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 常連のサラリーマンに、ウイスキーを出す。メーカーズをニートで、チェイサーはソーダ。


「どうぞ。お疲れ様です、カワタさん」

「ありがと、ハジメちゃん」


 私が初めて出勤した日に初めて来店し、そのまま常連となったひと。毎週月曜日に必ず来店してくれる。


「お仕事大変そうですね」


 グラスを拭きながら話題を振る。緩めたネクタイ、くたびれたジャケット。カワタさんは営業マンだ。


「今月はね、なんとかノルマ達成できたから。忙しいし大変だけど、ハジメちゃんに会うために頑張ってる」

「お上手ですね」


 と、まぁ、そういうこと。二度目に来店して以降、こうやって口説かれている。もう一年半になる。

 マスターはカウンターの端に座った別の常連と話している。あの人はマスターのファン。本人が自称していた。


「大学はどう?楽しい?」

「はい、楽しいですよ。最近新しい友人もできましたし」

「そっか、いいな。俺も大学が一番楽しかったよ。新しい友だちは男の子?」


 女の子です、と返すと、嬉しそうに笑う。

 マスターからは、付かず離れず、口説き文句には肯定も否定もするな、と言われている。ひとり客は酒を飲むよりも、話をしたい人が多いのだそうだ。


 とくに、店員目当てで来ている客は逃すな、でもぜったいに深入りもするな、と。


「そういえばね、俺の後輩、会社辞めちゃったって話したでしょ?」

「はい。飲食店を初めたんでしたっけ」

「そうそう。そいつね、ハンバーガー屋さん始めたんだって。しかも、ここの東口」


 東口に最近オープンしたハンバーガー屋さんと言えば、ひとつしか思い浮かばない。

 カワタさんが、お通しのナッツをぽりぽりとつまむ。


「私たぶん、そこ行きましたよ。友人と」

「え、ホント!?あいつ、いた?細マッチョのイケメンなんだけど」

「いましたいました。感じよかったですし、美味しかったです」


 イケメンだったかは忘れたが、アロハシャツの下に筋肉が隠れていたことは覚えている。湘南の海にいそうな雰囲気だった。


「いつもね、サーフィンに誘われるんだよ。のらりくらりでかわしてるんだけどさ、俺じつは泳げないの」

「ふふ、たしかにサーフィン好きそうでした。お店の雰囲気もそんな感じでしたし。あ、ちなみに私も泳げませんよ」

「おー、おそろいだ。浮くんだけどね、泳げない」


 小中学生の頃、泳げないことがコンプレックスで、水泳の授業が苦痛だった。スクール水着が似合わないと、揶揄われたことも苦痛だった。

 だから、高校はプールのないところを選んだのだ。


 グラスのウイスキーを、クイっと飲み干した。ペースが早い。まだ月曜ですよ、カワタさん。


「同じの、もらっていい?」

「用意しますね」

「ハジメちゃんも一杯どうぞ」


 お礼を言って、メーカーズのボトルを手に取る。ついでに自分の炭酸水も用意する。

 私が飲むのはただの炭酸水だけど、伝票につけるのはハイボール。店長から許可は貰っている。


 帰り、原付だし。飲酒運転するわけにはいかないでしょ。


「かんぱい」

「かんぱい。いただきます」

「どうぞ」


 カワタさんのグラスに、音をあまりたてないように私のグラスをあてた。ひとくち、ただの炭酸水。酔うわけがない。


 ジャケットの胸ポケットからタバコを取り出したのを見て、カワタさんの前に灰皿を置いた。

 カワタさんのタバコは加熱式で、あまり煙の出ないもの。マスターは加熱式タバコは美味しくないと言って、かたくなに拒否していた。


 カラン、カラン、と入口のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」

「あ、ひとり、です」

「カウンターへどうぞ」


 マスターが対応している間に、おしぼりとお通しのナッツを用意する。

 珍しい、月曜なのに本日三人目。


 金曜と土曜はそこそこ混んだりもするが、それでもこの店の客足は伸びない。私ともう一人、フリーターの先輩をアルバイトで雇っているが、私たちの時給をどこから捻出しているのか、心底不思議だ。


