第63話 権利と義務
真っ青な空、爽やかな風。
とても心地の良い空が、広がってる。
そんな空の下で物干し竿の近くにいるのは、私と、そして母さん。
私と同じ、真っ白で艶のある長い髪を持った母さんが、目の前に映ってる。
ちょっとたれ目で、おっとりした雰囲気が、大好きだったなぁ。
って言うか、思いの灯火って、音も再現できるんだ。
あんまり意識してなかったけど、微かな風が音を作ってくれてるみたいだね。
この時の私は、ちょっと泣いてたみたい。
なんで泣いてたんだっけ?
まぁ、それはこの記憶を見てれば、分かることかな。
『ん~。それにしても、今日はとても気持ちのいい天気だねぇ』
『うん』
『ほら見て、リグレッタ。あの雲、ちょっとだけお父さんに似てると思わない?』
『似てないよ』
『そうかなぁ? 私には、似てるように見えるけど……』
空を指さす母さんに、この時の私は、かなりぶっきらぼうに答えてる。
あぁ……もしかして、喧嘩しちゃったときの記憶だったかな?
不貞腐れてる私に、優しく微笑みかける母さん。
あぁ、懐かしいなぁ。
でも、ペンドルトンさん達に見せたかったのは、この記憶じゃないな。
そう思った私が、ちょっと調整をしようとしたその瞬間。
母さんが、クスッと笑いながら告げたのでした。
『久しぶりにおねしょしちゃったからって、そんなに不貞腐れないでよ、リグレッタ』
『おねしょなんてっ』
「ちがぁぁぁぁぁう!!」
思い出したっ!!
この記憶は、私が久しぶりにおねしょして、大泣きした時のやつじゃん!
うぅぅ……。
なんでもっと早く思い出さないかな、私。
って言うか、皆、気づいてないよね?
気づいてないよねっ?
母さんのセリフの後、すぐに術を止めたから、きっと皆気づいてないはず。
そんな小さな期待を胸に抱いた私は、直後、ボソッと聞こえて来た声に、絶望したのです。
「解放者も、おねしょとかするんスね」
「かっかっか、子供なら誰だって通る道だぁ」
「何を見せられてるんだ、私は」
うぅぅ。
恥ずかしいよ。
何が恥ずかしいって、ハナちゃんにも見られちゃったってことだよぉ。
顔が熱くなるのを感じつつ、恐る恐るハナちゃんを見ようとした私の耳に、彼女の声が聞こえて来た。
「ダメだよ! そんな風に言われたら、は、恥ずかしいんだから!! リッタをイジメちゃダメ!」
「かはっ……」
落ち着け、私。
ハナちゃんは優しいんだよ。
だから、庇ってくれてるだけなんだ。
うん、そうだよ。
庇ってくれてるんだから、何も傷つく必要ないんだよ。
無いんだけどなぁ。
どうしてだろう……心に深いダメージを負った気がする。
「……えっと、その、今のは間違いだから。気にしないで。それと。おねしょはしてないからね」
「ですがリグレッタ様。さっき干されてたシーツにはデカデカと、おねしょの跡が」
「ベルザークさん!! それ以上はダメだよっ!!」
「し、失礼しました」
気を取り直そう。
そうじゃないと、恥ずかしさで逃げ出したくなっちゃうよ。
えっと、何の記憶を見せようとしてたんだっけ?
そうだ、父さんから聞いた、選択することについての記憶だよ。
間違っても、シーツを洗濯する記憶じゃないんだから!!
改めて、思いの灯火を発動した私は、念のため、手元で小さく映して内容を確認することにしました。
もうこんな思いはしたくないからねっ!!
「次こそは大丈夫だよ」
確認もちゃんとしたし、今度は大丈夫。
そうして映し出された光景は、さっきとは違って、夜の事でした。
豆だけのスープを飲む私達。
今回も、私はちょっとだけ泣いてるね。
こう見ると、私って結構泣き虫だったのかも?
