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お供え日照り 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 う〜、唇がかさかさするなあ。こんな日に限って、リップクリームを家に置いてきちまったんだよなあ。

 なあ、つぶらや。ティッシュできっちり拭うから、お前の奴、持ってたら貸してくんないか?


 ――もはや手遅れ? べろべろ舌でなめたらどうだ?


 いやいや、それは本来の意味での「姑息」な手段に過ぎないぞ。

 なめたその瞬間は、気分がいいかもしれねえ。だが、唾液は蒸発する時に、くちびるの水分も一緒に持って行っちまう。結果的に、余計くちびるが荒れることになるんだぜ?

 ……って、おっと、ちょうどいいところにコンビニが。ちょっと調達してくるわ。


 うん、心なしか痛みが引いた気がするぜ。俺もリップクリーム依存症かもしれん。「肌にうるおいを」なんて、若い頃はばからしいと思っていたが、年取るとありがたみが分かってくると思わないか?

 うるおいに関して、俺が少し昔に出くわした出来事があるんだけど、興味はあるかい?


 俺は小さい頃、夏場に行う「打ち水」が奇妙な習慣に思えてしかたなかった。

 以前、少し水を引っかけられた経験もあいまって、「いたずらに道路を濡らして何が面白いんだろ?」と、少し蔑むような目で見ていたよ。

 後ほど、気化熱で気温を下げる効果とか、土ぼこりが舞ってしまうのを防ぐ効果とかがあると聞き、ひとまずは納得する。それでも、腑に落ちない家があった。

 登校班を組む時にいつも一緒になる、近所の友達んだ。7月に入ると、この家では朝早くと夕方の打ち水はもちろんのこと、昼間にも妙なことをやっていた。

 家の前のアスファルトの上に、かき氷を作る時に使うような、四角柱の形の氷を置いている。

 その上に乗せるのは、こぶし大のミカン。皮をつけたままの状態で鎮座して、じりじりとその表面を陽の光に焼かれているんだ。そして氷の台の溶けるがままに任せて、やがては地面を転がることになる。

 

 一応、「触らないでください」と書かれたビニールが、氷の表面に張り付けられていた。そもそもが道路の端っこだから、さして邪魔にならない。

 通りかかる人も自然とよけて通るような、ささいなもの。俺自身も足を止めることなく、横を抜けていったクチだが、気にならないといったらウソになる。

 形こそ単純なものだが、お供え物のように見えないこともないからだ。目にするたび、「変だ」とは思っていたけれど、わざわざ家を訪ねてまで質問する気もない。

 顔を合わせた時にでも、訊いてみよう。そんな気持ちで夏休みを迎えた。

 

 折よく、朝早くに公園へ子供たちが集合しての、ラジオ体操の時間がやってくる。

 当時はまだまだラジオ体操カード隆盛の時代。参加しない方がおかしいという風潮だったのを覚えているよ。

 件の友達も姿を現した。ラジオ体操が始まる前に少し話を聞いてみると、あの夏ミカンは生のものではないらしい。

 家で食べ終わったミカンの皮を、もう一度きれいに包み直したもので、中には細かく砕いた板チョコレートを詰めているとのこと。暑さで溶けて漏れ出さないように、しっかりとセロテープで亀裂部分は封じられているらしい。

 

 どうしてそのようなことをしているのかというと、地面にうるおいを与えるためなのだという。

 朝と夕方に好まれる打ち水だが、天気の良い昼間だと地面が熱せられていて、ざぶざぶと大量に水を掛けたりしない限り、逆効果になってしまう。

 だが、友達の地元では、その現象を、地面の神様が怒っているのだと、ずっと昔に解釈したらしい。当時の有識者たちが集まって、様々な占いが行われたところ、あの氷の台の上に、甘味を閉じ込めたミカンの皮を置くことで、神様のご機嫌を取ろうということになったらしい。


「じゃあ、なんでいきなり地面に置かないのさ。あんな氷が自然に溶けるのを待っていたら、お預けもいいところだろ?」


 俺がそういうと、友達は肩をすくめた。


「僕もそれを、親に聞いたよ。そしたら『待たされる時間があってこそ、気持ちは高ぶり、果たされた時の心地よさが大きくなるもんさ』とのこと。ゲームの発売日を待っている僕たちみたいな感じじゃないの?」


 そうやって二人とも笑ったところで、ラジオ体操の放送が始まった。


 夏が過ぎ去り、秋の間に関しては、友達の家は例の捧げものをしなかった。あまりにしょっちゅうあげてしまうと、神様の方がありがたみを感じなくなる、という話。

 普通、神様といったら人間よりもずっと立場が強いものと思っていた俺は、なんだかおかしな感覚に襲われたよ。人間が神様の面倒を見るなんて、まるであべこべじゃないか、とね。


