第154話 天然の罠
「水誘器? ただのガラス球にしか見えないっスけどね」
「いや、これはきっと中の液体に意味があるんだとボクは思います。違いますか?」
「正解ですわ」
そう言ったシルビアさんは、おもむろに水誘器を足元に置きました。
するとどうでしょう。
置かれた途端に、水誘器が転がり始めたのです。
「おぉ! 転がってるよ! リッタ!」
「ホントだね!」
「ただこのテラスが傾いてるだけじゃないっスか?」
「ちょっとカッツさん!? それってつまり、私の作ったテラスが不出来って言いたいの!?」
「そう言うわけじゃないっスけど」
「リグレッタ様、このネリネはそもそもサラマンダーの背中の上に乗っているのですから、多少傾いていてもおかしくはないはずです」
「そう! 俺もそれが言いたかったっス!!」
ホントかなぁ~。
カッツさんって、失礼なことをポロッと言っちゃうところあるから、疑っちゃうよね。
釈然としない私は、シルビアさんの言葉を聞いて一旦気持ちを切り替えることにしました。
「残念ながら、傾きによるものではありませんわ」
「そうなの?」
「えぇ。仮にここが急な坂道だったとしても、この水誘器は今と同じ方向に転がり続けるのです」
「ホント!? ねぇ、それって見れるの?」
「別に見せても構いませんが……おそらく、後ほど嫌になるくらい見続けることになりますわよ?」
嫌になるくらい見続ける?
それはやっぱり、この水誘器を使って霧の森を進むって意味だよね?
いまいち、使い道が分かんないけど。
「それで? これが何の役に立つんスか?」
「……なるほど、そういうことか」
カッツさんとホリー君がそう告げたのは、ほぼ同時のこと。
でも、二人の視線は全然別の方角に注がれていたのです。
質問をしたカッツさんの視線は当然、シルビアさんに向けられてるね。
対するホリー君は、テラスの外の方、もっと具体的に言えば池のある方を見てるみたい。
「ホリー兄さま?」
「水誘器……水に誘う。言葉通りではあるけど、でも、その原理はどうなってるんだろう?」
「兄さま!」
「え? あぁ、ごめん。えっと、今の話からすると水誘器は池の方向に向かって進んでるってことかな?」
「察しの良い少年ですわね。ですが、半分ハズレですわ。この地帯において、水の集まっている場所に、池が出来ているのですから」
ん?
シルビアさんったら、何を言ってるのかな?
水が集まってるところに池が出来るなんて、そんなの当たり前じゃん。
ほら、ホリー君だって呆れたような顔してるよ。
「なんですの? そんなにアタシの話が信じられないのでしたら、今一度池の水面を確認してごらんなさいな」
「水面を?」
そんなことを言われちゃったら、気になっちゃうよね。
すぐにテラスの端に向かった私達は、霧で見えづらい池を凝視してみたよ。
そうして数秒くらい見てた頃かな、不意にホリー君が呟いたのです。
「嘘だろ? 水面が膨らんでる? これじゃまるで、大きな水滴じゃないか」
言われてみれば、池の真ん中あたりの方が水面が高いね。
って言うか、確実に高いね!
気付いちゃったらものすごく気になるくらい、水面が盛り上がってるよ!
「どうなってるの!?」
「不思議な光景だわ」
「あの大量の水が、突然こっちに溢れ出してきたりしないっスよね?」
「カッツ、そんな恐ろしいことを言うな。本当にそうなったらどうするつもりだ」
顔を引きつらせてるカルミアさんだけど、そんなに怖がる必要は無いよね。
ネリネのなかに居ればきっと大丈夫だし、最悪の場合、私がなんとか出来ると思うのです。
「この森には、同じような池が無数にあります。そして、周囲には霧が充満している。これが何を意味しているか分かりますか?」
池の正体に驚いてる私達の背中に、シルビアさんがそんな問いかけを投げて来たよ。
この不思議な池と霧に何か関係があるのかな?
