新たなる勇者の存在
時は僅かに遡る。
それは、魔王城を見事に攻略せしめた勇者たちの物語……。
魔王城が侵入してきた勇者たちに占拠され、カレンが人質となるその7日前。
人界では、魔界に対してある決定がなされ実行されつつあった。
その決定とは。
―――新たな勇者を選定し、魔界へと送り込み、魔王の首を取る。
と言うものであった。
このなんとも安直な命令は首脳部により1年前に決せられ、人選が行われ、そしていよいよ実施されようとしていたのだった。
「あ―――あ……。貧乏くじだよなぁ……。こんなことなら、勇者になんかなるんじゃなかったよ」
城の一角に与えられた豪華な部屋のこれまた豪奢な椅子に腰かけて、組んだ足を目の前のテーブルに投げ出し頭の後ろで指を組んだ女性が、これ以上ないというほど力無くやる気も感じさせずに、誰に言うでもなく独り言ちた。
ぼさぼさの黒い髪を短く借り上げて、女性らしさは殆ど感じられない。
何処を見ているのか天井に向ける深く青い瞳は胡乱であり、やはり気力を感じさせるものはなかった。
細い腕、細い腰、細い足……。いっそ細すぎるというスリムな彼女の体形は、勇者と言うよりもどちらかと言えば盗賊や暗殺者のそれだ。
椅子をカターン、カターンと鳴らしながらそう毒づく彼女の態度は、やはり勇者とは思えない。
もっとも、勇者に品行方正を求めている者など人界では皆無なのだが。
何故ならば勇者に選ばれる最たる条件は、言うまでも無くその戦闘能力なのだ。
いくら礼儀正しい聖人然とした者であっても、実力が伴わなければ勇者にはなれない。
つまり彼女は、勇者と呼ばれるに相応しい能力を持っているという事でもある。
「……チェーニ。いい加減、その愚痴は止めませんか? 言っても詮無い事ですし、決定が覆るような事はありません」
そんなチェーニの独り言に反応したのは、テーブルをはさんで彼女の対面に座っていた男性だった。
そう……この部屋には彼女の他にもう一人、男性がいたのだ。
チェーニはその線の細さと身体的特徴の無さから印象に残らない風体をしているが、この男はその存在自体が稀薄であった。
その物言いにも抑揚がなく、表情の変化も乏しい。
物静かと言うには口数が少なすぎ、その声量も大きくなく、何も知らない者がこの部屋に入って来たならば果たして彼に気付くかどうか怪しいものだ。
チェーニほど黒いと言う訳では無いが、彼の黒髪も短く刈り上げられており特徴がない。
そして手にした本の文字を追うその瞳は深いブラウンをしており、全体的にこれといって目立つような部分がないのだ。
「……ちっ。ラズゥエル、お前ってほんっっっと、面白味がないよなぁ。そんな事は、言われなくても分かってんだよ」
チェーニにラズゥエルと呼ばれた男は、彼女の誹謗に対して何の反応を示す事無く先ほどまで読んでいた本にまた目を落とした。
そんなラズゥエルに向けてチェーニは小さく深いため息をつき、再度天井に視線を向けたのだった。
言うまでも無く、彼女たちは勇者である。
ただし、特に選りすぐられた勇者と言う訳では無かった。
チェーニとラズゥエルもまた、カレンたち同様に「勇者の中の勇者」である事に違いはない。
しかし残念ながら……だろうか、「神色の勇者」ではなかった。
そして人界には、「勇者」は多く存在していたのだった。
実際人界には、それこそ多くの「勇者」が実在する。
カレンたち「神色の勇者」を筆頭に、「勇者の中の勇者」に選ばれた者は少なくとも100名ほど存在する。
ただし「勇者の中の勇者」は、国家により選出された勇者たちであり。
それ以外にも、在野には多くの「勇者」がいたのだった。
それこそ「街の勇者」「村の勇者」「森の勇者」「海の勇者」「山の勇者」……etc。数え上げればきりがないほど、勇者と呼ばれる者は数知れずいる。
そんな数多いる勇者の中から国家の任命官が本当に実力のある者を選別し、晴れて「勇者の中の勇者」として統一政府に召し上げられたのだ。
更にそこから厳粛な審査が行われ、わずか12名の「神色の勇者」となる訳だ。
