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政府から依頼を受けた詩子は、鱗毛人と遭遇した一般人の情報を求めた。
動画撮影者から撮影場所を聞き出し、六体目の捜索の目安にするためだ。政府はこれを承諾し、警察や公安が徹底的に調査。たった二日で撮影者を特定する。
今詩子は洋介が運転する車に乗り、撮影者の家に向かっていた。
「岡島風太郎。三十九歳のフリーター……本人は動画投稿者を職業として名乗っているらしいです。都内のアパートで一人暮らしをしています」
それと撮影者についての情報も教わる。
助手席に寄り掛かりつつ、詩子は「へー」と声を出しながら相槌を打つ。
「自称ですか〜。夢を追うのは良い事ですが、実際のところ収益はあったのですか?」
「いいえ。鱗毛人の動画については収益化出来る再生数を得られたようですが、まだ振り込みはされていない状態です。おまけに今までに投稿した動画は三本だけ。前回投稿分は半年前、最初の投稿は一年半前となっています」
「うーん。投稿ペースは人それぞれですからとやかく言いませんし、今回の件で収益化出来た以上仕事にはなったのでしょうが、職業として名乗るのはどうなんですかね〜」
「教授でもそう思うのですか」
「ええ。そのような発想に至る思考に興味がありますね〜。一般から逸脱した思考は、だからこそ『一般』とは何かを浮かび上がらせてくれますから~」
「……成程」
他愛ない会話を交わしつつ、詩子は考え事も行う。
今まで動画投稿が収入になっていなかった上に、三十九歳のフリーター。『本業』の内容にもよるだろうが、金銭面での不安があった可能性は高い。しかし動画投稿で稼ごうと考えた割に、そのための努力をした形跡は(あくまでも投稿頻度からの憶測だが)見られない。ハッキリ言って、ネットで見た「楽に稼げる方法」に飛び付いたとしか詩子には思えなかった。加えて副業として動画投稿なんて方法を採用する辺り、目立ちたがり屋の傾向もあると見るべきか。
政府や自衛隊関係者の誰かが、鱗毛人の存在をバラしたのは間違いない。動画で鱗毛人と呼んでいるのだからそれは確かだ。目的は不明だが、金に困った中年男性、おまけに努力嫌いの目立ちたがり屋というのは、『使い捨て』の鉄砲玉とするにはうってつけだろう。
しかし、だとすれば彼には大事な情報は渡していない筈だ。仮に詩子が情報漏洩する側だったなら絶対直接会う事はしない。こんな軽薄そうな奴に情報を握らせたら、絶対端金でぺらぺらと余計な事を喋るに決まっている。口止め料を払っても「バレなきゃ良い」という浅い考えで約束を破る事が目に見えている。
「まぁ、私達のお仕事的な話をすれば、良い話は聞けそうにありませんね〜」
「同感です。ただ、鱗毛人と出会った場所は聞き出せるかと」
「ですね。それだけ分かればわたし的には十分ですし、総理もマイナス評価はしないでしょう」
鱗毛人に関する全ての情報を握っているという立場上、情報漏洩者探しも詩子の仕事内容に入っている。しかし総理大臣もまさかそこに大きな期待はしていまい。そういうのは公安や警察の仕事である。
詩子はあくまでも科学者。鱗毛人について調べ、その事実を明らかにする事が本業だ。今回は六体目の居場所が分かれば、目的を達成したと言える。
それと個人的な興味であり、またあくまでも推測であるが、目立ちたがり屋で努力嫌いな上に思慮の浅い人間の思考というのは是非知りたい。大学教授という立場もあって、そういった人物とはあまり交流がなかったもので。
「さぁ、着きましたよ」
男が住むアパートの前に車が止まった時、政治的な云々は詩子の頭から抜け落ち、よりヒトへの知見を深められる事へのワクワクが胸を満たすのだった。
……………
………
…
ボロアパート、と言われる類の建物だった。
アパートは外見からして小さく、部屋も極めて小さなもの。玄関のすぐ傍にキッチンがあり、その奥にある『居間』と仕切りがない。所謂ワンルームと呼ばれるタイプの作りだ。壁が古びていてボロボロ、床も傷が多めと、積み重ねた築年数の長さを物語る。
少々汚いものの、機能的には一人暮らしであればこれでも十分。詩子の場合は(勉学のためや『趣味』として購入した大量の蔵書があるため)もう少し広い部屋でないと生活出来ないが、しかし単純な生活スペースならこれでも良いと思う。
ただ、目の前にいる岡島風太郎は、渋々此処に住んでいるのだと思われるが。部屋には空のコンビニ弁当などのゴミが散乱し、お世辞にも綺麗とは言えない状態なのも、賃貸とはいえ自分の部屋に愛着がない事の証明だろう。