「瑞ちゃん、こんばんは」

「……え、聖!?」

「来てしまいました」


 カワタさんの横、ひとつ開けた席に聖がいた。


 あ、そうだ、今度おいでって、店の名刺を渡したのは自分だ。本当に来てくれるとは思わなかった。


「ちょい失礼……ハジメのお友だち?」

「あ、はい。はじめまして。新本と申します」

「ようこそ、ストゥルティへ。店主のウエナリです。上に、成り上がりの成りで、上成」


 挨拶を交わしているふたりの邪魔をしないように、おしぼりとナッツを置く。

 この店には分かりやすいメニューが置いていない。私は勝手に、上級者向けのバーだと思っている。


 ストゥルティは店名で、マスターに聞いたらラテン語で「愚か者」という意味だと教えてもらった。

 ストゥルティはマスターのことなのか、それとも客のことなのか、それは知らない。


 視線で、あとは任せた、と言われたので、聖に向き直る。


「どう?」

「超格好いい」

「ありがとう。なに飲む?」


 視線が彷徨う。ごめんね、メニューないの。


「えと、じゃあ瑞ちゃんのお勧めで……甘いの」

「かしこまりました」


 ぅゔん!の顔をしていたけれど、さすがに店の雰囲気には負けたらしい。控えめな「ぅゔん!」だった。

 シェイカー振ってやろう。


 マリブ、ルジェ・クレーム・ド・アプリコット、ミルク、パインジュース。甘く可愛らしいトロピカルカクテル。

 カクテルのアレンジはマスターから許可されている。ベースのミルクに少しだけココナッツミルクを足す。トロピカル感ましまし。


 ピニャコラーダはラム酒を使うが、これはアプリコットリキュールを使う。


 甘く、可愛く、スタンダードなピニャコラーダでもない。薄いクリーミーなオレンジ色は、聖によく似合う筈だ。


 カワタさんと聖から視線を感じながら、シェイカーを振る。緊張するからあまり見ないで欲しい。


「俺いっつもウイスキーだから、なんか新鮮」

「カクテルもお作りしますよ」

「じゃあこれ飲み終わったら、お願いしようかな」


 クラッシュアイスを詰めたゴブレットに、薄黄色の液体を静かに流し入れる。

 切れ目の入ったカットパインをグラスの縁に刺し、チェリーとパイナップルの葉を飾る。最後にオレンジ色のストロー。


「アプリコット・コラーダです。カリブのカクテル、ピニャコラーダのラムをアプリコットリキュールに変えた一品です」


 はぁー、自分で作っておいてなんだけど、めちゃくちゃ可愛い。


「かわいい……」

「でしょう?聖はオレンジとか黄色が似合うから」


 アプリコット・コラーダは度数もそこまで高くない。ロングカクテルに分類されるもので、長くゆっくり楽しめる。

 アプリコットリキュールではなくストロベリーリキュールを使用したストロベリー・コラーダもあるが、聖の印象にそこまでのベタ甘さはない。


「どう?」

「おいしい……なんか、すごい……海が見える」

「あはは!波の音も聞こえればいいんだけど」


 聞こえる、聞こえる!と頷く聖に笑いながら、カワタさんのグラスも確認する。まだ二口ほど残っているが、なにを作るか考えておいたほうが良いだろう。


 しかし、本当にペースが早い。


 カワタさんならショートかな、とも思ったが、ロングにしてペースを落としてもらったほうがいいかもしれない。

 この人、明日も仕事があるはずだ。


 そう思っていたら予定二口を、一口で流し込んだ。


「俺も、南国っぽいやつがいいな」

「青と黄色、どちらがお好みですか?」

「青、かな」


 茶色いボトル、ドランブイ。青いボトル、ブルーキュラソー。あと、テキーラ。

 求められている気がしたので、今回もシェークだ。


 ドランブイを使ったカクテルはエメラルド・ミストのほうが好みだが、カワタさんのイメージではない。くたびれたこの人に出すには、少し印象が冷たすぎる。


 グラスを用意して、シェーク。ソーダを注いで、軽くステア。

 ライム、レモン……うーん、レシピだとライムだけど、今日はレモン。輪切りのものをグラスに飾って、細いストローを二本挿す。


 澄んだ青の中に、炭酸の小さな気泡がゆっくりと上り、ぱちぱちと弾ける。


「お待たせいたしました。コルコバードです。名前の由来はリオデジャネイロの丘、コルコバードから。コルコバードの丘からは、青く美しい海岸線の景色が見えるそうです。強いカクテルですので、ごゆっくりお楽しみください」


