満喫の宵宮 5
カレンを探してアムルが訪れた先は、この街でも名物と言って良い、一際高い鍾塔であった。
アムルが目に止めた先、そこには。
この街のどこからでもその姿が見える、周囲よりもひときわ高い塔が建っていた。
「……まずは、あそこから行ってみるか」
―――オラの塔。
その全高は、アムルが今政務を執り行っている仮王宮のある中央の丘よりも高く、この街のどこからでも見る事が出来る物見塔であり、街の者達に時を告げる鍾塔でもあり、この街のシンボルともいうべき名物である。
レークスの街に訪れた者が最初に目にするのは、この街の中央でそそり立つオラの塔と、威厳と美しさを兼ね備えた仮王宮だろう。
アムルはそのオラの塔の内側にある、壁沿いに設置された螺旋階段を昇っていた。
ここに、カレンがいる……。
アムル自身、そう確信しての行動ではない。
むしろ、その発想は安直と言って良いものだろう。
この街で最も目につき、一番高く、観光名所としても名高い塔であるからと言って、ここにカレンがいるという理由にはならない。
それでも、今のアムルにはカレンの立ち寄りそうな場所に目星がつかないのだ。
彼の発想は安易ではあるが、行き先として選ぶには適当と言って良かった。
それに、アムルにしても全く当てずっぽうと言う訳では無い。
仮王宮でみんなと別れる時、最もこの街の風景に感銘を受けていたのはカレンだった。
アムルには、その時のカレンの表情が印象深く残っていたのだ。
彼の脳裏に、時間を忘れてこの街の景観に魅入っているカレンの姿が浮かび上がる。
(……なんか、想像出来るんだよなぁ)
確信としては半々と言った気持ちで、アムルはオラの塔の内壁を昇り続けた。
そして、頂上までやって来た。
「……やっぱり、居たよ」
そしてアムルは、目的の人物の後姿を見つける事に成功したのだった。
―――そこに、カレンは……居た。
やや強めに吹き続ける風は彼女の髪を弄び、強く後方に靡かせている。
カレンは時折、その風に泳ぐ髪を撫でつけて抑えようとしていた。
それでも街の上空を吹く風は強く、彼女のいう事を一向に聞こうとはしなかったのだが。
美しい白金髪が風に舞う度に僅かな光りを集めてキラキラと輝き、彼女の美しさに花を添えていた。
その姿は、まるで有名な絵画を再現したようであった。
夏の強い日差しはすでに西の空へ消えうせていたが、その残り香が街中に蔓延し町全体が熱を発しているようである。
それでもこの塔の上は強風のせいか、地上に比べれば随分と過ごしやすく夕涼みには打って付けと言えるだろう。
そんな穴場ともいえる場所でカレンは、微笑みさえ浮かべて下界を見下ろしていたのだった。
「おい、カレン。何やってんだよ?」
見つけた彼女の背中に向けて、アムルはぶっきらぼうとも思える台詞を投げかけた。
不意に背後から掛けられた声だというのに、当のカレンに驚いた様子は見受けられず、ピクリとも反応を見せない。
それどころか。
「何やってんだ―――じゃないわよ。見てわかるでしょ? この街を眺めてんの」
肩越しに後ろを見やったカレンは、背後にたたずむアムルへ向けてそう返したのだった。
カレンの返答はもっともなのだが、ただアムルの問うた真意とはややズレがある。
「いや、こんな時間まで……」
「……この街って、綺麗よねぇ―――。夜になると、もっと綺麗……」
更に問い詰めようとしたアムルだったが、その言葉はカレンの台詞に被せられて最後まで言い切れなかった。
そしてカレンの方は、再び眼下に視線を落として沈黙している。
一つため息を吐いたアムルは、ゆっくりとカレンの隣へとやって来ると彼女と同じようにレークスの街を眺め出したのだった。
アムルにしてみれば、この街並みは幼いころから見慣れたものであり、今更改めて見るほどの事ではなかったのだが。
もっとも、今は日も落ち、それぞれの家には灯が点っている。
更には、今は前夜祭の只中であり、各店舗や屋台の灯りがその夜景に彩りを加えていた。
そしてこの塔は街の中央にあることで広がる視界はかなり広く、夜の闇に光の洪水が湧き上がってくるような幻想を受ける。
確かに、絶景と言うにはこれ以上ないほどではあるのだが。