「へへ……こんな美人の学者さんが来るなら、もっと部屋を片付けていたんですがね」
下心を感じさせる笑みを浮かべながら、やや老いは感じさせるものの一見してそこそこ顔立ちの整った……美形とまでは言えないが、普通に彼女ぐらいは作れそうな……男は語る。
彼が岡島風太郎だ。中肉中背で、これといった特徴はない。強いて言うならアポイントメントを取り付けたにも関わらず、よれよれの服を着て、無精髭もあるなど、だらしない身形をしている点か。言葉通り、どうせ歳を食った男が来るとでも思ったのだろう。だとしても普通は身なりや部屋ぐらい整えそうなものだが。
内面に染み込んだいい加減さが、外見や態度から分かるほど滲み出ている。詩子的にはこれはこれで興味深いため嫌悪などは微塵も感じないが、一般的には好ましく思われないだろう。
「いえいえ〜お気にならさず〜」
「……早速ですが、我々は二つの事を確認したいです。まず、あなたが動画で投稿した生物……あなたが鱗毛人と呼んだ存在と、何処で出会ったのでしょうか」
洋介が尋ねると、風太郎は露骨に面倒臭そうな顔になる。男にいい顔をするつもりはない、らしい。
本人はこれを『効率的』な人付き合いと思っているかも知れないが、女性視点で見ても下心しか感じないので普通に印象が悪い。
尤も、彼が他者から好かれるかどうかなんてものは、詩子にとっては関係ない事だ。それよりも今は、彼個人の人格と鱗毛人について詳しく知りたい。
「わたしとしても、何処で見たのか知りたいですね〜。ええ、とっても。出来れば詳細な時期とかも知りたいです〜」
「いやー、実はアレ、富士の樹海で撮影したんですよー。撮影したのは、丁度一週間前っすね」
試しに詩子が訊けば、驚くほどスムーズに風太郎は場所を明かす。
ここまで正直だと演技じゃないかと疑ってしまいますねー……漫然と、あり得ない可能性が脳裏を過り、詩子はくすくすと笑う。詩子の可憐な笑みを見て、風太郎は鼻の下を伸ばしていた。
それはそれとして。
「(富士の樹海、つまり青木ヶ原樹海ですか。やはりあの家族以外にも個体群がいた訳ですね)」
これ自体は、詩子としては驚くに値しない事である。生物が種を維持するにはある程度の個体数……多様性が必要だ。
例えば突如としてこの世に男と女が一人ずつしか残らず、その男女が発情期の猿も驚愕するような性欲によってすぐに子作りを行ったとする。ではこれでヒトという種の数が回復出来るかといえば否である。繁殖の相性が悪いという事もあり得るし、もしかするとどちらかに繁殖能力がないかも知れない。男女共に高齢化が進むほど生まれた子に障害がある可能性は高く、例えば男性が五十代の場合ダウン症のリスクが二十~三十パーセント上がると言われている。また女の方が極めて高齢だと排卵が止まってそもそも妊娠の可能性がない。どうにかして産まれた子も、繁殖相手は兄弟姉妹か親しかおらず、近親婚の繰り返しにならざるを得ない。これでは多様性がなく、病気や環境変化で全滅する可能性が高い。
それでも細々と種を繋いでいても、たった数体なら災害や伝染病で全滅する恐れもある。極端な暑さや寒さなどの気候変動、または特定生物の減少による食糧不足も考慮すべき危険性だ。たった二体からの復活が絶対にないとは言わないが、圧倒的な幸運か、ヒトによる保護が必要である。言い換えればある程度の個体数がいれば、幸運や保護に頼らずともリスクを回避出来るのだ。
このように自力で種を維持するために必要な個体数を、最小存続可能個体数と呼ぶ。この個体数は生物種によって様々で、昆虫のような多産の生物は少数でも種を存続出来るが、哺乳類のような少産少死の生物は多くの個体数が必要になる。
様々な要因が複雑に絡むため厳密な数値を出すのは難しいが、ヒトの場合は数百体程度の個体数が必要だと言われている。鱗毛人の最小存続可能個体数がヒトより多いか少ないかは不明だが、同じ哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属(と推測される)なのだから大体似たようなものだろう。
自然に考えれば、彼等は数百体の個体がいてもおかしくないのだ。他個体がいる事自体はなんら不思議ではない。
だが、生物の数というのはそう簡単に維持出来るものではないのだが。
「(……あの森に、それだけの個体を養える資源量があるでしょうか)」
