最警戒の城塞
魔王の果断即行、アムルとブラハムは魔王城へと向かったのだった。
天空に向けてそびえ立つ天守。
周囲を鋭い針の様な峰を持つ、無数の剣山に囲まれた巨城。
魔界の深部に威容を晒し、招かれざる客は決して何人も寄せ付けない天険の要害。
―――ここは魔族の中枢であり、最後の砦「魔王城」……。
魔界第4の都市アンギロを発ったアムルとブラハムは、翌日には魔王城正門前に立っていた。
通常ならば3日は掛かる距離である事を考えれば、これは驚くべき速度での移動である。
もっとも。
大軍が通れる程の街道を利用すれば、如何に魔王アムルと言えども2日は時間を要したであろう。
そうならなかったのは、彼らが身軽な2人身であったという事と、馬がようやく通れるかという様な田舎道や山道などを駆使して、可能な限り時間短縮を図ったからに他ならない。
出発を決めたアムルはすぐに行動を起こし、その日の内に出立を決めた。
然したる準備も整えず、殆ど変え馬だけを引き連れての強行軍がこの短期間での魔王城到着の理由であったのだ。
「……あいっ変わらず、でっかい門だよなぁ―――……」
巨大な魔王城正門を見上げながら、アムルは疲れも感じさせず不敵な笑みを浮かべてそう呟いた。
城内からこの門を通って大軍が出撃する事も無ければ、その逆もあり得ない。
魔王城それ自体が囮の役目を果たしている以上、魔族軍は基本的に魔王都レークスに駐留しており、この城には軍隊と呼べる組織は常駐していないのだ。
言うまでも無くこの門は……ハッタリである。
「俺も、初めて見た時は驚きましたよ。この門にも、魔王城の全容にも……そして、周囲の風景にもね」
そう答えて魔王城の周辺に目をやるブラハムの視線をアムルも追いかけた。
そこには、どうにも牧歌的な景色が広がっている。
底抜けに青い空と、そんな空の色に負けない程の緑。それが、地平線まで続いていた。
別の方向には、天を突く程の高い山脈が連なっている。
槍の様に頂を尖らせた山々の威容には恐れ入るが、見慣れてしまえばそれさえも風情を感じさせる。
ただしそれは、遠目に見ればと言うだけの話。
実際その山脈は見た目通り険しく、そこには獰猛な魔獣が住み着いており魔界の者も殆ど近付かない魔山と化しているのだ。
山脈だけではない。
その山の麓に広がる森も、ここからは見えないが沼沢地帯も、魔物や毒気と言った人を寄せ付けない自然がふんだんに盛り込まれている。
それらの全てが、魔王城への道を困難にする仕掛けの一端なのだが、今はその事に言及する者も居ない。
優しく吹き付けてくる風を、アムルも気持ち良さそうに受けていた。
「まったく……。こんな事さえなければ、今日は最高の外出日和なんだろうなぁ」
アムルが思わず零した言葉に、ブラハムは苦笑を浮かべ。
「いや、魔王様。今日が何事もない平常な1日だったとしても、あんたは多分魔王城から出られなかったでしょうよ。なんせ、仕事は山積みなんですからねぇ」
「……うへぇ」
いっそ皮肉とも取れるブラハムの返答に、アムルは殊更におどけて答え、そして2人は大きな笑い声をあげたのだった。
多忙なアムルが、暇だった事の方が珍しい。
ブラハムは親衛騎士団としてアムルの傍に控えており、その事を少なからず知っていたのだ。
「……ブラハム」
一頻り笑い終えて、アムルは表情を引き締めてブラハムの方を見た。
一方のブラハムはと言えば、そんなアムルに恐縮するでもなく表情も変わっていない。
「最初にも言ったが、ここからは『魔王様』は無しだ。俺の事はアムルと呼んでくれて構わない。この先に入れば、魔王も部下も無いからな。共に戦う仲間として、少なくとも今は上下関係なんて無しだ」
この提案は、アンギロを発つ際にもブラハムに申し渡した事でもある。
そしてブラハムは、その場では否とも応とも答えずただ頭を下げて了承の意を示しただけだった。
武人肌のブラハムとしては、どの様な場合でも臣君の立場をハッキリとさせたいと考えていた。
如何に寛容なアムルが「自身を名前で呼べ」と言った所で、ブラハム自身はその事に従うつもりなど毛頭なかったのだ。
それに、他の耳目がある場所でその様な事に応じられる訳もない。
だから、アンギロではその返答を有耶無耶にした対応を取った訳だが。