そんな私に向かって、父さんが優しく声を掛けた。
短い白髪の父さんは、キリッとした顔立ちのイケメンなんだって、母さんが言ってたなぁ。
私としては、もう少し髭を整えて欲しかったけど。
でもまぁ、確かに。
こうして見ると、鼻筋も通った、男前なのかもしれないね。
『どうした、リグレッタ。なんで泣いてるんだ?』
『ごめんなさい』
『どうして謝るの? リグレッタ?』
『私、私のせいで、今日の晩御飯が、スープだけになっちゃったから』
この時は確か、お昼の狩りで大失敗しちゃって、獲物を逃がしちゃったんだよね。
それで、豆のスープだけになっちゃったんだ。
『なんだ、そんなことで泣いてるのか?』
『ちょっとアナタ、そんなことって……』
咎めようとする母さんに目配せをした父さん。
この時の私は、父さんのこの目配せの意味が分からなかったけど、今なら分かるよ。
『ごめんなさい』
『大丈夫だって、リグレッタ。この豆のスープだって、美味しいだろ? 母さんが作る料理は、なんだって美味いんだからさっ』
『もうっ。調子良いんだから』
照れてる母さん。可愛いなぁ。
多分、この時の父さんも同じことを思ってたんじゃないかな?
一瞬だけ、母さんの方を見て固まってるし。
『ご、ごほん。で、だ。リグレッタ。今日の狩りについて、どう思った?』
『失敗しちゃった』
『それで?』
『? 私、お父さんみたいに、上手にできないよ』
『なるほど、そう思ったのか』
そこで言葉を切った父さんは、不意に母さんに視線を移す。
『なあソラリス。ソラリスは初めて料理をしたとき、今と同じくらい上手に出来たか?』
『いいえ』
『そうなのか。実は俺もな、初めて狩りをしたときは、手が震えて止まらなかったんだよ。獲物も逃がしちまったし』
『そうなの?』
『お父さんも!?』
『あぁ、そうだ。だからな、リグレッタ。今、出来ないことがあったとしても、それを悲観しなくていいんだよ』
スプーンを片手に、ガッツポーズをして見せる父さん。
そんな父さんを見て、クスッと笑った母さんが、ちょっと楽しそうに告げた。
『時間は有限だから、ね』
『そのとーり!! 良く分かってるな、さすがはソラリスだ』
『じかんはゆーげん?』
『そうだぞリグレッタ。時間っていうのは、無限に続くわけじゃないんだ。だからこそ、今という時間を何に使うのか、しっかり考える必要がある!』
そこでスープを一気に飲み干した父さんは、器をテーブルに置いた。
そして、スプーンを握りしめたまま、続けるのです。
『今日の失敗に怖気づいて、明日の成功のための選択が出来なくなったら、危ないからな! それと、適当に1つのモノを選択し続けるのも、危ないぞ! 適当に選んだものってのは、決まって、自分にとって楽なものが多くなる!』
『楽じゃダメなの?』
そんな私の問いかけに、父さんは大きく頷いた。
『楽なことばかり選んでたら、成長する機会を失うじゃないか!! 時間は有限! 今日できなかったことを、明日は出来るようになってる方が、楽しい!! その方が良いと思わないか?』
『うん。出来るようになりたい!』
『だったら、恐れるな! 失敗を恐れるな。成功のための試行錯誤を繰り返すんだ』
『しこうさくごぉーー』
スプーンを持ったまま立ち上がって声を上げる私と父さん。
そんな私達を見ながら、くすくすと笑う母さんを映して、映像は消えて行きました。
「あぁ……なんか、懐かしい気分になっちゃったなぁ」
「リグレッタ殿。結局、何が言いたかったのか、良く分からないんだが」
あれ?
伝わらなかった?
父さんが全部言ってくれてたんだけどなぁ。
「えっと、つまり、ペンドルトンさんが言ってる、罪を犯した人に生きる資格が無いって言うのは、楽な選択になっちゃってるんじゃないかな? ってお話だよ」
「なに?」
「だってそうでしょ? 誰だっていつかは、必ず平等に死ぬんだから」
死は平等。
それはつまり、生きる権利を得る代わりに、生き物は皆、死ぬ義務があるってことだよね。
そんな義務を果たすまでの限られた時間を、どうやって使うのか。
それを悩んだりせずに終わらせるのは、楽な選択でしょ?
殺す方も、殺される方もね。
静かな空気が流れる。
ペンドルトンさんも、ラフ爺も、カッツさんも何かを必死に考えてるみたいだね。
今は、邪魔しない方が良いかもしれない。
もうしばらくは、話を理解できてない様子のハナちゃんでも見て、和んでおきましょう。