「あの光の1つ1つに、ここに住む人たちの生活が込められてるのよねぇ……。人界では、これほど多くの……温かい光は見れなかったわ」
カレンはただ単に、美景に魅入っていた訳では無かったのだった。
彼女の想いは、他の3人と同様に人界へと向いていた。
如何に故郷を去る決意をしたと言っても、そう簡単に割り切れるものではないのだ。
カレンは今、望郷の念を抱いているのかもしれない。
そしてそんな彼女に、掛ける言葉をアムルは持っていなかったのだった。
この魔界に残ることを決断したのは、確かにカレンたちだった。その事に、アムルが何かを強要した事は無い。
それでもそれは、彼女たちに他に取りうる手段がなかったからなのかも知れないだろう。
カレンたちは、魔王を打つことが叶わなかった場合、おめおめ人界へと戻ることを許されなかったのだ。
魔王に負ければ、そのまま戦死する事に疑いはなく。
人界首脳陣は、刺し違えてでも魔王に戦いを挑む様に強要していた。
例え魔王討伐を諦めて人界に戻ったとて、快く受け入れてくれるような事は無い。
自身の威信を保つために、カレンたちは隠密裏に葬られる事は間違いないのだ。
その様なカレンたちがアムルの提案に乗り魔界に残ったとて、誰もその事を避難できるはずはなかった。
しかし、ここに残る際にアムルがカレンたちへと提示した条件……と言うか要望は、少なくとも彼女たちを悩ましている事に違いはない。
「……ねぇ、アムル。あなた……どこまで本気なの?」
静かに夜景を見つめながら、カレンは隣で同じように眼下へと視線を向けているアムルへ質問した。
この数か月、それはカレンにとって、いや……マーニャやエレーナにとっても考えずにはいられない事であった。
それは。
―――アムルが、カレンとマーニャ、エレーナに求婚したという事について……であった。
アムルとカレンが、魔王城最上階、魔王の間で戦った翌日。
アムルは、目を覚ましたカレンに結婚を申し込んだのだ。
それだけではない。
彼はマーニャとエレーナにも、同じように婚姻の話を申し込んでいたのだった。
当時の3人は、彼女たちの置かれている現状を考えて、その案に前向きに検討するつもりであった。
しかし、結婚の話が上がったのはその時だけ。
結婚の意思を示したのはマーニャのみで、カレンとエレーナは返事を保留するという所で止まっている。
その後3人は、魔界で暮らす事を前提として、魔界の様々な知識を勉強してきたのだった。
それも、アムルと結婚する為と言うのならば仕方のない事であり、カレンたちもそのつもりで取り組んできていた。
それでもアムルとの結婚話が一切出ないという事は、その話がそもそも本気だったのかどうかさえ疑わしくなっても仕方がないと言える。
「俺は、本気で考えてるけどな」
カレンの問いかけに、同じく夜景を目にしながら、アムルは表情を変えることなくシレッとそう返した。
「本気でって……。だったらあんた……」
「でも、今すぐに答えを求めようとは思っていないよ」
そんなアムルの言葉にすぐに反論しようとしたカレンだったが、アムルの続けた台詞に閉口させられていた。
アムルには、まだ何か思う所があるらしいのだ。
「まぁ、お前たちにとっても一生の事だという事は理解してるし、返答が難しい事も分かってるからな。それに、俺はお前たちが魔界に残ることを提案したが、お前たちは本当は人界に戻りたいかもしれないだろ? その時俺に、それを引き留める権利なんてないしな」
アムルの考えを聞き終え、カレンは暫し口を閉じ、真剣な眼差しで彼の方を見つめた。
アムルもまたカレンの方へと正対し、まじめな顔で彼女の瞳を直視していた。
しばし無言の時間が流れ、ただ吹きすさぶ風の音と、下方からわずかに聞こえる喧騒だけが彼らの周囲に流れていた。
そんな沈黙を破ったのは、カレンの方だった。
「……あんた、考えてなさそうでしっかり考えてくれてるのねぇ」
呆れたような、それでもどこか納得した様に、カレンは微笑みを浮かべてアムルへそう告げた。
「あのなぁ……。疑問に感じたんなら、聞いてくれれば良いだろう?」
カレンとしてはアムルの事を称賛したつもりだったのだが、当のアムルにその意図は通じなかったようだ。
アムルはカレンに、もっともらしい反論を試みたのだが。
「聞いてくれればって。そんな事、聞けるわけないじゃない」
