第177話 夢という名の
「そろそろ起きなさい、リグレッタ」
そんな声と一緒に、懐かしい匂いが鼻をくすぐって来ました。
「ん……母さん?」
「早く起きないと、また暑い中畑作業することになっちゃうよ?」
それは嫌かも……。
でも今は、畑もネリネの中にあるからそんなに暑くはないんだけどね。
母さんったら、変なこと言うなぁ。
ん?
母さん?
どうしてソラリス母さんが、ここにいるの?
そう思って眠い頭を上げた私は、ベッドの傍にソラリス母さんが立っているのを目にしました。
「目が醒めた?」
「……えっと」
「まだ醒めてないみたいだねぇ。それじゃあ、ほぉら、うりうりうりぃ~」
呆ける私を見た母さんが、私の髪と頬っぺたを両手で挟み込んで、もみくちゃにしてきます。
「ひょっと! ほう、おひたはら!」
「あらぁ? 起きちゃった? それじゃあ仕方ないなぁ。もう少し、この柔らかい頬っぺたをウリウリしてたかったけどなぁ」
「それ、太ってるって言いたいの!?」
「そんなことないよ? ほんとだよ?」
「むぅ」
最近、ハリエットちゃんの作るお菓子を食べる機会が増えちゃったからかな?
気を付けないとだね。
って、そんなことを考えてる場合じゃないんだよっ!
「おはよう、母さん」
「おはよ~。起きたなら、シーツをお庭に出しておいてよ。またおねしょしてたら母さん困るからねぇ」
「おねしょしてないからっ!!」
私の渾身の訴えも虚しく、母さんは軽く手を振りながら部屋から出て行っちゃったよ。
ほんと、懐かしい光景だなぁ。
窓から差し込んでくる日差しと森の光景が、私にそんな感想を抱かせました。
これは……そうだね、私はきっと夢を見てるんだ。
ベッドシーツも部屋に残ってる母さんの匂いも、まるで現実みたいに本物っぽい。
でも、だからこそ、これは夢なんだって分かります。
こうして、夢だって自覚できてるのに目が醒めないってことは、私はまた眠らされちゃったのかな?
何が起きたんだっけ?
たしか、オーデュ・スルスの街で大きなティアマトと戦ってて。
それで、水の中に取り込まれちゃったんだよね。
そっか、ってことはあの水は、シルビアさんが使ってた術みたいに、人を眠らせる効果があったってことだね。
失敗したなぁ。
いまごろ皆、慌ててるかもだよ。
でもまぁ、きっとハナちゃん達がなんとかしてくれるよね。
それでもダメだったなら、仕方が無いでしょう。
「とりあえず喉が渇いたし、お茶でも飲もうかなぁ」
夢の中とはいえ、喉は渇くんだね。
一応母さんの言いつけ通り、窓からシーツを庭に出した私は、その足でキッチンに向かいました。
どうでも良いんだけど、夢の中のお家はネリネ以上に改築が進んでるみたいだね。
2階はもちろん、5階くらいまでは続くような階段が出来ていました。
なんなら、地下もあるっぽいし。
歩き回らないだけで、ネリネより大きいかもしれません。
参考までに、後で見て回ろうかな。
なんて考えてると、少し先のキッチンの扉が開いて、ハリエットちゃんとハナちゃんが顔を出してきました。
「やっと起きて来たわね! リグレッタ」
「おそいよリッタ! はやくごはん食べよ~!」
「ごめんごめん、すぐ行くからね」
夢の中では、ハナちゃんは解放者じゃないのかぁ。
ちょっと残念。
ボブヘアが似合ってるのが、救いかなぁ。
誘われるままキッチンに入ると、想像以上の広さに驚いちゃったよ。
おまけに、人がたくさんいる事にもびっくりだね。
なんなら、ラービさんやラクネさん達もいるし。
カルミアさんと同じテーブルにいるけど、魔物と仲良くなれたのかな?
なにか話し込んで盛り上がってるみたい。
何の話をしてるんだろ?
