第123話 大人の務め
『お父さん!! 行ってらっしゃい!』
娘の弾けるような笑顔と、妻の柔らかな微笑み。
あまり裕福でない家庭ではありましたが、2人のおかげで私は頑張れていたのです。
懐かしい光景ですね。
ですが、どこか見慣れている光景にも思えてしまいます。
何故でしょうか。
きっと、リグレッタ様とハナちゃんと過ごした日々が、私を錯覚させたに違いありませんね。
彼女達との暮らしは、妻や娘たちとの暮らしと同じくらい、私の心に平穏をもたらしてくれました。
だからこそ、私は強い焦りを胸の内に抱いてしまうのでしょう。
懐かしさを感じる光景。
その光景こそが、妻や娘と話した、最期の瞬間だったのですから。
鼻を突く焼け焦げた臭い。
悲鳴と怒号に溢れた瓦礫の街。
それらに蓋をするような、曇り空。
今までに、何度も何度も目にしてきたその光景は、未だに私を狂わせるのです。
もがき苦しむように顔を歪めている肉の塊たち。
そこに、あってはならないはずの顔が、埋もれていて。
弾けるような笑顔も、柔らかい微笑みも。
今となっては、夢の中でしか見る事の許されないものになってしまったのです。
そうして、気が付けば私は戦場に居て、見知らぬ男を斬り伏せていました。
赤い飛沫と低い呻き、そして吐き気を催す血の臭気。
ローザという名を呟き、事切れていく男を目の前に。
私は悟るのです。
もはや、私に残されている道が、血にまみれた惨たらしいものしかないのだ。
斬り伏せている私の姿こそが。
事切れる男の姿こそが。
この先に待っている、唯一の未来なのでしょう。
誰にも止めることはできやしません。
きっと。そうです。きっと。
分かっているからこそ、分かっていたからこそ。
私は更に狂ってゆく。
呼吸が苦しい。胸も熱くなってきましたね。
あぁ、そうか。
私はまた、正気を失っているのですね。
リグレッタ様を、ハナちゃんを、守らなくてはならないのに。
いいや、守るために、私が狂えばいいのでしょうか?
もういっそのこと、何も考えずに暴れまわることが出来たなら。
それが一番、楽だったのかもしれませんね。
『ベルザーク様!!』
おかしいですね。
夢はもう、終わりのはず。
この先に待っているのは、救いのない未来だけ。
そんな場所に、こんな可憐な声が響くはずは……。
『ベルザーク様!! しっかりなさってください!!』
悲鳴でもない。怒号でもない。
もしかしてこれは、夢の外から?
だが、私のことをそう呼ぶ人なんて……。
「ベルザーク様!!」
「……アイナ?」
二度と会えないと思っていた妻の名を、呟いてしまった。
心なしか、私を覗き込んできている彼女の顔が、曇ったように見える。
「ベルザーク様!! ハリエットですわ!! まだ寝ぼけているのですよね?」
「失礼しました。目も耳も、ボヤケてしまっていたもので」
「そ、そうですか。色々と伺いたいことはありますが、取り敢えず、気が付いたようで安心しました」
綺麗な髪をいじりながらその場を取り繕おうとするハリエット。
ベッドの傍に腰かけているということは、恐らく、私の介抱をしてくれていたのでしょう。
よくよく見れば、私は全身をベッドに縛り付けられているので、かなり迷惑をかけてしまったようですね。
間違っても、ハリエット様が私を縛り付けた、なんてことはないでしょうから。
「この拘束も外して大丈夫ですわね」
「ありがとうございます」
たどたどしく拘束を解いて行くハリエット。
なんとなく、そんな彼女の手元を眺めていると、なぜか彼女は手を止めました。
「あ、あの、ベルザーク様」
「はい? なんでしょうか」
「あまりジーッと見つめないでくださいませ」
「これは失礼。綺麗な手だと思い、つい眺めてしまっていました」
嘘ではない。
きっと、縛られてる人の拘束を解いたりすることに慣れていないような、綺麗な手。
そう見えたのですから。
などと、心の中でどうでも良い言い訳をしていると、ハリエット様が声を掛けてきました。
「あの、ベルザーク様。私、少し伺いたいことがあるのですが」
「私にですか?」
「はい」
「構いませんよ」
特に拒否する必要性も感じないので、ここは了承しましょう。
すると彼女は、一度部屋の中を見渡した後、ぽつぽつと話し始めたのです。
「ベルザーク様は……いいえ、フランメ民国の皆さまは、どうやって強くあり続けているのですか?」
「えっと、強く、というのは何を指して言っているのですか?」
「それは……そうですね、順を追って説明します」
順を追うほどの話しがあるのですね。
もっと軽い話かと思っていました。
「私は、兄さま達のためになると思って、いまここに居ます」
「ほう。それはどういう意味で?」
「ペンドルトン兄さまもホルバートン兄さまも、国の中の事ばかり気にしているので、私は外の世界に目を向けて、将来のブッシュ王国にとっての懸け橋になりたいと思っていましたの」
「なるほど」
「そうすれば、国の発展につながるのだと、考えていましたから」
それで彼女は、ファッションや身だしなみに気を配るだけでなく、積極的に城の外に出ていたのでしょうか。
城内での評価は、お転婆娘という感じでしたからね。
ですが確かに、街の人々が彼女に抱く印象は、それとはまったく違かったようにも思えます。
強かな面もありますし、商人などに向いているのかもしれませんね。
「ですが、風の台地で私は自分の考えを改める必要性を感じたのです」
「それはどうして?」
「あれだけ反映していたプロス・ペリテが、一夜にして崩壊してしまったのです。当然ではありませんか?」
「なるほど」
「私……世界のことを知りたいと思いながら、何も知っていませんでした。ブッシュ王国は、それほど強い国ではないのですね。だからこそ、プルウェア聖教国から相手にされていない。潰されていない。そうではありませんか?」
まだ若い子供とも言える彼女が、ここまで理解しているとは。
正直に言えば、驚きですね。
彼女の言う通り、ブッシュ王国があり続けられるのは、神樹ハーベストがプルウェア聖教を食い止めているからに他ならないでしょう。
「だからお父様は、死神の森に兵を派遣したのですね……いまなら分かります。リグレッタと親交を深めることで、力を手に入れようとした。彼女を利用していると言われても、返す言葉もありません」
「そうですね」
目を伏せながら告げる彼女に、私はそれだけしか反応できなかった。
確かに私は、いつかの会合で、ブッシュ国王に対してそれを咎めたことがある。
だが、そんな権利は、私には無い。
なぜなら、あの時の私の発言は、湧き出す焦りによるものだったのだから。
「だからこそ伺いたいのです! プルウェア聖教国と戦い続けて来たフランメ民国の皆さんは―――ベルザーク様は、どうやってその強さを手に入れたのですか?」
あまりに真っ直ぐで、あまりに真剣なその表情。
感心する点が多々あるとはいえ、やはり彼女はまだ、子供なのですね。
いつもなら、適当にはぐらかしてしまう所でしょう。
ですが、なぜでしょう。
そんなことが出来るような気分になれないのです。
先ほど、名前を間違えてしまったお詫び?
それもありますが、もっと大きな理由があることに、私は気づいてしまいました。
現在を生きている子供に、こっちに来るなと言ってあげるのも、大人の務めというモノですよね。
血塗られた道を、歩く必要は無い。
彼女の先には、まだまだ広い道が残されているのですから。
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