第108話 懐古の器:一房の白③
目を醒ました時、俺が真っ先に見たのは、遠くに見える青空。
でもそれは、すごく狭い空だった。
それもそのはずだ。
視界の殆どを、俺を中心とするようなデカい渦が遮ってるんだから。
「どうなってんだっ!?」
『イージスさん!? 目が醒めたの!? ソラリス! ソラリスを呼んで!!』
「うおっ、リンか。ビックリした。これってどういう状況なんだ?」
『イージスさん! 良いから早くソラリスを呼んで!!』
「わ、分かったよ」
取り敢えず上半身を起こして、両手を口に添えながら彼女を呼んでみよう。
「ソラリス!! 俺だ! イージスだ! これってどういう状況なんだ!?」
渦巻く大量の水に声を掛けてもしょうがないから、頭上に叫ぶべきだよな?
それでも、ちゃんと聞こえてるのだろうか?
ここは海底みたいだから、海面まではかなり距離がある。
聞こえてなくてもおかしくないよな。
そんなことを考えてると、頭上の空を幾つもの影が通り過ぎて行く。
焦った……。
敵が飛んで来たのかと思ったぜ。
それにしても、ソラリスからの返事がないな。
「ソラリス!! 聞こえてないのか!?」
もう一度叫びながら辺りを見渡してみるけど、やっぱり返事はない。
ん?
あれ?
なんか今、水面に白いのが映ったような?
「ソラリス?」
「イージス!!」
目を凝らしながら、渦の壁に歩み寄ろうとしたその瞬間、頭上から彼女の声が響いて来る。
真っ直ぐ急降下してくる彼女は、両手を大きく広げたまま俺を抱きしめようとしてるようだ。
抱きしめようとしてる!?
「ソラリス!?」
咄嗟に飛び退こうとするが、彼女の速度に敵うわけないよな。
あっけなく、彼女の強い抱擁を受け止めた俺。
あぁ……まぁ、こうやって死ねるなら、悪くないか。
「イージス!!」
「あぁ……幸せな人生だったぜ」
「イージス! 大丈夫ですよ!!」
「そうだな、こうやって抱きしめられて死ねるなら、俺は本望だ。きっと天国に行けるよな?」
「恥ずかしいこと言ってないで、現実に戻って来て下さい!」
バシッって、両方の頬を叩かれたぜ。
ん?
あれ?
「ソラリス? え? 俺、触られてる?」
「そうです! 触れてます!! 私たち、触れ合ってるんですよ!!」
どういうこと?
そう言えば俺、目を醒ます前にソラリスに触っちゃったような……。
それで、死んだと思ったのに。
なんで生きてんの?
「混乱、してますか?」
「当たり前だろっ!? どうなってるんだ!? なんで俺は無事なんだ!?」
『無事じゃなかったよ』
「リンちゃんの言う通り、イージスは1回死んじゃいました」
「あ、そうなの? 1回死んだんだね。って、なんの説明にもなってないよな!」
「ごめんなさい。でも、今はちょっと説明してる時間がないかも」
そう言ったソラリスは、しきりに頭上を気にし始めた。
何だ?
まだ何かあるのか?
釣られるように頭上を見上げた俺は、渦の縁に沢山の船が入り込んできている様子を目にする。
「ちょっと荒っぽいけど、海の中を突っ切ります!」
「は? なっ!? ちょっと待てぇ!!」
有無を言わさずに俺に抱き着いたソラリス。
一瞬だけ俺と視線を合わせた彼女は、慌てたように目を逸らして、告げる。
「揺れるから!! イージスも私にしっかり抱きついて!」
「えっ!?」
「早く!!」
「っ!!」
軋む音を立てて渦の中を降りて来る船団。
そんな船から飛び降りてくる沢山の魔物を目にした俺は、慌てて彼女に抱き着いた。
直後、ソラリスが展開した風の道で、その場を離脱する。
そうして俺達が放り出されたのは、見覚えのある砂浜。
どうやら、岬の先端に飛んで来たみたいだ。
「逃げれたのか?」
「まだだよ! 急いで逃げなくちゃ!」
そう言うソラリスは、急いで立ち上がり砂浜を歩き始めてしまう。
そんな彼女について行こうと、両手で体を起こそうとしたその時。
俺は、足元の水面に映る自身の顔を目にしてしまったんだ。
顔じゃないな。
髪の毛、だな。
「白……」
「……気づいちゃった?」
ふと聞こえて来たソラリスの声に視線を上げると、どこか申し訳なさそうな表情でこちらを見てる。
「私も良く分かって無いから、治し方とかも分からなくて。生きててくれてるのは、すごくうれしいんだよ? でも、でもね……いや、でしょ? 嫌だよね」
「ははは。なるほどな。それで、触られても無事なんだな」
白くなった髪の毛。
長さも伸びてる気がするな。
「嫌なワケないだろ? 綺麗な髪なんだから」
何か言いたげな顔のソラリス。
でも、彼女の言葉は別の声に遮られたんだ。
「お前のせいで……お前のせいでっ!!」
「なんだ!?」
背後の海から聞こえて来たその声は、間違いない、あの人魚の声だ。
でも、明らかに様子がおかしい。
もしかして、混乱してた俺がキスしちゃったこと、怒ってるのか?
憶えてる最後の記憶に焦りつつ、俺は人魚に向き合う。
……人魚、なんだよな?
振り返った俺は、惨たらしい姿になってしまった人魚を見て、絶句してしまった。
「な、何が起きたんだ?」
「プルウェアです」
「え?」
「プルウェアが怒ってたから、きっと、責任を追及されたんだと思います」
だからって、身体が溶けてしまうような状態までするのか?
末恐ろしい話だぜ。
ってか、え?
プルウェアが怒ってた?
もしかして、ここにプルウェアが来たのか?
「さぁ、イージス。行きましょう。早く行かないと、他の追手がここまで来てしまいますよ」
色々聞きたいけど、彼女の言う通り急いだ方が良さそうだ。
「そうだな。でも、ちょっとだけ待ってくれないか?」
「急いでくださいね」
怪訝そうに見て来るソラリスを待たせるわけにはいかないよな。
でも、これだけはやっておきたいんだ。
落ちてた剣を拾い上げ、伸びた髪の毛を束ねた俺は、迷うことなく切り落とす。
「えっ!? イージス?」
「ふぅ、やっぱり髪は短い方が落ち付くぜ」
綺麗な白色は気に入ってるけど、長髪には慣れないんだよなぁ。
それに、この髪の毛には使い道があるはずだし。
「ほらソラリス。この髪の毛をいつもみたいに囮に使ってくれよ」
「……なるほど、そうですね」
「どうせなら、この辺の海にまき散らしてやろうぜ。そうすれば、奴らも俺達が海のどこかに隠れてるって思うんじゃないか?」
「それはさすがに舐めすぎですけど、かく乱くらいは出来ると思います」
そう言うソラリスに、俺は切った髪を1房手渡した。
こうして手渡すことが出来る日が来るなんて、感慨深いなぁ。
小さな手を優しく握りながら、そんなことを考える俺。
すかさず、ソラリスが少しだけ微笑みながら告げるのだった。
「なんだか嬉しそうですね」
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