第4話 黒いシミ
私たちが暮らしてるこの家は、母さんたちが長い間住んで来た家だ。
つまり、ぼろっちいし、汚いの。
私が生まれる前に一度、リフォームをしたらしいんだけど。
まぁ、そんなに長持ちはしないよね。
というワケで、私は今、家の修理と改築をどうしようかと、悩んでいるところなのです。
午前中の畑仕事が終わって、木陰で一休みしている私とハナちゃん。
今日も暑いから、もう汗だくなんだよね。
ここから動く気になれないよ。
時折吹き抜ける爽やかな風を楽しみながら、私は少し離れた位置に座ってシーツと戯れてるハナちゃんに質問をしてみた。
「ねぇハナちゃん。この家を改造するなら、どんな風にしたい?」
「かいぞーってなに?」
「造り変えちゃうってことだよ」
「わかんない」
「そうだよねぇ。じゃあ例えばさ、お風呂はもっと広い方が良いかな?」
「広い方が良い!!」
そんな期待を込めた目で見られても、上手く出来るかは分からないからね?
でもまぁ、私もお風呂は広い方が良いと思うから、第一候補として考えてるけどさ。
それとトイレ。
汚いから、何とかしたい。
「とりあえず、お風呂場とトイレは早めに何とかしようかな。先にやるべきは……」
「お風呂ぉ!」
「わかった。それじゃあ、お風呂からだね」
川遊びをした日から、ハナちゃんはお風呂が大好きになったらしい。
私の分身と一緒に入るのが楽しいのかな?
懐いてくれてるみたいで、私もちょっとだけ嬉しい。
なんてことを考えつつ、私は手に持ってる『ひでんのしょ』のページをめくった。
「お風呂を広くするって場合は……あった。このページだね」
5冊目の15ページに書かれてある術。
その名も、アーキテクチャ。
建築をするときに使う、魂宿りの術の応用版だね。
「ん~っと、まずは杉の木材から作った木彫り人形を……え、木彫り人形? まずはそっちから準備しなくちゃなのね」
次のページまで準備方法がつらつらと書かれてる。
これは時間が掛かりそうだなぁ。
「あぁ~……ダメだ。今日はもう、やる気が出ないや」
カンカン照りの下、汗だくになりながら考える事じゃないよね。
それよりも今、私達に必要なのは、きっとお風呂だ。
うん、汗を流して、さっぱりしよう。
「ハナちゃん。今からお風呂を沸かそうか」
「今から!? お風呂!? やったぁ!!」
「先にお湯を沸かさないとだから、ちょっと時間かかるけどね。待てる?」
「うんっ!」
「良い子だねぇ」
ハナの快活な返事を聞いて、私達は家に戻った。
いつもより早い時間のお風呂にテンションが上がってるのか、ハナちゃんは家に入った途端に服を脱ぎ捨てちゃってる。
もうっ、はしたないんだからね。
気持ちは分かるけどさっ。
でも、私も一緒になって裸になる訳にはいかないよね。
私はハナちゃんとは違って、大人のレディだから。
まぁ、裸だと火を付ける時に熱いってのもあるんだけど。
「それじゃあ、今日もお願いね。ウッティ」
お風呂場に着いた私は、いつものように口笛を鳴らす。
すると、風呂釜の脇に置かれてた桶の中から、火打石が1つ飛び出てきた。
この子が、ウッティ。
いつもお風呂の釜に火を付けてくれる、優秀な子だよ。
彼が起こした火種を、私が息を吹きかけて大きくしていくんだ。
さすがに、火に対して魂宿りの術を使うのは危ないからね。熱いし。
あとは、湯船に水を張ってあげればいい。
水を溜めてる貯水槽の蓋を開けて、中に手を突っ込んだ私は、そのまま湯船に向かうように指示をした。
と、そんなところで、すっぽんぽんのハナちゃんが風呂場に飛び込んでくる。
「お風呂! お風呂!!」
「こら、ハナちゃん。お風呂場で走っちゃダメだよ!」
「いしし!! お風呂ぉ!」
楽しみにしすぎでしょ。
と、私が苦笑いを浮かべた次の瞬間。
彼女は足を滑らせて、盛大にすっころんだ。
「ハナちゃん!?」
「っ~~~~」
お尻を摩りながら痛そうに表情を歪めるハナちゃん。