青木ヶ原樹海は豊かな森だ。しかし豊かな森=食べ物が豊富、というのは安直である。確かに生物資源は豊富であるが、他の生き物だって食べられたくはないのだ。毒を持っていたり、硬かったり不味かったり、手の届かない場所にいたり……利用出来る食べ物はそこまで多くない。
ヒトはこの問題を加熱調理により解決した。加熱により本来なら食べられないものを食べられるようにし、生でも食べられるものはより美味しく作り替える事で、資源量の『上限』を増やしたのだ。この豊かな食生活がエネルギー効率の悪い脳の肥大化、即ち知能の向上に役立ったという説もある。
対して鱗毛人の食生活は、観察した限りでは生食ばかり。家庭や地域によって『食文化』は違うものだが、食事方法から推測するに火を使った調理法があるとは思えない。このような食生活では、いくら青木ヶ原樹海でも数百体も養えるとは思えない。精々数十人ぐらいではないだろうか。
仮に数百人もいれば、やはり人目に付いていないのは不自然である。或いは彼等は絶滅寸前の種であり、今は衰退の真っただ中。総数僅か十体程度なのだろうか。だとすれば辻褄は合うが……
「一二三教授。どうされましたか?」
「……あー、ちょっと考え込んでました〜。すみません〜」
洋介に声を掛けられ、詩子は思考の海から脱した。それはまた今度の研究課題にしようと考え直す。鱗毛人の個体数が分かれば、ヒトの最小存続可能個体数をより正確に割り出せるかも知れない。
一旦『楽しみ』は後に取っておき、詩子は更に詳しい話を風太郎から聞く。尋ねればなんでも喋る彼は、どのような状況で出会ったか、当日の天気や道のりなどについても細かく教えてくれた。洋介はその情報を素早くメモしている。
他には、鱗毛人に対し何か ― 大声を掛けたり物を投げたり ― したかと尋ねる。風太郎曰く、投稿した動画に映っている内容以外はしていないらしい。何処まで信じて良いものかとも思うが、動画は既に公安などに解析され、これといった編集がされていない事が判明している。彼の言葉に嘘はないだろう。
鱗毛人について、これ以上の情報は得られそうにない。
「じゃあ、もう一つの質問を……あなたに、鱗毛人について教えたのは誰ですか〜?」
次に、情報漏洩者について調べる事にした。
問われた風太郎は、一瞬固まり、目を泳がせる。頭を掻き、忙しなく動く口は「あれは、えーっと」等と無意味な言葉を紡ぐばかり。
わざとか? と思うぐらいに怪しい。誤魔化す事を隠せていない誤魔化しに、一体なんの意味があるのか。
「大丈夫ですよ〜。ここで聞いた話は、わたし達だけの秘密にしますから〜」
嘘というのはこのように、普段と変わらぬ顔をしながら、穏やかで落ち着きある言い方をしなければバレてしまうものだ。
詩子に唆された風太郎は、「そこまで言われたら」とあっさり態度を翻す。思った通り信用出来ない相手だと感じながら、詩子は耳を傾けた。
「実は、バイト先の女から話を聞いたんですよ。富士の樹海に怪しい人間がいるって都市伝説があるとかなんとか」
「女、ですか?」
「彼女、俺が動画投稿してるって知ってて、話のネタになりませんかーって。まぁ、その後店長のセクハラの所為で、バイト辞めちゃいましたけど。感想聞きたかったなぁ」
「あら〜。それは残念ですね〜」
未だになんの違和感も抱いていないであろう、暢気な風太郎の顔を見て詩子は言葉だけの同意を返す。
その裏で思考を巡らせる。
都市伝説・鱗毛人。
ヒトを知るためオカルトについてもある程度精通している詩子であるが、そのような話は聞いた事がない。もしも本当にあるとしたら、ごく最近出来たものの筈だ。これを偶然創作されたものとするには、タイミングと内容があまりにも疑わしい。
そもそも鱗毛人という名前は、彼等の身体を覆う鱗が体毛を起源としている(と推測される)事に由来し、詩子が与えたものだ。生物学的解析を経ていない、外見的特徴を言えば鱗毛人は鱗に覆われた人間モドキである。仮に彼等を目撃した第三者が伝えた話、或いは全くの創作物であるなら、『鱗人』のような名前になるだろう。或いは宇宙人として有名なレプティリアンか。いずれにせよ毛の文字はまず入らない。
恐らく、鱗毛人の存在を広めるため、情報漏洩者は噂という形を利用したのだろう。興味を持った誰か……それこそ風太郎のような動画投稿者が森を訪れ、偶然にでも接触するように。
