第47話 邪龍ベルガスク
トイレを済ませてキッチンに戻ったら、スポンジたちがコップを洗ってくれてるところでした。
そんな様子を、ライラックさんがまじまじと見てる。
「どうかしたの?」
「いやはや、便利なものだと感心していたところです」
「ん~。まぁそうだね。皆、頑張ってくれるから、助かってるよ」
「ほう……頑張っているのですか」
そりゃそうだよね?
家事をするのは大変なんだから。
だから、みんなで手分けして、一緒に頑張った方が良いでしょ?
って、ダメだダメだ。
そうやってまた話し込んでたら、本題を聞けないじゃん。
「それで、ライラックさん。本題を聞かせてもらえるかな?」
「モチロンですとも。では、まず1つ。吾輩は尋ねたいことがあるのです」
「尋ねたいこと?」
「死神の森を出て、キミは何を思いましたか? どう感じましたか?」
「森を出てから?」
なんでそんなこと聞きたいんだろ?
まぁ、いっか。
「う~ん。正直、こうやって森の外に出る日が来るなんて思ってなかったから、ちょっとだけ驚いてるかなぁ」
「驚き。それだけですか?」
「ん? そうだね、他にあるとすれば……楽しいかな。ハナちゃん達と一緒に過ごせるのは、楽しいよ。家も綺麗になったしね」
「楽しみ。他には?」
「え? えっと、他かぁ」
そんなに幾つも出さなくちゃダメなの?
困ったなぁ。
なんて考える私を見かねたのかな、ライラックさんがもう一つ質問をしてきました。
「キミは不安や恐怖、憤りを覚えなかったのですか?」
「えぇ? あんまりなかった気がするけど。あ、ちょっとだけなら、不安はあったかもだね」
「それはどのような?」
「ベルザークさんが、誰かと喧嘩しないかな? とか」
私がそう返事をすると、ライラックさんは大きなため息を吐く。
どうしてそんなに残念そうなの?
まるで、私に不安とか恐怖とか憤りを覚えてて欲しかったみたいじゃん。
「えっと、ライラックさん、どうかした?」
「大丈夫です。吾輩が、小さな勘違いをしていただけですので」
そう言った彼は、キッチンを見渡し、最後に私に視線を投げかけてくる。
「リグレッタ。キミは本当に、恵まれている」
「うん。そうだね。私もそう思う」
「違う!! そうではないっ!!」
突然の怒声に、身体がビクッと反応しちゃった。
「え? なに? どうしたの?」
「キミは、自分の置かれている状況を、何一つ、これっぽっちも、理解していない」
「ちょっと、落ち着いてよライラックさん」
私が恵まれてるって言ったり、恵まれてないって言ったり。
ホント、意味わかんないよ。
何か怒らせること、言っちゃったのかな?
