幸せの魔王たち
人界では不穏な空気が立ち込め、急速に戦乱の気配が漂っていた。
一方魔界では……。
人界では着々と魔界に対する軍事行動とそれに伴う勇者派遣が検討されていた頃、魔界では魔王であるアムルと、元勇者であるカレン、マーニャ、エレーナが婚姻し、彼らはハネムーンを満喫していた。
さすがに結婚旅行ともなれば、正妻であるレギーナとアミラ、ケビンが同行する事は無く、4人は水入らず……と言う訳でもないが、新婚に相応しい旅行を楽しんだのだった。
もっとも。
アムルの凶運なのかカレンの不運なのか、それともマーニャが引き寄せたのか、エレーナに神の加護がなかったのか……。
その旅行中にも小さくない騒動が起こり、甘やかな時間と言うのも半減したのは否めない。
それでも……いや、だからこそだろうか、彼女等にとってこの旅行は非常に思い出深いものとなったのだが。
兎にも角にも結婚と言う一大イベントを終え、アムルたちは再び忙しくも平穏な日々を過ごしていたのだった。
そして刻は再び流れ1年が過ぎた。
それまでに、人界より魔界へと派兵された事実はない。
人界では魔界攻略が決せられていたのだが、未だその全貌を見せるには至っていなかったのだった。
勿論アムルも、ただ手をこまねいて待ちに徹していた訳では無い。
軍事にも精力的にテコ入れをし、リィツアーノとブラハムに軍の強化を徹底させ、来るべき最悪の事態に備えていた。
アムルとしては、人界に使者を送り形だけでも停戦や友好政策を執りたいとは考えていた。
しかしその様な事をすれば、カレンたちが生きていて魔王の軍門に下ったと思わせる事になりかねない。
いらぬ火種を起こさないためにも、今は人界に干渉すべきではないという方針が決せられ、ただ人界の動向に備えるよりほかになかったのだった。
そんな中でも、魔界側では大きな出来事が起こっていた。それは。
「おめでとう、マーニャ」
「へへへ―――。ありがとう!」
「本当に―――珠の様な赤ちゃんですね―――。……父親にでしょうか―――」
「ちょっとエレーナ―――? それって、随分棘のある言い方だけどぉ?」
「あら―――? そうでしょうか―――?」
―――第3夫人マーニャの懐妊、そして出産であった。
この春にマーニャは、無事に彼女の第一子となる女の子を出産していた。
アーニャと名付けられたその子は、アムルは勿論、他の夫人たちにも喜ばれまた可愛がられていた。
新たな生命の誕生、そして新しい家族が増えるという事を喜ばない者はおらず。
「ほんっと、可愛いよなぁ……アーニャ」
当然アムルも、無垢な表情を見せる新生児を前にデレデレであった。
ただしそんな気持ちも、必ずしも赤ん坊に通じるかと言えばそうでもなく。
「ふ……ふわぁっ! ふわぁっ!」
アムルが抱くとしばらくすれば、必ずと言って良いほど泣き出してしまうのだった。
「何よ、アムル? あんた、赤ちゃんの抱き方もなってないの?」
そんな不甲斐ない姿を見止めたカレンが、呆れたような口調で彼をからかった。
「いや……。そんな事は……無いはずなんだが。……なぁ?」
泣き止まないアーニャを腕に、困ったような表情をレギーナに向ける始末であった。
彼とて、子供がこれが初めてと言う訳では無い。
すでにアミラとケビンと言う、2人の子供も儲けているのだ。
当然、生まれたばかりの子供たちを抱き、あやしたことも少なくない。
「そうですねぇ。多分この子は、男の人に敏感なのでは?」
新生児は目があまりよく見えない反面、抱かれ方や声、接し方に敏感に反応する。
アーニャはそれで、男性に抱かれることを嫌っているとレギーナは言うのだ。
「ふふん、だらしないわね。ほら、代わってごらんなさい」
一向に泣くことを止めないアーニャを、今度はカレンが半ばひったくるようにアムルから引き取った。
どうにも納得のいかないアムルだが、子供を泣かせ続ける事を良しとはせず、不承不承の態でアーニャをカレンへと引き渡したのだが。
「ふわぁっ! ふわぁっ!」
