世紀の求婚 前
緩やかに……拙速に……時は流れる。
平和な時の思いでは、なんとも甘く……美しいものである。
カレンたちが魔界に逗留し初めて迎えた建国祭の前夜、アムルたちは一堂に会し、カレンたちの今後について改めて話し合われた。
カレンたちの心情を重視し、アムルとの婚姻は時間をおいて結論付けるという事でこの話は一旦の解決を見る事となった。
そしてカレンたちはアムルの言った通り、一度人界へと戻ることとなったのだった。
魔界へと決死の突入を決したカレンたちなのだから、人界に残してきた様々な人たちとすでに別れも済ませている事は明らかだ。
それでも魔界で生き長らえ、これからも生活できるという事が定まったのだ。事情が変われば、未練や後悔も首をもたげるだろうというアムルの配慮からであった。
特にブラハムは、人界に家族を残してきているのだ。
彼の愛惜は、如何ほどのものかは及びもつかない。
「すでに別れは済ませてあります。俺に情けは無用に願いたい」
誰が聞いても強がりではあるが、当初はブラハムもそう言って意見を曲げなかった。
しかしカレンの有無を言わせぬ英断により、彼女たちの人界行きが決定したのだった。
カレンたちにとって魔界侵攻同様、人界への帰郷もまた命がけの行軍となったのは言うまでもない。
それでも、同行したアムルの活躍と隙の無いバトラキールの差配により、ブラハムは家族を連れて魔界へと帰還でき、カレンとエレーナはそれぞれ大事な者達と本当に最後の別れを告げる事が出来た。
そしてマーニャもまた恩師と呼べる者に別れを告げ、魔界への移住を望む者達を少ないながらも連れてくることに成功したのだった。
「エイミーとマリンは、すぐにも即戦力で働けるほどの実力があるわ。マリンダとミリンダは、もうちょっと修練が必要かしらねぇ?」
とは、連れてきたマーニャの談である。
アムルはその言を取り入れ、エイミーとマリンにはすぐに魔王城で働いてもらう事とし、未だ幼さの抜けないマリンダとミリンダには、アミラとケビンの指導役に付いてもらったのだった。
彼女たちはとにかく向上心があり、魔界と言う全く未知の環境に興味津々であり、それぞれ充足した毎日を送っていた。
そうして、各々一段落のついた魔界では、対外的に大きな事件もなく季節が流れていった。
そして、それから1年後。
懸念されていた人界側の侵攻は行われず、魔界は平穏を維持していた。
これは、未だにカレンたちの敗北……戦死が人界側に知らされておらず、人界首脳部も明確な結論を出せずにいたところが大きい。
1年と言う月日は、長いようでいて短い。
魔界と言う未知の世界に飛び込んでいった勇者たちが、どのような艱難辛苦に見舞われているか分からないのだ。
人界を隅々まで回ろうと思えば数年はかかることを考えれば、1年と言うのは結論を出すにはやや早計と思っても仕方がないだろう。
そしてその間に、カレンたちは更に魔界の生活に溶け込んでいた。
もはや種族を除けば魔族だと言っても遜色ないほどに、魔界独特の様々な風習にも慣れていたのだった。
「入っていいわよ」
部屋の扉をノックする音に反応して、カレンが室外の人物にそう返答する。
間を置かずに扉が開かれると、そこにはメイド姿の女性が立っていた。
「魔王様がお見えです」
恭しく、それでいて素早く頭を下げたそのメイドは、カレンに向けて用向きを報告した。
それを受けてカレンは。
「……そう」
それだけを呟いて、口を噤んだのだった。
実をいうとカレンは今日、魔王……アムルがこの部屋に来る事を知っていた。
それもそのはずで、当のアムル本人からその旨を昨晩聞かされていたからだ。
それでもカレンは、彼を通すようメイドに指示を与えることも無く、暫し考え込むような……躊躇するような素振りを見せていたのだった。
カレンは、感じ取っていたのだ。……アムルの用向きを。
昨晩のアムルの意を決したような表情、そして瞳に宿した光を思い出せば、彼が何用でカレンの部屋に訪れたのか彼女にも想像できる。
だからカレンは、今日は普段の部屋着ではなく改まったドレスを着て待っていたのだ。
薄い青色を基調とし、派手さはないが清楚を感じさせるデザイン。
質素なようでいて意外に胸繰りは開けられており、上品さの中にもセクシーな色合いを醸し出している。
元々顔立ちが整い、今やその大半が白銀色となった髪が装いに花を添えていた。
そんな彼女がどこか恥じらいを見せて佇んでいる姿は、正しく可憐と言って違いない。
「……お通ししてください」
悩んだ……と言っても、それほど長い時間ではない。
カレンは控えていたメイドにそう告げ、メイドは頭を下げ、扉を開いたままその場を後にした。
そして。
「……よう、カレン」
メイドに連れられてカレンの部屋に入って来たアムルもまた、普段の恰好とは程遠い姿をしていた。
アムルは、特に華美な出立を嫌う傾向にある。
公務の際には、魔王の衣装である「至高の宝冠」「王者のマント」「覇者の杖」を身に付けているが、それ以外の場合は殆どが町人と変わらないほどの軽装であった。
「堅っ苦しいのは、苦手なんだよなぁ」
正装を見事に着こなしている正妻レギーナの隣で、如何にも不釣り合いな格好のアムルが、その事を指摘される度にそう零している事は誰でも知っている話である。
そんなアムルは今、正装と呼べる服装を着てカレンの前に立っていたのだった。
人界でいう所のいわゆる燕尾服なのだろう、黒を基調としたジャケットとスラックス。上着の背中側は裾が随分と長い。こういった文化は、どこかで共通するのかもしれない。
ジャケットの下はパリッとしたシャツなのだが襟はなく、ポーラー・タイの様な綺麗な紐を首から下げている。この辺りも、人界と近しい部分が伺えた。
そして何よりも今日のアムルは、右手に見事な花束を携えていた。
人界のバラの様な花なのだが、その花弁は淡く美しく透き通っている。
正しく、これぞ正装と言ういでたちで、アムルはこの場に臨んでいるのだった。
カレンの前に正対したアムルは彼女に一言声を掛けたが、その後の言葉を続けられずにいた。
そしてカレンの方も、顔を今までにないほど赤らめるだけでアムルに話しかけるような事はしない。
どうにも甘やかな緊張感がこの場を支配し、無言の刻だけが流れていった。
そんな2人に時間を取り戻させたのは、扉の閉まる音であった。
アムルを案内したメイドは暫時この場に留まり次の指示を待っていたのだが、2人がフリーズしてしまった事を理解しこの部屋から出て行ったのだった。
殊更に大きな音を立てて閉められた訳ではないのだが、緊張で固まってしまった2人にこの音は効果が高かったと言える。
「……あ……そ……その」
何とか意識を取り戻したカレンが何かを言おうと試みると。
「カ……カレン! こ……これを!」
アムルが彼女の言葉と被るように、持っていた花束を差し出したのだった。
彼の耳に、前方ではないどこからか息を呑む声が聞こえる。
それが一層、アムルに羞恥を与えていた。
目の前に突き付けられるように出された美しい花束を見て、そして緊張でガチガチのアムルの様子を見たカレンは、途端に余計な力が抜け。
「……ありがとう、アムル」
柔和な笑みを浮かべて、その花束を受け取ったのだった。
無事に持ってきたプレゼントを受け取ってもらい、アムルの方も良い感じに脱力出来たようであった。
ただし勿論、これで本日のイベントは終了……と言う訳はなかったのだが。
寧ろ、ここからが2人にとっての本番となるわけだが……はたして。