「うん。綺麗だ」


 まっすぐにこちらを見つめながらそう言った。なにも言わず、微笑みだけ返す。たとえ出会った場所が違くとも、私がカワタさんを選ぶことはきっとない。


 私はただ、聖の視線を感じていた。



 聖の滞在時間は一時間ほどだっただろうか。数杯のカクテルを出したが、足元が覚束なくなるようなこともない。

 終電大丈夫?とこっそり聞くと、少し慌てて帰っていった。


「カワタさん、カワタさん。大丈夫ですか?」

「んん、うん……」


「ハジメ、あがっていいよ。代わる」


 カワタさんは完全に酔っ払っていた。カウンターに突っ伏して、その意識は半分以上寝てしまっている。


「すみません、お願いします」

「ま、今日は結構無理な飲み方してたしね。あ、そういえばハジメ」

「はい」


 上がる前にグラスだけ片付ける。日付が変わるまであと二分。


「あの子でしょ、盗撮の子」

「ですです。可愛いでしょ」

「うん、好みじゃないけど」


 唇の端を歪めて笑うマスターに、苦笑で返した。マスターはすぐそっちのほうに結びつける。

 でも私は、そういうマスターが嫌いじゃない。


 マスターがカワタさんを起こす声を背後に、着替えて店を後にした。



 バッグを原付のフックにかけ、キックレバーを出す。ハンドルを持ってレバーを蹴ろうとした瞬間、誰かに肩を強く掴まれた。


「ハジメちゃん!」

「かわ、たさん……」


「ハジメちゃん、おれ、おれ!」


 ふらふらになったカワタさんに両肩を掴まれて、思わず原付のハンドルに縋る。

 原付をとめていたのはビルの裏、ただでさえ人の少ない深夜、ここはほとんど人がこない。


 なんで、さっきまで寝てたじゃん……


 ぐらついた手元に驚くまま、原付のハンドルから手を離したのが間違いだった。ぐっと肩を押されて、ビルの壁に背中を強く打つ。


「いっ、た……」

「すきだ。きみが。おれ、きみがすきだ」

「カワタさん、い、たい……ちょっと、おちついてくださ、っ!」


 ガン!と、カワタさんが何かを蹴った。あ、原付……

 カコン、とヘルメットが地面に転がった。

 酒でうつろになった目が迫ってくる。鼻先に、酒気の強い吐息を感じた。


 こわい。


「ハジメちゃん……はじ、め……はじめ。すきだ」

「離して……!」


 こわい。


 こわい!やだ!