「霧は、なぜ池に吸い込まれないのかしら?」
思いついたように呟くハリエットちゃん。
直後、ホリー君がハッと息を呑んでシルビアさんを見たのです。
「水滴が大きくなるほど、誘う力が大きくなる? そして、霧を浴び続けると服や髪が濡れて、知らぬ間に人も池に吸い寄せられてゆく……そういうことですか?」
「まぁ、簡単に言うとそういうことになりますわね」
そっか、だから私達は気が付いたら池の付近に迷い込んでたんだね。
ネリネがまっすぐ進めなかったのも、サラマンダーのお腹に生活用の水を大量に溜め込んでたから、池の方に強く引っ張られたってワケなのでしょう。
「つまり、この池は天然の罠というわけですか」
「いいえ。そうではありませんわ」
腕組みして納得して見せるベルザークさんの言葉を、シルビアさんは簡単に否定しちゃったよ。
「このような現象は、通常起こり得ないものですわ。それは皆さんもよくご存じでしょう?」
「確かに。どんな書物でもこんな不思議な現象は載って無かったよ」
「それは当然です。なにせこの現象を利用して、プルウェア聖教国は敵の侵入を妨げていたのですから」
そう言ったシルビアさんは、明らかにベルザークさんの方を見ました。
対するベルザークさんはというと、唇を固く結んで仏頂面してるね。
バチバチと視線を交わす二人。
そんな二人のことを気にせずに、ホリー君が考え込みながら告げるのです。
ホント、勇気があるよね。
もしくは、空気が読めないのかな?
「まだ分かってないことがあるんだ。そもそもどうして、水が引き寄せられてるんだ? これももしかして、プルウェア聖教国が使ってるっていう魔術に関係してるとか?」
「それについてはアタシも明確には知りませんが、これだけは言えるとするならば―――」
そこで言葉を切ったシルビアさんは、私達を見渡しながら告げました。
「ここは水の主神プルウェアが治める土地。その土地において、水に関する奇跡は不可思議ではないのです。それを踏まえ、改めて言いましょう。アタシ達を連れてゆきなさい」
まるでこちらを吟味するような視線が、私達に注がれる。
きっと彼女はこう言いたいのでしょう。
水の主神と敵対することがどういう意味を持つのか、自覚しているのかと。
理解してなかった訳じゃないけど、確かに甘く考えてたのかもしれないね。
シルビアさんの言う通り、ここはもうプルウェア聖教国の土地なんだ。
私たちの知らないことが起きても、不思議じゃないのです。
そんな私の気づきを証明するように、隣に立ってたハナちゃんが耳をピクつかせました。
「何かくるよ!」
「チッ」
ハナちゃんが反応すると同時に、キルストンさんが舌打ちをします。
すぐに自分たちが来た方を見据える彼の視線に釣られて、そちらを凝視していた私は、霧の中を蠢く大きな影を目にしました。
大きさはネリネと同じくらいかな。
動きはのんびりしてるみたい。
だけど、油断はいけないよね。
だって、キルストンさんとシルビアさんが冷汗を流してるくらいだし。
「早いですわね。まさか、もう来るなんて」
「こっちもデカブツだから、見逃してはくれねぇだろうなぁ。むしろ、ご馳走に見えてるんだろうなぁ。ったく、面倒くせぇ」
「二人とも! あの大きなのが何か知ってるの!?」
「あれは、蜃ですわ」
「蜃?」
聞いたことのない名前だね。
どんな姿をしてるんだろう。
テラスから身を乗り出すようにして蜃を凝視してた私は、少しずつ見えて来たその珍妙な姿に言葉を失ったのです。
代わりに、カッツさんが呟きました。
「でっかいヤドカリじゃねぇか」
え?
ヤドカリってあんな感じだったっけ?
たしかに、鋏を持ってたり大きな巻貝を背負ってるけど。
背負ってる巻貝に、大量のハマグリがくっついてるヤドカリなんて、見たことないよ?
更に驚くことに、その大量のハマグリが口を開けたかと思うと、濃い霧を吐きだしたのでした。
「まさか、こいつが!」
「そうですわ! これがこの森を霧で覆ってる元凶! 見た目に寄らず狂暴ですので! ご注意を!」
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