紅の剣
ブラハムは秘策をもってシヴァへと肉薄する!
はたして、彼の技は白の少女に通用するのか!?
疾風迅雷の動きでシヴァへと接近したブラハムは、白の少女が展開する低温領域に躊躇なく踏み込むと。
「ちぇいっ!」
それまでの斬り下ろしではなく、大剣を下方から強烈に斬り上げた。引きずる様に剣を持っていた姿から考えると、そこからは信じられない程の速度と力強さだった。
「っ!? あれは!?」
ブラハムの剣が、紅く鈍く光りを纏う。
そして彼の剣は、シヴァの左わき腹から左肩へと振りぬかれた。
そして殆ど回避行動を取っていなかったシヴァは、当然の如くその攻撃を躱す事など出来ない。いや、最初から躱そうとしていなかったのだが。
これまでのブラハムの攻撃結果を考えれば、少女がそう考えたとしても決しておかしい話ではない。
―――しかし、今回はそれが裏目となる。
「ギュヤアアァァァッ!」
これまでに聞いた事の無い声で奇声を発したシヴァの左腕が、肩口からズルリと落ちそして……霧散した。
残された右手で左肩を押さえる様な仕草をし、今度はシヴァがブラハムより大きく距離を取ったのだった。
叫声を上げたという事は、精霊体に近い存在であるにも関わらず痛みを感じているのかもしれない。もっとも、流血の類はしていないのだが。
それでも、それまでは能面のようだった顔に怒りを思わせる表情が浮かんでいる。それだけで、先ほどまでのシヴァではないと十分に思わせ。
「……なんでぇ。そんな表情も出来るんじゃねぇか」
それを見たブラハムがユラリとした動きでシヴァの方へと向き直ると、口角を嫌らしく吊り上げてそう口にする。
いっそその態度は、優越感をもって対している様にも見えるのだが。
「……ブラハム?」
そんな彼の行動を見たアムルは、どこか訝しむような声音で呟いていたのだった。
アムルがブラハムの動きを怪訝に思うのも当然である。
ブラハムの“秘策”により、シヴァは明らかにダメージを負っていた。
それは、左腕が切り落とされて失われたその腕が再生しない事からも明らかだ。
そんなシヴァに対して、ブラハムは追撃を行わなかったのだ。先ほどの連撃を見ても、ブラハムが敵に対して攻撃の手を緩めるとは考えにくい事である。
それに、退避したシヴァへと向き直る動きも彼にしては緩慢としていた。
戦闘に対して油断を見せるという事を何よりも避けているブラハムにして、この動きはどうにも納得の出来ないものだったのだ。
もっともアムルの呟きは小さく、殆ど部屋の中央で戦うブラハムの耳には届かなかったのだが。
「そぉうらぁっ!」
態勢を整えたブラハムは、今度は大きく剣を振りかぶりシヴァとの間合いを詰めて攻撃を繰り出す。
その動きは隙だらけと言って良いのだが、攻守がはっきりとしている今ならばそれも問題ない。
つまりそんなブラハムの攻撃を、シヴァは受けに回ったのだ。
「……ッ!」
大振りなれど強振なブラハムの斬撃を、シヴァはそのか細い右手を持ち上げ掌で受け止めようと試みる。
普通で考えれば、少女の細腕で受け止められる攻撃では無い。
しかしシヴァは精霊を模した魔獣であり、その動き一つ一つが魔法発動に直結している。ただ手を翳しただけであっても、そこには強力な障壁が発生しているのだ。
ブラハムの剣がシヴァの掌と接触……はしなかった。触れる直前で、まるで大気の層に遮られたかのように彼の剣は動きを止められた。周囲に、聞いた事の無い異音が響き渡る。
だが今度は、ブラハムの攻撃はそれだけでは終わらなかった。
「うらうらうらうらぁ!」
ブラハムは剣を引いたかと思うと、即座に次の攻撃を繰り出す。それを何度も行使した。
迅速なブラハムの斬撃をシヴァが全て防ぎきる。先ほどのように、剣を安易にその身で受けるような事はしない。
勿論、シヴァにブラハムの攻撃を片腕一本で受けきる様な技術は無い。それでも、魔法を発動せずとも事象を発現出来るシヴァは、ブラハムの剣撃を全部不可視の障壁で受け止めたのだ。……だが。
