満喫の宵宮 3
一頻り共に時間を楽しんだ2人。
しかし、楽しい時間はあっという間に流れ、徐々に日は傾きてゆく……。
マーニャと過ごした時間も、そう長い間ではない。
それでも、傾きだした陽が西の地へ向けて大きく傾きだしている。
未だ空は青が大きく締めているが、いずれ時を置かずして赤く染まりだすだろう。
「それじゃあ、私は他の店を回ることにするわ」
マーニャはアムルとわずかに距離を取ると、クルリと振り返って彼にそう告げた。
まだ戻るには時間がある。
アムルは、彼女に同行する事を提案しようとしたのだが。
「私と会った通りをもうちょっと進めば、きっとエレーナがいるわ」
そんな彼の機先を制して、マーニャはすっと手を上げてある方向を指さした。
釣られ、アムルもそちらの方を見やる。
「きっとあの子、一人で暇してるわ。あんた、あの子の相手をしてあげなよ」
そして彼女は、アムルの背中に向けてそう声を掛けた。
ほんの僅かな間、マーニャが指示した方向を見ていたアムルだったが、ハッとして振り返った。
だがすでにそこには、マーニャの姿はなかったのだった。
『また……後でね』
呆然とするアムルの耳に、どこからか彼女の言葉だけが囁きかけそして……風に溶け消えていった。
マーニャの言った通り、彼女と出会った通りを少し進むと噴水のある広場があり、その泉の縁にエレーナは腰を掛けていた。
この場所には多くの屋台が出店しており、多くの家族連れが色んな店を覗いては何かしら購入し、中にはエレーナと同じように泉の傍に座り団欒している。
「……あら―――? アムル様ではありませんか―――?」
スッと差し出されたソフトクリームに気付いたエレーナが、その本人の姿を見止め特徴的な間延びした口調でそう口を開いた。
それを受け取るエレーナに笑みで答えてアムルも彼女の隣に腰かけ、もう一つ買っておいたソフトクリームを口に含む。
「こんな所で、何をしているんだ?」
遠間から暫くエレーナを観察していたアムルだったがそこから動くことも無く、ただ座っている様にしか見えないエレーナが結局何をしていたのか彼には分からなかったのだ。
「……見ていたのです―――」
その問いかけに、エレーナはただそれだけを返した。
勿論、それだけを説明されても、アムルには何の事だか分かる筈もない。
彼は更に、その内容を問おうとしたのだが。
「ところでアムル様―――? カレンやマーニャにはお会いにならなかったのですか―――?」
先に質問されてしまい、その事を聞くまでには至らなかった。
「ああ、カレンはまだ見つけてないけどな。さっきまで、マーニャと一緒だったよ。彼女が、ここにエレーナがいるからって……な」
手にしたソフトクリームをもう一口含んで、アムルは彼女にそう答えた。
それを聞いたエレーナは、少し驚いたような表情を浮かべて彼を見返していた。
もっとも、普段から閉じているかと思う程に目が細くいつも柔らかな笑みを湛えている彼女の表情の機微を、付き合いが短いアムルには察する事など出来なかったのだが。
「あの子ったら―――。それで気を利かせたつもりなのでしょうか―――」
頬に手をやり、ヤレヤレと言った風情でそう口にしたエレーナだったが、その中にはどこか嬉しそうな声音が含まれている事を、彼は今度は汲み取る事が出来た。
エレーナとマーニャがどこか距離を置いているという事は、傍で見ているアムルにも分かっていた。
それが感情や理屈だけでなく、歴史的な深い対立から来る忌避感に依っているという事も、彼には何となくだが理解出来ている。
そしてそれこそが、アムルの懸念でもあったのだが。
今のエレーナを見て、アムルはその事が杞憂だったことを悟り少しほっとしていた。
あとは、もう一つの気がかりである事が解消されれば、彼の憂慮も解消されるというものなのだが。
「では、アムル様―――? カレンを探しては如何です―――? 私は、もうしばらくここで見ていますので―――」