そしてチェーニ=アウグステンとラズゥエル=コントニスは、そんな狭き門である「勇者の中の勇者」に選ばれた。
それはいわば、彼女たちが勇者のエリートであることを指している。
だが、チェーニたちは「神色の勇者」には選ばれなかった。
それが残念な結果だったのか否かは、彼女達だけが知る事ではあるのだが。
いや、今回の作戦で彼女たちが選ばれた事を考えれば、チェーニの呟き通りついていなかったのかもしれない。
何せ今回の作戦とは。
「……なぁ。あたい達の呼ばれた理由ってのはやっぱり……」
「そうですね。間違いなく、魔界への潜入工作でしょうね」
「……だよなぁ」
そう。彼女達には、魔界へ向かうという事以外に思い当たるものが無かったのだった。
人界側に陣取っていた魔族を駆逐して1年と数カ月。
魔界へと続く異界門は、未だに人界側がその監視下に置いている。
魔界側から人界へ向けての目だった動きは無く、これまでは平静を保っていると言って良い状態が続いていた。
しかしチェーニたちが知る限りで、人界の首脳陣が何もせずに静観を続ける事は考えられなかった。
宿敵たる魔王を倒す為……と言うのは口実で、新たなる領地を得る為に。
もっともその領地を得るには、やはり立ち塞がるであろう魔王が邪魔となる訳だが。
そして何よりも、未知の世界へ人員を派遣するという冒険を試みる為に、人界の指導者たちは勇者を彼の地へ送り込む事が、チェーニたちには安易に想像出来たのだ。
「……なぁ。お前、『白』って最近……見たか?」
再びチェーニが、まるで独り言のように目の前のラズゥエルに声を掛け。
「……見ていませんねぇ」
彼も読んでいる本から目を離す事無く、彼女へ向けてそう答えたのだった。
「……という事は、あの噂は……」
「恐らくは、事実でしょうねぇ」
片言だけを口にしあう彼女達だがそれでも会話は成立し、その内容も間違っていない。
チェーニたちが言う「白」とは、「白の勇者カレン」の事を指している。
彼女たちはここ最近で、カレンの姿を見ていない事を話題にしているのだ。
「第4位の『黒』と第5位の『赤』、それに第8位の『青』も、ここ最近では誰も見てないって」
「……そういう事でしょうね」
更にチェーニが口にした「黒」とはマーニャ、「赤」はブラハム、そして「青」はエレーナの事を言っており、彼女たちの姿も目撃されていないとチェーニは指摘したのだ。
そしてそれに対してラズゥエルは、まだ口にもされていないチェーニの考えを肯定した。
改めて説明すれば、この2人は決して親しい仲と言う訳では無い。
定期的に集められるこの城で、たまに見かける知人……そういった関係だ。
同じ「勇者の中の勇者」なのだから仲間意識はあるだろうが、積極的に会話するような間柄でもない。
それでも2人の会話が成立しているのは、共に同じ結論を抱いているからに他ならない。
「やっぱり『白』達は魔界へ行って、帰ってこれなかったって事か」
チェーニはラズゥエルの返答を聞いて、言わずもがなな事を口にした。
それは、すでに半年も前から「勇者たち」の中で囁かれていた噂である。
「神色の勇者」の中より序列第1位の「白の勇者カレン」、序列第4位の「黒の勇者マーニャ」、序列第5位の「赤の勇者ブラハム」、序列第8位の「青の勇者エレーナ」が選抜され、魔王討伐の任を帯びて密かに魔界へと派遣された……と言うのだ。
そしてそれは、間違いでは無いのだが。
ただし正式に公表されていないからには、その噂は憶測の域を出ない。
如何に真実を語っていたとしても、誰も大っぴらに口にする事は憚れていたのだ。
「……そして、私たちが次の候補として挙がったと。そういう事でしょうね」
ラズゥエルはチェーニの言葉を受けて、自分たちがここに呼ばれ待機させられている理由、その考えを改めて口にしたのだった。
諦めの雰囲気が蔓延する部屋で、チェーニとラズゥエルは「その決定」が齎される時を待ち続ける。
それはまるで、罪状を言い渡される囚人のように……。