私を睨んでくる目が、ちょっと怖いや。
「仕方がありませんね。出来るだけ避けたいと思っていたのですが。こればかりは、吾輩にもどうしようもないことです」
「何を言ってるのか、分かんないんだけど。もっと分かり易く言ってくれない?」
「分かり易く、ですか? そうですね。では言って差し上げましょう」
そこで言葉を切ったライラックさんは、続ける。
「キミは……死神は、あの森から出るべきではありませんでした」
「え?」
「キミが森から出たせいで、大勢が死ぬ。それはもう、避けることのできない、未来なのです」
「それって、戦争の事? でも、私は何も」
「キミが援助しなければ、ブッシュ王国はフランメ民国と協力関係を結ぶことはありませんでした」
「何? どういうこと? それと私に、何の関係が」
「関係ならありますよ。あの襲撃の後、キミは森の中に引きこもっておくべきだったのです」
「……ちょっと待って。それって」
「リッタ? 誰かいるの?」
恐る恐る、ハナちゃんがキッチンの中を覗き込んでくる。
そんな彼女に気を取られた瞬間、ライラックさんが動いた。
「シーツ!! ハナちゃんを守って!!」
「遅いですよ!!」
「きゃあ!!」
勢いよくひっくり返されるテーブルと椅子。
それらの下敷きになったシーツは、身動きが取れないみたい。
そうしている間にも、ライラックがハナちゃんの元に駆けてく。
「させないよ!!」
踵を返して逃げ出そうとするハナちゃんと、彼女を追いかけるライラック。
そんな2人を見ながら、私は倒れてる椅子に術を掛けた。
「追って!! 私もすぐに向かうから!!」
飛んでく椅子たちを横目で見ながら、私はキッチンに溜められてる水に両手を突っ込む。
「分身ちゃん! ハナちゃんがピンチだから手伝って!!」
無言でうなずく分身ちゃんと共に、私は廊下に駆け出した。
廊下を走りながらも、手当たり次第、いろんなものに術を掛けてく。
手は多いに越したことはないからね。
そうしてようやく、私達はライラックをテラスに追い詰めることが出来たのです。
……だけど。
「ライラックさん、姿を変えることができたんですね」
「そうですね。それが吾輩に授けられた能力ですので」
そう言ったのは、ハナちゃんを羽交い絞めにしてる、もう一人のハナちゃん。
いつもなら、2人のハナちゃん可愛いっ!!
って、悶絶してるところだったよ。
危ないね。
「でも、残念だねライラックさん。姿を変えても、私には通用しないよ。だって、魂までは変わってないみたいだからね」
「そうですね。ですが、キミ以外になら、通用することでしょう」
そういう彼の指摘は、確かみたい。
追いかけてる間も、家具たちはハナちゃんに化けたライラックさんを、行動以外で見分けることができなかったみたいだし。
「ハナちゃんを放して」
「それはできませんね。この子はキミの寵愛を受けている、非常に貴重な存在なのですから」
「離して!」
ライラックさんの腕の中で、暴れまわるハナちゃん。
と、その直後、ハナちゃんはライラックさんの拘束が緩んだ隙に、大口を開けて彼の腕に噛み付いた。
「あぎゃあぁぁぁ!!」
「離してって言ったもん!!」
痛みに悲鳴を上げるライラックに、そんな文句を吐き捨てながら、ハナちゃんが駆け寄ってくる。
さすがは獣人って感じだね。
「ハナちゃん、大丈夫?」
「うん。だいじょぶ」
「くっ……思っていた以上にやんちゃな子のようですね」
「ハナはやんちゃじゃないもん! おとなのレディだもん!!」
おとなのレディは、噛み付いたりしないよ?
でも、今回は見なかったことにしてあげましょう。
「それよりもライラックさん。おとなしく捕まってよ。戦争の話とか、森から出ない方が良かったとか、色々聞きたいことがあるからさ」
「ははは。それはできない相談ですね。吾輩はこう見えて、忙しいのですよ」
やっぱり、大人しく捕まる訳ないよね。
ここにベルザークさんがいれば、もっと簡単だったかもしれないけど。
まぁ、私だけで何とかするしかないかな。
なんて考えてる私達の目の前で、ライラックさんが姿を変え始めました。
見る見るうちに巨大になってく身体。
背中からは立派な翼が生えて、尻尾と角まで生えて来てる。
そうして、黒くて大きな魔物に姿を変えたライラックさん。
見たことない魔物だね。
思ったよりも大きいなぁ。
捕まえられるだけのロープ、あったかな?
なんとか捕まえる方法を考えてた私の横で、ハナちゃんがドシッと尻餅を付きました。
「ハナちゃん、どうしたの?」
「ぁ……ぁ、あれ、あの時の……」
完全に怯えきってるハナちゃんの瞳に、メラメラと揺れる光が映り込む。
その光は、ライラックさんだった魔物の口から漏れ出てる炎でした。
「もしかして……邪龍ベルガスク?」
そんな私の呟きに返事をするように、邪龍ベルガスクは空に向けて炎を吹き上げたのです。