第39話 世界の過去
リグレッタ達が新居ネリネでくつろいでいた、丁度その頃。
プルウェア聖教国で最も死神の森に近い小さな集落に、怒号が響き渡っていました。
「あんのクソガキがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
手に持っている一枚の紙きれを、グシャッと握り潰す男。
ベッドの上に立ちながらも、バランスを崩す様子はありません。
あぁ、なんて勇ましい姿なのでしょう。
粗暴な言動に合わせて揺れる、黒くて長い髪の毛。
血色の悪い白い肌。
それでいて、無駄なく鍛え上げられた筋肉。
そのどれもが、アタシの胸を締め付けて、離してくれないのです。
はぁ……ステキ。
「おい! シルビア!! なに笑ってやがる!」
「え? そ、そんな、恥ずかしい。アタシ、微笑みかけてなんていませんよ」
すぐ隣に立ってる彼が、アタシを見下ろしながら問いかけてきました。
真剣な眼差しで見下ろされると、胸がドキドキしますね。
「誰もそんなこと言ってねぇだろうがぁ。んなことより、テメェはムカつかねぇのかよ!」
「もちろん、ムカついていますよ」
彼……キルストンが怒りを抱いているのは、手にしている1枚の紙きれが原因です。
その紙きれは、今朝、アタシ達の枕元に置かれていました。
手紙。というものなのでしょう。
誰がどうやって、アタシ達に気づかれることなく、届けたのか。
その答えは、手紙の中に書かれています。
『こんにちは、解放者のリグレッタだよ。久しぶりだね。ちょっと手紙を書いてみようかなって思ったので、書きました。2人共元気かな?』
なにがっ!
ちょっと手紙を書いてみようかな。
ですかっ!!
普通、あんなことになった後に、アタシ達に宛てて手紙を書こうだなんて思います!?
その後も、ツラツラと長い文章が書かれていましたけど、その先は読んでいません。
読んでいると、怒りのあまり、顔に皺が出来てしまうかもですからね。
あぁ。でも、もし、この手紙が、アタシと彼の子供からだったら……。
きゃぁぁぁぁぁ!!
何を考えているの!?
何を考えているのアタシ!?
「おい、だから、何をニヤニヤ笑ってやがるんだって」
「わ、笑ってなど、いませんよ。……うふふ」
「チッ。くそっ。腹が立つぜ。あのガキ、俺らの事なんざ、脅威にすら感じてねぇってことだぞ。だから、こんなふざけた手紙を寄こすなんて真似をしやがるんだ。次会ったときは、確実に殺してやるっ!!」
そう息巻いてるキルストンも、やはりステキですね。
ですが、そんな彼に見惚れてばかりではいけません。
しっかりするのですよ、アタシ。
「とはいえ、アタシの術が通じなかった以上、殺り方を考えなくてはいけないことは事実です」
「んなことは分かってんだよ。くそっ。ムカつく腹が立つ煮えくり立つぜ!!」
そういってドカンとその場に座り込んだキルストン。
そんな彼のはだけた背中に、アタシがそっと手を添えようとした時。
不意に、部屋のドアを、誰かが叩いたのです。
「誰ですかっ!? 今、良い所なので!! 邪魔をしないでいただけますっ?」
「おいふざけんなっ! 何が良い所だ。おい伝令!! 扉の前で縮こまってねぇで、早く入ってこい!!」
「え? 伝令をこの部屋に入れるのですか!? それはちょっと、待って欲しいのです!! アタシ、今シーツ一枚しか纏っていないのですよ!?」
「見えねぇなら別にいいだろうがよ」
「辛らつぅ!!」
アタシの裸を、知らぬ男に見られてもいいというのですか!?
でも、そんな乱暴な所も、ステキです。
部屋に入って来た伝令の男は、アタシを見るなり、すぐに顔を真っ赤に染めてしまいました。
それは仕方が無いことです。
アタシのあられもない姿を見て、動揺しないのは、キルストンくらいですから。
あ、でも、もしかして。
こうして動揺してる男に、アタシが少しサービスをしてあげたら、キルストンも嫉妬するのではないでしょうか。
試してみる価値がありそうですね。
「それで、伝令さん。アタシ達にどんな用が」
そう言いながら、谷間が見えるようにワザと前かがみになろうとした。
次の瞬間。
裸のキルストンが伝令から1通の伝書を奪い取ると、そのまま部屋の外に追い返してしまいました。
「あら? これはもしかして、嫉妬? アナタ、アタシの裸を見られることに対して、嫉妬したのですか!?」
「はぁ? んなワケねぇだろ」
これは、きっと照れ隠しとですね。
その証拠に、彼はジーッと伝書に視線を落として、アタシに表情を見せないようにしています。
そんな可愛い所も、ステキな一面ですね。
「うんうん。照れ隠しなら、許して差し上げましょう」
「ワケの分からねぇ話ししてねぇで、出発の準備をするぞ」
「ワケの分からない? またまた、分かっているくせに。可愛いですね」
「だぁぁぁ。ったく、朝からしつこいな! 良いか? 俺が今更、お前に照れるワケねぇだろうがよ! どんだけ長い付き合いだと思ってんだ? あぁ?」
長い付き合いだからこそ、分かりますよ。
キルストンは照れている時、声を荒げるのです。
ふふふ。やはり可愛いですね。
「ところで、出発というのは、どういうことですか? 伝令に何が書かれていたのです?」
「北に移動しろだとよ。異教徒どもが、何か企んでやがるらしい」
「はぁ……また北ですか。アタシ、もっとここでアナタとの甘い時間を過ごしていたかったのに」
「だったら、命令に背いてみるか?」
「……それは、もっと嫌ですね」
仕方がありませんね。
北に向かう、というコトであれば、それなりの準備をしなければなりません。
これから、色々と慌ただしくなりそうです。
アタシは、ベッドから降りて、身に纏っていたシーツを床に落とす。
何も身に纏わないまま、衣装ダンスにしまっていたドレスを手に取ったところで、キルストンが告げました。
「今回、いつも以上に準備が居るかもしれねぇな」
「そうなのですか?」
「あぁ。伝令に書いてあったぜ。今回は、東にも動きがあったらしい」
「そうですか……」
東。
ブッシュ王国。
長らく動きを見せなかった解放者と、初めて接触を試みた、罪深き奴ら。
そんな彼らがどのような動きを見せたとしても、アタシ達のやることは変わりませんね。
「永遠に、眠って頂きましょう」
「そうだな。我らが主神、プルウェア様に仇為す者は、全員粛清だ!」
年が明けたばかりのその日。
アタシ達は北に向かって動き出す。
来たる春に訪れるであろう、騒乱に備えるために。
もしそこに、あの解放者が来るのであれば。
その名の通り、後悔させてあげましょう。
睡魔と共に、森の中で静かに眠り続けているべきだったと。
そうでなければ、許されないのですから。
世界の“過去”が、許さないのですから。