次の春頃には、もう一度会えるかもしれません。正直、喜ばしい再会になるかは、分かりませんが」
伏目がちにそういうカルミアさん。
「なんか、ちょっと不安になるじゃん」
「……ご存じの通り、その頃には戦争が始まると思いますので。ですが、リグレッタ殿は心配する必要はありませんよ」
たしかに、ベルザークさんも前にそんなこと言ってたっけ。
人が死ぬ、んだよね。
それなのに、どうしてわざわざ戦争なんてするんだろ。
理由が分からない以上、私は介入するつもりは無いけどね。
ハナちゃんに危険が及ぶのも嫌だし。
なにより、私が近づいたら、もっと死人が増えちゃうかもしれないでしょ?
まぁ、そんな感じで報告した後、あっという間に1週間が経ってしまいました。
この期間で作った大量の万能薬は、カルミアさん達に渡しましょう。
そのおかげかな?
王都アゲルを出発する前日の夜は、ブッシュお爺ちゃんたちからお呼ばれされて、晩餐会が開かれました。
見たことない沢山の料理と飲み物が、テーブルの上にずらっと並んでる。
どれも良い匂いで、おいしそうだよね。
当然、そんなご馳走を前に、ハナちゃんが我慢できるわけも無く、晩餐会には渾身の『うまし』が響き渡ったのです。
うん。これはほんとに、『うまし』だよ。
満点うましだね。
ちなみに、万能薬のペーストを沢山作った功労者として、ラフ爺達盗賊団の面々も、連れて来たんだよね。
初めは緊張してたみたいだけど、美味しいご飯で表情も緩んできてる気がする。
良かったね。
まぁ、ペンドルトンさんはムスッとしてるけど。
さすがに文句は言ってこないみたいで、安心したよ。
「出立するのだな」
お腹も満たされて、なんとなく周りの様子を伺ってた私に、ブッシュお爺ちゃんが声を掛けてきました。
「はい。短い間だったけど、ありがとうございました。また今度、近くに来たら寄ろうと思います」
「そうだな。その時はぜひ、寄ってくれ」
短いあいさつ。
そんな言葉を交わした後、少し上気した表情のブッシュお爺ちゃんは会場を出てったみたい。
夜も遅くなってたから、眠たくなったんだろうね。
賑やかだった会場が、少しずつ静かになってく。
そろそろ日付を跨ぐような時間になって来たね。
本音を言えば、もっと晩餐会を楽しんでたかったけど、そうもいかないのです。
酔いつぶれちゃってるベルザークさんをシーツに任せた私は、ぐっすりと眠ってるカルミアさんとペンドルトンさんに小さく会釈をして、会場を後にしました。
会場を後にする私に着いて来るのは、ハリエットちゃんとホリー君、そしてハナちゃんだね。
盗賊団の面々には、先にネリネに戻ってもらったし。
あとは、このまま出発するだけです。
「お別れの挨拶はしなくて良かったの?」
「そんなことしたらバレちゃうでしょ!? 置手紙は残してるから、大丈夫よ! それに、城にいるよりもネリネにいる方が安全だわ」
「……兄さん、絶対に怒るだろうなぁ」
「やめてよホリー兄さん。次の春が怖くなってきちゃうじゃない」
遠い目をするハリエットちゃん。
なんか、実感が籠ってるように聞こえるなぁ。
「ペンドルトンさんって、そんなに怖いんだね」
「怖いというか、厳しいって感じかな」
「厳しいどころじゃないわよ。あれは、度が過ぎてると思うわ」
「ハリエットはボクと違って、しょっちゅう怒らせてるからね」
「うるさいわね。それよりリグレッタ。ハナちゃんが話したがってるみたいよ」
ハリエットちゃんの言う方に視線を向けると、ごっくんと何かを飲み込んだハナちゃんが口を開いた。
「どうしたの? ハナちゃん」
「リッタ。これからどこ行くの?」
「えっとね……どこに向かってるんだったっけ?」
「まず向かうのは、ロックエル渓谷ね」
「けーこくって何?」
「さ、さぁ」
ごめんね、ハナちゃん。
私も詳しくは知らないんだぁ。
でもまぁ、こんな時に頼れる人が、すぐ傍にいるから、大丈夫だよね。
「簡単に言うなら、山に挟まれた川のことだよ」
「さすがホリー君。物知りだね」
「べ、別にっ! ボクは本を読むのが好きだから、たまたま読んで知ってただけだよ」