顔の向きを正面に戻したエレーナは、アムルにそう提言するとその言葉通り何処を見るでもなく、ただ周囲の情景に目をやりだしたのだった。
アムルが気にかけているのは、彼女の立ち居振る舞いにあった。
普段から清楚で物静かな彼女は、アムルに対して何処か距離を置いている節があるのだ。
それは、エレーナがアムルの事を「様付け」で呼んでいる事からも明らかだった。
彼女の丁寧な言葉遣いを考えれば、それはそれほど考える事ではないかもしれない。
それでもアムルには、その口ぶりがどうにも他人行儀でありすぎて、気になって仕方がなかったのだ。
ただし2人の付き合いの長さ、そして異性であることを考えれば、それは至極当然の事かもしれない。
しかし、カレンやマーニャの態度と比較して余りにも違うその対応は、アムルにエレーナとの溝を感じさせるに十分だったのだ。
もっとも、普通に考えればそれはおかしい事ではない。
男女の仲が、そう簡単に縮まるわけはないのだ。
本来であれば、時間を掛けてゆっくりと……だろう。
だが、事アムルとエレーナの“今後”を考えれば、そう悠長に構えていられる訳もなかった。
「……それで? 何を見てるんだっけ?」
先ほどのエレーナの言葉にも、どこかアムルを遠ざけるような含みが持たされていた。
それを感じ取ってしまっては、彼もそのままこの場を後にするという事は出来なかったのだ。
「……この街を―――」
アムルがここを去らないと感じ取ったのだろう、エレーナはアムルの質問にゆっくりと答えた。
「……街を?」
答え……と言っても、その内容は余りにも抽象的であり、彼女の一言で全てが納得できない。
その思いが、アムルの口から反問となって零れていた。
「……この街はぁ、素晴らしいですね―――。美しく大きな佇まいに―――、様々な人種の人々がともに生活し―――、争いを起こさず笑顔で暮らしています―――」
そう語るエレーナから、アムルは溢れ出る穏やかさと慈しみの心を感じ取っていた。
その中には、多分に羨望も含まれているだろうか。
彼女のいう様に、このレークスの街には実に多種多様な種族が入り混じって生活している。
ただ単に肌の色が違うというレベルではない。外見から大きく違う者達が、この街の住人となっているのだ。
そんな種族の坩堝と化しているにも関わらず、エレーナの見る限りこの街で大きな諍いが起こっているようには思えなかったのだ。
それは、今彼女の視界に映る景色が物語っている。
特に祭りと言う混雑するイベントでは、それでなくとも人同士のいざこざが頻発しがちだ。
それでも、少なくともエレーナの目の前で、偏見からのトラブルは発生しなかったのだ。
「まぁ、魔界には種族での優劣なんて無いからな。それぞれに、得意な分野も違うだろうし、互いにそういった自分にない秀でた部分を認めあってるんだろうな」
エレーナのどこかウットリするような独白にたいして、アムルもまた特に深く考えることなく持論を話した。
それは、アムルが常に思い感じている事であり、今この場で考えたものではない。
だからだろうか。
エレーナは彼の言葉に、大きく表情を変えて驚きを隠せなかったのだった。
もっとも。
そんなエレーナの姿に、当のアムルは気付かなかったのだが。
「きゃっ!」
その時、遠くから駆けてきた数人の子供たちのうち、最後方を走っていた幼い少女がアムルとエレーナの前で転倒した。
「うぇ……ううう……」
集団の中で一番幼いだろうその少女が倒れたことを、子供たちの中で気付いた者はおらず、他の子達はそのまま走り去っていった。
倒れた少女は、比較的人族に近い姿と肌の色をしている。
しかしやはり、人族とは大きな違いがあった。
その頭には、まるで羊を思わせる漆黒の角が生えていたのだ。
取り残された少女はその場でうずくまったまま、しくしくと泣き出していた。
そしてそんな2人の前で、少なくともエレーナが驚くような事が展開されようとしていたのだった。
アムルとエレーナ、2人の前で起こった小さな事件。
しかしそれは、エレーナにとっても心に残る出来事となるのだった。




