第29話 危険な男
冬の一日が短いのは、太陽が強い北風に圧されて沈んでしまうから。
そんな話を、聞いたことがあります。
本当なのでしょうか?
いや、きっとでたらめに違いありませんね。
その話が本当だろうと、なかろうと、今日はもう太陽が西の空に落ち込みそうになっている。
淡いオレンジ色の空は綺麗ですが、どこか不気味さも感じるんですよね。
窓から見える夕日に、小さな胸騒ぎを重ねていた私は、小さなノックが部屋の中に響いたことに気が付いた。
「カルミア隊長。お呼びッスか」
「はい。どうぞ、入ってください」
私の返事に従って、タイラーが部屋の中に入ってきました。
鍛練でもしていたのでしょうか。
彼は少しだけ汗をかいているようです。
「急に呼び出してすみません。そこに掛けてください。今、お茶を淹れますので」
「別に気にする必要ないッスよ。俺と隊長の仲じゃないッスか」
「はぁ……いい加減、その話し方を治して欲しいものですが。まぁ、良いでしょう」
いつものように、ヘラヘラと笑って見せるタイラー。
本当にこの男は、何度言っても、口調を変えないんですよね。
彼と初めて会ったのは、今年の夏。
その頃、死神の森を調査することが決まったばかりで、ブッシュ王国では志願兵を募っていました。
森の調査は、ただの志願兵には、荷が重すぎるもの。
そこで、過酷な試験を行い、合格した者のみを採用するように、仰せつかっていました。
そして選ばれた多くの志願兵の中、唯一、無傷で試験を合格したのが、タイラーだったと聞いています。
それを証明するように、彼は死神の森の調査において、優秀な斥候として役割を果たしてくれていました。
たしか、私がリグレッタの家に連れて行かれた後も、タイラーは単独で家まで迎えに来たんですよね。
ただ者ではない。
まぁ、態度と口調に大きな問題はあるのですが、優秀ではあるのですよね。
それが、以前から抱いていた、彼に対する認識。
その認識を、少しばかり改める必要があるのかもしれません。
「タイラー。早速ですが、なぜここに呼び出されたのか、分かっていますね?」
「いえ全く、さっぱり、てんで分かんないッス」
「はぁ……仕方がありませんね。では、順を追って説明していきましょう」
そう言いながら、私は手元にある報告書に目を落とした。
「昨晩。貴方に瓜二つの男が、酒場で騒動を起こしたと報告が上がっています。心当たりはありませんか?」
「さぁ。きっと他人の空似ッスよ」
「そうですか」
報告書には、騒動を起こしたその男が、ヴィンセントと言う名で、今も地下牢に捕えられていることが書かれている。
つまり、タイラーの言っていることは事実ですね。
彼は昨晩、酒場で騒動を起こしていないし、牢に捕まっているわけでも無い。
「え? もしかして隊長。俺が騒動を起こしたって思ってたんスか!? 信頼ないなぁ~」
「仕方が無いでしょう? 普段の素行が悪いのですから」
「へへへ。それは言えてますね。でもまぁ、その犯人は捕まってるんじゃなかったでしたっけ? ってことは、俺は犯人じゃないッスよね?」
「その通りです。あなたは、酒場の騒動を起こしたわけじゃありません」
「それじゃあ、どうして俺をここに呼んだんです?」
何も知らない。
そんな素振りを見せる彼。
だけど、彼は既に理解している筈です。
なぜなら、彼の視線はずっと、私の手元にある報告書に向けられているのですから。
調査隊に志願してきた時点で、ある程度の身辺調査は行っています。
だけど、その時には誰も気づきませんでした。
それは当たり前でしょう。
だって、彼の身辺調査だけであれば、特に怪しむべき点が無いのですから。
ですが昨晩、ヴィンセントと言う名の男が捕まったことで、全てがひっくり返りました。
ヴィンセントと、タイラー。
2人の生まれと経歴が、完全に一致していたのです。
