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いざ意識改革②

 来宮は自転車通学らしい。俺は学校と家が近く徒歩なので、今は来宮が手で自転車を押して歩いている形だ。

「来宮の家、こっちなのか?」

「うん。方向はね。普通に漕いだら三十分はかかるから、近いわけではないんだけど」

「はー……。そりゃ大変だな」

 自転車で三十分もかかるなら、公共交通機関を利用しても全くおかしくない距離だ。男子ならともかく、女の子がそういう通学スタイルをとるのは中々珍しい。

「今朝の事、怒ってるよね?」

「ん?」

 来宮に申し訳なさそうに問いかけられ、俺は心当たりを探ってみた。今朝といえば……、確かに川瀬とひと悶着あったから、そのことだろう。

「別に怒っちゃいねえよ。そりゃちょっと頭には来たけど、全国優勝するような選手が弱小校で野球やりたくないってのも、理解出来ないないわけじゃないしな」

 昔を後悔しているわけじゃないが、全力を出し切れないもどかしさは俺もそれなりには知っているつもりだ。

 それに、俺も大概暴言は吐いていたしな。しかも女子相手に。

「それでも、失礼な事を言ったのは事実だから。一言謝らせて」

 来宮は自転車を押しながら、「ごめんなさい」と小さく頭を下げた。なるほど、だからわざわざ俺と帰ろうなんて言ったのか。だが、

「いや、来宮が謝る必要はないだろ。友達だからって、川瀬の代わりに謝るなんてのは間違ってるんじゃないか?」

 あの時来宮はその場にはいたが、特に口喧嘩に参加してたわけではない。川瀬に加勢していたわけではないし、それどころか明らかに熱くなっていた俺達を宥めてくれたのは来宮だ。

 ……宥めたと言うよりは、殺気みたいなもので抑え込まれた感じだが。あの気の強そうな川瀬でさえ来宮の一言で冷静になっていたほどだ。

「それに俺、そもそも謝って欲しいとも思ってないしな。一回断られたぐらいで諦めるほど柔な根性も持ち合わせちゃいないし」

 本人にその気が無くても、こちらとしては大きな戦力になるであろう川瀬をみすみす手放すつもりはない。大袈裟じゃなく、首を縦に振るまで誘い続けるつもりだ。

「その事なんだけど……。もう薫を野球部に誘うのはやめて欲しいの」

「やめて欲しいって……、なんでだよ?」

「なんでもよ」

 子供か。

「それではい分かりましたって言えるほど、俺はお人よしじゃねえ」 

 自分勝手と思われようが、こっちにも引けない理由はある。一歩も譲る気は無い俺の姿勢を察してか、来宮はそれ以上何も言わず、黙り込んだ。会話のない気まずい時間が一分程続いただろうか。来宮は何かを決意したような目をしてこちらを向いた。

「誰にも言わないって約束してくれるなら、教えてあげる」

「そりゃまあ、うん。そう言われたら黙ってるけどさ」

 そんなに深刻な理由があるのだろうか。いや、良く考えたら何度断っても俺が部の勧誘をしにきたらそれだけで充分嫌な気はしないでもないが。

「薫はね、中学の頃は凄い選手だったんだよ」

「ああ、知ってる。有名な話だよな」

 本当は昨日まで知らなかったけど。

「リトルの時からずっと努力してて、女子の中では破格の球速とキレのある変化球を持ち味にして、シニアに入れば一年生の時からベンチ入り。二年三年ではエースナンバーを背負って全国まで上り詰めたの」

「……改めて聞くと凄い話だな」

 経歴だけ見れば、普通に一流の選手だ。決して男女差別じゃないが、女子はどうしても筋力や運動能力で男子と差が出る。特に投手は、球速という素人にも分かる指標がある。

 男子には160k/mの速球を投げる選手もいる。しかし女子はプロで活躍している有名な投手でも130k/m前半しか出ない。もちろん球速だけが投手の能力じゃないが、あまり女子には人気のあるポジションじゃない。

 それで川瀬は全国優勝まで経験しているのだから、同じ投手、いや同じ野球選手として、素直に尊敬するレベルだ。

「でもなんでそんな奴がうちの学校にいるんだ? きっと名門校や強豪校からバンバン勧誘があったんじゃないか?」

 スポーツ推薦で高校にスカウトされるというのは、全国区の選手なら野球に限らずよくあることだ。

「うん。薫はすぐに神奈川の高校に進学を決めて、後は高校野球に向けてトレーニング、ってところまで来てた」

「じゃあ、その推薦が取り消されたのか?」

 高校の推薦が取り消されるとなると、よっぽど面接が酷かったか、入学が決まる前に警察のご厄介になるような事をしたか、或いは……。

 俺が問いかけると、途端、来宮の表情に影が落ちた。

「……薫はもう、二度とピッチャーとして投げる事ができないの」

 


 