思わず寄り添って、彼女の頭を撫でてしまいそうになった私は、ギリギリのところで踏みとどまれた。
危ない危ない。触れちゃうところだったよ。
転んだ瞬間に、ベッドシーツがお尻の下に入り込んで支えてくれたおかげで、それほどの怪我はしてなさそうだね。
ナイスだよっ。
「ほら、お風呂場で走るから、転んじゃうんだよ」
だから、今度からは走らないようにね。
そう言おうとした私は、直後、痛みとは違う感情に染め上げられたハナちゃんの表情を目にしてしまった。
「っ! ひっ! ひぃぃぃ!」
焦りと恐怖が入り混じったような、そんな表情を浮かべてるハナちゃん。
大きく見開かれたその瞳には、ゆらゆらと揺れる大きなオレンジ色の光があって……。
「っ!?」
彼女が怯えている原因を、咄嗟に理解した私は、すぐに背後を振り返る。
「マズい!! 分身ちゃん! すぐに消してっ!!」
風呂釜の火が、家の壁に燃え移って、広がり始めてたんだ。
多分、ハナちゃんが転んだ拍子に床に落ちてたブラシを蹴って、火の付いた薪を散らばらせちゃったんだね。
危ない危ない。
水の分身ちゃんを作って無かったら、簡単には消せなかったかもだ。
「ふぅ……全部消えたかな?」
壁に燃え移った火も、白い煙と共に消えていくのを確認した私は、すぐにハナちゃんに向き直る。
ここはちゃんと注意しておいた方が良いのかな?
なんて考えた私は、だけど、未だに怯え続けてるハナちゃんの様子がおかしいことに気づいた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ハナちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
「ごめんなさいっ!! ごめんなさいっ!!」
何?
どうしてこんなに怯えてるの?
確かに、火事になりかけたのは危ないことだけどさ。
身体を震わせて、蹲っちゃうくらい怖がることかな?
「ハナちゃん。ほら、火はもう消えたからっ」
「ごめんなさいっ!! ごめんなさいぃぃ……」
「どうしたの? 大丈夫だよ! 分身ちゃんが消したんだから。そうだ、分身ちゃん。頭を撫でてあげてよ」
私の指示で分身がハナちゃんの頭を撫でるけど、落ち着きを取り戻す様子はなかった。
絶対におかしいよね。
多分、なにかがあったんだ。
ベッドシーツにくるまれて、寝室に運ばれたハナちゃんは、結局、そのまま眠ってしまった。
多分、疲れて寝ちゃったんだ。
夕ご飯も食べずになんて、ホントに珍しい。
私も少し動揺しちゃって、その日は寝つきが悪かった気がする。
そして翌日。
私が重たい身体を酷使しながら朝食を作ってたら、ハナちゃんが起きてきた。
「おはよう。ハナちゃん」
昨日は大丈夫だった?
そう聞きたいけど、思い出させるのは良くないかな?
なんて考えてたら、ハナちゃんの方が先に切り出してくる。
「燃えてない……」
「え? お家のこと? うん。燃えてないよ」
「どうして?」
「分身ちゃんが消してくれたからだよ」
「熱いのに……どうやって消したの?」
「火は水で消せるんだよ。それより、ハナちゃんお腹空いてるんじゃない? いま準備して……」
木の器に干し肉と木の実、それとサラダを盛り合わせながら、ハナちゃんに笑いかけようとした私に、ハナちゃんが駆け寄ってくる。
「なっ!? ハナちゃん!!」
ダメだよ!!
私がそう叫ぶより前に、ベッドシーツに阻まれたハナが、両手を私に伸ばした状態で、零す。
「消して!! 私んちの火も消して!! お願いぃぃ!! 父たんと母たんがいるのぉ!! 熱いのぉ!!」
床に落ちた大粒の涙が、黒いシミを広げていく。
そんな彼女を前にして、私は両手から力が抜けて行ったのを覚えてる。
床に転がる木の器。
カランという音が、キッチンに響き渡った。
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