カレンは、半ば絶句してそう答えていた。
申し込まれた結婚について女性の方からあれこれと聞きに行くというのは、特に人界で過ごしてきたカレンたちにしてみれば、随分とハードルの高い事であった。
もっとも、元々の文化や風俗が違うのだ。
アムルの意見も、カレンたちが感じている恥じらいさえ、互いにすぐに理解できるような事じゃあなかったのだ。
「……そういう部分も含めて、俺たちはもっと互いに知るべきことが多いんじゃあないか?」
その事を察したのだろう、アムルがそう口にする。
「……ふふふ、そうね。ほんと、そう」
そして彼の意見に、カレンは全面的に賛成の意を示した。
つまりは、まだまだカレンたちとアムルには時間が必要だという事だった。
「それに、お前たちは人界に名残があるんじゃあないか? 未練だとか、やり残した事なんかがあるんなら、まずはそれを解決しないとな」
そしてアムルは、カレンたちが気にかけていたことにまで言及したのだった。
これには、カレンは驚きの表情をもって応えていた。
「……ほんっと、あんたって鋭いのか鈍いんだか……」
彼女の驚きの顔はそのまますぐにあきれ顔となり、その口からは脱力したようなセリフが零れ出していた。
しかし確かに、カレンを始めとしてここにやって来た元勇者一行には、人界に残してきたものが少なくない。
アムルのこの提案は、カレンたちにとって有難い申し出であったと言える。
「さて。とりあえず、明日の建国式典には出席してくれよな」
「それは良いけど、どういう立場で出ればいいのよ?」
「う―――ん……。ひとまず、婚約者って事で良いんじゃあないか?」
翌日には、正式な式典が催される予定である。今日のように気軽なものでなく、国の威信をかけての式典なのだから、少なくとも形式が重んじられるのはどの様な種族や国家でも同じことであった。
「ちょ……婚約者って! まさかあんた、既成事実を作ろうとしてんじゃないでしょうね?」
そんな正式な場に、実はともかくとして婚約者として出席すれば、それはそのまま周囲の認知を求める事になりかねない。
「ああ、大丈夫大丈夫。もしも結婚しなくても、婚約解消されたって事にすればいいだけだから」
そんなカレンの懸念を、アムルは何でもないと言った風に言い返す。
その余りに軽い言い様に、カレンも思わず納得しかけたのだが。
「解消されたって事にすればいいって、あんたが恥をかく事になるじゃない! そんなの、私は嫌よ!」
人界側の通念で考えれば、公の場で紹介までした婚約者と、相手の都合で婚約解消したなど言う事は、解消された側にしてみれば面子をつぶされたと激怒してもおかしくない事案だった。
だから、カレンにはアムルの意見が考えなしだと思っても仕方がない。
「あ―――……。その事についても、一度みんなで話し合わないとだなぁ。レギーナも交えて、その辺りも説明するよ」
そんなカレンに、アムルは微笑み交じりでそう説明した。
カレンの強い物言いはアムルの事を思っての事で、彼としてもそのことでカレンに言い返そうとは思わなかった。
「それより、そろそろ戻ろうぜ。あんまり遅いと、みんな心配しちまうからな」
ここでの言い合いを切り上げ、アムルはカレンにそう提案した。
「ええ、そうね」
それには、彼女も納得したのか頷いて答える。
そして2人は、オラの塔の展望台を後にしたのだった。
去り際にカレンが一度足を止めて振り返り、その景色を心に留めようと見つめていたことがアムルには印象的であった。
結論として、バトラキールの心配は杞憂となった。
レギーナが出鼻を挫き、ブラハムが意気を窘め、マーニャが気分を和らげ、エレーナが感情を癒し、カレンが心を通わせることで、アムルに羽目を外すタイミングを与えなかった事が大きい要因と言える。
もっともそれは狙ったものではなく、各々が自由に行動した結果なのだが。
それに、この後に行われた話し合いは、ある意味でアムルが街で暴れるよりも難儀であったのは皮肉でしかなかった。
そしてその数か月後、カレンたちはアムルの提案通り、一度隠密裏に人界へと戻ることとなる。
しかしそれは、また別のお話で。
アムルとカレンたちは、時間を掛けてお互いの距離を縮めてゆく。
そして、刻は流れ……。




