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凶報、轟く

平和な時と言うのは、そう長く続かないのかもしれない。

そして魔界にも、風雲急を告げる報せが齎されたのだった……。

 アムルたちが、新たな家族を迎えるという幸せな時を過ごしていたその時も、陰謀と言うものは着実にその実施の刻を伺っていた。

 そして、アムルとマーニャの娘アーニャが生まれて1カ月も経たないうちに、その知らせはアムルの元へと届けられたのだった。


「……何!? それは本当なのか!?」


 執務中だったアムルは、その報告を受け何時になく険しい表情で部下にそう問いただした。

 その普段は見せない余りの剣幕に、報告を終えた兵は思わずすくみ上る程であった。


「……アムル様」


 そんなアムルを、彼の横に付き従うバトラキールが静かに窘める。

 上官の動揺は、そのまま部下の戦意に直結する。

 如何に凶報が届けられたとはいえ、それをそのまま(おもて)に出すのは良い事ではなかったのだ。


「あ……ああ、すまない。それで……人界軍はどれくらいで魔界へと侵攻してくるのだ?」


 バトラキールの声掛けに、すぐにその意を察したアムルが冷静さを取り繕い、控えている兵に問いただした。


 その兵の齎した凶報とはすなわち。


 ―――人界軍動く。大軍をもって魔界へと侵攻する模様。


 であったのだ。

 この人界側の動き自体は、アムルたちも高い可能性として十分に予測していた。

 しかし本音を言えば、出来れば実現してほしくなかった事でもあったのだ。


「はっ! 人界軍はすでに以前より準備を進めていた模様っ! その動きは早く、7日後には異界門(トロン・ゲート)を潜り魔界へ侵攻を始めると推測出来るとの事ですっ!」


 アムルたちは今まで、人界に対して静観を貫いてきた。

 本当ならば異界門が人界側の手に渡った時点で、和平なり友好目的なりの使者を送るべきだったのかもしれない。

 だがその様な事をすれば、カレンたちが魔界側へと急襲し、アムルたちがそれを退けたと公言するようなものだ。

 それだけならば、襲われた魔界側に非はない。

 ただ実際は、襲われた後その勇者一行を全員懐柔し取り込んでいるのだ。

 もしもこのことが人界側に知れれば、カレンたちの処遇に対して人界側が何らかの要求をしてくることは十分に考えられた。

 その中には、カレンたちの返還を求めてくることも高い可能性で有り得る話だったのだ。

 囚われるという醜態をさらしたカレンたちが、人界でどの様な処遇となるのかは想像もつかない。

 もしかすれば、再び魔界へ送り込まれるかもしれないだろう。


 ……何らかの制約を与えられて。


 それはアムルにしても魔界にとっても、とても有益とは言い難い。

 故にアムルたちは人界側に何のアプローチも取らず、未だカレンたちの生死は不明と人界側に誤認させ続けていたのだった。

 しかしそれが結果として、人界側の魔界侵攻を防ぐ手立てを取らないという消極的な策を選択する結果となったのだが。


「……ふぅ―――」


 部下を退出させ、アムルは大きく息を吐いて深く椅子に沈み込んだ。

 いずれこの様な時が来るとは言え、実際に直面すればこれほど気の重い事は無い。


「……どう思う?」


 傍らに控えるバトラキールに、アムルはどうにも曖昧な質問を投げかけた。

 このような言い様はどうとでも捉える事が出来、振られた方はその真意を問いただすのが普通だろう。


「人界の侵攻は、すでに織り込み済みです。リィツアーノに指示すれば、人界軍の魔界侵攻に先んじて布陣する事は可能でしょう。ですが、近隣の町や村の避難は、完全にとはいきますまい」


「……うん」


 冷静なバトラキールの的確な分析に、アムルは小さく素直にうなずいた。

 異界門が人界側に渡ってより、人界の動きを具に知るという事は困難となっていた。

 如何に鍛え上げられ確立されたバトラキール直下の間者や情報網とはいえ、供給源を人界側に抑え込まれてしまっては、そうそう安易に情報を魔界へと齎す事など出来なかったのだ。


