魔界の2人
チェーニとラズゥエルの、憶測に基づいた議論は続いていた。
それが正鵠を射ていたとは知らずに……。
ラズゥエルの口にした考えには、チェーニも全くの同意だった。
しかし同じ考えにたどり着いたとて、それに無条件で賛同出来るかと言えば。
「でもよぅ! 『白』『黒』『赤』『青』を送り込んで打ち倒せなかった魔王なんだぜ!? それであたいらを選んで、魔王を倒せると思ってんのか!?」
そんな事は無く。
彼女はその怒りをラズゥエルにぶつけるかの如く、声を荒げて反論を口にした。
勿論そんな事は、改めてチェーニに言われるまでも無くラズゥエルにだって分かっている。
そもそもこの考えはあくまでも憶測であり、決して真実ではないのだ。
何よりもこのことが事実だったとして、それを命じたのは彼ではない。
「……まぁ、落ち着いてください、チェーニ。今ここで怒鳴り合っても、どうしようも無いでしょう?」
理不尽な非難を受けた形のラズゥエルだがそれに激高した様子はなく、先ほどから一貫して変わらない口調でチェーニを宥めた。
もっともチェーニにしてみれば、ラズゥエルの意見は彼の見解であって事実を語っている訳では無いという事も、もしもそれが真実だとしてもそれは彼のせいでは無いという事さえ理解している。
理解していても、声を荒げずにはいられなかったのだ。
だが確かに。
「あ……あぁ。すまねぇ、ラズゥエル」
ここで彼に詰め寄ったところでどうにもならない事を、当のチェーニもちゃんと理解していたのだった。
「それに、必ずしも私たちが帰って来ない『白の勇者』達の代わりを命じられるとは限らないでしょう?」
そしてそのセリフもまた、チェーニには分かる話であった。
序列上位の勇者が束になっても、魔界に座す魔王を討ち果たす事は出来なかったのだ。……憶測だが。
残りの「神色の勇者」の全てを投入するというのならばまだしも、序列でいえば38位のチェーニと、62位のラズゥエルを送り込む意味が彼女には分からない。
そう考えれば、チェーニたちがここに呼ばれたのは全くの別件であると考えるほうが自然ではあった。
「……まぁ、それもそっか」
半ば強制的にその考えに納得したチェーニが、そう独り言ちて再び深く椅子に座りなおした。
大臣の部下が彼女たちの待機する部屋の扉をノックしたのは、そのすぐ直後であった。
見知らぬ空、初めて見る大地、見たことも無い動植物……。
人界の景色と大差ない、それでいて人界の何処にも見当たらない風景の中、2つの影が焚火を囲んで野営していた。
周囲は暮れなずみ、もう暫くすれば夜の帷が降りてくる。
人界でもそうだが、夜に動くことは隠密性が高くなる半面、危険も大きく伴う事となる。
余程の事でもない限り、旅人たちは夜になれば火をおこし安全と思われる場でキャンプするのだ。
「……あ―――あぁ。やっぱり、勇者になんかなるんじゃぁ無かった……」
そして、チェーニと。
「もう、諦めて下さい。それにここは、とっくに魔界ですから」
ラズゥエルも夜の行軍は控えて、街道から僅かに外れた草原で野営を行っていたのだった。
結局、大臣の部下に呼び出されたチェーニとラズゥエルは、彼女たちの想像通り魔界へ行き魔王を“暗殺”する様に言い渡されたのだ。
そして命令が暗殺だと聞いて、彼女たちは自分たちを選んだ事に酷く納得していた。
それと同時にこの指令を断れない事、他の誰かに変更となる可能性がない事を強く理解していた。
「でもよぅ……。よりにもよって魔王の暗殺だぜ!? 普通に考えたら不可能だろ!?」
チェーニたちが、魔王の事をどれほど理解しているのかは定かでは無い。
いや、殆ど知らないと言って良いだろう。
魔界の情報は確りと統制下に置かれ、一般的に流布する事は無かった。
それは「勇者の中の勇者」である彼女達にも同様で、上層部から喧伝される以上の事は知らなかったのだ。
その、現在得ている情報から算出した答えは。
