第107話 懐古の器:一房の白②
「こうして、月を眺めながらお話するのは初めてですね」
「そうだな。なんなら、海を見ながら話をするのも初めてだぜ」
「そうですね」
「海、ずっと見たかったんだろ?」
「はい」
「実際に見てみた感想は、どんな感じだ?」
「……思っていたよりも、暗くて深いです」
「あぁ、まぁ確かに。夜だから仕方ないかもだな」
「そうですね、仕方ないですね」
「でもほら、あのデッカイ渦と波の音のおかげで、賑やかではあるよな」
「ふふふ。少し賑やかすぎる気もしますけど」
「そうなのか?」
「えぇ。そうです。これだけ賑やかだと……」
「賑やかだと、なんだよ?」
「いえ、なんでもありません」
「そっか」
くっそ、どうやって話せばいいんだ!?
切り出し方が分かんねぇよ。
「な、なぁ、ソラリス」
「はい。なんですか?」
「俺さ、やっぱり……」
「止めてください」
「そ、ソラリス?」
「喧嘩したままお別れなんて、したくないから」
彼女は、俺が言おうとしてることを分かってるのか?
分かってくれてるのは嬉しいけど、複雑だな。
そんな俺の心情など知らぬまま、彼女は遠くを眺めながら告げる。
「あの月のように、綺麗なまま残していたいの」
「……ソラリス」
「だから、ね」
そう呟いたソラリスは、手元の砂に右手の指を絡めた。
直後、彼女の手を模した砂が、俺の左手に絡んでくる。
「私、貴方に出会えて本当に良かったと思ってます」
「俺だって! 同じだよ」
薄っすらと笑みを浮かべたソラリスは、そのままゆっくりと立ち上がった。
「リンちゃん。イージスのこと、よろしくお願いね」
『ホントに行っちゃうの?』
「うん。リンちゃんのこと、なんとかしてあげられなくてゴメンね」
『私のことはいいよ。それより』
「ソラリス……」
「うん」
小さく頷くソラリスを前に、俺は口を噤んでしまう。
良いのか?
このまま彼女を行かせても良いのか?
いや、良くないだろ。
迷いを消せ。
俺はさっき、決意したんだろ。
「俺さ。やっぱり、ソラリスとずっと一緒に居たいんだ」
「……」
一瞬で彼女の表情が曇る。
でも、あふれ出して来る言葉を止める事なんて、もう出来るわけない。
「手も繋いでみたかったし、肩を並べて歩きたかったし、一緒に添い寝とかもしてみたかったし、あと、その、キ、キスとかも……してみたかった!」
「イ、イ、イージス!? な、な、何を言ってるの!?」
「真っ赤になって、可愛いじゃないか」
「んなっ‥…」
ここまで来たらヤケクソだ。
全部ぶちまけるまで、ソラリスには聞いてもらわなくちゃだよな。
「ほんとに……もうっ。イージスはずっとそうですよね。いつもいつも、私の心を引っ掻き回して」
「それはお互い様だぜ。これが最期の挨拶だなんて言うから。それならもう、容赦も遠慮も、する必要ないだろ?」
「それは、そうですけど」
「俺はソラリスのことを好きになっちまったんだ。だから、ずっと一緒に居たい。傍にいたいんだ。もし、今日が別れの日だって言うなら、キミの唇で命を奪ってほしい」
「いくらなんでもぶちまけすぎじゃないですか!?」
「そりゃそうだ! 俺はもう、命を預ける覚悟を決めて来たんだからなっ!」
渦の轟音も、波の音も。
かき消してしまうくらいの声で、俺達は叫び合う。
一瞬の静寂が訪れて、なんとなく俺達の間に良い感じの雰囲気が流れる。
その時。
微かな歌声が聞こえて来た。
それと同時に、目の前で赤面していたはずのソラリスが、急に意識を失った。
「なっ! 刺客かっ!?」
ソラリスが砂浜に横たわっている様子を確認しつつ、俺は周囲を警戒する。
「お取込み中にごめんなさいねぇ」
「誰だ!?」
そう言いながら海から姿を現したのは……人魚かっ!?
「って、ちょ、上着くらい着てくれよっ」
「可愛い反応するじゃない。まぁ、そんなことはさておき。ねぇ坊や。どうして動けるのかしら? あなたも含めて、眠りに落とすつもりだったのよ?」
「そんなこと、俺に聞かれても知らねぇよ!」
「まぁ良いわ。早速だけど、死神を貰って行くわね」
やっぱり、プルウェアの刺客だな。
くそっ。
なんとかしてソラリスを起こさないと。
彼女が寝たのは十中八九、人魚の唄が原因だよな。
人を惑わせ、眠りに誘うという唄。
それを止めないことには、逃げることさえできやしない。
でも、それは人魚も理解してるよな。
誰もソラリスに触れることはできないワケだし。
「いい加減にその唄、止めてもらえないか?」
そんな俺の要望に、ニヤケて応えて見せる人魚。
唄うことに集中して、返事さえしないつもりだな。
そうとなれば戦うしかない。
腰の剣を抜き取り、構えた俺は、勢いよく切りかかった。
だが、人魚は自身の尾を巧みに使い、俺の剣を弾いて見せる。
くそっ!
なんて怪力なんだよ!
やっぱり魔物には敵わないのか?
剣は弾き飛ばされ、砂浜に組み伏せられてしまう。
俺一人じゃ、全然ダメだな。
このまま俺は、人魚に喰われちまうのか。
そんなことなら、もっと早くソラリスに想いを告げとくべきだったな。
そうしたら、こんな終わり方じゃなく、彼女とキスできてたかもしれないのになぁ。
って、こんなときに何考えてんだ俺。
人魚の唄を目の前で聞かされてるから、さすがに眠りに落ちそうになってるのか?
なんか、頭がボンヤリしてきたぜ。
どうやれば、この唄を止められる?
そうだ、口を塞げば良いんじゃないか?
でも、腕は掴まれてるし。
なら、別の方法で……。
「っうぅぅ!?」
次に気が付いた時、俺は人魚とキスを交わしていた。
ち、違うぞ?
これは、頭がボンヤリしてた最中の出来事なんだ。
だから、望んでしたわけじゃない!
望んだわけじゃないんだぁっ!!
「なっ! 何をするのっ!?」
「うおっ!?」
人魚の怪力で、砂浜に投げ出された俺。
さすがの人魚も、俺とキスしたことに動揺してるみたいだな。
ははは。俺も動揺してるよ。
でもそのおかげで、唄が止んだ。
今の内だ。
なんとしてでも、ソラリスを起こすんだ!!
そう思った矢先、俺は左手の指先から、徐々に力が抜けていく感覚を覚えた。
なんだ!?
いつもなら零れ出してたであろう、そんな呟きさえも、言葉にならない。
「っや……ば」
絞り出せたのはそんな言葉だけ。
全身の力が一気に抜けていく。
そうして俺は、ソラリスの柔らかな胸元に倒れ込みながら、意識を失ったのだった。
いや、この場合。死んだって言った方が良いんだろうな。
面白いと思ったら、「ブックマーク」や「いいね」をよろしくお願いします。