 押し付けられた手を離そうともがいても、大きな手は外れない。顔を逸らして、唇を避ける。


 やだ!い、たい……



「お巡りさん!こっちです!」



 私もカワタさんも驚いて、ほんの少し空白の時間ができた。


「っ!……た、助けて!」


 絞り出した声は震えていて、ぜんぜん大きな音にならない。

 覆い被さっていた大きな影が、ばっと離れた。一歩、二歩、後ずさって、背中を向けてカワタさんは逃げた。


 意味、わかんない。なんでそっちが傷ついた顔してるの。意味、わかんない。


 ずる、ずる、と壁に背中をつけたままへたり込んだ。あぁ、腰が抜けた。


「瑞ちゃん」


「……しょう?」

「うん。しょうだよ」


 私の前にしゃがみこんで、聖が顔を覗き込んだ。なんで、ここにいるの……


「……おまわりさんは?」

「咄嗟にウソついちゃった。もう、だいじょうぶだよ」


「こ……こわかったぁ……」


 抱えた膝のあいだに、はぁとため息を落とす。まさかカワタさんに乱暴されかけるなんて思ってもいなかった。


 穏やかで優しいひとだと思っていたけど、私が知っているカワタさんはストゥルティの狭いカウンターから見る、くたびれた姿だけ。

 普段のカワタさんがどんな人なのか、どういったことを考えるのか、どんな行動をとるのか、私はなにひとつ知らない。


 私にあわせてしゃがみ込んでいた聖が、手を伸ばして私の髪に触れた。


「だいじょうぶ?」

「うん、おかげさまで」


 本当に、聖のおかげで助かった。肩を掴まれて、背中をちょっと打ったくらい。唇のひとつも奪われることはなかった。

 一番の被害者は蹴飛ばされた原付バイクだろう。


 ところで。


「なんで聖がここにいるの?」

「あー、それは、うん、あの」


 気まずそうに口を開いて、教えてくれた。


 なんと、終電に間に合わなかったらしい。改札を通る前に、最後の電車がホームから出て行くのが見えて諦めたそうだ。

 この駅唯一の漫画喫茶で仮眠し、始発で帰るつもりが、隣のブースから聞こえるイビキに耐えきれず出てきたのだという。


「瑞ちゃんがまだお店にいたらいいなぁって思って戻ってきたら、声が聞こえて……」


 人通りのないこんな路地裏で聖に助けられたのは、奇跡とも言って良いだろう。

 終電を逃した聖には申し訳ないが、戻ってきてくれて嬉しかった。


 ヨタヨタと立ち上がった聖に手を貸してもらい、私もヨタヨタと立ち上がる。


「あはは、老老介護みたい」

「瑞ばあさんや、ちょっと腰を揉んどくれ」

「いくら年取ってもぜったいにばあさんとか呼ばれたくない!」


 聖の手が私の肩を触って、腰を触って、ちょっとだけ心配そうに顔を見た。


「どこも怪我とかない?」

「うん、へいき。ありがと」


「よかった、ほんとに」


 蹴飛ばされた箇所を調べたが、街灯の明かりも乏しい路地では傷の確認はできなかった。そもそも、もともとがオンボロバイクだ。いまさら傷のひとつが増えたところで、走行に支障がなければ問題ない。