 当時の俺が、お供え物という考えに懐疑的だったこともある。供えることで傷み、食べられなくなってしまうくらいなら、いっそ供えることなく、自分たちの食卓へ並べた方が何倍も意味のあることじゃないのか、と。

 いつも食事する時に「食べ物を残すな」とうるさいわりに、「お供え」と称し、率先して食べ物を捨てにかかるあたり、不可解の塊だったねえ。


 そんな俺の疑問が氷解したのは、一月末のこと。

 俺の地元は、年によって降雪量に差があるんだが、その時は前日の夜から降雪が始まり、翌朝には40センチくらい降った、大雪の日だったのを覚えている。みんなでひとしきり雪合戦したり、雪だるまを作ったりしたなあ。

 午後になると降雪は落ち着き、太陽が照り始めて、気温が上がってきた

 友達の家も、帽子代わりのバケツと、腕代わりに木の枝を刺した、俺の腰の高さほどの雪だるまを作っていた。やはりというべきか、鼻の部分にはみかんを採用している。

 今回はひとめにも芸術品と分かるせいか、「さわらないで」のビニールは用意されていない。

 よくみると、腕となっている木の枝からは、だいぶ「汗」が垂れ落ちている。順調に日光浴ダイエットが進んでいるらしかった。

 道路の雪も、午前中に比べればかさが減ってきたように思える。この調子で天気の良い日が続けば、数日後には溶けるかなと考え始めた矢先。

 

 不意に、雪だるまがかぶっていたバケツが、右から左へ飛んでいった何かに弾き飛ばされた。

 剛速球、という印象で、目にも止まらなかったよ。バケツが雪の上へ投げ出され、一呼吸遅れて黄色いつぶつぶが地面に転がった。

 それもまたミカン。鼻に採用しているものに比べてずっと小さいものの、皮がセロハンテープでくっつけられている。友達が話していた、雪だるまの細工だろう。

 地面に転がったのは、テニスボールほどの大きさのものが三、四個といったところだが、頭の上にも二個ほど残っている。おそらく、バケツの中に重ねられていたものだ。

 バケツの弾かれる音を聞いたのか、玄関の戸が開く気配がしたが、それよりも速く、先ほどとほぼ同じ軌道で、今度は頭の上に乗っていたミカンをひとつ、奪い取っていく奴がいた。今度は先ほどよりも遅く、正体がつかめたよ。


 ツバメだった。この時期に見かけるとなると、日本で冬を越すことを選んだ「越冬ツバメ」の一派だろう。

 空腹ゆえの本能なのか、神業がかった手際でミカンをくすねていってしまった。玄関から出てきた友達が雪だるまの前まで来た時には、すでにミカンの一個は奪われ、残り一個は先駆者たちと同じく、雪の上を転がっていた。

 落ちた時の衝撃で皮が破れて、中の茶色いチョコレートの身が漏れかけている。友達がため息をついた。


「よっぽどお腹が減っていたんかなあ。それともひなの面倒をみなくちゃいけないのか。すごく頭がいいもんだけど……知らないぞ、どうなっても」


 友達は落ちたミカンを回収していく。また改めてチョコレートを入れて、セッティングし直すのだという。


 数日後。いい天気が続いたおかげで、予想通り、雪に隠された路面が姿を現し始めた。車が良く通るところは、ほとんど雪がはけてしまっている、あの雪だるまが設置されている路肩の部分にはまだ残っているものの、土の混じった茶色の断片が目立ち始めた。

 水びたしになった道を行く、というのは気持ちのいいことばかりじゃない。でも当時の俺としては長靴を公に使える機会として、ばしゃばしゃ水はねを飛ばして遊んでいたっけなあ。

 けれども、遊び場のひとつにしている神社の境内。そのお堂の裏手の軒先で。

 あのチョコ入りミカンが転がっているのが、目に映った。

 雪に吸い取られたか、誰かが持ち去ったのか、チョコは皮のふちに、わずかにくっついているばかり。

 落ちていたところの真上を見ると、屋根の内側にツバメの巣ができていた。ただ、そこからは、ツバメの気配がこそりとも感じられなかったんだ。

 

 氷や雪だるまを通した、お供え物。その逢瀬は地面にとって、焦らされる極み。

 でも、いざ迎える段になれば、台となっていたものが溶けて、素肌がうるおっている。

 つやを持って、出迎えたい相手。それを奪われたとあっては、平静でいられないだろうな、と今になって強く思うんだよ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです! 冒頭のリップクリームの話で、言わんとするところが分かりやすかったです! 「日光浴ダイエット」という表現が妙にツボりました(笑) ふむふむ。焦らされての逢瀬というの…
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