ラズゥエルの能力
セルペンスの息の根を止めたチェーニとラズゥエル。
しかし彼女たちの目的は、未だ達成された訳では無かった。
セルペンスを倒したチェーニとラズゥエルだが、この2人に安堵した様子は見られない。
強敵だと言って良かったセルペンスを討ち取ったのだ。少しは気を抜いても良さそうなものだのだが。
「……さぁて、ラズゥエル。こっからが、お前の出番だな」
相棒にそう声を掛けるチェーニの声音は、先ほどまでの戦闘に勝利した余韻など微塵もなく。
「……ええ。ですが、私の出番があれば良いのですけれど」
それはラズゥエルも同様であった。
2人は何もここへ、セルペンスを倒しに来た訳ではない。
言うなればここでの戦闘は望んだものではなく、どちらかと言えば仕方なく戦ったというのが本当だろう。
彼らがここへと訪れた本当の目的とは。
「……おい。あれは何か……それっぽくねぇか?」
チェーニは戦闘の行われた執務室の隣の小部屋に、趣向の凝らさられた一際豪華で巨大な鏡を見つけラズゥエルへと問い掛けた。
鏡……と言ってもそれは、正面に立つチェーニの姿を映してはいない。
表面は光沢を放つガラス質で出来ており如何にも鏡なのだが、何も映しこんでいないその鏡面を見てチェーニは確信に近い声音でラズゥエルへと質した。
その声を聴いたラズゥエルはすぐにチェーニの元へと合流し。
「……当たりの様ですね」
彼女の意見に賛同したのだった。
チェーニはその見た目からその鏡がただの調度品ではないと考えたのだが、ラズゥエルはそれとは違う眼で見て判断した結果であり。
彼がそう結論付けたのならば、それは殆ど間違いのない事だと言って良かった。
「なら、早速頼むぜぇ。これ以上長居は出来そうにないからな」
それを聞いたチェーニが、冗談ではない口調でラズゥエルを急かした。
それもその通りであり、ここでセルペンスと戦った時間はそれほど長くは無かったのだが、今は昼日中であり深夜ではない。
この建物内にも多くの魔族が働いている事を確認しており、いつセルペンスの元へと訪れるか知れたものでは無いのだ。
チェーニに急かされたからと言う訳では無いのだが、ラズゥエルは無言で鏡の前に移動すると、そっとその巨大な鏡に触れたのだった。
彼がこの魔界へと送り出されたのには、当然訳がある。
殆ど未開の地である魔界には人界ではお目に掛れないようなアイテムや、今までに見たことも無いような魔道具が存在すると考えられた。
潜入するにあたっては現地で必要な物を徴用するケースは多々あるだろうが、それも使い方が分からなければ意味がないと言える。
剣1本、回復薬1つとっても、人界と同じ形や効力とは限らないのだ。
それでは、当地で調達するなど困難だと言って良かった。
そんな難儀な窮状を打開する術を、ラズゥエルは持っていた。
彼の……彼だけの有する特殊技能「原初の知識」は、その手で触れた物の本質を知る事が出来るのだ。
しかしその技能で得た用法を、ラズゥエルが余人に知らしめる事は出来ない。
彼の知る事が出来る情報は殆ど感覚で知るのであって、理屈を解き明かす訳では無い。
だからこそ、然程高位の魔法使いでもない彼が自ら魔界へと赴く必要があったのだ。
「……ふむ。これは便利な魔道具の様ですね。これを使えば、一気に魔王城へ潜入する事が出来そうです。それどころか、上手くいけば魔王の不意を突く事も不可能ではありませんよ」
「本当かっ!? やったじゃねぇかっ!」
ラズゥエルの知り得た情報を聞いて、チェーニは喜色ばんだ声を出していた。
ここへは何か魔王や魔王城に繋がる物があるかどうかを探りに来たのだが、まさか目的の物がいきなり見つかるとは思っていなかったからだ。
チェーニが傍らで喜ぶ最中、ラズゥエルは引き続き眼前の魔導鏡の解析を続けた。
そして。
「……お!?」
次の瞬間、鏡の天頂部にある大きく紅い宝石に光が灯った。
それと同時に、それまで鏡であるにも関わらず何も写していなかった鏡面に、2人の姿が鮮やかに映り込んだのだ。
それがこの魔道具の起動を意味している事は、如何なチェーニであっても気付かない訳がない。
「……隠された機能も幾つかあるようですね。これなら……」
まるで新しいおもちゃを与えられた子供の様な表情を浮かべて、ラズゥエルは更に伝魔境の能力を探っていった。
魔王アムルが人界軍を迎え撃つ為に出撃した魔王城魔王の間では、何故か賑やかな声が響き渡っていた。
「あ―――っ! わらったっ! いま、アーニャちゃんがわらったよ!」
その理由は、今この場にいる面子を見れば伺い知れようというものであった。
「あーにゃちゃ。わらった?」
マーニャの抱くアーニャを構っていたアミラとケビンが、アーニャの表情にキャッキャと楽し気な声を上げ。
「えっ? アーニャが笑ったの? どれどれぇ?」