「あ……あら?」
カレンが抱いてもアーニャは、泣き止むどころかその激しさを増したのだった。
これにはマーニャにレギーナ、そしてアムルも唖然とするしかない。
「ほらほら―――。ダメですよ―――。もっと優しく、愛をもって抱かないと―――」
困り果てているカレンから、今度はエレーナがアーニャを引き継ごうとし。
カレンもどうして良いか分からず、殆ど助けを乞うようにアーニャをエレーナへと渡した。
するとどうだろうか。
「あ……あれ? 泣き……やんだ?」
「う―――ん……。と言うか、眠りだしたな。眠たいのに寝れず、愚図ってたって感じかな?」
エレーナがアーニャを抱きほどなくして、アーニャは静かに寝息を立て始めたのだ。
その様子を覗き込むように見つめていたカレンは拍子抜けした声を出し、アムルは的確にその様子を口にした。
「まったく……。まさか私の子が、エレーナに抱かれて安心して眠るなんてねぇ」
その様子を可笑しそうに見ていたマーニャが、脱力している2人をそう冷やかした。
それを受けてカレンはバツが悪そうに唇を尖らせ、アムルは頭を掻いて乾いた笑いを零していたのだった。
「で……でも、流石はエレーナよね。子供のあやし方が上手だわ」
とにかく自分への矛先を逸らそうとの意図なのか、カレンはエレーナの子供への処し方を称賛した。
勿論これは、その場凌ぎに発した言葉ではない。
「そうですね―――。まさかここで、修道院での経験が役に立つなんて―――思いも依りませんでした―――」
その理由を、エレーナは自ら告白したのだった。
エレーナは幼少期より修道院で過ごし、彼女と同じく孤児として引き取られてきた多くの弟妹達の面倒を見てきた。
成長してからも勇者として旅立つまで、幼い子供たちの世話をしてきたのだ。
その中にはアーニャの様な乳飲み子も少なくなく、その時の経験が活きているとエレーナは言っているのだった。
すっかり寝入ったアーニャをマーニャに引き渡し、そんな母娘の様子を遠巻きにアムルたちは見ていた。
マーニャの爛漫とした可愛らしさは損なわれていないものの、もうその表情は母のものとなり、どこか幸福感を醸し出している。
「あの子も、すっかり母親ねぇ」
それをカレンは、思わず口に出していた。
そしてその呟きに、アムルとエレーナも頷いて応えていたのだった。
平和の象徴と言うならば、今目の前に見て取れる母娘の姿ほどそれに当てはまるものはない。
「……でも」
しかし、平和だと感じられたのはここまでであった。
…‥少なくとも、アムルにとっては……だが。
「そうですね―――。今夜からは、雪辱戦……ですね―――」
カレンの言わんとすることを正確に汲み取ったエレーナが、彼女の言葉の後を口にする。
「う……あ……」
2人の女性に左右に立たれ、更には尋常ならざる気配を発してその様な発言を受ければ、如何にアムルと言えども絶句してしまう。
「私も、結婚したからには子供が欲しいしね」
「そうですね―――。女としては、やはり母になりたいと思うものですしね―――」
凄まじいプレッシャーがアムルを襲う。
それに対してアムルは、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けず、声すら出せずにいたのだった。
「3人とも、何してるのぉ? こっちにおいでよぉ」
やや離れて話していたアムルたちに対して、マーニャとレギーナが声を掛けた。
「それじゃあ旦那様、宜しくね」
「そうですよ―――旦那様―――。頑張りましょうね―――」
笑っているのに笑っていない、そんな笑顔を両側から向けられ、アムルは嬉しいというよりも今までに感じた事の無い恐怖を感じていた。
背筋に冷たいものを感じながらアムルは、確固たる決意を新たにしながら、幸せそうなマーニャの元へと歩み出していたのだった。
幸せと言うならば、これ以上に幸福な状態はない魔界。
しかし、その生活を壊そうという気配が確かに漂ってきていた……。