「……ッ!?」
連撃の最後に放ったブラハムの剣に先ほどの様な紅い光が点ると、その攻撃はシヴァの防御を突き破ったのだ。
間一髪のところでシヴァは回避を取りその剣を受ける事は無かったのだが、避ける事が出来なかった彼女の髪が斬られ宙を舞い霧散する。
「……あの光に、何か秘密が?」
その光景を、遠目で見ているアムルが独り言つ。
別段アムルでなくとも、ブラハムを優勢にしている原因ははっきりとしており、それは正しくアムルの口にした事そのままだった。
ブラハムの剣が不思議な紅光を発する度に、シヴァに対して有効な攻撃が行使されるのだ。それが原因なのは言うまでも無い事だった。
問題は、その光の発生源という事になるのだが。
回避行動を取ったシヴァの右手が持ち上げられる。如何に守勢に回っているとはいえ、全く攻撃を行わないという理由は無い。
シヴァが手を向けた先、前方向で空間が僅かに揺らぐ。それが、瞬間的に超低温帯を作り出している事は先ほどの攻撃で明らかだ。
「うわっとっ!」
呪文は勿論、予備動作もなしで手を翳すだけで魔法を発動するシヴァの攻撃に、ブラハムは慌てて回避を取る。
やや大袈裟ともとれる距離感だが、シヴァの攻撃範囲を先ほど経験済みのブラハムは大きめに白の少女から離れたのだ。
それが功を奏したのか、ブラハムは今度はシヴァの作り出した超低温帯に捉われずにダメージ無しで回避に成功した。
「ちぃえいっ!」
しかし、攻勢を掛けているのはブラハムの方だ。シヴァが展開した超低温帯を回避する様に、ブラハムは彼女の左後方より薙ぐような攻撃を繰り出した。それをシヴァは、振り返ることも無く障壁で受け止めて防いだ。
ブラハムの剣に例の光が点っていたのだが、その剣速の速さから慣れていない者が確認しながら防御手段を選択する事は困難だ。
シヴァも、最も適切な手段を用いた訳だが。
「ギイィィッ!」
一瞬異音が周囲に鳴り響いたかと思うと、ブラハムの一撃はシヴァの防御を突き抜けて彼女を傷つけた。彼の剣撃はシヴァのあごの下、胸辺りを一文字に斬り付けたのだ。
ブラハムの紅光を放つ一撃は、シヴァが展開する魔法障壁をやすやすと打ち破り、限りなく精霊体に近い彼女を傷つける事に成功していた。
「ちぃっ!」
だが与えた傷はどの程度のダメージなのか測りがたく、シヴァ自身の動きや表情にも変化が少ない。
そしてシヴァは、ブラハムの斬撃や動きに合わせて攻撃を発するのではなく、彼女を中心として極低温のエリアを展開したのだった。
瞬時にして、シヴァの周辺を凍結した大気が埋め尽くす。
感知しにくいシヴァの魔法発動だが、すでに何度かその攻撃を体験しているブラハムは、周辺の空間に異常を察して飛び退き回避に成功した。
しかし、この攻撃で間合いを取らざるを得ず、相手にも時間的余裕を与え立て直されてしまうのは明らかだ。
優位に攻勢を仕掛けていたブラハムとしては、このシヴァの攻撃は予測していた事であるのだが、出来れば避けたい行動でもあったのだ。
もっとも予想出来ていたのならば、それに対応した動きも想定済みである。
「ぬぅんっ!」
「ブ……ブラハムッ!?」
ブラハムは再び剣に紅い光を纏わせて、凍結した大気に向けて一閃する。硝子の破砕音を発して、シヴァの作り上げた空間が破壊された。
それだけにとどまらず、彼はそのまま一気にシヴァへと間合いを詰めたのだった。
如何に凍結した空間を壊したとはいえ、未だ彼女の周囲が超低温状態であることに違いはない。足を踏み入れれば、自らの身体を凍らせてしまう事は容易に想像出来ただろう。
それでもブラハムは気合を発して飛び込み、その無謀とも思える行動にアムルが思わず彼の名を叫ぶ。
そんなアムルの声など聞こえていない様にブラハムの動きは止まらず、シヴァの支配するエリア内に入った彼はそのまま大剣を振り上げたのだった。
ブラハムの、渾身の一撃が放たれようとしている!
決着の刻は……近い。