―――魔王は強大な力を持つ最悪の象徴であり、人族が憎むべき存在である。
という事だった。
他に魔王や魔界について得られる知識がない以上それを鵜呑みにする以外なく、そこから導き出される見解はと言えば。
―――魔王は恐怖の象徴であり、「勇者の中の勇者」であるところの「神色の勇者」が束になっても敵わないほど強大である。
となったのだった。
それもそうだろう。噂に間違いがなければ、カレンたちは魔界へと向かい戻ってこれていないのだ。
そんな相手に、太刀打ち出来ると結論付ける方がどうかしている。
それが例え正面からの攻略ではなく、背後から忍び寄っての暗殺であっても同様であった。
「……では何故、あなたは此処にいるのですか? 断れば良かったでしょう?」
チェーニの愚痴を持て余し気味のラズゥエルは、やや嫌味とも取れる言葉を返した。
「……ちぇ。断れる訳ねぇじゃんか。……何もかも……よぅ」
殆ど殺し文句に近い台詞を告げられ、チェーニは先ほどまでの勢いを消沈させボソリとそう呟いた。
そんな彼女の姿を見たラズゥエルもまた、小さくため息を吐いて再び読んでいた本に目を落としたのだった。
彼女の言った通り、今回の魔界派遣の件も然り、それ以前の全てにおいて、チェーニたちが拒否出来る案件は何一つとして無かったのだった。
そもそも勇者になる時点からして、チェーニとラズゥエルに断る術は無かった。
国家の要請で勇者として召し抱えられると言えば聞こえは良いが、もしも断ろうものならば何らかの罪状を突きつけられて引っ立てられるのだ。
もっともそこまでならば、チェーニたちにデメリットは無い。
多くの給金と様々な特権を鑑みれば、勇者になる事を拒む方が珍しいと言える。
だがその様な立場となってしまったからには、与えられる命令に否と言える訳がない。
それまではそこまで突飛と思えるような指令も無かったので、命じられた任務を黙々とこなせばそれで良かった。
しかし今回のように自身の手に余る様な任務であっても、チェーニたちがそれについて異論を挟む事など出来なかったのだ。
それが、支配者によって「死んで来い」と言う命令であっても……である。
無言の刻が、2人の間に流れる。
そもそもこの旅が始まっての数日間、チェーニとラズゥエルの間で頻繁に会話のキャッチボールが行われていた訳では無い。
それでも今この場に蟠るどうにも重い沈黙は、普段それを気にしない者でも居心地が悪くなるものだった。
「……しかし。魔界と言うからどの様な場所かと思えば、随分とのんびりした場所だったのですねぇ」
珍しく……と言えるだろう。
その雰囲気に耐えかねたのか、ラズゥエルの方から口を開いた。
「確かになぁ。聞くと見るとじゃ大違いだぜ。……まぁもっとも、魔物の強さには辟易するけどな」
彼の気遣いが分かるのか、チェーニも積極的にその話題に乗っかって来た。
ここは人界ではなく、未知の魔界なのだ。
常に死が隣合わせなのは、それがどれほど安全に見える風景であっても違いはなく、全くと言って良いほど気が抜けるものではない。
そんな状況も相まって、彼女も何かを話して気を紛らわせたいのだろう。
「それも、あなたの能力をもってすれば問題ないでしょう。おかげで私も、ここまでは無事でやって来れた訳ですしね」
ははは……と乾いた笑いを零して、珍しく……と言うよりも殆ど初めて、ラズゥエルはチェーニに向けて賞賛に値する言葉を口にした。
「ふ……ふん。でも、ここからはあんたの能力をあてにするかもしれないんだ。その時は、頼りにしてるよ」
少し照れた表情で、チェーニはラズゥエルに向けてそう返した。
対してラズゥエルは、薄っすらと笑みを浮かべて再び本に目を向けたのだった。
先ほどまでこの空間に立ち込めていた剣呑な空気も霧散し、チェーニはその場に横になったのだった。
魔界の夜を過ごす2人。
決して安全ではないこの魔界で、今この場所だけは平静であった。