「えと、じゃあ、また明日」

「聖、どうやって帰るの?」

「んー、タクシー拾う」


 少しだけ迷って、ダサイ半カップヘルメットを聖の頭に乗せた。


「聖、道路交通法違反しよう」

「んぇ?」

「道交法違反」


 ぼけっとした聖を置いて原付に跨り、ハンドルをぐいぐい操作して進行方向に向ける。


 あ、と思い出して、キックでエンジンをかける。心持ち前方に座って、聖が乗るスペースを確保した。


「乗って」

「ぇ、あ、えと」

「ローマの休日ごっこしよ。ベスパじゃなくて、ディオだけど」


 失礼します、と躊躇いがちに囁いた声が、スクーターの小さなエンジン音に重なる。

 二人乗りを想定していない車体が、明らかな過積載でぐっと沈み込んだ。


 前輪のサスペンションが軋んだが、底付きもしていない。いける。


「ど、どこ掴めばいい?」

「んー。肩でも腰でも。好きなとこでいいよ」

「じゃあ、えっと、失礼して……」


 腰に置かれた手があまりにもソフトでくすぐったい。文句を言ったら、今度はぎゅっと腕が回された。


「こ、こ」

「こ?」

「腰、ほそ……」


 あはは!と笑って右手のアクセルを回した。うお、進まない!徐々にアクセルを開けていくと、オンボロ原付が文句を言いながら進み出した。


 路地から大きな道路に出ても車通りはひとつもない。

 車がいないと、つい気が大きくなって速度を出しがちになる。けれど、自重。今日は私以外の体も乗せているから。


 ブゥーンという軽いエンジン音。カーブのたびに、怖がる聖の手が私の服を掴む。ちゃんと踏ん張れるスニーカーで良かった。

 いつもヒールで原付に乗っている私が言うのもなんだけど、今日の走行スタイルは一段とおかしい。


「はぁー、さむぅ……」

「んぇ?瑞ちゃんなにか言った?」

「寒いって言ったのー!」


 誰もいない信号を律儀に待つ。驚くほど人も車もいないけれど、信号くらいはきちんと守る。

 青に変わったことを確認して、ふたたび走り出した。


 ハイウエストのスカートがはためいて、ボアパーカーを突き抜けた冷たい風が肌を刺す。だけど、後ろに背負った体温は暖かい。

 ノーヘルで、原付一種の二人乗り。悪いことをしている感じがする。


 もともと速度の出ないオンボロ原付で、いつも以上にゆっくりゆっくり走る。バイクに無理をさせている自覚はあった。

 二人分の体重で、きっと百キロ近くはあるだろう。いくら痩せ型とはいっても、二人とも身長も胸もそれなりにあるのだから。


 いつもより倍近い時間をかけてアパートまで帰ってきた。

 聖の住まいまで送っても良かったが、無理な二人乗りが怖いみたいだったし。


 あと、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、ひとりになりたくないと思ったから。


 鍵を開けて、玄関の明かりをつける。靴の箱が積んであるのは変わらず。


「おじゃまします」

「おかえり」

「え!あ、あ、ただいま!」


 バッグをベッドに放り投げて、風呂を沸かしにいく。


「すぅーーーーーはぁーーーーー」

「おい」

「だって良い匂いするんだもん!」


 前回同様、我が家唯一のスウェットを聖に投げる。下着は今回もおろしたてのものをプレゼントだ。


「一緒に入る?」

「んうぇぇ!?そそそそういう冗談はやめましょう二橋さん!」

「もう一時回ってるし、時短になるかなって思ったんだけど」


 聖の反応は想像がついていたので、笑いのツボは守られた。

 半分冗談、半分本気。聖なら拒否するだろうなとは思っていたけれど、一緒に入るならそれはそれで構わない。湯船も女がふたり入れるくらいの広さはある。


 冗談を言い合って、まだ開けていなかったスキンケア用品をふたりで試して、お互いの髪を乾かしあって、時計が二時半を挿したところでベッドにはいった。

 今日も、背中を向けて体を丸めている。


 暗くなったところで、先ほどのカワタさんを思い出した。


 今日のあれは誰が悪いのだろう。

 酒で自制心を失ったカワタさん?ペースが早いと分かっていながら酒を提供した私?


「瑞ちゃん」

「なぁに?」


「あぁいうこと、よくあるの?」


 あぁいうこと。カワタさんに迫られたこと。肩を掴まれ、壁に背中を打ち付けられたこと。酒臭い吐息で、唇を求められたこと。


 好きだと言われ、無理に気持ちを求められたこと。


「あったら男友達とつるんだりしないでしょ」

「そっか」


 あんなことが頻発していたら、私は今ごろ男性不信になっている。

 車両を変えても、必ず私の正面に立つ人がいた。すれ違ったと思いきや、わざわざ戻ってきて顔を覗いてきた人がいた。


 そのどれも男だったけれど、気味が悪いのはその人たちであって、男性全てがそういった恐怖を与えてくるわけではない。

 晃太郎や謙太郎たちも男性だが、違う人間だと私はきちんと分かっている。


 衣摺れの音がして、聖がこちらを向くのがわかった。

 寝ぼけた中でされた先日のそれより強く、バイクに乗っているときより弱く、背後から抱きしめられる。


「こうしてていい?」

「ちょっと手ゆるめて」


 寝返りをうつように、聖のほうに体の向きを変える。

 一瞬だけ、至近距離で目があった。やっぱり向かいあうと距離が近い。

 胸元に顔をうずめ、背中に手をまわした。


「こっちで」

「ぅゔん……うん、うん」


 スウェットから漂うのは愛用している柔軟剤の匂いで、二人分の体温で上がった布団の温度が心地よくて、だけど布越しでは、聖の鼓動は聞こえなかった。



 女の子の、聖の、からだのやわらかさにただ安心した。

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