そう思って聞き耳をたててみたら、巣の防衛とか治安維持とか、難しいことを話してるみたい。
そっとしておきましょう。
手招きするハナちゃんに応えた私は、席に向かって歩きました。
でも、ハナちゃんの隣の席じゃないんだよね。
だって、夢の中のハナちゃんは、解放者じゃないんだからさ。
私には私だけの、専用の椅子が用意されているのです。
誰にも触られないように。
誰のことも触らないように。
でもね、寂しくは無いみたい。
「ほら、リグレッタ。早くしないと母さんの朝食が冷めちまうだろ」
「そんなに慌てなくても、冷めたらまた温めてあげるから大丈夫よ」
「それは甘やかしすぎだぞソラリス」
「そういうイージスこそ、厳しすぎじゃない?」
「そんなことで喧嘩しないでよね、二人とも」
賑やかな食卓って、良いよね。
そんな食卓に私が腰を下ろした時。
まるでタイミングを見計らったかのように、ベルザークさんがコップを掲げながら立ち上がりました。
「それでは皆様。今日、この日をリグレッタ様と共に過ごせることを祝して」
「おいちょっと待て、なんでテメェが仕切ってんだよ」
「そうですわ! 仕切るならキルストンが適任です」
「いやいや、絶対キルストンの方が向いてないっスよ!」
「んだと? やんのかカッツ!」
「おう、やってやるっスよ! もう1杯飲んで、真っ直ぐ歩けた方が勝ちっスからね!」
そう言って、二人は手にしてた大きなジョッキを煽り始めたよ。
もしかして、朝からお酒を飲んでるのかな?
「賑やかでいいじゃねぇか」
ぽつりと呟いたイージス父さんが、ソラリス母さんの満面の笑みを目にして咳ばらいをしたよ。
「ま、まぁ、程々にして欲しいよな」
「そうですね」
あはは。なんだか、相変わらずって感じだね。
そんな二人を見てたら、不意に私達の席に近づいてくる人影が居ました。
「解放者」
「あ、クイトさん。どうしたの?」
「お願いがある」
身体のラインが分かる真っ黒い服に身を包んだクイトさん。
そんな彼女からのお願いって……ちょっと身構えちゃうよね。
前みたいに、突然触れて来ようとしたらどうしよう。
でも、私の心配は無駄に終わったのです。
無駄で良かったけど。
「おかわり」
「あ、おかわりだね。えっと」
「はいはい~。おかわりね。持ってきてくれなくても、お皿に言えば勝手に動いてくれるわよ?」
「そう」
相変わらずの短い相槌。
そんな彼女はソラリス母さんがスープのおかわりを注いでるのをじっと見つめてるよ。
すると、慌てた様子のファムロス監視長がやって来ました。
「何やってるんだクイト! 申し訳ありません、こいつ、本当に聞き分けが悪くてですね」
「? 聞き分けならちゃんとできる」
「その回答してる時点で出来てねぇよ!」
「ふふふ。まぁまぁ、おかわりを注ぐだけですから、大丈夫ですよ」
スープを注ぎ終えたソラリス母さんがテーブルに皿を置くと、クイトさんがすぐに手に取りました。
「ありがと」
「ありがとうございます、だろうが! 本当にもう、申し訳ありません」
そう言って、ファムロスさん達は頭をペコペコ下げながら行っちゃった。
全員に朝食が行き渡り、賑やかな時間が過ぎて行きます。
その光景は、すごく不思議なものだよね。
きっと、現実じゃ難しいんじゃないかな。
なんて考えてたら、食事を終えたハナちゃんがフレイ君と一緒に近づいて来たよ。
「リッタ! 一緒に川で水遊びしよ!」
「おぉ~。それは面白そうだねぇ」
「今回こそは俺達が勝つからな!」
「出来るかなぁ?」
「できるさ、なぁハナ!」
「うん! できるもん!」
自信満々に答えるハナちゃんとフレイ君。
可愛いね。
でも、やっぱり私には勝てないと思うよ。
だって、夢の中のハナちゃんは解放者じゃないんだし……。
そんな考えが頭を過って、私はふと、1つの質問をハナちゃんに投げかけたくなっちゃった。
聞いても良いのかな?
ここは夢の中だし、良いよね?
きっと、私が望んでる答えが返ってくるだけだから。
現実で、ハナちゃん達が私を助けてくれるまでの、ほんの少しの暇つぶし。
心地の良い、夢という名の暇つぶし。
「ねぇハナちゃん」
軽い気持ちでそう切り出した私は、思いもよらない答を聞くことになるのでした。
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