 異界門を挟んで、双方は相手を刺激しない程度に監視を続けていた。

 多くの兵を駐屯させれば、相手の攻勢を誘発しかねない。

 だが余りにも手薄な警備では、相手の自由な行動を許してしまう。

 魔界側人界側は、互いに最低限の兵力で睨み合いを続けていたのだ。

 その様な状況では、人界から情報を持った魔族が異界門を潜りぬけるのは難儀だと言わざるを得ない。

 今回、人界軍の進攻直前までその事を知れなかったとしても、それは誰のせいでもなかった。


「とにかく、すぐに各村落へ遣いを。大至急避難指示に従うようにと。それと同時に、リィツアーノへ軍の派兵要請を行ってくれ」


 後手に回ったからとて、手をこまねいて事態を静観する事も出来ない。

 アムルは先ほどバトラキールが言った事を復唱し、それを命令とした。

 バトラキールは深く腰を折り、その意を了承したのだが。


「カレン様、マーニャ様、エレーナ様、ブラハムへの報告はいかがいたしましょうか?」


 バトラキールは続けて、アムルへそう質問を投げかけた。

 そしてこれこそが、アムルにとってはなんとも困難な命題だったのだ。

 それを表すように、アムルはバトラキールの質問に、否も応も答える事が出来ずにいたのだった。


 如何に袂を別ったとはいえ、人界側はカレンたちが元居た陣営であり、人界は彼女たちの故郷である。

 表面上は対立する事も厭わないとしても、その実は定かではない。

 そして普通に考えれば、冷静でいられる訳がないのだ。

 彼女たちを戦禍から遠ざけ、その間に全てを終息させることは可能かもしれない。

 いや、アムルであるならば、それも不可能ではないだろう。

 アムルと魔族軍、そして3匹の古龍(・・・・・)の力をもってすれば、攻め来る人界軍を蹂躙するのにそう長い時間はかからないだろう。

 しかし、それを後から知ったカレンたちはどの様な反応を示すのか、これがアムルには想像できない。

 彼の想いを知っても尚、強くアムルに忌避感を示すかもしれないのだ。


 しかしながら、正直に今の状況を彼女たちに告げるというのも酷な話である。

 カレンたちの心情を考えれば、参戦の意思を示すかもしれない。

 だが人界側には、彼女たちの旧知の仲の者も居る可能性もある。

 それを知って尚告げるという事は、まるで踏み絵を強要している……アムルにはそう考えられたのだ。


「……とりあえず、軍議を開くとしよう。至急、主だった者達を集めてくれ。ただし……」


 長い沈黙の後に、アムルはバトラキールにそう指示を与えたのだが。


「カレン、マーニャ、エレーナ、ブラハムはこの軍議より外す。人界軍の動向を告げる事も不要だ。……いいな?」


 苦悶の表情を浮かべて、アムルはそう付け足したのだった。

 このことは、単に問題の先送りでしかない。

 そしてそれを、アムルが分からない訳はないのだ。

 参加させるにしろ、遠ざけるにしても、カレンたちには先に報告しておいた方が良い。本当ならば、それが上策だろう。

 しかしアムルは、今カレンたちにその事を告げる事を避けたのだった。

 もっとも、その判断を誰も責める事は出来ない。


「畏まりました、アムル様」


 それを痛いほど理解しているバトラキールは、その場で彼に意見することなくその指示に了承の意を示したのだった。


 そして数時間後、半ば秘密裏に行われた対人界軍対策会議では、現状の維持と魔族軍の進発準備、そして異界門周辺の町村への避難勧告を告げる事だけが決定された。

 魔族軍も出陣ではなく事実上の待機であり、これにはあのリィツアーノでさえ異論を挟みそうになるほど消極的と言わざるを得ない命令であった。

 それでも一同は魔王アムルの指令に異議を唱えず、黙々とその指示に従ったのだった。


 しかし残念ながらその事が裏目に出る事となり、のちにアムルは大きく思い悩む事となる。

 いや……後悔する事も出来ないほどの激動の渦に呑み込まれてしまう事となるのだった。




 そしてこの会議の3日後。

 人界より密かに魔界へと忍び込んだ2つの影に、誰も気付くことは出来なかったのだった。


カレンたちを思うあまり、至急の行動を取れなくなるアムル。

そんな彼の心情などお構いなしに、人界軍の侵攻と人界側の策謀は動き続ける。

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