ぶつかり合う願望
カレンの発言は、チェーニとラズゥエルの動きを止めてしまうのに十分な効果を持っていた。
しかし、まだカレンの話が終わった訳では無い。
カレンの爆弾発言を受けて、チェーニの頭の中は……いや、彼女だけではなくラズゥエルの思考も、混乱の極みに達していた。
カレンの台詞の何一つが、チェーニやラズゥエルの頭の中で理解出来ずにグルグルと渦巻いている。
「ま……」
それでも、チェーニは何とか言葉を発しようと試みる。
「魔王とけ……結婚だとっ!? 今は魔界で暮らしているだとっ!? 暴虐残忍の化身と言われる魔王と、人界の希望と謳われる勇者が……共に生活しているだとぉっ!?」
チェーニは、カレンの言った事をとにかく大声で復唱していた。
そうしなければ、とてもその言葉の内容を自身で理解出来なかったからであろう。
「あ……有り得るかっ! 殺戮の化身である魔王と……」
「ちょっとっ! 何が殺戮の化身よっ! 確かにアムルは鈍くて気が利かなくて、無神経なところもあるけどねぇっ! それでも、とっても優しいんだからっ!」
チェーニの口にした事は、人界では全て普通に認識されている事実である。
故に事実がどうであれ、今の彼女は間違ったことを言っている訳では無い。
更に付け加えるなら、数年前にこの地へと訪れたカレンたちもまた、今のチェーニと同じ認識を持っていたのだ。
「や……優しいだとぉっ!? 魔王がっ!? 優しいっ!?」
「な……何よっ!」
全く話が噛み合わない2人の討論は、このままいけば単なる水掛け論となりそうな勢いだったのだが。
「……おい、カレン。今はそんな場合じゃあないだろう?」
傍らに控えていたブラハムが、そんなカレンを窘める様に小声で話しかけ。
「チェーニ、あなたもですよ。もう少し冷静に……」
チェーニの隣で黙って成り行きを見ていたラズゥエルも、静かにチェーニへ注意を与えたのだった。
「あ……うん」
「……すまねぇ、ラズゥエル」
そしてそれぞれに指摘を受けたカレンとチェーニは、どこか恥ずかし気に口を閉じたのだった。
先ほどまでの2人のやり取りは、ともすればただの口喧嘩みたいなものだ。
それは大の大人がするような事でもなく、今この場で行う様な事でもない。
「……チェーニさん―――、それにラズゥエルさんと申しましたか―――? あなた方の認識は―――、人界に住む者ならば至極もっともです―――」
漸く落ち着きを取り戻したこの部屋で、更に和ませるような声音が響き渡る。
後方で様子を伺っていたエレーナが僧侶らしく落ち着いた、それでいて澄んだ声でカレンの後を引き継いだのだ。
「でもあんた達も、この魔界で色んなものを見てきたのよねぇ? それでもまだ、そんな考えを持ってるのかしら?」
そしてそれに続いて、マーニャがそう付け加えた。
2人の言い様は穏やかそのもので、決して相手を言い負かそうとか説得しようという意図は感じられない。
それが分かったのだろう、チェーニとラズゥエルは暫し考えさせられ、そして閉口させられてしまっていたのだ。
2人がこの魔界に降り立って、未だ1週間と経っていない。
それにそれほど頻繁に人と接触した訳でもなく、それどころか魔界の住人にその存在を知られない様に行動してきたのだ。
そんな2人が、魔界に住む人々の気性や感性を理解出来る筈はない。
それでも彼女たちは、その目で魔界の真実を目の当たりにしている。
エレーナとマーニャの言った事が全く耳に入らないかと言えば、そうでは無いのだ。
「あなた達も、良ければこの魔界に住むって事は……」
「で……出来る訳……っ!」
「出来ないでしょうけど」
カレンが言葉を失った2人に向けてそう切り出すと、間髪入れずにチェーニが顔を真っ赤にして否定に入った。
それも当然の話で、どちらかと言えば比較的すんなりと状況を受け入れたカレンたちの方が特殊だったと言える。
それに課せられた使命もその代償も、カレンたちとチェーニたちでは全く違うのだ。
カレンたちは討伐に失敗すれば魔王に殺され、生き長らえても同じ人族に処罰される運命を背負っていたのだ。ある意味で、逃げ場がないといって良かった。
