第56話 淑女の嗜み
「……リッタ、なんか、臭いよ」
「え……?」
朝起きて、キッチンでハナちゃんを出迎えた私は、その言葉に撃沈したのです。
「うそぉぉぉ!! ちゃんとお風呂に入ったのにっ!?」
「そうですか? 私には分からないですが」
「臭いよっ! トイレの臭いだよっ!」
洗ったよね!?
私、昨日の夜、帰ってきてすぐにお風呂に入ったよね!?
ちゃんとゴシゴシ洗ったもん!!
臭くないはずだもん!!
うぅぅぅ。
ダメだね。
ハナちゃんの表情が、現実を物語ってるよぅ。
「うぅぅ。ダメだ、私、もう生きてけないや」
「っ!? リグレッタ様!? そんなこと、言わないでください!! 私が何かいい方法を考えますのでっ!! ほら、ハナちゃんもっ! リッタが居なくなっても良いのですか!?」
「だめっ!! そんなのヤ!!」
朝ご飯そっちのけで、ベルザークさんとハナちゃんが色んな提案をしてくる。
でも、どれも効果は無かったみたい。
って言うか、ベルザークさん。
蝋燭でどうにかなるわけないでしょ……。
臭いを消すアイデアを色々と試す中。
良い香りのする花を集めましょう、と叫んだベルザークさんが、テラスに飛び出そうとした時。
ハナちゃんが気になることを口走ったのです。
「……ハリエットお姉たん、良い匂いだった」
「「それだっ!!」」
私とベルザークさんの思考が、珍しく一致した瞬間だね。
ハリエットちゃんは、すごくお洒落だったから、きっと、こういう問題にも詳しいはず!
そんな期待を胸に、私達はネリネを後にして、お城にやって来たのです。
門を潜ってすぐに、カルミアさんを見つけた私達は、無理を言ってハリエットちゃんが朝食を摂ってる部屋に案内してもらった。
どうやら、部屋の中でサラサラ君もご飯を食べてるみたいだね。
でも、そんなこと気にしてられないよ!!
すぐにでも、ハリエットちゃんと話さないとっ!
「一大事だって言うから、急いで出て来たんだけど?」
「はい。これは世界にとっての一大事ですので」
「……ふざけてる?」
「ううん。大まじめだよ。ハリエットちゃん」
今回ばかりは、ベルザークさんの言うことは正しい。
うん、正しいよねっ!
「はぁ……せっかくの朝食が台無しなんだけど」
「ちゃんと埋め合わせはしますので! ハリエット様の知恵をお借りしたいのです!」
「そうね。一つ、お願い事を聞いてくれるなら、考えないでもないわよ」
「何でも聞くから! 臭いを消す方法を教えてくれない? いや、下さい!」
「臭い? 良く分からないけど、まぁ、良いでしょう」
「やったっ!!」
喜ぶ私とベルザークさんを余所に、ハナちゃんは鼻をクンクンとしながら、ハリエットちゃんに近づいて行った。
「な、なに?」
「ハリエットおねえたん、やっぱり良い匂いする」
「っ! ふっふっふ。さすがは獣人と言うべきかしら? やっぱり、分かる者には分かるのね」
得意げにニヤけたハリエットちゃんは、ハナちゃんの頭を撫でながらそう言った。
「ってことは、ハリエットちゃん、良い香りの秘訣を知ってたりするの?」
「まぁねぇ。淑女の嗜みってものだと思うけど。もしかして、リグレッタは知らないの?」
「し、知らないです……」
ぐっ。
なんか、負けた気がするっ!
私の反応のせいかな?
ハリエットちゃんが、さっきよりも胸を張りだした気がするよ。
私と同じくらいの、ささやかな胸。
でも、今の私に、勝ち目は無いらしい。
なんて考えてると、ハリエットちゃんの後ろの扉が開いて、サラサラ君が姿を現した。
「ただの入浴剤でしょ? そんな威張り散らしてると、後が恥ずかしくなるんじゃない?」
「ちょっとホリー兄さん!? 女の戦いに口を挟まないでちょーだい!!」
「ただマウント取ってただけじゃん」
呆れたように言い返すサラサラ君。
ホリーって名前なのかな?
なんて考えながら彼を見てた私に気づいたらしい、ホリー君は小さくお辞儀をしながら挨拶をしてくれた。
「初めまして。こうして挨拶をするのが遅れてしまい、申し訳ありません。ボクの名前は、ブッシュ・カルドネル・ホルバートン。長いので、ホリーと呼んでください」
「ホリー君だね。分かった。私はリグレッタ。よろしくね」
「……ふむ。こうして挨拶を交わせるとは、思ってなかったな」
眼鏡越しに私を観察するホリー君。
なんか、どことなくベルザークさんに似た部分を感じるのは、気のせいかな?
私がそんなことを考えた時、隣にいたベルザークさんが、急に頭を下げ始めた。
「ホルバートン様。先日は色々とありがとうございました」
「いえ。ボクの方こそ、色々と面白い話を聞けましたので。お相子と言う奴ですよ」
ベルザークさんが誰かに丁寧な態度をとるのは、珍しいよね。
いや、私とハナちゃんには丁寧なんだけどね。
その他の人には、ぞんざいな態度が多い印象だったから、ちょっとびっくりだよ。
私の知らないところで、何があったのかな?
ちょっと気になるような。知りたくないような。
ん?
なんか、ハリエットちゃんが私を憐れむように見て来るね。
「ど、どうしたの? ハリエットちゃん」
「リグレッタ。あなたの為を思って伝えておくわね。ホリー兄さんをあまり信用しない方が良いわよ。兄さんったら、いろんな人に、貴女の話を聞いて回ってるんだから。まるで、気になる方の詮索をしてるみたいだから、止めるように言ってるのだけれど」
「ご、誤解を招くようなことをいうなっ!!」
ちょっとだけ頬を赤らめながら、ハリエットちゃんに食って掛かったホリー君。
直後、私と目が合った彼は、慌てて眼鏡をかけ直し、告げる。
「ボ、ボクは単純に、本で読んだ解放者について、詳しく知りたかっただけですよ」
少しだけ俯き気味なホリー君。
そんな彼の顔を覗き込んだハナちゃんが、嬉しそうに私の方を振り返った。
「顔、真っ赤っか!!」
「なっ!」
「照れてるね」
「照れているのでしょう」
「バレバレだよ、兄さん」
「う、うっさい!!」
そう叫んだ後、歯を食いしばったホリー君は、話題を変えたがってるみたいに、提案してくる。
「そんなことより! 臭いを消せる香水に興味はないかな?」
「臭いを消せる!? 教えて!!」
そんなの、興味が無いワケがないよね。
咄嗟に食いついちゃった私を見て、一瞬呆けたホリー君は、安心したように頷いたのでした。