「……分ったよ、アムル。ここからは当分の間、仲間として接する事にする」
これ以上、アムルと無駄な問答をしても意味がない。
そして何よりも、ここからは連携が必要となって来るだろう。
そんな時に、呼び方ひとつでギクシャクとした関係を引きずっても仕方がない。
妥協したブラハムがアムルにそう返し、それを受けたアムルは満足そうに頷いた。
この言葉が切っ掛けとなったのか、改めてアムルが魔王門の方へと向き直り、ブラハムも同様にそちらへ正対する。
いよいよ、魔王の魔王による魔王の為の、魔王城攻略が始まるのだ。
そしてアムルは、両開きの魔王門を両手で勢いよく開いたのだった。
「おいっ! アムルッ! 何なんだよ、こいつらはっ!?」
「お……俺も知らねぇよっ!」
魔王城に入ってすぐ、案の定アムルたちは魔王城1階に徘徊する魔物とエンカウントしていた。
それ自体は、彼らの想像通りであると言って良い。
魔王城には1階と言わず至る所に魔物が配置してあり、侵入者を迎撃する様にプログラムされているのだ。
事実、数年前にはアムルも、そしてカレンたちもその洗礼を受けていた。
到底弱いとは言えない無数の魔物……この1階では「DS―09 デスウルフ」を始めとして、無数の魔導生物に襲われたのだった。
襲来する魔物たちの攻撃でアムルやカレンたちがやられるという事は無かったのだが、数で圧倒しようとするその戦法に辟易した事は彼らの記憶に新しい。
それを警戒して、アムルとブラハムはこの魔王城に足を踏み入れたのだ。
前回の様に襲い来る魔物やその戦法を知らなければ、少なからず劣勢に立たされる事もあるだろうが、理解した上でその対処を念頭に置いておけば早々気圧される様な事は無い。
元々地力が上なのだから、一蹴するのもそれほど苦では無い筈……であった。
しかし。
「こ……んのやろぅっ!」
飛び掛かって来た狼の口を、ブラハムが剣で受け止める。
デスウルフよりも二回りほど大きいその狼の圧力は、ブラハムでも防ぐのに骨が折れるほどだ。
更にその上。
両手が塞がっているブラハムの上方から、巨大な湾刀が振り下ろされてきたのだ。
だがそれも、アムルが即座に築き上げた防御障壁に阻まれ、普段なら聞くことも無い異音を周囲に発して弾かれていた。
「た……助かったぜぇ! アムル!」
狼を押し返したブラハムが大きく後方に跳躍してアムルの元へと着地し、目の前の魔物と距離を取り対峙する。
魔物の方も執拗に追撃する事は無く、静かにアムルたちの前に立ちはだかっていた。
「おいおい……。手強いなんてもんじゃあないぜ、こりゃ。アムル、一体こいつは……?」
「……SK―06SP。……汎用型人獣合成魔獣『スキュラ』だ」
呆れる様に愚痴を溢したブラハムに、アムルは絞り出す様な声で答えた。
その表情は、スキュラを睨みつける様に苦汁を浮かべている。
もっともブラハムには、アムルが何に気付いてその様な表情を浮かべているのか検討など付かない。
この魔王城の事をブラハムが事細かに把握している訳も無く、更に伝魔境が作り出した魔導生物の事まで知っている訳が無いのだ。
「スキュラは……普段なら作り出す事の無い魔獣だ……。強力な個体だが、作り出すのに必要とする魔力が多過ぎるからな」
「……スキュラ? ……こいつが」
ブラハムはアムルの説明を受け、改めて目の前の魔物に目をやった。
デスウルフよりも大きく且つ筋肉質の狼の上に、女性が乗っている様なシルエット。
しかしその女性に下半身は無く、ヘソの辺りから騎乗する狼の背中と融合している様に繋がっている。
その女性なのだが、一見すれば肉付きの良い半裸の女性に見える。
しかしその表情に理性は感じられず、下半分の狼と何ら変わらない様な野性味が溢れていた。
髪は長いのだがボサボサで、一目見れば振り乱して襲ってくる狂女のそれであった。
両手にはその風貌に似合わぬ、巨大な湾刀を手にしている。
上半身は人型の女性が剣を振りかざし、下半身は大きな狼がその牙や爪で攻撃してくる。
これだけでも、普通に考えれば厄介この上ないのだが。
「気を付けろっ! こいつは、魔法も使ってくるぞっ!」
アムルが警告するのと、スキュラが魔法を放つのは殆ど同時であった。
魔王城で現れた、今までにない強力な魔導生物。
それは、この魔王城がこれまでとは違う警戒態勢を取っているという事であった。