 グラウンドで練習に励む部活の生徒達の声が、教室まで届いてくる。夕日で赤く照らされている教室には、一人ぽつんとイスに座っている私以外誰もいない。

 帰りのSHRが終わってからもう一時間は経っているし、当たり前か。寧ろ未だに教室に残っている私のほうがイレギュラーだ。

 読みかけの文庫本をパタンと閉じて、ぼーっとグラウンドを眺めてみると、練習中のサッカー女子と目が合った。妙な気恥ずかしさが生まれ、すぐに目を逸らす。

「そろそろ帰ろうかな……」

 いつも一緒に帰る春香は、今日は先に帰ると言ってさっさと出て行った。なんの根拠もないけど、きっとあの柏木に今朝の事を謝りにでも行ってくれたのだろう。私が悪いのだからそんな事をする必要はないのに。春香程おせっかいな人を私は見たことがない。

「私もちゃんと謝っておかないとダメよね」

 勧誘を諦めさせる為とはいえ、流石に言い過ぎた。柏木にはさぞ私が嫌な女に見えたことだろう。

 しかしあれだけ言ったのだから、もうあいつが野球部に勧誘してくる事はないはず。柏木には気の毒だけど、他の人を当たってもらうしかない。だって、私が野球部に入ってもどうしようもない。

 まともに送球も出来ない、こんな右腕しかない私では。

 シニアで全国優勝してから二ヶ月、そろそろ進路を決めなければいけないという頃だった。他の名門や強豪と比べると少し実績は物足りないが、中二の頃からスカウトしてくれていた高校に私は進学するつもりでいた。

 あの事故が起こったのは、その高校への体験入学に向かう途中。

 赤信号の横断歩道に飛び出していた幼稚園児を咄嗟に突き飛ばした後、私は軽自動車に轢かれた。

 車の速度があまり出てなかったことが幸いし、私は全身を強打して意識を失ったものの命に別状はなく、園児も膝や顔を少し擦り剥いただけの軽症で済んだ。結果だけ見れば、かなり幸運な事故だったのだろう。

 しかし、私の右腕だけは無事では済まなかった。右肘に全治三ヶ月の複雑骨折。しかも完治することは出来ず、投手としての再起は不可能。当然志望校どころかどの推薦も取り消されてしまったけど、親や先生の協力でなんとかこの明蘭高校の受験に合格できた。

 この学校は女子比率は高いけど野球部はあるし、腕も軽いキャッチボールぐらいならなんとかできる程度には回復した。

 でももう、二度と野球に関わるつもりはない。

 どうしたって全盛期の力を取り戻せないなら、野球を続けても辛いだけ。

 白球を追いけていた自分が脳裏をよぎり、それを無理やりスクールライフを夢見て掻き消した。

「厳しい練習もなくて、自由の時間も増えたんだし。華の女子高生なんだから青春満喫しないと!」

 速く野球のことなんて忘れたい。読書は好きだから、図書委員か読書研究会にでも入ってみようか。そんな事を絶え間なく考えながら、私は教室を後にした。



 あの後来宮と我が家の前で別れてから数時間。俺は自室のベッドで寝転がり、久しぶりに頭を本気で振り絞っていた。

「二度と投手には戻れない、か……」

 来宮によれば、川瀬の右ひじは投球・送球が出来ないのは確かだが、打撃への影響は殆ど無いらしい。つまりそれは比較的送球する機会の少ない一塁手や、代打専用なら試合には出られるということだ。

 聞く限りだと川瀬はバッティングも相当なものらしく、エースでありながら打順は三番とクリーンナップを勤めていたらしい。

 だが川瀬は投手を捨てきれず、それならいっそと野球を辞めた。来宮が話してくれたのは、そんなどうしようもなく不幸な出来事だった。

「俺ならどうしただろうなあ」

 投手が出来ない。そんな状態に俺が陥ったら、俺も野球を辞めるのだろうか? 

「いや、それはないな」

 きっと、なにがなんでも出来る事を見つけて試合に出るだろう。俺は打撃が上手いわけじゃないし、特別足が速いわけでもないから代走要員にもなれない。

 でも野球は続ける。それだけは自信を持って言える。

「川瀬だって、野球を辞めたいはずはねえ。何かあるはずだ。川瀬を野球に引き戻してやれる何かが……」

 俺と違って最高の結果を出した川瀬だ。その努力は一般人には及びもつかないだろう。そこまでした人間が、簡単にその努力を捨てきれるわけが無い。

 とはいえ、うちの野球部のファーストには(素人だが)安堂先輩がもういるし、代打はそもそも人数が足りてないからありえない。残るポジションはショート、外野、サード、そしてキャッチャー。

「ってどこも送球難ありの出来るポジションじゃねえよ!」

 自分で自分に逆ギレしてしまった。いや、もうこの際そんな事を言っている場合ではないか? 結局の所選手不足を解消するには、適正が無くてもやってもらうしかない。

 どうしたものかと悩む事数分、俺の頭におそらく唯一の解決法が思い浮かんだ。

「…………あ!」

 一つだけある。送球難でもこなすことが出来るポジションが。これなら今の川瀬でも出来るはずだ。後は、川瀬のやる気次第。

「待ってろ川瀬! 俺が絶対お前を野球に引き戻してやるからな!」



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