対してチェーニたちは、任務に失敗すればやはり魔王に……魔族に殺されるだろうことは予測していた。
だがこれは暗殺と言う行為を考えれば当然の報復であり、それはチェーニたちも覚悟していると言える。
ただし万一失敗しながら生き長らえて釈放されたなら、彼女達は人界へと戻ることが出来たのだ。
と言うよりも、失敗しながら生きている場合の話は誰からもされなかった。
当然の事ながらその場合、チェーニたちは人界へと逃げ戻る選択をするだろう。
その後の結果は知るべくも無いが、彼女達にはまだ戻ろうと思う場所が存在している。
そんなチェーニとラズゥエルに、この魔界に住むという提案など受け入れられる筈はなく。
カレンもそれが分かっているから、即座にその事を肯定したのだ。
「もうこれ以上魔王に……魔界に迷惑を掛けるような事はしないで欲しいの。あなた達はこの場から安全に逃がしてあげる。だから人界へと戻って、これ以上魔界へ向けてちょっかいを掛ける様な真似はよして欲しい。……そうあなたの上司に話してもらえないかしら?」
カレンとしては、これ以上ないほどに優しい声音でもって出来るだけ受け入れやすい条件を口にしたつもりだった。
実際、多勢に無勢でその姿をすでに見られてしまっているチェーニとラズゥエルにしてみれば、破格の条件を突きつけられていると言って良かった。
「ふ……ふっざけるなぁっ!」
しかし、チェーニにはその条件を呑むという選択は出来なかった。
これは偏に感情の問題であり、命を助けてあげると言われているに等しい物言いを、彼女はすんなりと受け入れられなかったのだ。
それは単純に、プライドの問題かもしれない。
だが状況は、冷静に考えれば五分五分と言った所なのだ。
チェーニとラズゥエルは、図らずも魔王の第一夫人であるレギーナの子供たちを人質とする事に成功している。
もっともこれは、今の段階では彼女たちの知らない事ではあるのだが。
基本的には無力であり、更には念の為に魔力封じの札まで張られたアミラとケビンは、比喩表現抜きでただの人質となり下がっている。
一方で戦力と言えば、圧倒的にカレンたちが上なのだ。
「勇者の中の勇者」の序列は、決してハッタリではない。
序列順位が高いほどに、その戦闘能力は高いのだ。
それを考えれば、今のこの場でチェーニとラズゥエルはカレン一人にさえ敵わないだろう。
そこに序列4位、5位、8位が居並んでいる。
もしもチェーニたちが人質を手放そうものなら、制圧されるのに瞬きの間さえ必要としない。
「あんた達とこれ以上、そんな問答するつもり何て無いんだよっ! 『白の勇者 カレン』ッ! あんたが魔王の嫁ってんなら都合が良いっ! あんたの旦那を……魔王をここに連れてきなっ!」
このまま時間を掛ければ、どのような不意を突かれて取り押さえられるか分かったものではない。
何せチェーニの相手は、自分たちよりも遥かに高みにある戦士達なのだ。
自分たちの能力がカレンたちに知れている可能性はあっても、その逆はない事を何よりもチェーニたちが理解していた。
その証拠に、先ほどブラハムは明らかに下位の存在であるチェーニとラズゥエルの事を知っていた。
チェーニたちがカレンたちを知っているのは、それは偏に畏敬の念から来るものであり、大抵の者は自分たちよりも高みにいる存在に憧れを抱くだろう。
多分に漏れずチェーニたちも、「勇者の中の勇者」の最上位連の名や風体は聞き知っていた。
だがその逆は普通は……有り得ない。
上位の者がすぐ下の者に気をやることはあっても、遥か下位の者の名まで知っているというのは余り考えられる事ではないのだ。
そこから導き出される考えは、ブラハムが「勇者の中の勇者」に所属している者達の特徴を具に理解している可能性であった。
このまま時間を掛けて話し込んでしまっては、どのような特殊能力を用いてこの状況をひっくり返されるのか知れたものではない。
だからチェーニはカレンとの問答を打ち切り、自分たちの目的を優先する事にしたのだ。
チェーニの要求は、当然と言おうか魔王アムルの首であった。
それを要求されたカレンたちは……?