第173話 死の水槽
ドサッという鈍い音が、きっかけだったんだよ。
ネリネの作業部屋で万能薬の小鳥さんを作ってた私は、その音の方を咄嗟に見たの。
そしたらね、さっきまで万能薬を運んでくれてたバケツさんが、床に転がってたんだ。
よくよく聞けば、部屋の外から皆の驚いたような声が聞こえてきました。
何かが起きたんだ。
そう思うと同時に、私は胸騒ぎを覚えたのです。
この感覚、前にも感じたことがあるよ。
「……リッタ?」
試しにバケツさんを凝視して見ると、リッタの魂がうっすらと消えかかってるように見えたのです。
居てもたってもいられなくなった私は、勢いよく扉を開け放ちました。
バケツで万能薬を運んでくれてた盗賊団の皆が、驚いた顔でこっちを見てるよ。
取り敢えず、扉の前に誰も居なくて良かった。
うっかり触っちゃったら、マズいもんね。
「テラスに向かうから! 通して!!」
私がそう叫ぶと同時に、皆が一斉に道を空けてくれます。
そうして出来た道を、私は急いで駆け抜けて、テラスへと向かいました。
リッタの状況を確認するために。
テラスに出た私はオーデュ・スルスの街の様子に、少しの間絶句しちゃったんだよ。
あれは何?
あんな大きなの、過去の記憶でも懐古の器でも見たことがないよ。
でっかくて細長い水の龍が、オーデュ・スルスを見下ろしてる。
もしかして、あれがプルウェアって神様なのかな?
それじゃあリッタは、あの水の神様に……?
「どうなってるの!? 急に箒が動かなくなったんだけど! リグレッタは無事なのよね!?」
「落ち着いてください、ハリエット様」
「でもっ!」
「ハリー、カルミア隊長の言う通りだ、今は落ち着こう」
「落ち着けって言ったって、あんなのを見て落ち着ける人間なんかいないっスよ」
遅れてテラスにやって来た皆も、同じようにびっくりしてるみたい。
そんな皆をかき分けて、私の傍まで歩いて来たおいたんが空の龍を見上げながら呟きました。
「マズい状況ですね。ハナちゃん、リグレッタ様の様子は分からないですか?」
「遠すぎて見えないよ。でも、危ない目に合ってると思う」
「そうですか……では、どうしますか?」
「助けにいく!」
そんな当たり前のこと、聞かないでよ。
そう言おうとしたら、階段から三人の足音が聞こえて来たんだよ。
「助けに行くのはやめた方が良い」
「キルストン……やっと部屋から出てくる気になったようですね」
「あれだけ騒ぎ立てていれば、仕方が無いというモノですわ。それに、巻き添えを喰らうのは避けたいのです」
キルストンを睨むカルミアさんに返事をしたシルビアさんは、引き連れて来ていたデシレさんをテラスの中央に放り投げました。
投げられた彼は、小さく唸りながらも縛られた両手両足をもぞもぞと動かしてる。
「死神の術で動いてた奴らが軒並み止まったんだろ? その隙を突いて、この野郎が逃げ出そうとしてたんだ。テメェらは俺らに感謝するべきだぜ」
そっか!
リッタがロープでぐるぐる巻きにしてたけど、拘束が解けちゃったんだ。
「キルストンさん、シルビアさん、ありがとう」
「……あ?」
「ハナちゃん、偉いけど、今はちょっと違うわよ」
え?
違うの?
たぶんリッタならお礼したと思うけど。
ハリエットお姉ちゃんは苦笑いしてるね。
「で、そんなことを伝えにここまで来たのか?」
おいたんもハリエットちゃんに賛成なのかな?
ピリピリモードの顔で、キルストンさんを睨み付けてる。
「んなわけねぇだろ。こいつを縛ってる間に、きな臭い話を聞いた。今、あの街に近づくのはやめておけ」
「きな臭い話? それはどういう意味だい?」
「このまま突っ込んで行ったら、全滅するという話よ」
ホリー君の質問に、シルビアさんが簡単に答えました。
全滅。
それはつまり、あのでっかい龍には敵わないってコトかな?
「もったいぶらずに説明しろ。今、我々はゆっくりと話を聞くだけの良心を持ち合わせていない」
「せっかちな男ですこと。キルストンとは大違いですわね」
おいたんを馬鹿にしたように笑ったシルビアさんは、すぐに話を続けました。
「この男は、あの龍をティアマトだと言っているわ」
「あれがティアマト? 風の台地の懐古の器で見た奴と全然違うけど」
「その当時から今まで、どれだけの時間が流れたと思っているのかしら、坊や?」
「くっ」
「そんなに悔しがること? 兄さん」
「うるさいなっ! つまり、プルウェア聖教は長い年月をかけてティアマトを強化したというコトかい?」
「その通り。良く分かったわねぇ、坊や」
「ボクを坊やって呼ぶな!」
怒りだしたホリー君を、カルミアさんが宥めてる。
それよりも、ティアマトの話を聞かなくちゃだね。
「強くなったってこと? どんなふうに?」
「なんでも、対死神の切り札として扱われていたそうよ」
「切り札……」
リッタの弱点を知ってるってこと?
ううん。違うね。
プルウェア聖教は初めからリッタの弱点を知ってたじゃん。
「やっぱり、リッタは眠らされてるってこと?」
「あ、もしかしてそれで箒たちが動かなくなっちゃったの!?」
「なるほど、ってことは、慟哭の岬の時と同じ状況ってことっスね。それならなんとかなるんじゃないっスか?」
「まだ状況を理解できてねぇんだな」
キルストンさんの言葉に、顔をしかめたカッツさん。
でも、彼の事なんか完全に無視したキルストンさんは、転がってるデシレさんの背中に馬乗りになって、その首元にナイフを突き立てました。
「言え。何を言えばいいか、理解してるんだろ?」
「ぐ……あのティアマトは、一日もしないうちにオーデュ・スルスの街を巨大な水槽に変えてしまうだろう」
「水槽に変えるって、もしかして、街の中を水で満たすつもりっ!?」
「それもただの水槽じゃありませんわ。人を眠りに誘う水で満たされた、死の水槽よ」
死の水槽。
その例えは大げさでもなんでもないよね。
だって、水の中で寝ちゃったら誰だって死んじゃうでしょ?
リッタ、大丈夫かな?
そんな心配が、お腹と胸の間くらいで、渦巻き始めるのを感じました。
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