第106話 懐古の器:一房の白①
切り立った崖の上から見えるのは、巨大な大渦。
近くに来るほど、ものすごい音が存在感を示してるぜ。
「着いたぞ、ソラリス」
「……そうですね」
「足、もう大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
「なら良かった」
ここに来るまでの道は、ホントに大変だったぜ。
でも、これでようやく目的地にたどり着いたんだ。
「大渦、綺麗だな」
「そうですね」
月明かりに照らされてるソラリスの横顔も、綺麗だけどな。
まぁ、そんなことを口に出すつもりは無いけど。
「で、ここに来て、何をするつもりだったんだ?」
「……ここで、全部を終わらせようと、思います」
「全部終わらせる? それはどういう意味だ?」
「もう、逃げるのを止めるという意味です」
「はぁ!?」
何気なく尋ねただけなのに、思いもよらない返事が返って来た。
冗談、とかじゃないよな?
俺じゃあるまいし、彼女がそんな冗談を言うわけがない。
「こ、ここまで逃げて来たのにか!?」
「そうですね。ここまで逃げて来て、思い知ったのです」
「思い知ったって……待てよ、確かにここまでの道のりは険しかったし、危なかったけど、それでもここまで来れたんじゃないか! それなら」
これから先だって、どこまでも逃げおおせる。
そう言おうとした俺を、ソラリスが遮った。
「この世界のどこにも、逃げ場などありません」
「でも!」
真っ直ぐに俺を見つめて来る彼女の瞳は、いつものように輝いてる。
そこに、曇りや迷いは一切無いように見えた。
「イージス。あなたとここまで来れたこと、その道中は、すごく楽しいものでした」
「だったら」
「だからこそ、私はあなたの傍にいたくありません」
「な……何を言って……」
「イージス。私は死神なのです。いつ、どんなきっかけで、あなたの命を奪ってしまうのか、分からないのです」
「それは……」
「だから、私はこのまま、あの大渦の底に沈んで眠りたいと思います」
大渦の底に沈んで眠る?
そんなの、死んでしまうことと何が違うんだよ!
俺は……ソラリスは、そんなことのためにここまで逃げて来たって言うのか?
「なんだよ、それ」
「そうでもしなければ、プルウェアは永遠に私を追いかけ続けるでしょうから」
水の主神プルウェア。
今こうして、俺達が逃亡生活を送ってる元凶。
そんな奴らに力を悪用されたくないから、逃げ出したんじゃないのか?
違うか。
悪用されたくないからこそ、ここを選んだのか。
海中に潜り込むことで、ソラリスはプルウェアの力を人質に取ることが出来るから。
今の今まで、プルウェア自身がソラリスを捕えに来ていないのが、良い証拠だよな。
「楽になりたいってことかよ」
「そうですね。楽になりたいのです」
くそっ。
なんで俺は、そんな言い方をしちまうんだ。
「イージス。ここまで、本当にありがとうございました」
「……」
「1時間後、下の砂浜にてお待ちしておきます」
俺のことを見透かしたように、ソラリスが言う。
なんて反応すれば良いのか、分からない。
悩む俺が、口を開こうとしたその瞬間。
ソラリスが小さく息を呑んで、口を開いた。
まるで、勇気を振り絞ろうとするように。
気のせいかと思ったけど、そうじゃないことに俺は気が付いた。
彼女が、少しだけ視線を落としたように見えたんだ。
「最期のお別れ、来てくれますよね?」
肯定も否定も、誤魔化しでさえ。
今の俺には選ぶことが出来ない。
選ぶ覚悟が、出来ていない。
「くそっ!!」
黙り込む俺に愛想をつかしたのかな。
ソラリスは俯いたまま岬の下の浜辺に降りて行った。
俺はホントに情けねぇ男だよ。
勇気を出したソラリスに、気の利いた言葉一つもかけてやれねぇんだからさ。
『仲直りしないとダメだよ』
「リン……分かってるさ」
崖っぷちに腰かける俺のことを、慰めてくれるのか?
リンはホントに優しい奴だ。
だから、色々と話したくなるんだよな。
「……仲直りして、そのままお別れするのか?」
『それは、いやだね』
「だろ? 俺だっていやだぜ」
『だったら、もっと一緒に逃げようって伝えようよ』
「それが出来たら……簡単なんだけどな」
『ずっと一緒にいたいんじゃないの?』
「そ、それは」
『違うの?』
「……いたいさ。ずっと一緒に居たいんだよっ!!」
『なら、決まりだねっ!』
「なにが決まりなんだ?」
『思ってること、全部伝えよう!!』
至極当然、思いついた疑問を投げかけた俺は、見事に返り討ちに合うのだ。
リンには敵わないなぁ。
「分かった。分かったよ! そうだよな。諦めちゃダメだよな。ありがと、リン」
『うん! いいんだよ!』
情けのない男。
そんな俺といて楽しかったと言ってくれたソラリスを、永遠に独りぼっちにするわけにはいかないよな。
よしっ!
覚悟を決めたぜ!
約束の時間。
ソラリスみたいに飛んで降りれない俺は、下の砂浜まで走った。
「イージス……来てくれてありがとうございます」
「当たり前だろ? ソラリスとの約束、ちゃんと守りたいからさ」
『私が説得したんだよ!』
「おぉい!? リン!?」
「ふふふ。いつもの調子が戻ったみたいで、安心しました」
口元を手で隠しながら笑うソラリス。
上品なその仕草、久しぶりに見た気がするぜ。
きっと、ソラリスも緊張してるんだな。
「それじゃあソラリス、ちょっと砂浜に腰でも下ろして、景色でも眺めながら話をしようぜ!」
「え? でも……」
「いいから! ほら! 座ってくれよ」
「……そうですね。でも、少しだけですよ?」
戸惑いながらも、少しだけ喜んでくれてるように見えるのは、気のせいか?
まぁどっちでもいいか。
俺は決めたんだからな。
全部伝える。
俺の思ってること、やりたいこと、願ってること。
だからさ、もう少しだけ雲が晴れてくれねぇかなぁ。
やっぱり、綺麗な満月の元で、伝えたいよな。
絶対にそっちの方が良いと思うんだよ。
そう思うのは、俺だけか?