「照れすぎじゃない? 兄さん」
「照れてないからなっ!!」
クスクス笑うハナちゃんとハリエットちゃん。
そんな2人を見て、口を尖らせてるホリー君。
仲が良いようで、良かったなぁ。
「川……ねぇリッタ、川だね」
「うん。川なんだって」
「水遊び……」
「さすがに寒いよ、ハナちゃん。あ、でも、別に水に入らなかったら、問題ないのかな?」
これから訪れるロックエル渓谷に思いを馳せながら、私達はハナちゃん号に乗り込んで、ネリネに向かうのでした。
夜が明ける前には王都を出発して、お昼前まで北に移動を続けた頃。
ようやく私達は、第一の目的地に近づいたのです。
「ずいぶんと霧が濃くなってきたねぇ」
皆でテラスから周囲を見渡してるけど、視界が悪い。
薄っすらと見えるのは、静かに流れる川に山の木々くらいだね。
これじゃあ、あんまりいい景色を見ることはできないかもだ。
なんて考えてると、ベルザークさんが近寄って来た。
「この渓谷の霧は、晴れることが無いのですよ」
「え!? そうなの!?」
「ベルザーク様の言う通りよ。ここは一年中、深い霧に包まれたロックエル渓谷。この霧を照らす朝日が、すごく綺麗なんだって、聞いたことがあるわ」
いい景色も見れるみたいで安心したよ。
でも、時間限定なんだね。
「朝日かぁ。それじゃあ、今日は良い感じの所で休憩して、皆で朝日を待とうよ!」
「良いわね、それ」
「ボクも賛成かな」
皆が頷く中、ラフ爺が大きく首を横に振りました。
「悪りいな嬢ちゃん、俺達は遠慮させてもらうぜ」
何か気に入らなかったのかな?
理由を聞いてみよう。
「ラフ爺。綺麗な朝日が見れるらしいけど、興味ないの?」
「興味ないっつーか、俺達は嫌になるほど見たことがあるからよぉ」
「え!? そうなの?」
それは初耳だよっ!
でも、嫌になるほどってのが、ちょっと気になるね。
「前に話したっスよね? 俺達が鉱山で働いてたこと。その鉱山が、この近くにあるっス」
「そうなんだ!?」
ペンドルトンさんと話した時に、そんなことを言ってたのは覚えてたけど。
なるほどなぁ。このあたりで仕事してたんだね。
かなりきつい仕事って言ってたけど。
そっか、だから嫌になるほど、なのか。
知らなかったとはいえ、ちょっと悪いことしたかな?
朝日を見るのを諦めようか。
なんて考える私の横で、ホリー君が口を開く。
「ラズガード鉱山だね」
「よく知ってるじゃねぇか、小僧」
「なっ! ボクは小僧なんかじゃ」
「はいはい、喧嘩はしないでねぇ~ さもないと、1週間お風呂に入れてあげないよ~」
「ぐっ……」
「ふんっ」
「で、リグレッタ、このあたりで休憩するのは良いんだけど、さすがに暇すぎない?」
選択の余地なんて無いとでも言うように、ハリエットちゃんが話を進めちゃったよ。
まぁ、これは逆に、お互いを知る良い機会かもね。
「ガブちゃん(仮)に、川で水の補給をしてもらいたいかな。その間、私達は周辺の探索でもして、時間を潰そうよ」
ネリネの構造的に、ガブちゃんが水を飲むことで、お腹の中の貯水槽に水が溜められるから。
川の傍ってのは絶好の場所なのです。
「探索っ!? ハナも行く!!」
「ボクもついて行こうかな」
「ちょっと、本気なの?」
乗り気な2人に対して、意外にも不安げなハリエットちゃん。
濃い霧のせいでちょっと暗いから、不安なのかな?
その不安を、消してあげられればいいんだけど。
そう思った直後、ベルザークさんが口を開いたのです。
「ハリエット様。大丈夫ですよ。何があろうとアナタに危害が及ぶことなど、あるはずがありません」
「……べ、ベルザーク様」
ちょっとちょっとちょっと!?
ベルザークさん!?
もしかして今、ハリエットちゃん相手にカッコつけたの!?
こ、これは面白い展開に……なんて、なるワケないよね。
私の、そしてハリエットちゃんの期待を、彼はたった一言でぶち壊しました。
はい、ぶち壊したんです。
「リグレッタ様がいるのですからねっ!」
「……はぁ。そうですね」
「あ~あ~。ダメだねぇ。全然ダメだよ、ベルザークさん」
「はて、なんのことでしょうか?」