今も昔もオカルトには一定の需要がある。廃墟探検や廃トンネル探検動画など、探せばいくらでも見付かる。噂を広めて遭遇させるというやり方は不確実だが、しかし長い目で見ればいずれ成功するものであり……何より誰が情報を漏らしたのか、発覚するリスクが低い。噂の根本を探るのは根気と時間が必要だ。ましてや人伝の話なら兎も角、ネットに書き込まれた情報が出処となるともう手に追えない。書き込んだ者が本人ではなく、雇われた外国人旅行者や反社会的勢力の者ならお手上げだ。
風太郎が言うバイトの女も、オカルト好きな一般人だった可能性がある。探し出したところで、果たして意味があるのかどうか。
「ちなみに、さっき口ごもった理由って?」
「いやー、だってセクハラが原因で辞めた子の事を他の人に話すのってなんか、でしょう?」
……大方そんなところだろうと思っていた理由が風太郎の口から語られ、詩子は自分の考えに確信を抱く。
口止め料なんかももらってはいないのだろう。鱗毛人に関しては有益な情報が得られたものの、これ以上話してもらえそうな事は恐らくない。
「ですね〜。いや〜何処から話が出たのか気になっていましたが、都市伝説ですか〜成程ぉ~」
「……教授。そろそろお時間です」
わざとらしく大きな声で話していると、空気を読んだ、恐らくは自身も『切り上げ時』と感じていたであろう洋介がそう口を挟む。
帰る切っ掛けを作ってもらった詩子は、それを理由に立ち上がる。風太郎は洋介に若干敵対的な眼差しを向けていたが、あれこれ言う事もなく、詩子達を玄関まで見送った。
ボロアパートから離れ、車に乗る詩子と洋介。洋介が車を走らせ、アパートが遠くなったところで詩子は口を開く。
「思ったよりは、有益でしたね〜」
「ええ。都市伝説となると、火元を探すのに苦労しそうです。公安でも何処まで追えるか……上の判断次第ですが、自衛隊の情報解析部門も力を貸す必要があるかも知れませんね」
「案外火元なんて大層なものじゃないかもですよ〜。自衛隊員の誰かがご家庭で奥さんとかお子さんとか、或いはキャバ嬢とかホストとかに、こう、ぽろっと話しちゃったとか。で、その人がネットとか友達に話しちゃってーみたいな」
「……ありそうだなぁ」
考えられる中で特に残念な可能性に、洋介の口から無意識であろう砕けた口振りが出てくる。
無論今はまだなんとも言えない段階だ。やはり裏で陰謀が、という可能性もなくはないが……存外大した理由ではないかも知れない。精々総理の政治的失脚を目論んでの事か。
いずれにせよ、風太郎からこれ以上の情報は聞けないだろう。
「ま、なんにせよ彼と会う事はもうないでしょうね〜」
「引き出せそうな情報は聞けましたからね」
「ええ。それにあの感じなら消される事もないでしょうし、気に掛ける必要もないかと〜」
「さらっと物騒な事を仰る」
若干引いた視線を向けてくる洋介であるが、詩子から言わせれば『物騒』などという言葉で思考を停止するなど論外だ。最悪の可能性は何時だって考えた方が良い。
とはいえ今し方詩子自身が言ったように、風太郎が始末される可能性はないだろう。『ぽろっと漏らした話が広まっちゃった説』であれば勿論、なんらかの陰謀があったとしても、だ。何しろ殺人なり行方不明なりになれば、警察が動く。権力で握り潰す、というのはフィクションではよくある事だが……実際にはかなり難しい。警察にも検察にも公安にも、権力に媚びない、或いは既存権力に敵対する者はいるのだから。違法行為というのは特権ではなく弱みであり、賢い者ほど法から逸脱しないよう振舞う。それが法治国家というものだ。
つまるところ風太郎は、大きなリスクを冒して始末するほどの価値もない。ある意味、とても安全な立ち位置なのである。
「それよりも、教わった場所を中心に捜索してみましょう。もしかすると大きな家族や、村のような社会があるかも知れませんね〜」
「了解です。部隊に連絡しておきます。今までのノウハウもあるので、明日には調査隊を編成出来るかと思われます」
「頼もしいですね〜。でもまぁ、不測の事態を想定して、わたしも参加しますかね〜」
「ええ、その方が良いかと。可能性の話ですが、村を見付けるかも知れませんし」
可能性の話を交わしつつ、詩子は明日の調査にちょっとばかり胸を踊らせる。もしも彼等が村のような大きな集団を作っていたなら、それはヒトの特徴である集団生活の起源を探る大きなヒントとなるだろう。
詩子は何時だって、ヒトを知りたいのだ。そのために必要な事であれば、比喩でなくなんだってする。無論、新たな鱗毛人探しだって喜んでやる。
しかし此度、詩子が新たな鱗毛人探しに参加する事はなかった。
岡島風太郎の急死という、想定外の事態が起きたために――――