「うふふふ。アーニャは誰かさんと違って―――、とても社交的で愛想が良いのですね―――」
「ちょっと、エレーナァ? それって、私の事を言ってるのかしらぁ?」
その事をこの場に集う誰も叱責するような事は無く、それどころかその輪に加わって一緒にはしゃぐ始末だった。
この魔王の間には今、魔王の代行を命じられたレギーナとその子息アミラとケビン、カレンとエレーナ、マーニャとアーニャは勿論、近衛責任者代行を言い渡されたブラハムも同席していた。
魔界の政務の中枢でもあるこの魔王の間の役割を考えればここに幼児がいる事も、そんな子供たちと遊戯を交わす大人たちも同様に注意されて然るべきである。
だが今、その様な些事に神経質な声を上げる者はここにはいない。
確かにこの場は、レギーナがアムルの名代として任されている。
しかしそれも、あくまでも代行としてその業務が滞る事の無いように任じられているだけであり、何もかもアムルの代わりを務める必要など無いのだ。
当然、謁見や会議と言った事は行われておらず、レギーナも書類の閲覧などは隣の執務室を利用している。実際、今現在は彼女もそこに籠っていたのだが。
「随分と賑やかですねぇ。どうしたのですか?」
どうやらそれも終わったようで、穏やかな笑みを浮かべてレギーナが魔王の間へと戻って来た。
それに気づいたアミラとケビンが、弾かれた様に駆け出して彼女の元へと向かう。
「あのねあのね! アーニャがね、わらったんだよ!」
「ったんだよ」
レギーナの元へと辿り着いた途端にアミラは堰を切ったようにそう捲し立て、それに負けじとしているのかケビンも一生懸命に報告する。
それに優しく頷きながら、レギーナもカレンたちの元へと合流した。
「もう書類の検閲は終わったの、レギーナ?」
そんな彼女に、にこやかに話しかけたのはカレンだった。
「ええ。それほど多くはありませんでしたし、割と早く終わりましたわ」
その問い掛けに対して、レギーナもまた笑顔を湛えてそう返答したのだが。
「多くないって……。結構あったように思うんだけどなぁ……」
レギーナに向けて、マーニャがゲンナリした表情でその様な意見を述べていた。
それを傍らで聞いていたエレーナは「うふふ」と小さく笑みを溢すだけであった。
普段はおっとりとした淑女然としているレギーナだが、こういった場面で彼女の能力の高さをまざまざと見せつけられる度にカレンたちは舌を巻いていたのだった。
「ふふふ……。あの人が留守中に、政務を停滞させる訳にはいきませんからね」
ポカンとするカレンたちに向けて、レギーナは少し照れたようにそう答えていた。
確かにレギーナがアムルより与えられた役目は、アムル不在中の政務全般を執り行う彼の代理だ。
しかしそれを差し置いても、彼女が非常に優れた政務官である事は疑いようのない事実だった。
この一件だけを鑑みても、十分にその事が証明されたと言える。
「それより、ちょっとお茶にしない? 私、喉が渇いちゃった」
ある意味でレギーナに感心する雰囲気が流れる中で、マーニャが話題転換を図るようにそう切り出した。
もっともこの提案は本当にマーニャ自身がお茶を欲しているというよりも、どちらかと言えば職務で疲労しているだろうレギーナを思いやって休憩を持ち掛けたものだ。
「うふふ―――そうですね―――。私もなんだか、喉が渇きました―――。……マリンダ―――、ミリンダ―――、お茶の用意をお願いできますか―――?」
その提案に乗っかったのだろうエレーナもマーニャに同意し、傍らで控えていた双子の魔女であるマリンダとミリンダに声を掛けた。
「畏まりました」
「直ちにご用意いたします」
双子ならではの息の合った返事をエレーナに返し、2人は早速この魔王の間に応接セットを持ち込む手配をしたのだった。
そして一同は、魔王の間でお茶会をするという、普段ではありえない時間を楽しんでいたのだが。
「きゃぁ―――っ!」
その時間は、突如齎された悲鳴により引き裂かれる事となった。
「な……なにっ!?」
その声に即座に反応したのは流石と言おうかカレンとブラハムであったのだが、真っ先に行動を開始したのはレギーナであった。
何故ならその悲鳴が上がった場所と言うのが伝魔境の設置していた部屋であり、そこには先ほどアミラとケビンが向かっていたからだった。
それでも、ドレスを羽織っているレギーナの動きはそう素早くはない。
彼女を抜き去ったカレンとブラハムは、先頭となり隣室の扉へと向かった。
駆け出してくる女官たちとは入れ違いにカレン、ブラハム、レギーナ、エレーナ、そしてマーニャの順にその部屋へと到達し。
そこで見たのは、アミラとケビンが見知らぬ男女によって拘束されている姿だった。
魔王の間に響き渡る悲鳴、どよめき。
駆けつけたカレンたちが目にしたものは、侵入を果たしたチェーニとラズゥエルの姿だった。