「タイラー……本当の名は何というのですか?」
「……」
私の問いに、彼は答えず、ただ小さな笑みを浮かべるだけ。
止むをえませんね。
こうなれば実力行使で、話を聞きだしてしまいましょうか。
「早いうちに話してくれた方が、良いと思いますよ」
私は壁に立てかけていた剣を手に取りながら、彼に告げた。
この忠告は、見せかけとかじゃありません。
本心から、そう思っています。
だってそうでしょう。
優秀な彼を相手に、手加減などできるわけがないのですから。
「おやおや。カルミア隊長。そんなに怒らなくてもイイではありませんか。吾輩はまだ、対話を拒絶していないのですからね」
「それでは、対話するつもりがあると?」
「もちろんですよ。何事も、武力に頼るのは最終手段だと、吾輩は考えています故」
本性を現したと思えば、そちらも珍妙な喋り方ですね。
まぁ、良いでしょう。
何も喋らないよりは、情報を得られる可能性がありますから。
「それで、カルミア隊長。吾輩に何を聞きたいのですか?」
「そうですね。では、本題から行きましょう。先日のリグレッタ殿との会談。あの場にプルウェア聖教国の刺客を呼び込んだのは、貴方で間違いありませんね?」
「はて? 吾輩には何のことやらさっぱりですなぁ」
大げさに両腕を広げて見せるタイラー。
その様子は、まるで舞台の上で役を演じているように見えますね。
「わざとらしい演技ですね」
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」
「褒めていないのですが」
「どう受け取るのかは、吾輩の勝手でございましょう?」
いちいち癇に障る物言いですね。
これも、彼の狙い通りなのでしょうか?
今の所、彼の狙いが何なのか、全く把握できていないのですが。
調査隊に志願して、プルウェア聖教国の刺客を送り込んで来た。
それだけなら、筋が通っているように思えます。
ですが。
その説明だと、大きな違和感が残る気がするのです。
なぜ彼は、ヴィンセントという男を生かしていたのか。
致命的で、初歩的なミス。
それを今、私は馬鹿にして笑ってもいいのでしょうか。
忘れてはいけません。
私の前に立っているのは、ただ者ではない、優秀な男。
そして、私が考えている以上に、危険な男なのかもしれないのですから。
自然と、剣を握る手に力が籠ります。
そんな私の緊張を知ってか知らずか、タイラーはゆっくりと口を開いた。
「吾輩の目的が分からず、どう動けばいいのか分からない。という顔をしていますね」
「……」
「良いでしょう。カルミア隊長と吾輩の仲ですからねぇ。少しくらい、ヒントを差し上げましょう」
どんな仲ですか。
と、ツッコみたいところですが、止めておきます。
「吾輩の目的。それは単純明快です」
そう言ったタイラーは、懐から何かを取り出した。
咄嗟に剣を鞘から抜いて身構えた私に、タイラーがそれを見せつけて来る。
手のひらサイズの黒い球体。
そんな球体に両手を添えたテイラーは、ニヤッと笑いながら、続けた。
「憎くて憎くてたまらない。それが吾輩の原動力です」
直後、彼の持っていた球体が大量の煙を吐き出し始める。
「っ!? 逃げるつもりですか!?」
「その通り! 吾輩は一旦、舞台から降りることといたします。ではまた、どこかで会えましたら、その時はどうぞよろしくお願いいたします」
そんな言葉を最後に、タイラーは姿を消してしまった。
部屋から飛び出て廊下を探しても、窓の外を探しても、彼の姿はどこにもない。
騒ぎを聞きつけて、衛兵たちが集まってくる。
そんな中、私は一人、廊下に溢れ出す煙を見ながら思ったのです。
もしかしたらタイラーは、雲に隠れる太陽のように、煙の中に隠れてしまったのではないかと。
そんなこと、あるのでしょうか。
いえ、きっと私の考えすぎでしょう。